The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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三浦基
三浦基(みうら・もとい)
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アンダースロー
京都市左京区北白川久保田町21地下
アンダースロー アンダースロー
撮影:松本久木
*1 木津潤平
1969年生。愛知県出身。建築家。(株)木津潤平建築設計事務所代表。東京大学大学院建築学専攻修了。宮城聰演出『マハーバーラタ』『アンティゴネ』などの空間デザインを手がける。地点作品は『光のない。』『悪霊』『スポーツ劇』に参加。
*2 カルチベート・プログラム
年定員40人に対し、各50〜60人が参加。約4カ月の間に地点によるレパートリー作品6本とゲストパフォーマンス2本をまとめて鑑賞し、2回のレクチャーを受けて、修了後に報告エッセイを書くというもの。2015年のプログラムは、地点レパートリー『ファッツアー』『ワーニャ伯父さん』『CHITENの近未来語』『CHITENの近現代語』『かもめ』『桜の園』とゲストパフォーマンス(contact Gonzo、空間現代)の鑑賞、レクチャー2本。また、アンダースローでは、観客自身が芸術の主体的な担い手であるという考え方に基づき、誰かが2000円のカルチべートチケットを購入することで別の観客の観劇を支援する制度を設けている。
*3 KAATとの共同制作作品
『Kappa/或小説』(2011)
KAATオープニングプログラムの1作。芥川龍之介の小説を永山智行が戯曲化。初日に東日本大震災が起こり、1公演を除いて中止となった。
『トカトントンと』(2012)
KAATの技術課のプランナーとの初の本格的共同制作作品。太宰治の短編小説「トカトントン」と「斜陽」をコラージュ。舞台美術は建築家の山本理顕。
『駈込ミ訴ヘ』(2013)
キリストへの愛憎が極まったユダがキリストの薄情さや嫌らしさなどをひたすら訴え続ける太宰治の短編小説『駈込み訴え』が原作。『トカトントンと』と同じ舞台美術で上演。
『悪霊』(2014)
ドストエフスキーの同名小説が原作。降り続ける雪の中を走り続ける作品。空間構成は建築家の木津潤平、衣裳はベルギー在住のコレット・ウシャール。
『三人姉妹』(2015)
可動する装置、過激に動き回りながらでなければ発語できない登場人物たちによるチェーホフ。舞台美術は杉山至、衣裳はコレット・ウシャール。 三人姉妹
三人姉妹 Photo: Hisaki Matsumoto
『スポーツ劇』(2016)
作曲家の三輪眞弘、舞台美術の木津潤平という『光のない。』と同じチームを組んだイェリネク第2弾。人工芝に覆われた巨大なテニスコートの急斜面を舞台に、スポーツという名の戦場が展開。
スポーツ劇
Photo: Takuya Matsumi
『忘れる日本人』(2017)
新進劇作家の松原俊太郎の原作。舞台美術は杉山至、衣裳はコレット・ウシャール。
忘れる日本人
Photo: Natsuki Kuroda
*4 エリフリーデ・イェリネク
オーストリアの小説家、ポストドラマ演劇の最前衛として知られる劇作家。「その小説と劇作における音楽的な声と対声によって、社会の不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した」として2004年ノーベル文学賞受賞。東日本大震災と原発事故を受け、『光のない。』(2011年)、『エピローグ?』(2012年)、『プロローグ?』(2013年)という三部作を発表。
*5 コレット・ウシャール
