The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
KENTARO!!
撮影:服部未来
KENTARO!!
ダンサー/振付家
東京ELECTROCK STAIRS 主宰
HIPHOPを中心としたテクニックをベースとしながらも既存のスタイル化されたものとは、かけ離れた独自の表現を実践している。近年の作風としては自作音源と曖昧にシンクロしながら、意味のある、なしをトコトン織り交ぜ構成した物語的ダンスである。
2008年横浜ダンスコレクションRにて「若手振付家のための在日フランス大使館賞」、トヨタコレオグラフィーアワード2008にて「オーディエンス賞&ネクステージ特別賞」。
2010年には「日本ダンスフォーラム賞」を受賞。海外からの招聘も多数あり、2012年春にインド3都市ワンマンツアー、秋には東京と京都合わせて20ステージの単独ロングランを行うなど精力的に想いと踊りを発信している。
http://www.kentarock.com/
東京ELECTROCK STAIRS
純ダンスを前提とした豊富なバリエーションと日常的な動きをMIXし、不思議な世界観を作り出す次世代型ダンスカンパニー。ネーミングには東京/日本で活動する意味と向上心、また目指すべき夢と信念がねじ込まれている。
2008年12月旗揚げ以降、毎年単独公演を行い、これまでに長編7作+短編2作を発表。2011年には単独としては初のドイツ3都市ツアーを成功させた。昨年は初のロングラン公演を決行、今年1月にはNYでのショーケースがニューヨーク・タイムスに評が掲載され、称賛された。
2013年は3本の新作を発表。とりとめのない想いをダンスに滲ませ <君の胸に届く、そして突き抜ける>をモットーに突き進む。
http://www.tokyoelectrock.com/
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KENTARO!!『泣くな、東京で待て』
(2008年)
泣くな、東京で待て
撮影:塚田洋一
KENTARO!!『雨が降ると晴れる』
(2011年)
雨が降ると晴れる
雨が降ると晴れる
東京ELECTROCK STAIRS
『届けて、かいぶつくん』

(2011年)
届けて、かいぶつくん
撮影:金子愛帆
Artist Interview
2013.6.28
dance
Connecting hip hop and contemporary dance The unique creative sense of KENTARO!!  
ヒップホップとコンテンポラリーを繋ぐ KENTARO!!の感性  
ヒップホップをベースとした脱力系ダンス作品で若い世代に共感を呼んでいるKENTARO!!。作詞・作曲も手掛け、ソロダンスと並行して、自らのカンパニー「東京ELECTROCK STAIRS」での創作や次世代を育てるためのフェスティバルをコーディネートするなど、精力的に活動するKENTARO!!の熱い思いを語ってもらった。
聞き手:乗越たかお[舞踊評論家]

「ダンス甲子園」からストリートダンス、やがてコンテンポラリー・ダンスへ

──ダンスを始めたきっかけは、高校生ダンサーが競うテレビ番組『ダンス甲子園』(1988年頃〜)だったそうですね。日本におけるストリートダンスブームに火を付けたと言われている番組です。

 小学校3年生くらいのときです。水泳の先生がダンス甲子園の出場者で、林間学校などでブレイクダンスを見せてもらってカッコいいと思ったのがきっかけです。それと母がフィットネス系のインストラクターをやってたので、子どもの頃からマドンナやマイケル・ジャクソンのPVをよく見ていました。
 人前に出るのは好きなくせに上がり症で、野球もボールが来るとエラーばっかりするような子どもでした(笑)。サッカーとか、スケボーとか、DJとか、カッコいい系のことは一通りやりましたが、ダンスが一番早く上達しました。中学1年生からダンス教室に通って、高校に入る時には「これでメシが食える」という自信をもっていました。

──KENTARO!さんは1980年生まれなので、当時はまだヒップホップがそれほど一般的にはなっていなかった頃ですね。
 そうですね。ヒップホップを教えているダンス教室は都内でも数えるほどしかありませんでした。しかも習っているのは大人ばかり。僕は登校拒否状態だったので、学校にはほとんど行かないでダンス教室に週5回通っていました。高校1年のときには、もう先輩とかに混ざって地方巡業に行っていましたね。ストリートダンスは当時は上下関係が厳しかったですが、仲良くなると一緒に練習したり、イベントに呼んでくれて憧れの先輩と一緒に踊れるという関係の濃さがあるんです。コンテンポラリー・ダンスはそういった関係性が希薄ですけど。

