The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
金森穣
金森 穣(かなもり・じょう)
撮影:篠山紀信
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Noismの歩み
2004年
Noism設立。『SHIKAKU』『black ice』
2005年
『no・mad・ic project - 7fragments in memory(ver.Noism05)』『Triple Bill』(外部振付家招聘企画第1弾)『NINA-物質化する生け贄』
2006年
『sense-datum』『TRIPLE VISION』(外部振付家招聘企画第2弾)
2007年
『PLAY 2 PLAY-干渉する次元』『W-view』(外部振付家招聘企画第3弾)
2008年
見世物小屋シリーズ第1弾『Nameless Hands〜人形の家』『NINA-物質化する生け贄(ver.black)』
2009年
Noism2創設。『ZONE〜陽炎 稲妻 水の月』見世物小屋シリーズ第2弾『Nameless Poison〜黒衣の僧』
2010年
Noism1&Noism2合同公演 劇的舞踊『ホフマン物語』
2011年
『OTHERLAND』(外部振付家招聘企画第4弾)『中国の不思議な役人』『青ひげ公の城』(サイトウ・キネン・フェスティバル松本2001)
2012年
『solo for 2』見世物小屋シリーズ第3弾『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』
2013年
『ZAZA〜祈りと欲望の間に』
2014年
Noism1&Noism2合同公演 劇的舞踊『カルメン』
※2008年までカンパニー名は発表年を付けてNoism04、Noism05等と表記。2009年にNoism1、研修生カンパニーNoism2に統一。
※作品名はNoism1作品の初演年。
http://www.noism.jp/
Noism1&Noism2合同公演
劇的舞踊『カルメン』(2014年)

撮影:篠山紀信
劇的舞踊カルメン
劇的舞踊カルメン
劇的舞踊カルメン
劇的舞踊カルメン
劇的舞踊カルメン
見世物小屋シリーズ第1弾『Namaless Hands〜人形の家』再演(2011年)
撮影:村井勇
Namaless Hands
Namaless Hands
Namaless Hands
『NINA─物質化する生け贄』
(2005年)

撮影:篠山紀信
NINA─物質化する生け贄
NINA─物質化する生け贄
Artist Interview
2014.9.10
dance
Ten years as a theater’s residential dance company   Noism’s decade of achievement  
劇場専属舞踊団の10年 Noismが積み重ねたもの  
2004年、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館が、当時29歳の金森穣を舞踊部門芸術監督に迎えて設立した劇場専属舞踊団Noismが10周年を迎えた。公立ホールに舞踊部門があることも稀な日本において、舞踊家を年間雇用し、創作環境を提供するという劇場専属舞踊団の取り組みは、設立当初から日本中の注目を集めてきた。建築家の田根剛と組んだ迷路のようなセットで即興的パフォーマンスを繰り広げた『SHIKAKU』(2004)、現代美術家の高嶺格と組んだ『black ice』(2004)、音楽家のトン・タッ・アンと組み、まるでマネキンのように無機質で硬直化した身体を出現させた代表作『NINA─物質化する生け贄』(2005)など実験的な作品を立て続けに発表。プロフェショナルな身体性を追求する姿勢と先鋭的な問題意識でコンテンポラリーダンス界をリードしてきた。また、『Triple Bill』を皮切りに外部振付家の招聘企画にも着手。2008年には小空間での演劇的な表現にアプローチする見世物小屋シリーズをスタートし、文楽の動きをモチーフに創作した1作目の『Nameless Hands〜人形の家』で第8回朝日舞台芸術賞舞踊賞を受賞。2009年には若手舞踊家の育成を目指した研修生カンパニー・Noism2を設立(2013年に専属振付家兼リハーサル監督に山田勇気が就任)し、翌年に「劇的舞踊」と題した合同公演『ホフマン物語』を発表するなど、着実に作品の幅を広げてきた。「100年先の劇場文化を育てていきたい」という金森に10年を振り返ってもらった。
聞き手:乗越たかお[舞踊評論家]

日本唯一の劇場専属舞踊団Noism

──Noismが2014年に設立されて10周年になります。Performing Arts Network Japanでは設立当時の金森さんにもインタビューさせていただいています。改めて、発足の経緯を振り返っていただけますか。