1951年、フランス・グルノーブル生まれ。パリで服飾を学び、その後舞台衣裳を専門として1979年以降、ベルギー・ブリュッセルを拠点に、フランスやベルギーで活動している。ダンス作品やオペラ作品の衣裳を数多く手がけ、現在は衣裳デザイナーとして活躍する一方、ブリュッセルの王立コンセルヴァトワールで教鞭をとる。ベルギーのダンスカンパニーCompagnie Mossoux-Bontéや仏人演出家Jean-Claude Beruttiの演出するオペラ作品では長年に渡り衣裳を担当している。地点作品は『悪霊』『三人姉妹』『スポーツ劇』『ヘッダ・ガブラー』に参加。
*6 三輪眞弘
現代音楽家、メディアアーティスト。情報科学芸術大学院大学[IAMAS]学長。国立ベルリン芸術大学で作曲をイサン・ユンに、国立ロベルト・シューマン音楽大学でギュンター・ベッカーに師事する。1985年ハムバッヒャー国際作曲コンクール佳作、1989年第10回入野賞第1位、1991年「今日の音楽・作曲賞」第2位、1992年第14回ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクール第1位、1995年村松賞新人賞、2004年「逆シミュレーション音楽」プリ・アルスエレクトロニカ受賞、デジタル・ミュージック部門でグランプリ(ゴールデン・ニカ)受賞。地点作品は『光のない。』『スポーツ劇』に参加。
『光のない。』
(2014年10月/KAAT神奈川芸術劇場 ホール)
光のない。
Photo: Takuya Matsumi
*7 『ミステリヤ・ブッフ』
ロシア・アバンギャルドを牽引した詩人マヤコフスキーが十月革命(1917年にロシアの首都ペテログラード、現在のサンクトペテルブルクで起きた労働者や兵士らによる革命)の1周年を祝うために書いたと言われる戯曲。ミステリヤは聖史劇、ブッフは笑劇の意味。地点公演では、実験的な変拍子の音楽で知られるバンド「空間現代」と協働し、円形舞台により音楽と言葉が入り乱れる祝祭的な空間を実現。
地点×空間現代『ミステリヤ・ブッフ』
(2015年11月/にしすがも創造舎)
ミステリヤ・ブッフ
ミステリヤ・ブッフ
Photo: Takafumi Yamanishi
*8 『ファッツァー』
地点がアンダースローのレパートリーとしてはじめて取り組んだブレヒト作品(2013年10月初演)。「第一次大戦中、脱走兵ファッツァーは3人の兵士仲間とともに地下室に潜伏するが、秩序を乱すファッツァーを仲間たちが殺そうとする」という未完の戯曲の断章を三浦基が再構成。俳優の独特の発語と空間現代の変拍子の演奏が衝突する音楽劇として成功を収めた。
https://www.youtube.com/watch?v=I__WNJl68xQ
ファッツァー
ファッツァー
Photo: Hisaki Matsumoto
*9 松原俊太郎
1988年生まれ。地点『ファッツアー』で演劇と出逢う。2015年に処女戯曲『みちゆき』で第15回AAF戯曲賞大賞受賞。新作の『忘れる日本人』は民俗学者の宮本常一の著書「忘れられた日本人」とモーリス・ブランショの小説「期待 忘却」がモチーフ。
Artist Interview
2017.4.11
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Motoi Miura and Chiten  New Developments from the Studio  
アトリエを起点とした三浦基と地点の新展開  
テキストの解体・再構成と俳優による独特の発語スタイルで知られる劇団「地点」の演出家・三浦基。2005年に東京から京都に拠点を移した彼らが、2013年、新たにアトリエ「アンダースロー」をオープン。以来、客席約40席の小さな稽古場兼専用劇場を拠点にレパートリー作品の創作・上演を意欲的に展開。また、フェスティバル/トーキョーからの委嘱、2011年に開館した神奈川芸術劇場(KAAT)との年1作の共同制作、音楽家との新たな協働創作など活動が広がっている。アンダースローに掛けた思い、新たな展開について三浦基にインタビューした。
聞き手:野村政之[演劇制作者、ドラマトゥルク]

