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Performing Arts Network Japan
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茂山童司
(C) 童司カンパニー
茂山童司(しげやま・どうじ)
大蔵流狂言師。1983年、京都市生まれ。祖父二世茂山千之丞に師事。1986年、父・茂山あきら主宰の「能法劇団」の「魔法使いの弟子」で初舞台。京都インターナショナルスクールに学ぶ。2006年、修業の達成を示す難曲のひとつ「釣狐」を披く。2013年には作・演出を手がけるコント公演「ヒャクマンベン」、2014年には新作狂言の会「新作〝純〟狂言マリコウジ」を始める。英語力を活かしてNHKの語学番組「プレキソ英語」や、役者として映画や演劇に出演するほか、オペラの演出や詩人choriとのユニット「chori/童司」など、幅広く活動。
童司カンパニー
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以呂波
狂言で子方がよく演じる演目のひとつ。「親が子に文字(いろは四十八文字)を教えようとするが、子どもが混ぜっ返して親の言う通り覚えようとしない。親の言うとおり口真似して覚えなさいと言うと、今度は言い方まで真似るので怒って子どもを引き倒すと、それも真似て父を引き倒してしまう」というもの。師が弟子に口移しで稽古をつける様をモチーフにした狂言とも言われる。子どもなりのとんちんかんな受け答えにも、利発な子が大人をからかっている様にも見え、いらいらしていく大人の様が面白い。
HANAGATA
茂山家の自主公演のひとつ、若手の研鑽の場として1976年に発足した「花形狂言会」が始まり。当初は千五郎(当時・正義)、七五三(当時・眞吾)、あきらの会だったが、現在は息子の世代に変わり、「HANAGATA」として正邦、宗彦、茂、逸平、童司による実験的な公演の場に位置づけられている。
「マリコウジ〜壱ノ巻」
(2014年3月16日/大江能楽堂)

『諸白ヶ内』

マリコウジ

『今際の淵』
マリコウジ
(C) 童司カンパニー
ヒャクマンベン vol.3 Talking Book (2015年8月7日/京都国際交流会館)
ヒャクマンベン
ヒャクマンベン
(C) 童司カンパニー
狂言『附子(ぶす)』 狂言『附子(ぶす)』
(C) 茂山千五郎家
Artist Interview
2016.4.12
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From new Kyogen to stand-up comedy and opera, the creative power of Doji Shigeyama  
新作狂言からコント、オペラまで 茂山童司のクリエーション力  
狂言の芸をベースにした創造活動に挑み、新たな才能として注目されている大蔵流狂言方・茂山童司(1983年生まれ)。能楽界のタブーを破り、ジャンルを超えた革新的な活動を行ったパイオニアの祖父・千之丞(2010年没)、その志を継いで日本の古典芸能と欧米の現代演劇の融合を目指す「能法劇団」やオペラ演出、英語狂言など国際的に活動してきた父・あきらの影響を受け、表現者として新境地を開拓。自ら作・演出を手掛ける新作コント「ヒャクマンベン」、100年後に古典として残るような新作狂言の創作を目指す「マリコウジ」をはじめ、オペラ演出からバイリンガル狂言まで精力的に活動の場を広げる童司の思いとは?
聞き手:奈良部和美[ジャーナリスト]

──狂言師は2、3歳から舞台経験を積み重ねていきますが、童司さんの初舞台は何歳ですか。多くの子方は古典の『以呂波』(*)で初舞台を踏むようですね。
 『魔法使いの弟子』(1986年)で、2歳半でした。下半身スパッツで、上半身裸の男の人と女の人が、箒の役、水の役でクルクル踊っていたのを覚えています。『以呂波』は1年ぐらい後、3歳半でやりました。

──『魔法使いの弟子』は、お父様の茂山あきらさんと龍谷大学国際文化学部のジョナ・サルズ教授が主宰し、和洋の演劇手法を融合させることを目的に1981年に設立した「能法劇団」の公演です。師匠の留守の間に、魔法使いの弟子が箒に未熟な魔法をかけて掃除をさせて大失敗するというゲーテの詩を舞台化したものですが、能法劇団が初舞台というのは現在の童司さんの活動を暗示しているような気がします。ところで、狂言の師匠はお父様ではなく、おじいさまの千之丞さんですか。
 そうです。父も祖父に習っているので、師匠の千之丞がやっていた他の人と違う型や言い回しなどを受け継いでいるのは、兄弟子の丸石やすしと僕の二人です。せっかくなので、古典に関しては、千之丞から受け継いだことをやっていこうかなと思っています。師匠が亡くなりましたので、これからは徐々に自分の道をつくっていく、自分でいろいろな人から意欲的に学ぶということをしないといけないなと思っています。