──ご両親の理解はありましたか?
 父は初めは否定的でしたが今は肯定してくれていて、母は当時からずっと応援してくれています。大きなクラブにゲストとして招待されると、身内をVIP席に呼べるんです。高校3年生で深夜のイベントに母を招待できたときはうれしかったですね。17歳くらいから自分がリーダーのダンスチームを組んで活動をはじめました。
 
──当時、踊っていたのはどんなスタイルですか?
 最初はロックダンスが中心でしたが、その後ヒップホップ、ハウスやポッピンなどストリート全般をやりました。ブレイクダンスだけは凄い技術をもった友達が多すぎてやめましたけど(笑)。でも次第に「カッコいい」「バッチリ揃う」ことばかりを追求していていいのかと。若い人しか見ないし、カッコいいか、悪いかで、「喜怒哀楽」を表現するということがない。特に「哀」はないですよね。自分の祖父祖母にも見てもらえるような作品をつくりたいなあと思って、当時は珍しかったのですが、03年からソロで活動を始めました。同時期に劇団も結成しました。

──劇団ではどのような作品を作っていたのですか。
 ミュージカルの歌の部分をダンスで見せるようなエンタテインメントな演劇です。自分で戯曲を書いて演出・振付・制作もすべてやって。4回くらい公演しましたが、我ながら面白いものは書けず、しかもこちらも凄い人がゴロゴロいる世界なので、ダンスに戻りました。

──KENTARO!!さんの作品は自分で作詞したオリジナル曲を使ったり、言葉が効果的に使われています。言葉を使うアーティストはめずらしくありませんし、近年はNibrollの矢内原美邦さんが演劇プロジェクトをはじめたりしていますが、劇団までつくっていた人はなかなかいません。
 コンテンポラリー・ダンスは比喩的な傾向が強いので、演劇的表現と近いところがあるような気がします。だから僕はピナ・バウシュにもすごく影響を受けていて。初めて見たのは『ネフェス』(日本公演2005年)でしたが、一番後ろの安い席でしたけど思いっきり琴線に触れました。涙が出て、「ダンスで人を泣かせることができるのか」と初めて知りました。自分もカッコいいだけじゃなく、こういうものをつくりたいと思いました。

──その頃、コンテンポラリー・ダンスはよく見ていましたか。
 演劇とダンスは毎週欠かさず見ていました。コンテンポラリー・ダンスで初めて見たのが川口隆夫さん、次が黒沢美香さん。お二人とも当時は「ほとんど踊らない系」(笑)で、川口さんはローラーブレードでグルグル回っていましたし、黒沢さんはひたすらハエ叩きを使ったり、手紙を書いてました。「なんだこれは」と考えてしまいました。そういう「ダンスを見て考える」という行為自体も新鮮でした。次に珍しいキノコ舞踊団を見て、「こんなに色々なスタイルがあってコンテンポラリー・ダンスは何て自由なんだ」と、視界が開けました。

──ストリートダンスの人がコンテンポラリーを見た時、そこで意見が分かれますよね。楽しいと思う人と、「オレたちみたいには動けない」とキッパリ線を引く人と。
 そこがダメなところだと思います。動けないとしか思えないのは、視野が狭すぎるんです。ダンスがうまくて自分の立ち位置がわかっている人は、そんなことは思わないし、違う表現として冷静に見ています。逆に、最近では力不足で食えないストリートダンサーがコンテンポラリー・ダンスで何とかしようとするケースも増えています。ストリートダンスを見てない人が相手だったらヘタなのもバレませんから。ちょっとその辺は問題だと思います。