アンダースローの取り組み

──前回、このサイトでインタビューしたのが2010年です。その後、2013年7月に京都市内にアトリエ「アンダースロー」をオープンされました。まずはこの経緯からお聞かせください。

 京都に移転してから、舞台装置などを保管するために滋賀県栗東市に倉庫を借りていましたが、スペースが足りなくなってきた。再演の度に装置を取りに行くのは大変なので、京都でストックヤードになる物件を探していたときに紹介されたのが、今アンダースローがある場所です。後からわかったのですが、ここは京都では伝説的なサーカス・サーカスというライブハウスがあったところだった。その後、CBGBに変わり、10年前まで営業していましたが、後は借り手がなく、ビルの地下が廃墟のような状態になっていた。場所を見ている間に、ここなら稽古場にも使えるのではないかと思い、オーナーと交渉してそのまま当初の家賃の半額で借りることにしました。
 アトリエを持つのを機に劇団を法人化(合同会社)し、融資を受けて自分たちも関わって工事を行いました。設計は『光のない。』で舞台美術をやってもらった建築家の木津潤平さん(*1)です。京都と何の地縁・血縁もなかった演劇人が、いろんな人の紹介で運良くとんとん拍子でアトリエを開くこができたという感じです。

──三浦さんは、青年団の演出部時代にこまばアゴラ劇場の職員も経験されています。その頃から劇団のアトリエ、劇場をもつことについてのヴィジョンがあったのですか。
 僕がアゴラの職員をやっていた当時、まだ貸館をやっていたのですが、劇場としてはそれを止めたかった。もちろんゲストパフォーマンスを招聘することは否定しませんが、劇場運営の基本は、そこに住みついているアーティストたちの創作と発表の場であり、そのアーティストたちの作品が担保されている、つまりレパートリーがあるということです。観客にとってはそれしか劇場の価値はない。
 アンダースローもそうですが、僕は市立でも県立でも国立でも、公共劇場たるもの芸術監督がいて俳優を抱えているのが基本だと思っています。それはフランス留学中に関わった現場がそうだったこともあるけど、おそらくそういう形でしか演劇は豊かにならない。京都に来た当初は市立の京都芸術センターを拠点に活動していて使用料がかからなかったので、税金を使って活動しているという意識がすごく強かった。今のアンダースローは民間でやってはいますが、レパートリーを掛けるなど公的な劇場のモデルだと思って運営しています。
 実際にアトリエをもってみると、年間を通じて5〜6本のレパートリーを回すことができて、こんなにやれることに正直驚いています。外国のプレゼンターやアーティスト、研究者、日本の劇場関係者ともここで会ったり、交流したりできて予想以上の展開になっています。日本にはほとんどない公的な劇場のモデルを実際に示せたことはよかったと思っています。本当の公共劇場から芸術監督の依頼があれば、ぜひやってみたいですよね。

──アンダースローの現状についてもう少し詳しく教えてください。
 アンダースローでは午後は新作などの稽古、夜はレパートリーの本番を定額(2,000円)でやっています。アンダースローには、劇場に必要な要素として観客と交流できるようなバーやクロークを全部詰め込みました。その中で(芸術の主体的な担い手である)観客について考えるようになりました。それで文化庁からの助成により「カルチベート・プログラム」(*2)を2年にわたって実施しました。これは、観客がアンダースローのプログラム6本を無料で全部観劇し、報告のエッセイを書くというものです。それをまとめてエッセイ集にしたのですが、演劇書としてとても興味深いものになりました。こうした取り組みを通して、観客にとっての現代演劇の見方や付き合い方が自然と出来上がってきていると思います。
 次の展開として演劇人、特に演出家の養成に着手してみたいと考えています。「演劇ブルペン」というプロジェクトで、1年かけて俳優とのワークショップやスタッフワーク・劇場運営についての講義を受け、1本作品をつくって修了するというものです。具体的に講師やプログラム内容も想定しているのですが、資金的な目途がたたなくて実現には至っていません。