──狂言は祖父が孫に教えるのが最良の伝授法だと、千之丞さんにうかがったことがあります。父親は息子に厳しくなりがちだが、祖父は孫がかわいいので甘さと厳しさがいい案配になるという話でした。千之丞さんが師匠だとすると、お父様との関係はいかがですか。
 師匠という感覚はあまりなくて、一緒に仕事をする先輩というイメージですね。それも台詞を覚えない先輩(笑)。

──そうなんですか?
 覚えませんねえ。だからマリコウジに出演してもらうときも、古典で僕の相手役をしてもらうか、新作でもなるべく台詞を削っていますが、それでも違うことを言い出します(笑)。

──茂山家の方々は、狂言にとどまらず様々な分野で活動されています。大伯父の千作さんと千之丞さんは、能楽以外の芸能との共演がタブーの時代に、歌舞伎や日本舞踊、新劇の方たちと同じ舞台に立っています。千之丞さんは80代に入ってからも、イタリアのコメディア・デラルテ、スイスのクラウンの名優3人で演じる「3Gプロジェクト」を立ち上げられました。茂山家の若い方々はテレビや映画にも出演しています。その茂山家の中でも、千作さんのご長男の千五郎家(長男・正邦、次男・茂)と、千作さんの弟の千之丞さんの家(長男・あきら、孫・童司)では、カラーが違うように思います。
 自分では他の人と比べることはできませんが、後から生まれてくる順に隙間産業みたいに他の人が居ないところを見つけて、やってないことをやるという感じです。同世代では、千五郎のところに正邦(1972年生まれ)がいて弟の茂(1975年生まれ)がサポートしている。千五郎の弟・七五三のところの逸平(1979年生まれ)と宗彦(1975年生まれ)はテレビやミュージカルに出ている。そういう人と被らないように自分はどこへ行こうか考えます。そうやって、自然に棲み分けたということです。
 同じことをやっていると後発は不利ですから。才能の違いがさほどないなら、長くやっている方がどうしても有利になります。僕の場合は小さい頃から、ベケットみたいな、ちょっと珍しい芝居を千之丞や親父がやっているのを見ているので、派手なものより、ちょっとよくわからないようなものの方が好きになっていったのだと思います。

──古典芸能の世界では、通常はもっと保守的な継承が行われているように思います。 
 そうですね。ご当主がこうだとおっしゃって、みなさんがそうですとそれに合わせて行うのが普通です。もともとは千作と千之丞の好みも性格も全く違ったのが始まりだと思います。その前はご当主の言う通りにやるような風潮だったのが、二人がお互いに好きなことをいろいろやりましたから。

──先達が道を拓いたことで童司さんたちもいろいろなことがやりやすくなった面がありますか。
 やりやすいですね。「千之丞の孫か、あきらの息子か」って言われて、何をしても怒られない。そのかわり驚きもされませんが(笑)。僕は、他の狂言師の方と張り合う気も、切磋琢磨する気もなくて、競い合って高めるなら全く違うことをやりたい、人のやっていないことをやりたいと思っています。

──童司さんは小学校がインターナショナルスクールです。伝統芸能を継承していくお家なのに、日本語ではなく英語で教育する学校を選ぶのは珍しいように思います。お父様の教育方針ですか。
 父は日本の学校が嫌いで、日本の義務教育を息子に受けさすものか!と選んだみたいです。でも、最近は歌舞伎の方でも何人かインターナショナルスクールに行かれた方がいるようです。

──学校では英語、家に帰ると日本語の生活ですね。狂言の稽古では、現代では使わない古風な言葉も出て来ます。言葉の苦労はありましたか。
 日本語オンリーの子ども時代を生きたことがないので何とも言えませんが、子どもはどんな環境でもその中にいればこんなものだと思う。だから3分の1寝て、3分の1英語で、3分の1日本語という感じで、普通に暮らしました。
 実は、インターナショナルスクールに通ったのは小学校までです。中学になって神戸の学校に移ったのですが、そこで阪神・淡路大震災に遭いました。部屋は何とか潰れはしなかったのですが、学校は六甲アイランドにあったため液状化して半年休校になってしまいました。それでいろいろあって、途中から京都の帰国子女を受け入れている同志社国際中学校に転校しました。