 そもそもは、りゅーとぴあの芸術監督に就任して欲しいという相談だったのですが、名前だけの芸術監督では意味がないと思っていたので、「私が新潟に引っ越して来るので、舞踊家が1日中舞踊のことだけに専念できるよう、きちんと雇用する劇場専属舞踊団を設立して欲しい」と申し入れました。芸術監督になって公的な支援を受けて創作する以上、プロフェショナルな作品を創るのが使命です。それを実現する身体性を獲得するには、舞踊に専念できる環境をつくることが絶対に不可欠だと思いました。
 私が長くいたヨーロッパでは当たり前ですが、日本でははじめての試みであり、賛同していただいた新潟市には本当に感謝しています。特に当時りゅーとぴあの事業課長であった田代雅春さんには感謝してもしきれません。ただ、新潟市にとっても私たちにとっても初めてのことづくしで、時には厳しい交渉もしました。契約は3年更新で、初めは3年後も続くかどうかわからない状態でスタートしましたが、更新ごとに交渉を続けてなんとかここまでくることができました。でも手放しで喜ぶことはできません。何より、Noismに続く劇場専属舞踊団が、他の都市に出てきていないのが残念で仕方ありません。

──当初からNoismに続くところに出てきて欲しいと言われていました。なぜ後が続かなかったのでしょう。
 実務的な障壁は色々ありますが、振付家や舞踊家自身に問題意識がなかったことが大きいと思います。私はこの10年、出会う振付家全てに「あなたも公立のカンパニー設立に向けて動いたらどうか」と言ってきました。近藤良平さんや伊藤キムさんといった世代、次の黒田育世さんたちの世代はカンパニーをもって活動していましたが、劇場とカンパニーをつくるという意識にはならなかった。もっと下の世代になると、自由に手軽に創りたいという気持ちが先行し、「振付家の下で研鑽をして献身的に作品を創っていく」という空気自体がなくなってしまった。劇場法が整備されたのが契機となり、「劇場にカンパニーを抱えよう」という機運が出てきたときに、演劇の人は積極的に名乗りを上げるかもしれませんが、舞踊では手を挙げる人がいるか。そしてもし挙げたとしても、自らの活動理念を文化的位置づけにおいて正当化する言語を持っているかどうかは不安ですね。

──日本のコンテンポラリーダンスは、協会・組織的なものに対してアレルギーがある人も多く、「自由にやりたい」という風潮が強いですからね。
 この10年で身に染みてわかったのは、振付家や舞踊家自身がひとりの文化人として、政治に携わる人に対して「文化行政にもっと予算を割くべきだ」と言わなくては駄目だということ。最初は私も面倒臭かったけど、勉強して発言していかなければ何ひとつ変わりません。良い作品さえ創っていれば、ある日誰かがやって来て「好きなだけお金を遣って創作してください」と言ってくれるなどということは、世界中のどこにもありません。皆闘って自分の居場所を勝ち取っている。もちろん「新潟市、ひいてはこの国のためになることをしよう」という思いは政治に携わる人も私たちも同じなので、敵対する関係ではない。だけど交渉を通して互いのことを学ばないと、絶対に先には進めないんです。

──芸術監督は、アーティストとマネージメントの立場を兼ねていますが、金森さんの中で齟齬を起こすことはないのでしょうか。
 私の中ではキッパリ棲み分けができています。ただしそれは両方の立場を分けて考えているということではなくて、2つの立場が干渉しながら刺激し合っているということです。そしてある判断を下すときには、どの立場で判断しているのかを意識化できるということです。さらにいえば、私は自分のアーティストとしての活動を理想的にするために芸術監督をやっているのではなく、「日本の劇場文化を変えたい」と思ってやっています。私にとって、行政的なことを理解すること、そして国際的価値のある芸術を創造することは切り離せない文化行政の両輪なんです。ですから、劇場専属舞踊団をつくりたいという人がいれば本当にウェルカムなので、どんどん相談しに来て欲しいと思います。