──観客を育成するとはどういうことでしょう。
 観客については最近よく考えます。ここは議論になるところですが、やはり観客がいないと演劇の行為にならないのではないかということです。ただ、「私は観客です」というより、「私は観客になる」という方が正確。劇場に来て、“他の人と一緒に観る”という行為によって、“観客になる”。じゃあ「観客になる」にはどうすればいいのか。それは単純に他の人と同じものを観て、他の人が笑ったり緊張したりすることを一緒に体験するしか道はないと思います。
 理論武装、教養武装するとそこをシャットアウトして、「こういう解釈ができる」とわかった探しをしてしまう。そうではなくて、例えば地点の芝居を観ると大抵、観客は「わからない」となりますが、隣の、やっぱり同じように「わからない」と思っている人と一緒にドッと笑っちゃったり、アレって思ったりという気付きを一緒に体験する。その“一緒に体験する力”によって、日常の生活で行っている判断から外れる経験ができる場に身をおくことが“観客になる”ということ。それがとても重要だと思っています。僕自身もそうですが、そういう経験をするともっと知りたくなって、台本を確認したり、解説を読んだりして何が面白かったのかを考えたくなる。それが演劇の最大の教養であり、観客になるということ。つまり、観客になるというのは他者性を認めるということであり、そういう演劇的な見方によって社会を見つめることが出来ればもっと良いと思います。

──雑誌『地下室』も創刊されました。連載小説ならぬ連載戯曲が掲載され、演劇人に限らない幅広い執筆陣になっています。
 今は準備号でまだ実験段階ですが、雑誌を発行することによって、少しでもアンダースローという存在、劇場という存在について考える機会を開いていきたいと思っています。“アンダースロー=地点=演劇”という枠組みではなく、観客がいっぱいいて、色んな専門分野の人たちがいて、色んなことを考えていてというのが見える雑誌にできればいいかなと。カルチベート・プログラムをやって実際に観客がいろいろ考えているのがわかりましたし、それを素通りするのではなく、共有し、そこから言論が生み出されていくような場になればと思っています。ちなみに、アンダースロー編集部のうち2名はカルチベート・プログラム出身者です。演劇に染まってない人たちなので、僕が演劇の方にばかり行こうとすると引き留められます(笑)。


神奈川芸術劇場(KAAT)との共同制作

──2011年に横浜にKAATがオープンして以来、地点は毎年1作共同制作しています(*3)。この共同制作で作品スケールも大きくなり、地点の世界が広がったように思います。

 KAATは“創る劇場”を目指していて、特に技術スタッフが一流。彼らのものづくりに対する積極的な態度が一貫していて、とても助けになっています。フェスティバル/トーキョー(F/T)の委嘱で創作したイェリネク(*4)の『光のない。』(2012年)もスタッフワークはKAATでした。
 KAATとの共同制作でも地点の作品のつくり方は同じで、単語レベルでキーワードを話し、プランナーから出てきた提案をどう交通整理するかということしかしてない。ただ新しいクリエーターとの出会いは大きくて、KAATから建築家の木津さんを舞台美術で紹介してもらったのは地点として財産になっています。木津さんは面白い人で、最初から10パターン以上、言葉を付けた絵を持ってきてプレゼンしてくる。出てくるプランのスケールが大きくて、それを見ながらこれは一理あるねとか、この言葉はいいねとか、技術監督を含めて話し合いながら決めていきます。
 芸術的に特殊なつくり方をしているとすれば、こちらもKAATで出会った衣裳家のコレット・ウシャール(*5)の方ですね。『三人姉妹』(2015年)は動き回らなくちゃいけなくて俳優はサポーターをする必要があったけど、コンセプチュアルにならずにエロスもある普段着な感じがとてもよかった。創作初期の段階から言葉もわからないのにずっと稽古を見ている。彼女が「軍人は軍人に見えなくていいんですね」と核心をついたことを確認してきて、僕も自信があるわけではないけど、「見えなくていいんです」と返事をすることでジャッジの背中を押される。演劇の王道を学んできた彼女がテキストと稽古場で見た俳優の身体との関係を丁寧に積み上げて一発でアイデアを出してくれる。そういう人がパートナーになったことは大きかったと思います。
 それと『悪霊』では上演中ずっと雪を降らし続けたのですが、こういう人手が必要な仕掛けも劇団では無理で、公共劇場でしかやれません。

