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福原充則
(c)西村淳
福原充則(ふくはら・みつのり)
1975年神奈川県生まれ。劇作家・演出家。劇団「ピチチ5(クインテット)」(2002年〜)、俳優自ら音響や照明を操作するユニット「ニッポンの河川」(2006年〜)、俳優・富岡晃一郎とのユニットで野外や倉庫などユニークな空間などで公演を行う「ベッド&メイキングス」(2011年〜)を立ち上げ、同時並行で幅広い活動を展開。生活感溢れる日常的な光景が飛躍を重ねて宇宙規模のラストへと結実するような物語づくりと少人数で多くの役を演じ分ける演出が持ち味。女優・高田聖子のユニット「月影番外地」や人気俳優をキャスティングしたプロデュース公演など外部への書き下ろしも多数。宮﨑あおい主演で上演した『その夜明け、嘘。』(2009年)と月影番外地に書き下ろした『つんざき航路、されるがまま』(2014年)が岸田戯曲賞最終候補。2016年には人気漫画『俺節』を人気アイドルグループ・関ジャニ∞(エイト)の安田章大主演で舞台化して大成功を収めるなど、原作の脚色にも定評がある。映像分野でも、松坂桃李主演の連続テレビドラマ『視覚探偵 日暮旅人』など書き下ろし多数。2015年には映画『愛を語れば変態ですか』で監督デビューを果たした。
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*1 ベッド&メイキングス
2012年に『墓場、女子高生』で旗揚げ。「サルでもわかる哲学」をテーマに、矛盾だらけの世の中をちょっとだけ生きやすくするをコンセプトにした福原充則と富岡晃一郎の劇団。劇団名は「ベッド(劇場)をメイキングス(作る)」という意味で、野外や倉庫などユニークなスペースでプロデュース公演を展開。
*2 『墓場、女子高生』
2012年にベッド&メイキングス第1回公演として発表して以来、プロデュースを変えて何度も再演されている人気戯曲。墓場を舞台に、合唱部員として一緒に活動していた友達がなぜ自殺したかに納得できない女子高生たちが、幽霊になった友達を生き返らせようとする顛末を描いた作品。
ベッド&メイキングス第3回公演
『南の島に雪が降る』
(2014年6月12日〜22日/お台場潮風公園内「太陽の広場」特設会場)
南の島に雪が降る
撮影:引地信彦
Play of the Month
『俺節』
(2017年5月28日〜6月18日/TBS赤坂ACTシアター)
俺節
撮影:阿久津知宏
Play of the Month
*3 『秘密の花園』
1982年に本多劇場のこけら落とし公演のために唐十郎が書き下ろした戯曲。日暮里にある古びたアパートの一室が舞台。この部屋で暮らすホステス・一葉(いちよ)を巡り、3人の男たち(夫でポン引きの大貫、前世で一葉の恋人だったと信じて自分の給料を貢ぎ続けるキャバレーの客のアキヨシ、一葉に横恋慕する町の権力者の甥のかじか)の現実と妄想が交錯する。
『秘密の花園』
(2018年1月13日〜2月4日/東京芸術劇場 シアターイースト)
秘密の花園 秘密の花園 秘密の花園 秘密の花園
撮影:田中亜紀
Artist Interview
2018.1.18
play
The Power of Mitsunori Fukuhara, Changing reality with comic imagination  
喜劇的な想像力で現実を動かす福原充則のパワー  
「ピチチ5」「ベッド&メイキングス」「ニッポンの河川」など劇作家・演出家として個性の異なる複数の団体を共同主宰するなど、型にはまらない活動を展開している福原充則。外部へも意欲的に書き下ろし、庶民が喜劇的な想像力で飛躍する物語を数々生み出してきた。「現実に太刀打ちできるフィクションをつくりたい」という福原の生き様を映した演劇論をインタビュー。
聞き手:川添史子

演劇との出会い

──福原さんは1975年神奈川県生まれ。どういった子ども時代を過ごされましたか?

