The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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関かおり
関かおり(せき・かおり)
1980年生まれ。5歳よりクラシックバレエを学び、18歳よりモダンダンス、コンテンポラリーダンスを始めると同時に創作活動を開始。2008年にSTスポットラボ20#20で発表したソロ作品『ゆきちゃん』でラボアワード受賞。12年には、岩渕貞太と共作したデュオ作品『Hetero』により横浜ダンスコレクションEX2012「若手振付家のための在日フランス大使館賞」、またトヨタ コレオグラフィーアワード2012「次代を担う振付家賞」(上演作品『マアモント』)をダブル受賞。2013年には彩の国さいたま芸術劇場のプロデュースによる『アミグレクタ』発表。また、ダンサーとしてCo.山田うん、大橋可也&ダンサーズ等の舞台作品に参加する他、2007年より、同年代のアーティスト等と群々(むれ)を立ち上げ活動。独特の舞踊言語と繊細な感性を持ち合わせた注目の振付家。
http://www.kaoriseki.info/
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『アミグレクタ』(2013年)
主催・企画・制作 : 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
撮影 : GO
アミグレクタ
アミグレクタ アミグレクタ アミグレクタ
『ハルコの娘』(2003年)
撮影 : 塚田洋一
ハルコの娘
ハルコの娘
『ゆきちゃん』
(2008年)
撮影 : 松本和幸
ゆきちゃん
『マアモント』(2010年)
Artist Interview
2013.12.9
dance
Kaori Seki’s sense of wonder - Explorations in physical perceptivity  
身体の感覚を探る 関かおりのセンス・オブ・ワンダー  
関かおりは、2012年に岩渕貞太との共作『Hetero』により「若手振付家のための在日フランス大使館賞」、『マアモント』によりトヨタ コレオグラフィーアワード「次代を担う振付家賞」をダブル受賞した、今最も注目されている振付家だ。薄い肌着のようなボディタイツ姿のダンサーたちが、まるで原始的な生き物のように、皮膚を触覚にしてお互いの身体をゆっくりと探り合う。ほぼ無音の状態で展開されるその独特のムーブメントにより、観客の五感は研ぎ澄まされ、不思議な世界へと誘われる。肌からヌラヌラした粘液が滲み出るターニングポイントのソロ作品『ゆきちゃん』(2008年)、匂いを使った『マアモント』(2010年)など、視覚だけではなく、触覚、臭覚などの五感を呼び覚まし、コンテンポラリーダンスの新たな可能性を切り開く関かおりの世界についてインタビューした。
聞き手:乗越たかお[舞踊評論家]

ダンスとの出会い

──2012年の「若手振付家のための在日フランス大使館賞」「次代を担う振付家賞」ダブル受賞後、日本では初の新作となる『アミグレクタ』を彩の国さいたま芸術劇場の「dancetoday」シリーズで発表されました。若手振付家に創作の機会を提供するこのシリーズでは、1カ月半の稽古期間など充分なバックアップがあります。これまでになく大きな空間での公演でしたが、関さん、岩渕さんなど5名のダンサーが独特の動きで濃密な舞台空間をつくり上げていました。今回はどのようなテーマで取り組まれたのですか。

 福島の原子力発電所のこともあり、「消えていってしまいそうなもの達」という意識が作品をつくっている間中ずっと頭の中にありました。“愛おしい”は“愛し(かなし)”とも読みますが、愛する者のことを考えると泣きそうになる、その感覚はどこから来るのか……。失い続けていくような感覚と、それでも生物がちゃんと連鎖していってほしいと願う気持ちと、そういう「生と死」に少しでも迫りたいと思っていました。
 観る人によって、繰り返している動きが永遠に取り返せない時間に感じたり、逆に何度でも出会える機会に思えたり、様々だったようです。特に今回はこれまでになく大きな劇場でしたから、近い距離で身体を観察するのとは違った景色が見えてきたのではないかと思います。