──劇場専属舞踊団が必要な理由のひとつとして、以前、クリエイションのエネルギーが蓄積されている同じ場所で創作することが重要だからと言われていました。
 はい。昨日汗を流した場所で今日もやれる、しかも同じ集団で、ということが本当に大切です。もっと言えば、ひとつの作品を創るのにエネルギーを注いだ同じ場所で、次の作品に向かえるのが理想です。床に張ったリノリウムを剥ぐだけで、皮膚感覚で動いている舞踊家にとっては、気配が全く違ってしまいます。Noismは専属舞踊団ですが、稽古場を独占できるわけではなく、ツアーに出るときには一般に貸し出しをしています。それでもクリエイションの時には優先利用できて数カ所単位で籠もれるのは、とても大切なことなんです。にもかかわらず、現代ではこういった集団活動が崩壊しているからこそ、芸術文化に携る人が警鐘を鳴らす社会的意義そして価値があると思っています。

──日本のコンテンポラリーダンス界では、稽古場をジプシーのように移動しながら作品を創るのが普通のことなので、1カ所で創り続ける重要性自体を実感できない人がほとんどかもしれません。
 多くの舞踊家が、あちこちの公民館などを転々としながら創っているわけですよね。私が外部振付家招聘企画として同世代の日本で活動している振付家にNoismへの振付を委嘱してきた理由のひとつは、劇場専属舞踊団という恵まれた環境でのクリエイションを経験してもらい、彼らにもこうした環境を目指して動き出して欲しいと願ったからです。結局、思いは通じませんでしたが……。私が言いたいのは、そうして寄せ集めの活動をしたり、面倒な集団性を忌避して個人活動をすることは構わないけれど、それでは何も残っていかない、受け継がれていくものがないですよということです。自分のためだけの活動では耐えられないようなことも、もっと大きなものに奉仕していると思えば耐えられる。最近の若者に忍耐が無いのはそのせいだと思います。
 これまで創ってきたNoismの作品は、簡単にできたものは1作としてありませんが、「やりきれてない」感をもったまま初日を迎えた作品もまた、ありません。10年間、毎日フルに時間を使えたことは、舞踊団と舞踊家を磨くために、そして作品のクオリティを高めるために、そしてこの国の1地方都市から世界に発信できる芸術文化を創造するために必要不可欠なことでした。1日も早く他の舞踊家、そして文化行政に携る人達がその価値に気付くことを願います。

10周年記念作品・劇的舞踊『カルメン』

──10周年記念作品として発表されたのが、大作『カルメン』です。これは「劇的舞踊」と銘打ち、Noism1と若手ダンサーの育成を目指した研修生カンパニー・Noism2との合同公演でした。

 オペラやバレエなどで有名ですが、原作であるメリメの小説に立ち返り、今までにない『カルメン』を創り上げたと自負しています。プロの語り手としてSPACから俳優の奥野晃士さんを迎えてセリフを用いるという初めての試みもあり、賛否両論ありましたが……。

──奥野さん演じるメリメが登場し、語り手として物語全体を語る構造になっていました。濃厚なダンスシーンでカルメンとミカエラの関係が描かれたり、最後は語り手がその物語自体に取り込まれていったり、盛り込み過ぎかな(笑)と思うほど、重層的なつくりでした。
 そうですね(笑)。「とてもわかりやすく物語に引き込まれた」という意見もあれば、おっしゃるように「盛り込み過ぎでは」という意見もいただいています。上演の度にシーンが整理されるなど、少しずつ変わっていますが、その上でクリエイターとしての主張を言わせていただくと、今やり過ぎだと思われるようなものでも、10年後には普通に見えるものです。「いまの観客にちょうど良いもの」だけでは、歴史を越えていく作品は創れないでしょう。つまり、私は舞踊作品を創りたいのではなく、この国における21世紀型の劇場文化を象徴する様な、総合芸術としての舞台芸術が創りたいんです。