──言葉に敏感な時期に生活の3分の1を英語で過ごしたことは、その後、狂言師として生きていく上で影響がありましたか。
 多分、僕の人格形成に影響を与えているとは思うのですが、違う人生を送ったことがないのでわかりません。たまに外国人のワークショップの講師を頼まれるのは、英語が喋れるからだなとは思いますけど。漢字の勉強をしてないのでパソコンがないと漢字が書けなくて、本もあんまり読んでなかったのですが、最近では僕が茂山家の中でダントツで読んでいると思います。

──英語を活かして、登場人物が日本語と英語でせりふを掛け合う「バイリンガル狂言」もやっていらっしゃいますね。
 バイリンガル狂言は父が始めたもので、頼まれればやりますが、僕が興味をもっているわけではありません。狂言のせりふを一人が英語、もう一人が日本語で喋って掛け合いをするもので、新しいことをやっているというのとは違います。
 バイリンガル狂言では、英語のせりふをちょっとゆっくり喋ります。普通の速度でしゃべると、言葉のリズムと動きのリズムが合わなくなるので。それで少し抑揚を大きめに付けますが、英語は言葉の中で子音が続くので、日本語のようにゆっくり伸ばすことができない。日本語はゆっくり伸ばしても母音が必ず間にあるので意味がわかるんですけど、英語は子音が続いて意味がわからなくなる。何を言っているのか、ひとつひとつの言葉が聞き取れなくなってしまうんです。

──ひとつの単語として認知できなくなるということですよね。英語の環境で育った童司さんなら、工夫できるのではありませんか。
 バイリンガル狂言はガッツリつくり込んだことがないんです。興味のある方が、しっかり演出をして、日本語と英語の言葉の違いが面白くなるように、バイリンガル狂言用に新作をつくった方がいいんじゃないかという気はします。

──茂山家では同世代の4人だけで若者会をつくって活動されていました。最初が1994年に立ち上げた「花形狂言少年隊」、2000年から「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会 TOPPA!」、そして2006年からはじめた「HANAGATA」(*)です。古典の世界でこういう会をつくって修行時代を過ごすのは珍しいので、とても話題になりました。
 小さい頃から自分たちの会をするのは珍しいですよね。そもそもは千之丞がやれと言ったんです。茂と逸平と宗彦に「そろそろお前らも会をやれや」と。茂と宗彦が確か20歳ぐらいで、逸平が15歳ぐらい。僕は1年か2年遅れて、13歳ぐらいから参加しました。千之丞には、やるなら早いうちからやっとき、みたいな感じがあったんでしょうね。
 「TOPPA!」の後半数年は、毎年僕が新作を書いて上演していました。5人の会なので、それぞれに思いとか志向の違いがあって、継続して新作をつくっていくには自分の会をやった方がいいと思うようになりました。

──それで始めたのが、「茂山童司 作・演出プロジェクト」と銘打った、新作コントを発表する「ヒャクマンベン」と、未来の古典になるような新作狂言をつくる「新作〝純〟狂言集マリコウジ」ですね。ヒャクマンベンは童司さんが書いて、正邦さん、逸平さんの狂言師三人で演じています。電車の席の譲り合いをする男たちを通じて世相を描くなど、狂言の風刺精神が生きているように思います。
 ヒャクマンベンは2013年から3回、マリコウジは2014年から2回やりました。ヒャクマンベンを始めたのは、HANAGATAで新作狂言をつくるときに、リズムであったり間であったり、これは狂言ではできひんな、でも面白いネタだなというものが溜まっていった。それで、そのネタをコントにしてみたいと思い始めました。茂山家で新作を書いているのは、今生きている中では千三郎と逸平と僕の3人ですが、コントを1本と数えていいなら、多分僕は歴代で一番書いていて、100本ぐらいは書いたと思います。

──コントと狂言の違いはどこですか。
 何より、スピードが違います。狂言は致命的に遅いです。だから、速いテンポで笑わすみたいなことは難しい。それから、狂言とコントでは文章の量が全然違います。狂言の1公演は、3本分書いて5千〜6千字ぐらいで結構少ないんですが、コントは80分の公演で2万字ちょっとぐらいです。だから書くのがとても大変です。
 公言していますが、僕はラーメンズというコント集団が好きで。シンプルな舞台装置で、パントマイムなどを使いながら喜劇として隙のないコントをつくっている。彼らと出会わなかったらコントを書こうと思わなかったかもしれません。