──『光のない。』は、三輪眞弘さん(*6)の音楽、建築家の木津さんの舞台美術、地点の演劇、照明や音響といったKAATのプランナーたちの力が合わさった素晴らしい作品でした。舞台奥にむかって狭くなっていく巨大な四角いトンネルのような舞台装置は内部が照明でさまざまな光と影に満たされ、空間がまるで変わって見える。合唱隊は、舞台前に設けられたコーラスピットに舞台奥に足を向けて一列に寝そべり(客席からは合唱隊の素足だけが見える)、三輪さんが考案したジャンケンを使った演算方式でこの世のものとは思えない和音を奏でる。地点の俳優たちの独特の発語によってイェリネクの詩のような言葉が響く。まるで壮大な現代オペラを観ているようでした。
 チェーホフをやりながら、リアリズムの強固な物語重視の作風からなかなか抜け出せなくて苦労しました。1人1役だと、結局「俺はハムレットだ」と思い込むリアリズムと何が違うんだ!と思って、演出でちょっかいを出しながら踏ん張った。ところがイェリネクは近代劇を全部引っ繰り返しているとこから始まっていて、そこがとても面白かった。
 音楽の三輪さんとはF/Tの紹介で会ったのですが、音楽家とのコラボレーションはほとんど違和感なく、自然に出来上がったという感じが強いです。三輪さんは作曲家なので、こちらが試作のパートをつくって稽古をするのに立ち会ってもらいながら、コンセプトを決めるまでに色々相談しました。ある時、「今回は演算方式でやる」と言われて、僕としてはそれでもう音楽は決まりなわけです。幾つかの合唱のパターンをもらって、演劇にはめていく。そうしてどんどん一緒にバリエーションをつくっていく。音楽は時間芸術なので、音楽家や作曲家と作業するのはいつもの音響と同じような感覚だから、違和感なくできるんだと思います。
 ただし、生身の合唱隊が舞台にいるというのは明らかにリアリズムではなく変なことなので、それをどう舞台にのせるか、ヴィジュアルをどうするのか、見えるのか、見えないのかも含めて演出の新しい局面として考えました。それをどう見せるかは、この劇をどういう構造で考えているかと大きく関わってくるので。
 三輪さんは、『光のない。』では原発問題、同じくイェリネクの『スポーツ劇』では東京オリンピックというように、思想的なことが創作を突き動かす動機になっている。音楽だけ聴いてもそれは全然わからないですが、例えば、イェリネクの言葉に「ガイガーカウンター」というのがあると、彼はすぐにその音を手配して作中で流してお客さんが耳で拾えるようにする。それはアクチュアルというより、三輪さんの読解力とユーモアと文学性からくるものだけど、演出家としてはそういうところを楽しんで、結託してやったという感じはあります。

──三浦さんはプランナーからの提案をまとめるという集団創作的なつくり方をしますが、三浦さんにとって演出とはどういう仕事なのでしょう。
 例えて言うと、建物の中に家具をどう配置するかを決めるということだと思います。今回のプロダクションが築40年のアパートなのか高級マンションなのかを見極め、建物がどうなっているのかの状況判断を素早くして方向付けをする。100年前のテーブルとニトリのテーブルがあったとして、ニトリのテーブルが生きる瞬間というのも絶対にある。そういうことを考えながら、どの家具をどこに配置するかを判断するということだと思います。そこでは各々の美学が働いて、その美学のジャッジは絶対に揺るがない。そういうふうに美学の違いがスルッと入ってくる時にみんなが驚くし、やったという感覚になる。そういう意味で、やりたいことはないけど、やるべきことに揺るぎはありません。