──そのひとつが「劇的舞踊」と題して物語性のある舞踊作品に取り組むシリーズなのですね。その第1弾は、2010年に発表したNoism1・Noism2合同公演『ホフマン物語』でした。また、2008年にはやはり小劇場的な舞踊に取り組む「見世物小屋シリーズ」をスタートしています。
 最近BeSeTo演劇祭の国際委員に就任したこともあり、「金森は演劇をやりたいのか」と言う人もいますけど(笑)、舞台芸術としてみれば舞踊と演劇を分ける意味はありません。そもそも私はモーリス・ベジャールのもとで学んでいますから、舞踊公演の舞台上で、いきなりフランス語でセリフを言わされたりしてきた。もちろん舞踊と非言語芸術の可能性を信じていますが、だからといって言葉を否定するつもりは全くありません。だたし、言葉を用いるのならそこにも専門性、ようするに発話に対する演出的考察、そして何より身体的鍛練が欠かせないということです。ですから『カルメン』では、昨今よくある様な舞踊家が発話する形ではなく、語りの専門家としての俳優を招きました。
「見世物小屋シリーズ」について言うと、とにかく小さいスペースで、観客と近いところで演じる作品が創りたいと思いました。「劇的舞踊」については、まだこういうものだという定義がはっきりとあるわけではないのですが、少なくとも私が書くオリジナル台本に基づいて、物語をしっかり伝えることを重視しています。ただ、それはナラティブなわかりやすさに頼りたいということではありません。芸術監督としては、より広く受け入れられる表現を意識はしますが、クリエイションにおいてそこは切り離して、完全にやりたいこと、私が信じる舞台芸術を創作しています。あとは芸術監督としていかにその舞台芸術を社会に対して開いていくかですよね。

Noism10年の変化と蓄積〜プロの身体を作る「Noismバレエ」「Noismメソッド」

──この10年間を振り返って、金森さんの作品に変化はありますか。

 あるでしょうね。しかし重要なことは、この10年間、私は金森作品を追求してきたわけではなく、Noismの活動としての作品を追求してきたんです。それはNoismというカンパニーによって様々な劇場文化の可能性を探究してきたということです。そのことにブレはありませんし、そのことの真意が伝わる日がいつか来ると信じています。

──Noismというカンパニーを振り返って、この10年間の成果はありますか。
 Noismのトレーニング・メソッドを確立できたのが大きいです。これも時間をかけて練習できる環境があったからできたことです。私の身体にもクラシックバレエが基本としてありますが、海外では、どんなに崩れた動きをしているカンパニーでも、毎朝欠かさずバレエのレッスンをやっていました。しかし21世紀に入り、バレエ・クラスといっても、なんとなく普段踊っている作品の延長にある「崩れたバレエ」しかやっていないように見える。しかもそれは訓練ではなく単なるウォームアップに過ぎないし、もはやそれすらやらない舞踊家が増えている。それは集団としての身体的規律が崩壊しているということです。私はヨーロッパのバレエ団が破綻してきた原因のひとつは、そこにあると思っています。

──身体性の基本が崩れてきている?
 はい。だから、21世紀の劇場専属舞踊団としては、毎朝のトレーニングから考え直す必要があると思い、模索してきました。自分なりに10年にわたる西洋での活動、ここ10年の日本での活動を融合させて見出した身体理論に基づいて、「日本人が西洋発祥の芸術様式を解体構築し、日本人の身体に適した身体理論」として「Noismメソッド」「Noismバレエ」という二本柱をつくりました。

──「Noismメソッド」「Noismバレエ」は、具体的にどのようなことをするのですか。
 たとえば、クラシックバレエは身体の志向が「上に上に」という垂直です。しかしNoismバレエは「上と下に」という志向で、身体をその間に位置づけ、「垂直軸」を意識します。Noismメソッドは、床に寝た水平状態から恥骨と仙骨を意識して「水平軸」を意識します。「水平を見出せば、おのずと垂直は導き出される」という発想ですね。このように我々は上でも下でもなく、垂直でも水平でもないその間にある身体の緊張感を重視しています。