──KENTARO!!さんはソロ活動を始めて間もなく、コンテンポラリー・ダンス界でも注目されるようになります。2005年には東京コンペで特別賞、06年には単独ソロ公演、06年から08年には「踊りに行くぜ!!」で全国を回り、07年にはセッションハウスのレジデンス・アーティストにも選ばれます。
 この時期は手探りで短い作品をつくっていました。東京コンペの受賞作『井上君起きて、起きてってば!!』も、「何か感動させたい」という気持ちでつくったマイムっぽい作品でしたし。矢内原美邦さんが審査員をやっていたBankArt1929の「カフェライブショー」という公募企画に応募もしました。予選で落ちたのですが、矢内原さんに気に入られ、男性デュオ作品に出演しました。その後、off-Nibrollの台湾公演にも参加しました。
 
──演劇とダンスの両方を股に掛けているという意味では、二人は共通していますね。
 僕は完全振付でしかつくりませんが、矢内原さんは対話しながらつくっていくのでそこは違いますが、言葉の使い方や関係性のつくり方などは勉強になりました。デュオの相手は役者だったので、もちろんダンサーのようには踊れませんが、逆に「同じ動きがこんなに違って見えるんだ」という発見もありました。

──ストリートやヒップホップ系の人はやはりバトルの意識が強いのか、「前に強く」という思いが勝ちすぎて、劇場作品でもそればかりになってしまう。しかしKENTARO!!さんは、初めから背後や上など劇場空間全体に意識が巡らされたシアトリカルな振付になっていて、感心させられました。
 舞台は照明や構成を含めて、いろいろ研究しましたが、最終は感覚的で把握できるかどうかだと思います。同じ振りでも横を向けばニュアンスが変わるし、二人で踊っていると人が入れ替われば意味も変わってくる。あとストリートのダンサーは、何にもしないでいることが恐くて詰め込んでしまうんじゃないかと。でもバーッと踊った後、ふと止まった瞬間に、「ああ、この人はそういう人なのか」とグッときたりする……そういう余白があるから感動するので、そこは大切にしています。


ペーソス溢れる脱力系ソロダンスで受賞

──2008年は怒濤の1年となりました。『泣くな、東京で待て』で横浜ソロ×デュオ・コンペティションの若手振付家のための在日フランス大使館賞、トヨタ・コレオグラフィー・アワードでオーディエンス賞を受賞、そしてカンパニー「東京ELECTROCK STAIRS」を立ち上げます。

 ソロ活動を始めたとき「3年で賞を取る。コンテンポラリー・ダンスとして認められないなら、別の道を探す」と決めていたので、プラン通りです!(笑)。横浜は映像審査で2回落ちていて、最後と決めた3回目での受賞でした。「絶対に取るぞ!」という気持ちでした。

──鮮烈なデビューでした。ただ半可通の人の中には「あれはヒップホップだから」と否定的なことを言う人もいました。つまり音楽に合わせてすでにある動きを組み合わせている作品だと思ったのでしょう。実際は「ベースはヒップホップでも、ちゃんとオリジナルの動きを創りだしている」のは一目瞭然なんですが。
 どうせ技術的なことは理解されないだろうから、おもしろいと言ってもらえればいいぐらいに思っていました。何よりストリート系のダンスで作品をつくれることを評価されたのは素直にうれしかった。バレエ系の人にやたらと「バレエを習ったらいい」といわれたのは困りましたけど(笑)。

──受賞作の『泣くな、東京で待て』はセリフも効果的に使ったソロ作品でしたね。
 ちょうどその頃、人間関係で色々あって疲れていたので、「この気持ちをベタなものと意味のないもので構成して作品にしてみよう」と思ってつくりました。観客は「ヒップホップを踊るんだろう」と思っているに違いないので、あえて冒頭5分間はずっとしゃべっていました。で、「コイツ踊らないのか?」と思いだした頃、踊る。いきなり匍匐前進して歩き出すとか、「何なんだろう、この人は」と思わせるようなことを、観客が引くギリギリを見極めて、ガンガンやりました。

──なるほど。「自分に酔っている自分」を客観的に捉えて作品化しているわけですね。最後に「みんな大好きです!」といってパンと倒れて暗転……という感傷的なことをやっているのにストイック。この人はポジティブな裏に、すごい孤独や淋しさを抱えているのではないかと思わせました。
 ネガティブな自分に向き合わなくていいようにポジティブに考える、という葛藤が僕のなかにはずっとあるので、ベタにならない思考パターンになっているのかもしれません。ああいうセリフは演劇に近いのですが、その状態に入り込むまでが大切なんです。