地点の創作

──次につくる作品、作家はどのように選んでいるのですか。チェーホフ4大戯曲を上演して以後、イェリネク、ブレヒト、マヤコフスキーなど世界の演劇事典の中から選り抜いて、専門家や研究家まで巻き込みながら活動しているように見えます。

 やはりチェーホフ4大戯曲連続上演が上手くいったのが財産のひとつなんだと思います。2003年の初演、2015年の再創作も含めて『三人姉妹』の成功によっていろいろな識者の人達との交流がはじまった。そういう付き合いや、フランス留学時代の経験、あるいは鈴木忠志さんや太田省吾さんといった方々との交流を通して世界の演劇事典の中で何をやれば格好いいのかとか、古典を扱うときの距離感がわかってきたというのはあります。そこは、要領がいいんですよね(笑)。
 それと、自分ひとりで決めるより誰か信頼できる人の意見を聞いて決めることも多い。例えば、マヤコフスキーの『ミステリヤ・ブッフ』を提案してくださったのは楯岡求美先生(東京大学准教授/スラブ文学)だし、ブレヒトの『ファッツァー』はライプチヒ大学のギュンター・ヘーグ先生の推薦です。その時隣にいた平田栄一朗先生(慶応大学教授/ドイツ文学)も少し手伝ってくださった。『ファッツァー』なんてそれまで存在を知りませんでしたから。
 『ミステリヤ・ブッフ』(*7)は資料がそんなに多く残っているわけではないので、背景研究をやりました。専門家を招いて、サーカスや宗教劇などについて劇団員全員でレクチャーを受けました。これが非常に新鮮で楽しかった。演出にも直接影響があったと思います。初演はF/Tで会場が体育館だったから、次は劇場で再演したいですね。『悪霊』『駈込ミ訴ヘ』『光のない。』『スポーツ劇』も再演したい。どこかの公共劇場がこの5本をレパートリーにして2〜3年回したら、明らかに演劇シーンは変わると思う。そういう自信はあります。

──アンダースローで発表した『ファッツァー』(*8)は実験的な音楽づくりをしているバンド「空間現代」と初めて協働した作品です。この作品をやることになった経緯、空間現代との出会いなどについてお話ください。
 ギュンター先生が『かもめ』を観た後、「ブレヒトはやらないの?」と。何をやればいいのか尋ねたときにでてきたのが『ファッツァー』でした。知らないと言ったら、側にいらっしゃった平田先生が「私が手伝いましょう」と言ってくださってプロジェクトが立ち上がった。ドイツにはファッツァー・フェスティバルまであると聞いてびっくりしました。偶然と言えば偶然だけど、ギュンター先生の『かもめ』に対する感想が素晴らしくて、この人が言うんだったら間違いないというのがあった。

──空間現代との出会いは?
 空間現代の古谷野慶輔(ベース)が『光のない。』に衝撃を受けてメールを送ってきたのが最初です。その後、『駈込ミ訴ヘ』の稽古が行き詰まっていた時、たまたま彼らが京都でライブをやるというのでみんなで聴きに行ったら、あまりに凄くて、次は絶対一緒にやってくださいみたいな(笑)。『駈込ミ訴ヘ』はユダのひとり語りの小説ですが、それを全員で同期して叫ぶことにした。“同調発狂”と名付けていますが、あれは空間現代の影響です。
 彼らの一番面白いアイデアは、バンドを構成する3ピース(ギター、ベース、ドラム)が基本一緒に叩く、同期しているということ。これが考え方として画期的です。普通、音楽家というのはメロディーを譜面に落としていくのが創作だけど、彼らはリズム(変拍子)に勝負をかけている。基本的に楽器を楽器だと思っていなくて、音やリズムを解体して、立ち戻りながら進めていく。そこにズレができたり、パターンができたりしていく。
 空間現代も三輪さんと同じで、何の違和感もなく一緒にできる。基本的に彼らがつくるチャッチャッチャッチャの合間を縫って俳優が喋るしかないから、『ファッツァー』でもとりあえずのパターンをつくってもらって、次はこのパターン、もうちょっと色気を出して、みたいな感じでつくっていった。彼らがつくるリズムの前提ができてからこっちの創作活動がはじまるという感じでした。役者がアンダースローの壁に張り付いて、彼らの音がダダダダとなるところは本当に格好良いと思う。
 音楽家の生演奏が入るというのは、それだけ労力がかかっているように見えるから、単純に贅沢になる。かつ、リアリズムではないということがハッキリ示されるところが面白いんだと思います。