──元々はバレエをやっていらっしゃったそうですね。
 5歳から地元の川越のバレエ教室に通っていましたが、あまり良い生徒ではなかったですね(笑)。コンクールにも無頓着で、とにかく踊るのが楽しい、ずっと踊り続けていたいと漠然と思っていました。学校でいじめみたいなことがあっても、バレエ教室に行けば楽しかったので。
 集団行動が嫌いだったわけではないですが、あまり馴染めないほうだったと思います。特にアンフェアなことには我慢できなくて、先生ともよく衝突していました。高校では「バレエをやるなら演技力も必要だろう」と思い、演劇部に入りました。ただ授業にはあまり出席せず、自転車通学の途中にある公園で絵を描いたり本を読んだりして過ごし、部活にだけ行っていました。高校時代は精神的に不安定で、その部活も途中で辞めました。
 コンテンポラリーダンスを初めて観たのは高校3年生のときで、たまたま情報誌でマギー・マランの来日公演(1997年)の記事を見つけて、世田谷パブリックシアターまで観に行きました。観たのは『ワーテルゾーイ』でしたが、衝撃でした。「ああ、こういうダンスもあるんだ!」と興奮して帰った記憶があります。

──マギー・マランはフランスのコンテンポラリーダンスの旗手でした。いい出会いでしたね。
 それでコンテンポラリーダンスに進んだというのではありませんが、高校卒業後はバレエ以外の踊りもやりたいと思い、バレエの他にモダンのクラスがある都内のスタジオを探して、野坂公夫先生と坂本信子先生がやってらっしゃるダンスワークスに通いました。でも演劇やミュージカルにも興味があったので、オーディションを受けたりしていました。
 そんな調子で2年くらい経った2002年に、バレエ協会の埼玉ブロックで能美健志さんの作品に出演する機会に恵まれました。その本番の数日後にシンデレラをベースにした山田うんさんの『ハイカブリ』(03年)のオーディションを受けて出演することになり、環境が急に動き始めました。

──それまで馴染みのなかったコンテンポラリーダンスのクリエーションにいきなり参加して、いかがでしたか。
 年上のお姉さんたちとバレエばかりやっていましたから、ほぼ同世代の人たちと朝10時から夜10時までダンス漬けになる……その全てが楽しかった。うんさんが創るものも新鮮でした。今もそうですが、できるようになるまで時間がかかるし、多分作品を理解するとかそういうことはわかっていなくて、とにかくがむしゃらにやっていました。
 その後の『ワン◆ピース』にも続けて出演させていただきましたが、うんさんには「身体をどう捉えるか」ということを徹底的に考え抜く大切さを学びました。それは今でも私の中に残っています。それから、社会人としてどう生きていくかとか、舞台に立つ心構えとか、そういう「踊る以前の姿勢」を教えられたことがとても大きかったです。本当にたくさん怒られましたけど(笑)、それはいま私が若いダンサーと作品を創る上で、とても役立っています。
 

創作の歩み

──山田うんさんのカンパニーから良いダンサーが続々と育っていくのは、そういうことがあるからかもしれませんね。うんさんの作品に出演した2003年に初めてのソロ作品『少女地獄』をクリエーションします。

 うんさんのところで出会った木村美那子さんと私が「雰囲気がすごく似ている」と言われていたのがきっかけで、デュオ作品を創ってみようという話しになりました。でも、これからどんな踊りをするにしても、一人で踊れる強さがなければ駄目な気がしていたので、まずソロを創ってからにしたいと。それでセッションハウスで発表したのが『少女地獄』でした。

──夢野久作の同名小説がありますが、それがベースですか。
 はい。「虚言癖で周囲を巻き込んでいく女の人」に惹かれました。ピチカート・ファイヴの曲で夏木マリさんが歌っている「Porno3003」を音源にしてナース服で踊る作品です。この頃は音楽を先に決めて、そこからのイメージで作品をつくっていました。評判もそこそこ良くて、創ることの楽しさを再認識しました。足を高く上げなくても、きれいにターンしなくても、自分が小学生の頃にやっていたような、ちょっと変わった動きでも作品にできる…。自分の世界を表現する面白さを、拙いながらもこの作品で掴んだ気がします。その後、同じ年に木村さんとのデュオ『ハルコの娘』をつくりました。『少女地獄』と木村さんのソロをミックスした作品です。

──舞台上に反物を敷き詰めて踊った作品ですよね。
 反物を使ったのは04年に神楽坂ディプラッツ『ダンスがみたい!』で公演したときで、乗越さんがこれをご覧になって、トヨタ コレオグラフィーアワードに推薦してくださったと後で聞きました。残念ながら予選通過はできませんでした。ある時、木村さんと一緒に感想を聞きに行ったら「人の感想なんてどうでもいいから、やりたいことをやれ」と言われたのはよく覚えています(笑)。