──KENTARO!!さんは、自分の舞台で使う音楽のほとんどを作詞・作曲していますよね。
 ぜんぶ独学なんです。22歳の頃、20万円くらいするシンセサイザーを買って、最初の1曲をつくるのに2年くらいかかりました。今では結構複雑な曲も含めて公演で使う曲はほとんど自分でつくっています。ヒップホップのダンサーでもDJミックスはよくやりますが、僕のようにオリジナルでメロディからつくっている人はまずいないと思います。ヒップホップはつまるところドラムとベースがカッコよく響いていればいいけど、僕の世界にはピアノとかシンセ音とか、センチメンタルなメロディ等も必要なので。ヒップホップの音源は逆に難しくてつくれないです。録音してるいのはローランドのVSシリーズという、ハードディスクも10ギガしかないようなものです。今はパソコンでもっと簡単に作曲できますが、僕はアナログな作業を積み重ねるのが好きなので、今でもそれを使っています。

──普通は振付を考えるだけで精一杯なのに、作曲までしていたら大変でしょう。
 前からやっていたとはいえ、死にそうになりますね。でもそうしなきゃダメだと思ったのは、トヨタ・コレオグラフィー・アワードで受賞した時、ダンス関係者やダンサーから「結局、既成曲の力に乗っかって動きを嵌めているだけ。誰でもできる」みたいなことを言われたのが決定的でした。「じゃあ曲も全部自分でつくれば文句ないだろう」と。今は歌も自分で歌っています。

──ダンス公演において、言葉を使うのは諸刃の剣で、良くも悪くも作品に大きく影響を与えることになりますよね。
 はい。踊りに意味はなくても、歌詞が流れるととたんに意味を帯びるから面白いですよね。舞台で使う歌詞は、メッセージとして伝えたいものをストレートに、言葉が立つように、わざとベタなものにしています。ただそれがベタベタなものにならないよう見極めて、演出やダンスをつくっていかなければなりませんが。

──在日フランス大使館賞の副賞としてフランスにレジデンスされましたが、何をしていたのですか。
 毎日のようにダンスを見ていましたが、当時は踊らない作品ばっかりで(笑)。たまに見る分にはいいけど、毎日だとキツイですね。印象に残ったのはヴィム・ヴァンディケイビュスの作品です。映像あり、演技あり、ダンスありの強烈な舞台でした。また山海塾をフランスで見たのも良かった。こんなに受け入れられているのかと実感できましたから。あとは自分でクリエイションしたものを見せたりしていました。

──現在も海外公演をされていますが、基本的にどのような受け止められ方をしているのですか。
 おそらくヒップホップとして見ている人は少なくて、ダンス作品として捉えられていると思います。ドイツ公演ではブレイクダンサーもけっこう見に来ていましたが、「こういう表現もあるんだな」と自然にわかってくれている感じです。ただヨーロッパでもコンテンポラリー・ダンスを正面に出すとストリートダンスの観客はあまり来ないそうで、そういうジャンルの壁はどの国にもあるみたいですね。

──ヒップホップは、血なまぐさい歴史的背景(ギャングの抗争が激化し、「殺し合いの代わりにダンスで闘おう」という呼びかけに応じる形で発達してきた経緯がある)を含んだ表現です。しかし、ある意味そういうヘビーさから離れて、遠く日本の地でテレビ番組に刺激されたダンサーが新しいスタイルを作っているということについて、アメリカなどでの反応はありますか。
 海外では「どういうダンスのスタイルなのか」とは質問されますが、「ヒップホップについてどう思っているか」と質問されることはないですね。やはり今は「カッコいいからやっている」というのがほとんどじゃないでしょうか。ただヒップホップってダンスだけじゃなく、僕も「社会に対して自分を出していく表現」だと思っています。そういう意味ではラッパーの表現は凄いと思います。メディアには載らないけど、10代の子が「死にたいんだけど死ねないし」と歌っているのを聞くと、本当にリアルだと思う。僕がダンスでやりたいこともそれで、死にたいという人が救われるようなダンスができたらいい。たとえクラシックのピアノ曲で踊っていても、意識としてはヒップホップの表現だという気持ちで踊っています。