──三浦さんは必ずテキストを再構成して上演します。KAATとの共同制作の第7弾になる『忘れる日本人』は古典ではなく、新進の現存作家である松原俊太郎(*9)の新作です。松原さんの新作はどのようなものですか? また、古典と現存作家では言葉を扱う上で違いがありましたか。
 『忘れる日本人』は宮本常一の『忘れられた日本人』やモーリス・ブランショの『期待 忘却』がモチーフになっていて、具体的には書かれていませんが、今日本が抱えているいろいろな問題が主題になっています。気になる文章があって「どこかからの引用?」と聞くとニーチェだったり、ギリシャ悲劇を彷彿とさせたり。自動翻訳機にかけたらこういうデタラメな日本語がでてくるんじゃないかと思わせるような文体を自覚している作家であり、言葉そのものを考えさせる作家だと思います。
 長さが処女作の3倍以上あるから、彼自身もそのまま上演する前提では書いていないけど自分の中で決着をつけようとしている。イェリネクも膨大なテキスト量で、演劇のテキストではあるが上演のためのテキストではないと明言していて再構成を認めてくれて、尊敬します。戯曲をそのまま上演することを前提にしない作家が出現したことは、本当に凄いことだと思います。
 イェリネクは俳優が言葉を声に出した途端に違う物になることがわかっていて、自分が演出する立場ではないことを認めているから預けてくれる。それは著作というものをどう考えるか、書かれた言葉は果たしてオリジナルなのか、言葉は誰のものなのか、という問いになります。
 読書は1対1で作家や作品と向き合いますが、演劇で俳優が人前で言葉を声にするということは、言葉が発せられた時点でそれはみんなのものになるのではないか。もっと言うなら、ひとりの作者の思惑を越えている方が素晴らしいということになるのではないか。そこに普遍性が宿るのではないかと僕には思えます。この言葉をオリジナルで書いたのは私だと主張するのは、ちょっとおこがましいというか。例えば、デモのシュプレヒコールは作家性のない言葉ですが、劇作というのはそっちの言葉に近いのではないでしょうか。だからこそ自意識の強い展開をする小説の言葉よりも素晴らしい。イェリネクはそれをよくわかっている気がします。
 『CHITENの近未来語』と『CHITENの近現代語』では、その日の新聞や、憲法、玉音放送の口語訳という作家性のない言葉を実際に使いましたが、観客はそれで笑っていた。つまり、所有権のない言葉は演劇に向いているということであり、俳優が発語するとみんなの言葉になる証だと思います。その発見はとても面白かった。イェリネクの言葉も、哲学的だったり、難解なフリをしているけど、こういう情報としての言葉が彼女の本懐のような気がします。
 古典であれ、現存作家であれ、再構成して上演するのが僕の演出家としての基本的な立場です。そこに差はありませんが、現存作家だとわかることも多いので、言葉の選び方は違いますね。

