The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
棚川寛子
棚川寛子(たなかわ・ひろこ)
pdf
*1 矢野誠
1947年生まれ。作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ピアニスト。1970年代、オリジナル・ムーンライダーズのオルガニストを振り出しに、鈴木慶一、細野晴臣、松本隆、筒美京平ら日本を代表するミュージシャンと活動するとともに、編曲家としてニューミュージック・シーンを牽引。これまでに100名以上のミュージシャンのアレンジ・プロデュースを手がけ、多くのヒット曲を世に送り出している。
SPAC シェイクスピアの『冬物語』
(SPAC秋→春のシーズン 2016-2017/静岡芸術劇場)
SPAC『ハムレット』
(2015年/静岡芸術劇場)
SPAC『夜叉ケ池』
(SPAC秋のシーズン2012/静岡芸術劇場)
SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』
(ふじのくに⇄せかい演劇祭2014/舞台芸術公園 野外劇場「有度」)
SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』
(2014年/仏アヴィニョン演劇祭)
マハーバーラタ
撮影:新良太
*2 作調
歌舞伎の新作や復活上演に際して、どの場面にどんな音楽を入れるかのサウンド・デザインを行うこと。
Artist Interview
2018.2.18
music
Stage musician/sound artist Hiroko Tanakawa Interpreting Satoshi Miyagi’s theatrical world  
宮城聰の劇世界を支える舞台音楽家の棚川寛子  
ムーバーとスピーカーを分けた演出で知られる宮城聰(SPAC芸術総監督)の作品で20年以上にわたり舞台音楽を担当してきた棚川寛子。出演俳優たちが入れ替わりながら演奏するスタイルで、打楽器を多用した独特のサウンドをつくり、『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』、『アンティゴネ』などを発表。2017年10月には宮城が演出した新作歌舞伎『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』(出演:尾上菊五郎、尾上菊之助など)で歌舞伎音楽とのコラボレーションも話題となった。一方で、市民や子どもを対象としたワークショップや作品製作も精力的に行い、演出家・倉迫康史氏の「子どもに見せたい舞台」シリーズやNPO法人芸術家と子どもたちの活動等、アートと日常の有機的な交流も模索している。正規の音楽教育を受けていない“アウトサイダー・アーティスト”を自認する異色の舞台音楽家に話を聞いた。
聞き手:横堀応彦

音楽との出合い

──まずは音楽との出合いから教えていただけますか。

 20歳の頃、パルコ劇場のスタジオ受付のアルバイトをしていたのですが、当時、そのスタジオでステージラボという通年の講座があり、そこでたまたま音楽家・矢野誠さん(*1)の講座を受けたことが、音楽との出合いになりました。矢野さんの音楽に出会った事もあって、高校、短大と続けて来た演劇への視点に変化があり、ダンスや舞踏への関心から一時期は石山雄三さんが主宰していたNestでパフォーマーとして動いていたこともあります。

──矢野さんのワークショップはどのような内容でしたか。
 ほぼ毎日作詞し、作曲し、演奏し、音楽の全てがあったと思います。そんな中で、私は最初何もできませんでした。私以外の参加者は楽器も楽譜の読み書きもできる人たちでしたが、何もできないでいる私に矢野さんから「リズムが欲しいから、ちょっと太鼓叩いて」と言われ、ひたすら曲のテンポをキープするパーカッションばかりを叩くようになりました。そこから詩にメロディーを付け、フレーズをつくり、リズムを少しずつ重ねて曲をつくる作業を経験することになりました。
 私はテンポキープだったので、一歩引いたところから全体を見る事ができました。今にして思えば、その事が現在の作品創作に必要な視点を育ててくれたと思っています。よく「棚川さんはどうやって曲をつくるのですか?」と質問されるのですが、今も当時と同じで楽譜も書けないし、読めません。いまだにずっと矢野さんのワークショップを受けたときと同じスタイルで、思いついたフレーズを重ねていきながら曲をつくっています。

──子どもの頃にピアノを習っていたとか、そういう音楽経験もなかったのですか。
 全くありません。矢野さんに出会ってから、パーカッションを始めました。高校で演劇をはじめてからずっとお芝居ばかり観ていましたが、音楽に触れてからはセリフや動きなど芝居を構成している要素そのものに関心を抱くようになり、一時期は舞踏やコンテンポラリーダンスに興味が集中していたこともあります。