──その後、大橋可也さんの作品にも参加されています。
 大橋さんの『あなたがここにいてほしい』(04年)で、ダンサーのミウミウが舞台上でおにぎりを食べて吐くというシーンがあり、私もそういうのをやりたい!と思いました。それで『サクリファイス』(05年)のオーディションを受けました。その頃の大橋さんは、映像や写真、例えば象形文字を見せて「これを動きにして」という感じでみんなが創り、これは採用、これはカット、と取捨選択しながら動きを組み立てていました。こういう方法もあるのかと思いましたね。

──その後、再びソロ作品『あたまにあ』(06年)を創られています。
 はい。その頃は、精神的に不安定になっていて、考えようとしても頭にモヤがかかってざわついているような状態だったので、それをモチーフにしました。自分の身体、自分の存在が汚いものだという思いに囚われていた時期で、自分自身をミキサーで潰してしまいたかった。でもそれはできないので、自分の代わりに人型にしたスイカをミキサーでつぶして飲みました。汚れている私の身体を通したら全てが汚れるんじゃないかと思い、最後は股間から真っ黒い水がジャーッと出る……。いま思うと単純なコンセプトですけど。仕掛けは基本的に自分で作るので、家のお風呂場で背負ったタンクから黒い水を出す調整をしたり…。出来上がったので、その姿を父に披露したのですが、絶句してましたね(笑)。

──2008年には、同世代の若いダンサーたち(岩渕貞太、尾形直子、関かおり、長谷川寧、原田悠、松本梓、ミウミウ)と「群々(むれ)」というグループも結成しています。これはどういう経緯だったのですか。
 ダンサー同士、仲よく話したり互いの公演に行ったりはしますが、それだけで終わっていました。同じ作品に出演していても、どんなことを考えて舞台に立っているのか、深いことは意外に知らないし。それでは発展がないと岩渕とよく話していた時、彼からアーティストの赤瀬川原平さんの本を借りて「ハイレッド・センター」や「路上観察学会」という同時代のアーティスト同士が繋がった活動を知りました。
 そこで公演を前提にしないで、興味のある者同士でお互いのアイデアを交換したり、一緒に考える場をつくろうとみんなに声を掛けました。当初は相手のことを知るのが目的でしたが、すぐに「公演をやるほうがいいよね」ということになり、群々の合同振付作品『あたらしい世界』(08年)と互いに振付あう『6:0/作品集』(09年)、廃墟で行った『静かな日』(10年)を発表しました。今はそれぞれ忙しくなってしまって活動休止状態ですが、何とか続けていきたいと思っています。


GAGAとの出会いで生まれた『ゆきちゃん』

──イスラエルでGAGA(バットシェバ舞踊団のオハッド・ナハリンが開発した身体メソッド)のワークショップを受けたことがあるそうですね。

 『あたまにあ』や群々のグループ作品を続けて創ったりしたので、オーバーヒート気味でした。そうしたら「GAGAジャパン」が日本人のダンサーを募ってダンサー向けの短期集中クラス「GAGAインテンシブ」に行くのを知り、オハッド・ナハリンの作品も好きだっし、思い切って参加しました。

──慣れない異国でのワークショップ・ツアーはいかがでしたか。
 行くときは精神的に万全ではなかったのですが、テルアビブで毎日GAGAをやって、海で疲れを癒し、京都のdotsというカンパニーの高木貴久恵さんと気が合って互いのグループのことを話したり…すべてが良い方向に作用して、本当に元気になりました。
 私はバレエ以外のトレーニング方法も身体メソッドも知らないで作品を創っていたことに気づかされました。『少女地獄』でも『あたまにあ』でも、自分内部の欲求をどう形にしていいかわからず、もがきながら創っていた。でもGAGAでイメージを使って動いたりしていくうちに、ああ、自分の身体はこうやって見つめていけばいいんだと、とてもクリアになった。自分に合った方法と出会え、すっかり元気になって帰国し、創ったのがソロ作品『ゆきちゃん』(08年)です。