──「垂直軸」と「水平軸」ですか。
 バレエ出身の舞踊家がコンテンポラリー作品を踊るときに一番戸惑うのが「床に対する感覚」なんです。バレエは基本的に重力を感じさせてはいけないから、振り付けとして床を転がったりしても違和感がある。でも「寝て、動く」って、実は朝起きたら誰でもやっていることでしょう。ようするにバレエは特殊な型、非日常的動作で成り立っているので、その日常的身体感覚が適応されないんです。それはバレエ芸術が日常性を排除する上で必要なことだった。しかし、20世紀以降のバレエの振り付けでは床に対する感覚とか、重力との複雑な感覚が求められる。ですから、本当はバレエも新たに訓練方法を開発する必要があると思いますね。それは新たに非日常的型を鍛練する必要があるということです。まあそういった理屈も踏まえて、「Noismメソッドでは水平から垂直へ、そしてNoismバレエでは重力を意識する」というのが、今ではNoismの基本になっています。ちなみに、研修生のNoism2のメンバーは朝9時半から10時15分までNoismメソッドを必ずやっています。これにはNoism1は自主参加ですが、10時半からは全員揃ってNoismバレエをやっています。2週間に1回は、私が直接指導して全員でメソッドをさらうというのが日課です。実は次回の新作では、これを作品として発表しようかと思っています。

──基礎訓練としての「Noismメソッド」「Noismバレエ」を作品にするというのは面白いですね。
  2つを合わせて『トレーニング・ピース』という作品にしようかと考えています。西洋発信ではない東洋のバレエ、その新たな可能性をお見せできればと思います。

──「Noismメソッド」「Noismバレエ」によって、ダンサーの身体はどう変わるのでしょう。
 「張りのある身体」「緊張感のある身体」になっていきます。「一方向の力に従って最低限の力で動く」のではなく、「常に多方向の力を意識し、その結果として動きが生まれる」という考え方だからです。私は「拮抗」とよく言いますが、ある形をとった時に、ただ流れが留まっているのではなく、2つ以上の流れが身体の中で拮抗して形になると意識する時、そこに緊張感が生まれる。西洋の多くのバレエ指導者は、「身体の中に力のスパイラルをつくり、それが決まった結果として形になる」というような膨大な理論を身体で理解している。しかし、日本の多くの指導者は本質を理解せず、外側の形だけをキレイにつくろうとするので、中がスカスカになってしまう。そういうバレエを身に付けてしまった人も「緊張感のある張りのある身体」を取り戻せるようになります。そしてもうひとつ重要なのは、バレエの様な型のある訓練をしてこなかった舞踊家たち、とくに男性舞踊家たちが、Noismの型を通して身体の線を整えていくことも可能にします。

──金森さんが常々おっしゃっている、「踊るプロフェッショナルとしての身体」ですね。
 21世紀に入ってから、表現の多様性を求める結果、コンテンポラリーダンスには「非トレーニングの弛緩した身体」がどんどん登場してきました。色々な意味で手軽になった。その全部を否定する気はありませんが、少なくとも我々は、「日々鍛錬しないと絶対にたどり着けない張りのある身体」「精密で強靱なコントロールを力とし、エネルギーを養うプロフェッショナルな身体だけが実現できる舞踊」を目指してきました。新潟での10年間という環境こそが、それを実現させてくれました。

Noism2の誕生と広がる活動

──Noismの功績はいろいろありますが、私が特に重要だと思っているのが研修生カンパニーNoism2の設立です。海外の公的なダンスカンパニーは、スクールや若手カンパニーといった育成の仕組みとワンセットになっています。それは多くの人が学ぶことで、その地域全体の舞踊の層が厚くなるからです。

 おっしゃるとおりです。その必要性は明らかですが、それほど簡単に新潟市に理解してもらえたわけではありません。それこそNoism2の設立が実現していなければ、私は2010年でNoismを止めていたでしょう。稽古場を借りたり、ミストレスを雇用したり、最低限の条件を受け入れてくれましたから設立できましたが、十分な予算が付かないままの見切り発車でした。スタッフにすれば予算は据え置きで、いきなり仕事が倍になったわけですから、よく頑張ってくれたと思います。
 「新しいことをやりたい」と言っても役所はそう簡単に動いてはくれないのですが、粘って交渉すると「予算内でできるのでしたら、どうぞ」というところに落ち着く。そこで予算が付くのを待っていては物事が進まないので、とにかくギリギリでも立ち上げて、「これだけやっているのだから、もっと予算化してほしい」と交渉に入る。それでも無理なら止めるしか無い。最後は誠意の問題ですから。