 僕の親は教師で、子どものころはテレビを見せてもらえないような家庭環境だったんです。見るのが許されているのは動物のドキュメント番組『野生の王国』や、『サザエさん』と『スプーンおばさん』と『ニルスのふしぎな旅』といったあたりさわりない限られたテレビアニメだけ。なので『8時だョ!全員集合』や『オレたちひょうきん族』といった、小学生時代にものすごくはやっていたお笑い番組も見たことがなくて、クラスでは完全に孤立していました。

──高校卒業後は東京工芸大学芸術学部の映像学科に進学されます。そういった芸能に触れない幼少期だったのにどうして映画に興味をもったのですか。
 なぜか小さいころから映画だけは見せてもらえたんです。それで映画館に通うようになり、どんどん好きになっていきました。ただ「映画監督なんて変人がなるものだろう」と思い込んでいたし、ただの観客でした。でも高校進学前の春休みに新しい塾に通いはじめて、ある日、大学入試のための偏差値表を見ていたら大学の分類のところに「芸術系」という文字を見つけたんです。それで映画を学校で教えてもらえると初めて知り、「監督は無理でも、映画に関わる仕事をしたい」と思うようになりました。受験に必要な科目数も少なかったし、ラッキーだと思って、高校3年間は完全に割り切って芸術系大学に必要な科目だけ勉強したのですが、希望校はすべて落ちてしまった(笑)。

──なぜでしょうねえ(笑)。
 何にも知らないガキでしたからねえ。だって入試で映画のカット割りなんて問題が出るんですよ。やったことないし、意味が分からない(笑)。とはいえ、映画ばっかり観ていて学校で友達もいなくなってしまってどんどん暗くなっていった時期で。このままもう1年孤独なままで予備校通いは精神的にマズイなと思って、慌てて2次募集で新設校だった東京工芸大学に入りました。

──その頃に観た映画で今に繋がる影響を受けたものはありますか。
 その質問には、必ず『ブルース・ブラザース』を監督したジョン・ランディスと答えていますし、やはり大きな影響を受けてると思います。でも大学でそう言うと、凄くバカにされました。僕の世代だと『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のジム・ジャームッシュ監督とか、『髪結いの亭主』のパトリス・ルコント監督っていうのが芸術的だと思われていたので。

──福原さんが大学生だった頃、90年代はインディーズ映画やミニシアター全盛で、アート・フィルムに人気がありました。
 そうですね。そんな中、主演エディ・マーフィーとか、スティーブ・マーチンというようなエンターテインメント映画やコメディーがいいなんて言うと、同級生にはバカにされましたね。みんな酔っ払ってゴダールの話とかするわけじゃないですか。1度話についていけなくて、深夜3時に「俺、帰るわ」って2時間かけて家まで歩いて帰った記憶があります。スマホもない時代で道もわかんなくて、とりあえず『スタンド・バイ・ミー』みたいに線路沿いを歩いて帰りました。王道にもいけないし、あざといサブカル風も恥ずかしくてできないみたいな中途半端な気持ちでした。

──そんな周囲と波長が合わせられない映画青年が、どうやって演劇と出会ったのでしょう。
 今もそうだと思いますが、当時は小劇場の役者が自主映画のために無償で出演してくれていました。自主映画に出演してもらったのをきっかけに小劇場の人たちと知り合い、芝居を観に行くようになりました。映画で監督する時の勉強になるだろうと、iOJO!(オッホ)という劇団の演出助手に入りました。

──iOJO!を辞めた後、Dr.エクアドルが主宰するゴキブリコンビナートに役者として参加されています。ゴキコンと言えば、3K(キケン、キタナイ、キツイ)の過激なパフォーマンスで知られる劇団です。どうしてゴキコンに参加されたのですか。映画の道に進む気持ちはなくなったのですか。
 大学4年間で作品は撮っていたのですが、賞をとるほど才能があるわけでもなく、就職のコネがあるわけでもない。とっくにバブル景気なんか終わっていたはずなんですが、まだ「正社員より時給でもらったほうが稼げる」ような時代の空気もあって、「何とかなるだろう」みたいな日々でしたね。知人に誘われてゴキブリコンビナートに出演したのですが、そこで本気で芝居が好きになりました。死ぬかもしれないと思うほど身体を張って、演劇でしかやり得ないことをやったので。自分の下手な演技でチケット代をもらうのは申し訳ないけれど、これだけ身体を張ってるんだから「2000円ちょっとのチケット代ぐらいもらってもいいだろう」と思えた。ただ、お金にはならないし、住んでいる部屋のレベルもどんどん下がって、最後は風呂も便所もない部屋でバイトしながら芝居していました。