──『ゆきちゃん』は会場であるSTスポットのラボアワードを受賞しました。私も拝見しましたが、この作品には驚かされました。ゆっくり、昆虫を思わせるような動きで、じっと見守っていると、いつのまにか関さんの身体がヌラヌラと光り出してきた。
 ナメクジみたいに自分が歩いた跡ができたらいいなあと思って、ローションを入れたコンドームを衣装の下に4カ所くらい貼って、徐々に漏れ出してくるようにしました。『ゆきちゃん』というのは虫の名前で、男の人が虫かごの虫を見ているという設定です。ゴキブリみたいに髪の毛も動かないようにガッチリ固めて、目まで覆い、ヌメヌメするっていう(笑)。

──なぜ昆虫を踊ろうと思ったのですか。
 GAGAを経て、私は感情よりも身体の感覚を丹念に探っていくのがやりやすいタイプなんだとわかったんです。「人の感情がこうだからこう動く」みたいな創作はできないなと。だから人間じゃなくて虫。触覚があって、ヌメヌメしていて……。もちろん同時に人であり、女の子でもある。今の私のダンスに通じる転換点となる作品です。ただこの時も今も、べつにスローモーションであることをベースに置いているわけではないのですが……私、ゆっくりでしょうか?(笑)

──人間とは違う時間の流れだから、「ゆっくり」という形容詞になってしまうのかもしれません。でもゆっくり動くことで、身体の中で起こっているいろいろなことがすごく伝わってきます。正確に言うと、時間そのものを見ているような感じです。
 私の中にはダンサーに対して様々な設定があるので、確かに多くのことが起こっています。時間を引き延ばすことで動く理由が立ち現れ、速く動いていたのでは流れ去ってしまうようなことにも気づけると思うんです。それを観客にもっと伝わるようにするにはまだまだ課題がありますが、「ゆっくり」というより「じっくり」動くという私のスタイルを掴む上で、『ゆきちゃん』は重要なきっかけとなる作品でした。


嗅覚、触覚

──2010年には匂いを使ったグループ作品『マアモント』を発表します。

 今は、ダンス公演でも綺麗な映像で残せます。じゃあ公演をしているこの場所でしか見られないものって何だろう?と考えました。劇場に足を運んでいただいた人にしかわからない、観客が自分の感覚を総動員して体験し、特別な経験になるようなことをやりたいと思いました。それともうひとつ。そもそもどんな生き物にも匂いがあるのに、私達はそこを無いものとして生活していないだろうか、と考えました。香りの相談に乗ってくれる人を探していたら、香りのデザイン研究所の吉武利文さんと出会い、ずっとご協力いただいています。香りは舞台上部に吊った装置に匂いを染みこませた脱脂綿を入れて、ファンで出しています。

──その後多くの作品で香りを使われていますが、どうやって使う香りを決めているのですか。
 『マアモント』の時は、「世界を表す匂い」「生き物や私たちの匂い」「懐かしさに繋がる香り」というようにイメージを伝え、吉武さんにサンプルを出してもらって、バランスをとりながら一緒に作っていきました。グループ作品『ヘヴェルルッド』(12年)の時は、吉武さんから「喉の奥が張り付いた感覚になる匂い」など、人の感覚に作用する香りがあるという提案をもらって使いました。もちろん香りは拡散していくので、実際どれだけ効果があったかはわからないですが…。最近は私の注文も多くなってきて、最新作の『アミグレクタ』では「死を連想させる匂い」「人が焦げたような匂い」「体内の匂い」「血液の匂い」とか(笑)、そのやりとりが毎回すごく面白いです。『アミグレクタ』では、最終的にミイラを作るときに使う「没薬の匂い」と「母乳を思わせる匂い」を使いました。フランスに滞在した時に、いくつかの香りのサンプルをCNDC(国立振付センター)の生徒に嗅いでもらったら、日本人にとってお寺をイメージする「懐かしい匂い」が、彼らにとっては教会のイメージだったのが面白かったですね。あまり自覚してなくても、香りは深く文化と結びついているのだと思いました。ただ匂いは息をしていれば勝手に入ってきてしまう暴力的な面もあるので、扱いには注意が必要だと思っています。