──Noism1のメンバーが独立することも多く、若手ダンサーの育成は重要な課題になっていました。
 そうですね。舞踊家は活躍できる期間が短いので、十分な力を付ける前に「いま自分の力を試さないと手遅れになってしまうんじゃないか」と焦ってしまう。その気持ちはよくわかりますが、私としては「一時的に評価されても、その後どうするんだ」という心配もしています。
 Noism2では女性舞踊家が実力的にも精神面にもしっかりしていて、Noism1に採用されています。それに対して男性舞踊家は、そもそも数が少ない上に、そこそこ踊れれば舞台出演の声がかかるために、苦労して研鑽を積もうという人が本当に少ない。でも実は、台湾にいい舞踊家が沢山いて、今年のNoism1のオーディションにも6人くらい応募してきました。大学でみっちりと基礎を身につけているのでレベルが違う。しかも、2009年に台湾で公演した『NINA』を中学生の時に見て、憧れをもって応募してきているので、「Noismで踊りたい!」という気概がビンビン伝わってくるんです。将来的にNoism1の舞踊家は「男は台湾人、女は日本人」ということだって十分にありえます。

──海外の国立ダンスカンパニーでも自国の人間だけでやっているところはほとんどありませんから。これだけアジアのダンス・マーケットが成熟してくれば、そういうことは当然ありうるでしょうね。ちなみに、現在のNoismの予算は、どれくらいですか。
 設立時には明かしてもらえませんでしたが、2年後に発表された新潟市(財団)からの補助金は5,000万円で、そこから変わっていません。Noism2のこともあるので、昨年厳しい交渉をして、今年の4月からやっと800万円程度増額されました。りゅーとぴあは「演劇・音楽・舞踊」の全てをやっているので舞踊部門だけでは解決できない問題です。

──その予算で具体的にはどのような活動が行われていますか。
 Noism1は「世界に誇れる舞台芸術を新潟から発信する」ことを掲げ、年に新作を1、2本発表するのが基本です。ただ、レパートリーが増えてきましたし、再演は舞踊家にとっても観客にとっても重要なので、ここ数年1本は再演という感じになってきています。Noism2を立ち上げたばかりの頃は、芸術監督として私がそちらも全て見ていたので、小回りが利きませんでした。でも2013年に山田勇気を専属振付家兼リハーサル監督として迎えたので、新潟での地域活動をやっと広げられるようになりました。春の定期公演、去年からはじめた夏の特別公演に加え、市の様々なイベントに市の舞踊団として参加しています。また、今後は学校公演なども増やしていけると思います。

──市との連携が進んでいるということですよね。
 そうです。つまり「Noismを劇場の中の事業のひとつではなく、新潟市全体の文化政策のひとつとして活用する」という関係が出来てきたということです。で、実はこれがとても重要な変化で、従来は学校公演の依頼があっても、公演にかかる費用を劇場と教育委員会のどちらが負担するか話し合っている間に立ち消えになってしまった。そこで私はずっと、「子どもたちにこそ、クオリティの高いものを見せるべき。税金を使って育ててきたNoismという文化を市民に還元するために、市の文化政策として予算を付けて欲しい」と訴えてきました。ようやく今シーズンから予算が付くことになり、活動の幅も広がっていくと思います。これから他の地域で専属舞踊団を立ち上げる人がいたら、はじめからこういう市の文化政策としてのポジションを明確にしておくことを勧めます。限られた劇場の予算の奪い合いではなく、もっと広い視野から活動を計画することができますから。
 現在、Noismは新潟に1,500人くらいの固定客がいます。リピーターも多く、「私たちのカンパニー」という目で見てくれていています。私たちもチケット代を下げるなど、来やすくなるように工夫しています。将来は、Noismを見た子どもたちが大人になって、「今度の『カルメン』は私も小学校の時に観たから、一緒に行こう!」と、自分の子どもを連れて観にきてくれるようになって欲しいと思っています。

──それは金森さんがおっしゃっている「劇場文化100年構想」に通じます。
 はい。100年、つまり「三世代にわたって劇場文化を育成していく」という構想です。私がアーティストとして全力でできるのが30年くらいだとして、その成果が次の世代に受け継がれて初めて文化と言えるだろう、と思うんです。新潟が本当に世界的な舞台芸術の事業を目指すなら、舞台芸術学校があり、そこには世界中から舞踊家が学びに来る。そしてそこで学んだ人達が世界に羽ばたき、お膝元の舞踊団では安定した環境でクオリティの高い仕事が行われ、引退したダンサーが地元で指導者になったりするといった舞踊家の人生が思い描けなければダメだと思います。そうしたあるべき姿へのレールをいまから敷いておこうと思っています。