──その頃は、どんな芝居を観ていましたか。
 高校演劇出身の彼女に好かれたくて、芝居はよく観に行っていました。好きだったのは、猫のホテル。それから遊園地再生事業団の宮沢章夫さんと唐十郎さんも好きでしたね。

──自分で作品をつくろうと思ったのはどのタイミングですか。
 ゴキコンで役者をやっていたときに、他にも誘われていろいろな小劇場の公演にも出演していました。で、名前を覚えてもらいやすいように、芸名を付けて名乗るのも恥ずかしいから、本名の後ろに嘘の劇団名を付けて、「福原充則(ピチチ)」と名乗るようにしていたんです。ところが、「歌フェスティバル」(2002年、ウエストエンドスタジオ)という演劇イベントにピチチが呼ばれてしまったので、慌てて役者を誘って、1回きりのつもりでネタをつくりました。それがすごくウケた。で、当時好きだった女性が主宰する劇団も、そのイベントに参加していて、「もっと近づきたい!」と思い、後日、ピチチの役者Nと一緒にその劇団を観に行きました。終演後の楽屋挨拶で、好きだったその女性が、一緒に行った役者Nに「私もNさんの次の芝居、絶対観に行きます」って言ったので、「あ、僕も○月に芝居があって…」とか言ったら「あ、がんばってください」って言われた。「『がんばってください』って何だろう?」と考えました。結局、"役者・福原"は全く魅力的に見られてないんだな、って。じゃあ、好きな人に認めてもらうにはどうするか。この前もウケたし、ひょっとすると作・演出ならいけるかもしれない。金が無かったんで実現したのは1年後ですけど、劇場を借りて公演をやりました。結局、その女性は来なかったんですけど(笑)。


複数の団体を率い、想像力を糧に日常を飛び越える

──でもその人のおかげで、劇作家・演出家の福原充則が誕生したわけですね。ところで、福原さんは固定の劇団を持たず、共同主宰の劇団やユニットなど複数の主体で活動されています。オムニバス構成のコント風の作品を男性俳優メインで上演している「ピチチ5(クインテット)」、俳優の富岡晃一郎と組んだ劇団「ベッド&メイキングス」(*1)、役者が音響と照明を操作する女優二人とのユニット「ニッポンの河川」と幅広い内容です。また、岸田戯曲賞最終候補となった『つんざき行路、されるがまま』などを書き下ろしている「月影番外地」(女優の高田聖子のユニット)など、外部への戯曲提供も少なくありません。

 誘いを絶対に断らないと決めて受けていたら、数がどんどん増えて大変なことになってしまった(笑)。でも、人が面白いと思っていることに打ち返していきたいというか、自分は何も面白い人間じゃないと思っているので、せめて誰かに求められたらやろうと。「誰かがやりたいって言ったから」という言い訳を用意してから頑張る性格なんでしょうね。メンバーではないけど「月影番外地」には3作書き下ろしていますし、2016年に作・演出を行った「東京No.1親子」(佐藤B作、佐藤銀平親子による演劇ユニット)も続くかもしれません。それに、いまだに活動してないのに、劇団名だけ挙げちゃってるものもあるから、訳がわからないですよね(笑)。

──素朴な疑問ですが……あのニセの劇団名は何のために?
 僕にとってはちゃんと意味があるんですけど(笑)。学生時代に「ペンギン村をつくるには?」というテーマでレポートを書かされた事があって。ペンギン村というのは漫画『Dr.スランプ』の舞台になっているアラレちゃんとかが住んでいるあの架空の村のことです。当時流行りはじめたバーチャル・リアリティーを、「どう成立させるか?」を考える授業だったのですが、僕はアラレちゃんのネジとか、そういうのが残っているという博物館をつくったほうがみんなペンギン村の存在を想像するんじゃないか、みたいなことを書きました。戦国時代の武将だって、残された城跡や刀や文献でイメージが広がって、史実とは限らない人物像がつくられているでしょ。そういう空想の方が面白いし、関連グッズやゲームも生まれて、現実の経済がものすごく動いている。情報の断片を使い想像を飛躍させることによって、現実を動かせる、というのがとても興味深くて、嘘の劇団名もいいかなと。だからピチチ5のホームページも半分デタラメで、人形劇をやっている劇団ということになっています(笑)。実際、人形劇に関しての問い合わせもあります!本当はこういうインタビューも嘘で押し通してみたいのですが(笑)。