──嗅覚だけでなく、『マアモント』でもそうですが、関さんの作品では、触覚も重要な要素になっています。でも「この人が好きだから触りたい」とか、抱きしめて「ああ嬉しい」といった「触った結果の感情」はほとんど立ち上がってきません。確かめ合うこと自体が目的であるような接触がすごく面白いと思います。
 ちゃんと人と深く触れたい、ということは、今まで自分の人生でもうまくできてこなかったことでもあるので、求めているのかもしれません。おっしゃるように、触った結果の感情より、とにかく自分が相手の内奥にもっともっと深く入っていきたいという思いが常にあって、作品の感覚と繋がっているのかなと、自分でも薄々気付いています(笑)。

──でも皮膚は、相手を実感できる器官であると同時に、それ以上は入れない境界線でもあります。それが「存在する」ということですけど。
 そうですね。『マアモント』では、「一人が床に寝て上に伸ばした足の上でもう一人がひっくり返ったりしている」というシークエンスがありますが、あれは「触れあってはいるけど、自分にとって相手は存在していない」というイメージです。「ここに居る人と居ない人の共存」を高低差で捉えているというか……。
 接触するときも、「手と手」ではなく、それ以外の部位で触れあっていくことが多いです。手って普段、無意識に使いすぎているので、手を手としないで、例えば触れあう腕はどこから腕か、意識の上で様々に変えていく。『マアモント』の時には、参考にするために人間以外の生き物が持っている感覚器官についてもの凄く調べました。結局、私にとってダンサーは「無数の触覚が身体全体を覆っている生き物」というイメージが一番近いかもしれません(笑)。


二大タイトルを受賞

──2012年には、公私にわたるパートナーの岩渕貞太さんと共同振付したデュオ作品『Hetero』で横浜ダンスコレクション EX2012の「若手振付家のための在日フランス大使館賞」、『マアモント』でトヨタ コレオグラフィーアワードの大賞である「次代を担う振付家賞」という大きなタイトルを立て続けに受賞されました。

 『Hetero』は岩渕との意見交換の中から、コツコツと一緒に創ったものです。岩渕と共作するときには、不思議と昆虫とかではなく「人間」にトライできるんです(笑)。受賞は励みになりますが、ただ私は色々期待されても急には変われないので、見守っていただければと思います。

──「若手振付家のための在日フランス大使館賞」の副賞では岩渕さんとフランスに滞在されましたが、いかがでしたか。
 仕事の兼ね合いもあり2012年9月半ばから12月半ばぐらいまでアンジェのCNDC(国立振付センター)、その後2週間はウィーンに滞在しました。滞在中CNDCの学生2人に振り付けた作品と『Hetero』を発表しました。踊ってくれたダンサーたちには身体について細かく指摘したのですが、すごく発見があったようです。『Hetero』も「音が無いことで動きから想像する時間を上手く紡げた」と好評でした。この滞在は、生活の一つひとつが全て栄養になっていくような充実感がありました。ダンスもたくさん見られましたし、24時間スタジオを使って身体について考えられる、夢のような環境でした。マルシェでいろんな野菜を知ったり、料理法を覚えたり、未知の物事に触れること自体が私にとってはコミュニケーションの一部で、身体に染みこんでいます。

──最新作の『アミグレクタ』以降、ますます注目されると思いますが、今後の展望を聞かせてください。
 自分が見せたい物はあるのですが、そのためにやるべき課題が山積みです。今度『ヘヴェルルッド』を元にした新作を創りますが、根本的に自己肯定感をもてないところがあるので「人と融け合いたい」「私はさみしいのか?」「さみしさだけじゃ作品は創っていけないだろう!」とか、グルグルしちゃうんです(笑)。

──何だか、自己評価が低すぎませんか(笑)。
 よく言われます。同世代のダンサーでも、そういう人が多いような気がします。ただいろいろなものに対する好奇心はものすごくあって、調べたり、体験したりすることには積極的なんです。「自殺しなかった一群」というと変ですが、自己肯定感を持てない子たちは、逆にそういう好奇心で救われている部分があると思います。それがなければ家の中に引き籠もってしまうかもしれない。私はGAGAをやって身体との向かい合い方を学び、多くの友人やダンサーやスタッフの皆さんに助けてもらい、結婚などいろんなことを経て、いまこうして踊っていられる。そういう風にしか踊れない。時間をかけてやっていくしかないのはわかっているので、ちゃんと苦しんで、ちゃんと作品に向き合っていくつもりです。
 
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