劇場文化のために、これからの10年

──新潟でのフェスティバルも考えているそうですね。

 ヨーロッパで出会った同世代の振付家たちは、今や第一線で活躍しているので、彼らを招聘するだけでも従来の20世紀の大御所を並べるフェスティバルとは違ったフェスティバルができるので挑戦してみたいです。BeSeTo演劇祭も私が委員になったことで舞踊により開かれていくでしょうし、そこでの交流も生かせればと思います。

──ひとつ水を差すようなことをお聞きしますが、今はヨーロッパでもカンパニーの維持が難しくなってきています。世界的に高く評価されている人ですら追い出され、クリエイションの主体は、カンパニーよりも人気アーティストを寄せ集めた小規模から中規模のプロダクション志向になっています。そういう流れの中で、Noismというカンパニーの存在意義をどのように考えていますか。
 私は「だからこそ今、アジアだ」と思っています。ヨーロッパなどはおっしゃるとおりの状況で、舞台芸術が消費社会に近くなっている。日本は長くヨーロッパの後追いをしてきましたが、追いつく前にヨーロッパのほうが変わってしまった。だからといって今までの蓄積を放棄するのではなく、彼らを反面教師として、日本独自、アジア独自のものを生み出せるチャンスだと思っています。劇場だけなら、日本にはヨーロッパが及びもつかないような立派な建物がたくさん建っているのだから、後は中身、活用方法だけです。ヨーロッパがうらやむような劇場文化をつくる土壌は整っているんです。

──金森さんは海外での経験が長いぶん、ヨーロッパの良い面、悪い面の両方を知っていらっしゃる。
 はい。たとえばスウェーデンでは3年間活動していれば永久雇用契約をもらえます。獲得後は毎年4カ月間の休みが取れるし、ダラダラしていてもクビにならない……など充実しすぎた保障によって逆にアーティストを腐らせてしまうとか、いろいろあるわけです。
 またフォーサイスにしても、結局、今の舞踊家に振り付けてもつまらないんだと思うんです。かつて彼は、できるかできないかギリギリの動きや実験を舞踊家に課して、「面白い!」と言っていた。でも今はみんな彼のスタイルに慣れて、スッとできてしまうのでギリギリ感がない。だったら何もやらせないほうが面白いと、どんどん振り付けない・動かないものになっていった。アーティストとして、これでは続かないと思います。これは彼のみならず、ヨーロッパ全体の問題です。

──先日フィリップ・ドゥクフレと話をしたときも「今の若いダンサーに30年前の作品の再振付をしたが、技術はあるのに踊りとしては全く面白くなくて苦労した」と言っていました。
 わかります。だからこそ私は、Noismというカンパニーがしっかりした土台を堅持することで、ヨーロッパが失った舞台芸術の中核をもう一度取り戻せると思っています。面白いもので、そうすると自然に「日本とはなにか、アジアとはなにか」という問題に触れてくるんです。それが作品にも反映されて、とたんに「舞踏っぽいね」「アジアだね」と言われたりしますが、実はそんな小さなことじゃない。そもそもアジアというと起源は「現イラクの東にあったメソポタミアから東」ということですね。数千年規模で遡って身体を考えていくことが大事なんです。もしも日本らしさというものがあるとしても、それは装うものじゃなく、自ずと出てくるものだと思います。

──将来的に、金森さんが他のアジア諸国の芸術監督やフェスティバル・ディレクターを兼ねる可能性もありそうですね。
 逆もあるかもしれませんよ。つまり、日本人が手をこまねいている間に、アジアの力のあるアーティストが日本の劇場に猛烈に働きかけて、Noismに続く劇場専属舞踊団を立ち上げるかもしれない(笑)。この10年で、私は「声を上げなければ何も変わらない」ことを身をもって学びましたし、アーティスト自身が文化行政を理解し、その上で声を上げていけば変わると信じています。次の10年は、そのための挑戦になっていくでしょう。100年先の劇場文化を見据えて、頑張っていきます。
 
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