──あのプロフィールにそんなに深い意味があったんですね(笑)。さて、作品の話に移りたいと思いますが、私はピチチ5の『はてしないものがたり』(2005年)から福原さんの作品を拝見しています。冴えない男たちが喜劇的な想像力を糧に現実を乗り越える4話のオムニバスで、第4話では貧乏な引越し屋の5人の男が最後は映画『ネバーエンディング・ストーリー』のファルコンに乗って家路につくというエネルギーに圧倒されました。初期はこういった作風の作品が多かったですね。
 最初の頃は、私小説しか人様に見せる価値はないと思ってやっていました。ゴキコンで身体を張って役者をやっていたのと同じで、面白くないかもしれないけど自分のありのままをさらけ出していた。そういう意味でギリギリチケット代分は楽しんでもらえるかなと。そうやって身の回りのことをネタに書いていたら「冴えない人々をシニカルな視点で描く」「負け犬への愛しい目線」みたいなコピーを付けられるようになって……。でも冗談じゃないと。「俺は冴えない人に愛情はないし、絶対負け犬のままじゃイヤだ」と心から思っていたので。最近は “自己肯定しない”ことにも飽きてきたので、そういうスタンスから少し離れてきています。今思うと、「俺なんて」っていうスタンスは、どこか楽していたと思います。「想像力」の使い方についても変化してきている気がします。

──「つまらない日常を想像力で変容させる」という初期作品からのテーマは、ベッド&メイキングス第1回公演で初演した『墓場、女子高生』(*2)や、俳優・加東大介が従軍中の演芸分隊の経験をもとに書いた小説の劇化『南の島に雪が降る』あたりで、さらに深まった気がします。
 『墓場、女子高生』は、自分の中では、死んだ人に対しての思いを想像力で昇華して納得していきましょうという話でしたし、『南の島に雪が降る』も、戦場で芝居というフィクションに情熱を注ぐことで過酷な現実に対抗しようとする男たちの物語でした。でも今は、それも一段落した気がします。

──福原さんの作品は、一人の俳優が複数の役を演じる場合が多いですよね。
 僕は役者を見に劇場に行くし、彼らが色んな顔をしてくれるのが好きなんです。それと、ひとり一役で役者が2時間しっかり演じるとどんどんその役の人物を掘り下げていっちゃう。お客さんに伝えたいのは役者が勝手に掘り下げた人物なんかじゃないと思っているので、へんな話、もうちょっと浅いところでやってほしいなって(笑)。観る側のどこかにある想像力のスイッチを押せればよくて、そうすれば後はお客さんがそれぞれの感想を持ってくれる。それは言ってみれば半分誤解させるスイッチなので、役づくりとは関係ないんじゃないかと思っています。

──『未遂の犯罪王』(2012年)や『あぶくしゃくりのブリガンテ』(2016年)などは、福原ワールドの住人である庶民が、想像力を武器に現実に立ち向かうようになった気がします。
 「お腹いっぱい食べたい」「可愛い子にモテたい」みたいなことを想像力で満たすことを書いてきましたが、「想像力で何に対して対抗するんだ?」みたいなテーマに変わってきたし、何か現実に太刀打ちできるフィクションをつくりたいけど説教くさくはしたくない、みたいな狹間で今は書いているような気がします。世の中が随分と混沌としてきましたし、現実世界の切実度が増していることが反映してるんじゃないでしょうか。より「現実に作用させたい」みたいなことを考えているのかもしれません。