──コントと狂言では道具の使い方にも違いがあるような気がします。ヒャクマンベンのコントには携帯電話や本など、現代的な小道具が出てくるものがありますが、新作狂言でもそうした小道具は使えるのでしょうか。
 使ってもいいのですが、狂言で使うと、携帯電話を出す“意味”というのが出てくるので普通の小道具としては使いづらいです。多分、携帯電話が出てきただけでそのギャップでウケちゃうから。あと、コントと狂言の違いで言えば、狂言は一定の型があって、お約束上できない動きというのがあるので動きづらい。例えば狂言には喧嘩をする型があるから、それ以外の動きをすると違和感があり、自由に喧嘩ができないわけです。

──ネタによってコント向き、狂言向きというのがありますね。
 気になったことはいつもメモしています。単体でちょっと面白いなと思いついても作品にならないことが、常にいっぱい頭の中に浮いていて、ある時に3つぐらいが一緒になって、あ、これ繋がるやん、じゃあこういうテーマだね、っていう風に作品になるんです。その中で時代性がなく、百年残るかどうかわからないけど、今後何十年とやっていけそうなものをマリコウジで新作狂言にします。
 マリコウジで心がけているのは、“いつでも上演できる”“誰でも上演できる”“しばらくは面白い”という3つです。細かい演出とかト書きとかが要らなくて、狂言師だったら台本を読むとこういう動きをするんだろうな、というのがわかる構造になるようにつくります。
 何十年か残るには、ある程度その時代のリアルな事を入れないと作品としての強度が保てない。テーマありきで書くわけではありませんが、現代的な題材をテーマにもってきます。例えば2014年につくった『今際の淵』は、自殺がテーマです。日本は先進国の中でも非常に自殺率が高いですが、本人にとっては死のうと決心するようなことでも、端から見ると大した理由ではないというのはよくある話ですよね。奥さんに逃げられたお金持ちと、借金取りに追われている男がたまたま同じ崖で自殺しようと思って出会う。お互いの身の上を喋っているうちに、お互い死ぬ理由が大したことではないと気付いて自殺を止めるんだけど‥‥。という話しです。第2回のマリコウジでやった『鬼ケ酒屋』のテーマはヘイトスピーチでした。

──童司さんが、コントや狂言といった喜劇に惹かれる理由は、子どもの頃から狂言を演じてきたからでしょうか。
 それもありますし、喜劇の方が僕はシリアスなお芝居より格好いいと思っているんです。お客さんがドンと笑って、劇場から出る時に面白かったね、さあご飯でも食べに行こうかって店に入って、ご飯を食べながら「今日のは面白かったね、でもどんな話やったっけ?(笑)」って。そんな内容が全然ない空っぽなものをつくりたい。あのお芝居を観て私は人生が変わりました、みたいな人をなるべく生み出さない作品をつくっていきたい。人様の人生を変えるなんて大それたことはなるべくしない方向で、純粋に楽しんでいただける、そういう乾いたものが好きですね。だから、自ら望んで笑いのないものをつくろうという気はありません。

──シチュエーション・コメディ、キャラクター造形、間や動きなど、喜劇を目指す人は、笑いを引き出す独自のスタイルをつくるのに苦労されますが、童司さんはどうですか。
 僕は、笑いの方法はだいたい40種類ぐらいあると思っています。そのうちの3つぐらいにガツンと特化するか、何でもできるようになるか、そのどっちかだと思うんです。僕は、自分のことを役者としても作家としてもそんなに個性が強いとは思わないので、特化してもきっとかなわない。だから何でも満遍なく使えるようになりたいですね。

──童司さんには狂言という笑いのベースがあるので、新しいこともできるのだと思います。狂言の可能性についてどのようにお考えですか。
 ひいき目なしに、世界中に残っている古い喜劇と比べても、狂言のクオリティは高いと思います。非常にシンプルで、汎用性がある。狂言が描くのは、いろんな人のことでもあるし、いろんな時代のことでもある。笑いって、一概には言えませんが、基本としては広がると薄まるんです。万人に受けるものは、テーマが誰にでもわかるものだから笑いが薄い。100人いて、3人しか笑わないものの方が、その3人にとっては面白い。狂言は600年、700年演じてきたせいで、かなり広い層にウケるものになってきているのでそこは難しいですが(3人の笑いの面白さではないですが)、その分、喜劇というもののスタイルの入門としてよく出来ていると思います。