──具体的にはどのようにテキストを構成していくのですか。
 どういうふうに言葉を選び、上演するのか。これについては、具体的な作業を説明した方がわかると思います。オリジナルのテキストがあって、5〜6人の俳優でそれを読んで言葉を割り振ります。もちろんその段階でカットするところもあります。ここは面白そうだからAさんが覚えてとか、役がある場合は、じゃあBの役はCさんでとか、そしてそれぞれが割り振られた台詞を覚える。これを「持ち台詞」と呼んでいます。そうしたらあるルールを勝手につくって、稽古場で取りあえず即興でやってみる。「持ち台詞」をどこで行使するか、言うかによって戯曲には書かれていない関係性が構築されていき、面白かったり、面白くなかったりする。即興で出来上がったものをそのまま面白いから採用するのではなく、こうした試行により台本の持っている世界観というのを吟味しているんです。言葉の質と世界観がヒットする瞬間というのがこの試行でわかり、全体のことがわかるようになる。
 割り振るときには、例えば夫という役を若い女優にふることは相当のコンセプトになるから無難に男優に任せたり、政治性が強い作者の主張が強いこの叫びはこの俳優にと、俳優の資質によって分けたり。『ブレヒト売り』のときには“愛”の役、“戦争”の役というようにテーマ別にして試してみた。つまり、言葉を引っ張ってきて、俳優が所有して、オリジナルのテキストをより強固にするという考え方です。テキストを解体して再構成するというと、元が面白くないから構成し直しているという印象を与えがちだけどそうではなくて、言葉を抽出して試行しながら再構築していくと、オリジナルとは全然違うけど重みは一緒であるような上演が出来上がる。僕が好き勝手にやっていると思っている人もいますが、こんなに作家を大事にしている演出家はいないです(笑)。

──テキストをそのままやるのが作家を尊重しているということではない。
 だって台本を所有したって演劇を観たことにはならない。演劇は観客が同時に観ちゃっているから、そこで何を言葉としてみんなで共有するのかというところが演劇の一番得意としているところでしょ。作家が構築した物語を演劇にして観るという時代は明らかに終わっていると思います。だから今の現象として作家が書けなくて、言葉がコンセプチュアルな形で姿勢を低くしたものになってしまう。もちろんリアリティはあるかもしれないし、面白いパフォーマンスもたくさんありますが、演劇としては後退だと感じます。
 そうじゃなくて、言葉はあらゆるところに溢れていて、そこからどうやって面白くするかが演出家に委ねられているのだから、抽出してもっと魅力を引き出せばいいのに、というのが僕の感覚です。
 
──アンダースローをはじめてから海外公演も増えていますね。
 去年は韓国、ロシア、ドイツ、中国に行きました。オファーが増えたのは、ロンドンオリンピックの記念事業でグローブ座に招聘されたのがきっかけになったのと、ロシアのあるプロデューサーが地点を評価してくれて、招聘してくれたり、いろいろなフェスティバルに紹介してくれているのが大きい。ロシアとの縁はずっと続いていて、来年はサンクトペテルブルクの国立劇場で『ファッツァー』をやりますし、マスタークラスの学生に教えて欲しいというオファーもきています。『光のない。』も招聘したいというフェスティバルがありますが、公的支援がないと難しくて、苦戦しています。
 僕らはロシアにはチェーホフを、ドイツにはブレヒトを持って行っている。現地の観客は彼らの国の母国語の作品を脱構築して、再構成した作品を字幕で観ている。それは奇妙な出来事だと思いますが、「地点は我々が合理主義の名の下に失ったものをもっている。それはすなわち感情だ、叫びだ」とか『ファッツァー』の劇評で書かれるわけです。そういうのを聞くと、褒められて嬉しいというより、歴史があるところは大変だなと思います(笑)。

──最後に今後の展望をお願いします。
 三輪さんや空間現代との出会いでいろいろな刺激をもらってきたけど、そこで開発された貯金は使い果たしたって感じがしています。演劇ブルペンができればそこでまた面白い材料が見つかるかもしれないし、今は松原戯曲が地点に刺激を与えてくれているからここから次が生まれるかもしれない。
 後は、150席ぐらいつくれるアンダースローよりもう少し広い常打ちの空間が欲しいですね。環境で育つところがあるので、3〜4年のうちに実現できるといいと思っています。
 
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