YouTube、漫画、ゲームからの刺激

──「現実に作用させる」というのはどういう意味ですか。

 説明が難しいんですけど……例えば、YouTubeの映像で評判になったインプロブ・エブリウェア(Improv Everywhere)というフラッシュモブ集団とか、彼らのやっていることは現実に凄く作用していると思います。彼らのパフォーマンスで一番好きなのが「High Five Escalator」っていうニューヨークの地下鉄のエスカレーターのところでやったもの。通勤時間にエスカレーター横の階段にプラカードを持った人が順番に立っていて。人々が何だろう?と思いながらエスカレーターで上がっていくと、最初のプラカードの文字が「ロブが」、次が「あなたと」、最後に「ハイタッチしたがっています」。で、上でロブが手を上げて待ってる。そうすると、くたびれて眠そうだった人たちが意味を理解して、ロブと笑顔でハイタッチしてエスカレーターを下りていくんです。その人の1日に小さな幸せを与えるだろうし、そのあと絶対、職場で話題にするでしょ。そういう表現が、演劇でできるといいなと‥‥。

──演劇に興味がない人、劇場に来ない人、そういった人たちの人生にもアプローチしたいということでしょうか。そういう意味では、先日上演されたニッポンの河川『大地をつかむ両足と物語』は、葛西臨海公園の野原での野外公演でしたね。「何やってんだ?」という感じで通りすがりの人たちも眺めていました。
 もっともっと分かりやすい形で表現できればと思いますが、でも僕ができることは「物語」なんですよね。結局、自分は物語が好きなんだと自覚しました。だからそっちの方は「誰かやってよ」と(笑)。

──福原さんは原作ものの劇化でも素晴らしい仕事をされています。2017年には土田世紀の大人気漫画『俺節』を劇化され、話題になりました。昭和を生き抜いた庶民の心情を歌って人生を支えた“演歌”の名曲と、歌手を目指して上京してきた主人公の青春物語が重なり、そこには福原さんに通じる身体を張った泥臭いまでの芸術論も垣間見える……。この企画はどのようにして決まったのでしょう。
 そもそも原作ものをやることが前提の企画で、『俺節』は僕の方から提案しました。中高生の頃に熱中して読んでいて……自分が好きなものから逃げないでぶつかってみようと。実は、2012年に原作者の土田先生から許諾をもらっていたのですが、その1週間後に先生が亡くなって流れてしまった。それを仕切り直し、約5年がかりでやっと実現できた企画です。漫画では主人公が唄うシーンもあり、そこは凄く太い文字で演歌の歌詞がバーンと書いてある。その歌でストーリーが展開するので、舞台でそこをどうしようかと‥‥。原作の「主人公が人前では恥ずかしくてなかなか唄えない」という設定を膨らませて、肝心な気持ちはいつも歌になってしか出てこないということにしました。

──その設定は凄く効果がありましたよね。唄えない分、演歌の歌詞に託した主人公の思いが何倍にもなって伝わってきましたし、唄えるように背中を押す市井の仲間たちのそれぞれの事情が重なって民衆の演歌になっていました。その上、そうした民衆の生き様を小劇場演劇出身の俳優たちが謳歌していた。ところで、近年、日本では漫画やゲームといったコンテンツを演劇のリソースにする2.5次元ミュージカルなどの舞台が急速に増えています。福原さんもこうしたコンテンツに興味があるのですか。
 僕も漫画は大好きなので興味のある作品はありますが、それより衝撃を受けているのがゲームです。世界で一番売れている「グランド・セフト・オート」は本当に凄い。現実の街をモチーフにした架空の都市が丸ごと、細かいところまで3Dで再現されていて、そこを自由に歩き回ったりできるんです。「箱庭ゲーム(オープンワールドゲーム)」と呼ばれていますが、その西部劇版の「レッドデッドリデンプション」がたまらない。今までの西部劇映画の要素がすべて入っていて、西部劇映画でやれることはみんなできる。そういう箱庭感が凄いと思います。現実に置き換えるとディズニーランドが近いのかもしれませんが、物語のある演劇はなかなかそれにはかなわない。「何時間でもここにいたい」と思える箱庭感には憧れます。