──狂言をはじめ古典芸能が新しい時代にどう生きていくかは、大きなテーマだと思います。茂山家は若い方々が新しい試みをされていますが、新作は新しい観客を開拓するためにも必要なことでしょうか。
 まあ保険ですよね。時代がすごく保守的に振れて、古典を大事にしましょうという機運が高まったら古典の本流を継ぐ千五郎とか正邦や茂が支持される。そうすると、共演することで僕はおこぼれに預かるわけです。逆に古いものなんか!となった時に、新しいものをずっとやってきた僕が役立つ。みんな死なないように、誰かは生き残るように、多様性を確保しておく。茂山家は一丸とならない(笑)。これが基本ですね。

──昨年は喜歌劇『メリー・ウィドウ』を演出なさったし、今年2月にはドイツのカンマーフィルハーモニー・ブレーメン管弦ゾリステンの音楽でオペラを狂言で演じる狂言風オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』(脚本・演出:桂米團治)を監修しました。おじいさま、お父様の切り開いた道です。
 そうですね。父に「やらへんか?」と言われて、「じゃあやりましょか」ということで、やりました。オペラは難しかったですね。演出やっていると、登場人物やオーケストラなど人が一杯いる。狂言のような小規模編成でつくることに慣れているので、大変でした。

──狂言の世界では演出という役割は特殊ですからね。
 古典芸能にはないですからね。ここ数年でわかりましたが、僕はあまり演出家に向いてないと思います。本業の演出家の仕事ぶり、出来上がった作品だけじゃなく、つくってる過程を見ていると、すごいなあ、やっぱりプロやなあと思います。書いてあることを読み込んで、そこから舞台を立ち上げるというのは、僕の経験と想像力ではとても及ばない。だから、将来的には演出は他の人に任せて、僕は書く方、演じる方でやっていると思います。ただ、作品を書くのはメチャクチャ面倒臭くて、なんでこんなことせなアカンのかなあ、と思います(笑)。出来上がった自分の作品を見るのは楽しいですけど。

──海外で演じられることもありますが、日本人とは笑いの質が違いますか。
 総じて言えば、外国の人は“伝統芸能だ”という構え方がない分、自然に笑ってくださるような気はします。会話劇ですから、どうしても言葉の理解度に差があって難しいところがありますが‥‥。どういう形で海外に持って行くのが良いのか、いずれ考えなければならないテーマでしょうね。古典芸能としては、歌舞伎と能が見た目も印象的ですから、安定の3番手として(笑)どうやっていくかですよね。
 父の世代はとても外国志向で、だからベケットをやったり、海外に作品を持って行って西洋で認められたいというのが強かった。そういう世代に育てられて、僕は逆に内向きになった。英語を喋る君はバイリンガルだと言われているうちに、そんなことより、言葉がわかる人でまだ狂言を知らない人が沢山いるからまずそこじゃないか、って思っています。

──狂言は舞台美術を使わず、装束はあるにしても身一つ。海外では言葉の壁はあるかもしれませんが、身体があればできる表現、声があればできる表現として可能性があると思います。
 そうでしょうね。マイムというんでしょうか、モノがなくても表現できるので非常に便利なツールだと思います。小道具がなくても、持っているものが消えて、もう1回取り出してということが人の想像力を使いながら出来ちゃいますから。道具を使いすぎないのが、喜劇と相性が良いのかもしれないですね。

──今後はどんなことをやりたいですか。
 そろそろコントを本格的につくるか、って感じですね。

──狂言師以外とコントをつくるという意味ですか。狂言師がコントを演じると、やはり狂言の型になってしまうでしょうから。
 そうなんです。狂言師はあまり芝居が上手くないので、狂言のテクニックに頼らざるを得なくなってくる。だから、役者の方を使って、ガッツリ稽古をしてみたいですね。
 今年は野田秀樹さんの戯曲をオン・ケンセンさんが演出する『三代目、りちゃあど』に出ます。3月にバリ島で稽古が始まって、秋まで結構長期の拘束です。余裕があるかわからないですが、面白い役者さんに出会いたいなと思ってます。喜劇向きで面白いなと思う俳優さんって、いそうでいなくて。狂言は男ばかりだから当然なんですが、僕は女の役者さんが出る作品を書いたことがない。だから、僕が成長するためには、女性に出てもらう作品を書くのもいいかもしれないですね。
 
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