──ソロでは挑戦的なことも色々していますね。
 昨年末、12日間15ステージのソロ公演とかやりましたが、ほとんど修行です。同じ振りでも身体の使い方が初日と最終日では全然違ってきますが、それはロングランをやらないと絶対にわからないことですから。力が入りっぱなしだとすぐに疲れてしまうので、うまく脱力しながらキレをキープしなくちゃいけない。そのためにはリズムと呼吸が重要です。瞬発力を使う時は無呼吸なので、動きが止まる時に吸い、踊る時に一瞬吐きます。下手なダンサーはパーツの脱力が出来なくて、肩が上がってきて、すぐに疲れてしまいますが、僕にとっては日常的に話しているのと同じ呼吸法なんです。だから、今ここで2時間踊れと言われてもすぐにできます。舞台上では、さんざん踊った後、呼吸も乱さずスッと立って「あれ、この人、いま踊ってたっけ?」と思われるような感じが好きですね。まあ、すごく汗かきなので、なかなかそうはならないですけど。

──康本雅子『「」の中』(2010)や、元ネザーランド・ダンス・シアターの小㞍健太『テラスキニ』(2013)など、コラボレーションも行っています。
 康本さんとは「踊りに行くぜ!!」で一緒に各地を回ったのですが、こんなダンスがあるのかと本当に衝撃を受けて、一緒に踊ってみたいと思いました。小㞍君とは年齢と出身地が同じで。僕の曲でソロを踊りたいというので、彼がやりたいことをまずピックアップしてから構成をつくりました。


カンパニーの結成とプロデューサーとしての意気込み

──受賞後、08年に自らのカンパニー「東京ELECTROCK STAIRS」を結成します。若い世代には「カンパニーをつくるのは重荷だ」という風潮があるように思いますが。

 だからこそ逆につくりたかったんです。実は受賞する前から準備していましたが、受賞できなかったらうまく実現できたかどうかわかりません。コンテンポラリー・ダンスとヒップホップのダンサーが半々くらいのカンパニーがいいなと最初は思っていました。名前は、エレクトロとロックが好きなので ELECTROCK 。それに階段(STAIR)を一段一段上っていくという意味と、ピープル・アンダー・ザ・ステアーズというヒップホップのグループ名がカッコ良かったので、それを掛けて STAIRS と付けました。カンパニー作品では、彼らダンサーをいかによく見せるか、照明も考え抜いていつくっています。

──作品の中には、ダンサーのソロが必ずありますし、自分の名前を名乗るシーンもあります。どのように振り付けるのですか。
 最近、ソロは特殊なつくり方をしています。まず僕が各人の身体をイメージしたソロの振付をつくって踊って見せ、ダンサーはそれをスマホで撮影し、持ち帰って各自で振り写しをしてもらいます。身体のクセもありますし、当然僕と同じようにはなりません。その時の振りはカウントで踊るわけじゃないですし。そのやり取りを重ねて発展させていきます。振りをつくってインスピレーションが湧いたら、その日のうちに作曲してという感じなので、休む暇がありません。でも練習は各自でやってもらえるので、効率は良いんですよ。

──カンパニーを結成してから、すごい勢いで新作発表をしています。『Wピースに雪が降る』(2008)、『長い夜S.N.F』(2010)、『水平線サイコ』(2011)、『届けて、かいぶつくん』(2011)、『最後にあう、ブルー』(2012)、今年( 2013 )は『始まりのマーチを待っていた』(KENTARO!!は出演せず)と『東京るるる』。
 僕の場合、コンセプトからつくるより、単純に「これを踊りたい」という思いから作品をつくることが多いです。もちろんカッコよさだけではなくて、毎回何かを伝えられるよう四苦八苦しています。特に『届けて、かいぶつくん』は、東日本大震災直後の4月から稽古をはじめたので、「こんな時期に、踊りなんてやっていていいのか?」ということを突き詰めざるを得なくて、それが色濃く出ていると思います。「愛を歌う」がテーマだったのですが、いつもなら踊りで見せるところを、本当に歌いました。「踊る意味をちゃんと伝える必要がある」と思ったので。
 フランスでヴィム・ヴァンディケイビュスの作品を見たとき、「ダンスも演技もできる人たちがこんなにいるのか」と感動すると同時に、じゃあ「自分は日本でどんな作品をつくりたいのか、つくれるのか」と突きつけられました。その思いを絶えず抱きながら作品をつくっています。