唐十郎の『秘密の花園』

──1月に唐十郎の『秘密の花園』(*3)を演出されます。唐さんは好きな作家だと言われていましたが‥‥。

 唐さんの影響は凄く受けているのですが、おかしな受け方をしているので。役者をやっていた頃、國學院の劇研の舞台に出たことがあって。当時は劇研の照明機材を唐組が借りに来ていて、その繋がりで初めて唐組の『ジャガーの眼』を観ました。あの頃は情報誌で「静かな演劇特集」とかをやっていて、そういう芝居を順番に観に行っていたので、演劇って静かなのが基本だという思い込みがありました。僕らの世代の演劇は、「ハイテンションで喋るのはダサいよね」と言う空気があって、でも「そうかな?」と思っていた。でも初めて唐さんを観たら、まずテントにドキドキして、猥雑な雰囲気に圧倒されて。台詞のリズムが純粋にかっこよかった。
 僕が好きだった映画でアメリカのスタンダップコメディー出身の黒人俳優が喋るリズム、『ブルース・ブラザース』のジェームス・ブラウンやエディ・マーフィーのリズム、R&Bのライブでお客さんを煽る喋りのリズム、ゴスペル教会の牧師の説教のリズム‥‥。そういうリズムに合わせてガーっと喋るのが中学生時代からずっと好きで、それは音楽でやることだと思っていたのですが、唐組を観たときに「芝居でもできるんだ」と、自分の好きなものと演劇が繋がったんです。だから自分の芝居でも、リズムに乗って喋りたい、そこに正当な理由を付けたいと思ってやっています。

──それから唐さんに興味をもって戯曲を読み始めたのですか。
 はい。だって一度観ただけじゃわからないし、戯曲を読んでもわからない(笑)。長い間、わからないまま観ていたのですが、1回観て、読んで、もう1回観て‥‥10年ぐらいかけてようやくわかるみたいな、凄く長い時間をかけて好きになった感じです。『秘密の花園』はずっとやりたいと思っていて、恐れ多くも自分で企画を持ち込みました。唐さんの戯曲は、余計なものまで全部ことばになって書き込まれているというか、全てにピントが合っているような台本なので、悩むところもありますが、好きな戯曲をやらせてもらうのは何か楽しいです。

──唐さんの時代とは違い、怪優がいて観客を巻き込むような熱い芝居がなかなか難しいですが、福原さんはどのように感じていますか。
 話が少しずれるかもしれませんが、僕はほとんどの演劇はプロレスに負けていると思っています。今ならDDT(Dramatic Dream Team)のプロレスとかは本当に凄いです。「プロレスに台本はありますよ」ということを逆手に取って、突拍子もない面白いストーリーと役者じゃ適わないとんでもない身体表現でプロレスをやっています。例えば、飯伏幸太というレスラーはヨシヒコという名前のダッチワイフとプロレスをしてる!! 要は一人芝居で、ダッチワイフにバックドロップするだけなら役者でも出来ますが、ダッチワイフにバックドロップされるんです(笑)。飯伏の名言があるのですが、「俺が強くなればなるほどヨシヒコも強くなる」と。それはそうですよね、自分の分身と闘っているようなものですから。すべてが身体表現で、バカバカしいし、でも泣けるぐらい凄い。お客さんたちは何の疑いもなく、ヨシヒコをプロレスラーとして扱い、ヨシヒコの技が決まると「オーッ」って声援を送る。その日初めて客席に居合わせた人たちと、何の合図もないまま同じ嘘を共有して、試合が終わった時にみんなで泣くっていう。この共犯関係って何だろうって、感動します。

──そこには福原さんが描き続けている「想像力が生み出すパワー」と繋がる要素がありますよね。
 DDTに「どう対抗できるか」を考えると、やっぱり物語性の強さと、良い台詞を吐くことしかないのかなと思います。そのせいだかわかりませんが、最近、自分が書くセリフが長くなってて、改めて言葉が好きになっていると感じます。嫌なことがあったときに、言葉やストーリーにしないとその感情が収まらない。自分の中の感情が消化していかないんです。だから言葉にすることはやり続けていくだろうなと思います。

──私が福原さんの演劇を観ている時にはまさに、そういった、自分の中にある言葉にならない思いや感情が整理されていく快感というのがあります。
 自分が思春期に映画を観て、色々な気持ちに説明がついていったように、「ああ、これがこういった感情で、しかもこういうことなんだ」みたいに気づくことを繰り返していきたいんでしょうね。時代や自分の年齢の変化によって新しい気持ちが増えていくから、それをまたどういう言葉で表現しようかとやっていると、多分一生収まることはないだろうなと思います。まあ、その結果、歳をとって俳句をはじめるとかになるかもしれないですけど(笑)。
 
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