──ヴァンディケイビュスの作品は激しい上にツアーも多く、ダンサーの身体がもたずにどんどんやめるので次々に入れ替えていくそうです。ある意味プロですが、ダンサーを育てるといった視点は基本的に希薄です。
 なるほど。僕の作品はメンバーありきで、ほとんど当て振りなので、そういうつくり方はできないですね。メンバーによって作品の内容が変わることもあり得ますし。現在わりと固定していますが、彼らにはとても期待しています。普段から僕が教えているスタジオで自主的にクラスを受け、作品もしょっちゅうつくっているので、年の半分くらいは一緒にいます。参加メンバーは僕より7〜9歳くらい下ですが、けっこうみんな暗い(笑)。踊ってないときは「なんで生きているんだろう」と悩んでいるようなタイプで、電話をしてもかけ直してこない人もいる。でも稽古には絶対遅刻しないとか、個性が豊かな面々が揃っています(笑)。

──KENTARO!!さんは、日本のアーティストにはめずらしくプロデューサー感覚を併せ持っている方で、2010年にはフェスティバル「flat plat fesdesu」も立ち上げました。4〜5組のアーティストが5分から20分程度の作品をやって、3プログラムくらい組んで1週間公演していましたね。
 そのフェス自体は、アゴラ劇場でまだ2回しかやっていないのですが、それに先立つイベントは、東中野のオルタナティブスペースRAFTに持ちかけて、結構やっていました。RAFTには稽古場に無償でレジデンスさせて週末公演を行う「ダンスネスト」という企画もありますが、叩き台は僕が提案しました。それを実現してもらって嬉しかったですね。
 STスポットでも企画をやっていますが、単純に若手のフックアップ(ヒップホップで、成功した人が若手に光が当たるよう手助けをするようなこと)をしたいと思っています。ダンスはやっぱり20歳代が頑張らないとダメだと思うんです。RAFTでやっていたものはコンテンポラリー・ダンスの若手にも応援したいと思わせる人がいたので、ベテランと一緒にブッキングして、1000円で見られる企画にしました。

──現役のダンサーであるKENTARO!!さんが、自分の繋がりを活かして、幅広いジャンルから才能をピックアップしてキュレーションしているのが強みですよね。意外な発見がいつもあります。
 そこは狙っているところで、僕はダンスも演劇も、人一倍見ている自負があります。フェスの規模も小さいから、本当に見せたい人たちが揃ったときだけやればいい。「flat plat fesdesu 」は音楽も演劇も入った横断的なもので、出演者の世代もいろいろです。とかく同世代で固まりがちなのが嫌なんです。大師匠クラスの人もバンバン呼びたい。フェスなどの企画・制作はCrackers boatというチームでやっていて、現在メンバーは僕入れて3人+デザイナーです。ダンスは僕が全部集めるので大変ですが、他のブッキングや事務作業は分担しているので助かっています。後輩たちも現場で頑張ってくれますし。ソロ・カンパニー等の自主公演は今年から一人、制作が加入しました。
 僕は自分のことだけやっている人にあまりカッコ良さを感じないんです。すごく売れているミュージシャンが、「あいつの音楽は聴いたほうがいい」と紹介し、その若い子が注目され、発掘した人もリスペクトされる。その若いアーティストは、将来かならず同じことをする。そしてシーンが盛り上がっていく……というのが良いなと思うんです。
 
──ヒップホップ系のコミュニティのありかたを思わせますね。
 そうですね。コンテンポラリー・ダンスの人たちは、上の世代はまだ横の繋がりがあるみたいですけど、僕の世代だと本当にないですからね。

──今後の展望は?
 商業的な仕事の話しもいろいろいただきますけど、もっと着実に力を付けて、いい作品をつくって、最後までこの世界に残っていたいと思います……実は、やりたい事の一つとして、劇場の芸術監督があります。劇場にも制作に関わってもらって、地域に密着するような活動もいつかしたいと考えています。よろしくお願いします!
 
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