宮城聰との出会い

──宮城さんとの出会いを聞かせてください。

 宮城さんが1986年からやっていた一人芝居『ミヤギサトシショー』を観客として観ていて、変な人だけど面白いなと思っていました。1990年に宮城さんが演出する『ハムレット』のオーディションを受けたこともあります。落とされましたけど(笑)。そうしたら、私も参加した「矢野流音楽会」に宮城さんがステージングで呼ばれたり、それからピナ・バウシュの公演を観に行った時かな……宮城さんも来ていて「よく会うねえ」と。そんなことが何回か続き、ある時「トゥーランドットをやるんだけど、音を入れた芝居をやりたいから出てみない?」と誘われました。それが始まりだと思います。

──その時の音楽は宮城さんが自分で担当されていたのですか。
 はい。でも俳優が一発、二発の効果音を出す程度でした。宮城さんも『トゥーランドット』あたりまではまだ模索の時期で、音楽に対してそれほど要求がなかったように思います。私も含めてそのシーンに出ていない俳優が、宮城さんから「ここで刻んで」とか言われて、取っ替え引っ替え、ポン、ポン、シャッ、シャッとか音を出しているような状態でした。
 宮城さんはメロディがイメージで世界を固定してしまうと考えていて、メロディ楽器は使わない、音階も2音までとかそんな感じ。例えばド・ミ・ソと鳴ると、それはもう“明るいシーンの音”になってしまう。でも、ドとソだけだったら明るくも暗くもなくてどちらとも取れる。リズムだけならそのシーンを固定しないので、とにかくパーカッシブなリズムだけで音楽をつくりたい、という感じでした。当時出演していた俳優は20人ぐらいだったと思いますが、ほとんど出ずっぱりの美加理さん以外は交替で演奏していました。

──どのような楽器を使っていましたか。
 最初はその辺のアジアン雑貨ショップなどで売っているような民族楽器を5、6個買ってきて使っていました。それからログドラム、ジャンベ、コンガ、スティールパン等々徐々に増えて行き、それにつれて音楽の作業も増えて……。そうなると芝居をしながらでは中途半端になってしまうなと思い始め、『天守物語』(1996年)のクリエイションの頃に音楽に専念したいと提案しました。俳優に戻ってくるのを条件にOKしてもらいましたが、結局、戻らなかった(笑)。

──これまでの作品を振り返って、舞台音楽の観点からみてエポックになった作品はどれですか。
 『天守物語』かな……。楽器の数も増えましたし、祝祭的な面もあったので音楽が活かせたと思います。宮城さんは「台詞と動き、ロゴスとパトスを分けて、再び出会わせる」と言いますが、ロゴスとパトスと音の三要素が上手く一つに合致したなと感じたのは『王女メデイア』(1999年)でした。ク・ナウカ時代の『マハーバーラタ』(2003年)辺りからは、メロディーを入れても宮城さんから何も言われなくなり、SPACになってからは割と好き勝手に舞台音楽をつくらせてもらっています(笑)。


音楽のつくり方

──音楽をつくるプロセスについて、詳しくお伺いしたいと思います。台本からどのようにして音楽のイメージを膨らませるのでしょうか。

『天守物語』や『王女メデイア』の頃は、先に俳優たちの本読みを聞いてからどこに音楽を入れるかを考えていました。本読みを聞いて、宮城さんとも打ち合わせをしてから、立ち稽古が始まった後に音楽をつくり始めました。ク・ナウカ時代の『マハーバーラタ』からは、稽古に先行して音楽をつくるようになりました。宮城さんから台本だけ渡されて、「音楽のストックつくって!」みたいな感じで。特にSPACになってからは音楽先行がほとんどです。
 具体的な作業としては、まず台本を読みます。するとその台詞が持っているリズムみたいなものが見えてくるんです。例えば三島由紀夫や野田秀樹さんの台詞が持っているスピードを感じたり、泉鏡花やシェイクスピアの言葉に呼吸を感じたり。それを俳優たちがどう読むか想像したり、時間の流れをイメージしたりしながら、浮かんでくる音を台本に少しずつ重ねていきます。
 2017年にアヴィニョン演劇祭でも上演した『アンティゴネ』では、死を覚悟したアンティゴネが「ディルケーの川の源よ、テーバイの森よ……」と語ります。その時アンティゴネの心にはディルケーの川やテーバイの森が見えていたのではないでしょうか。アンィゴネが見ているであろうその景色を、想像力によって観客も同時に見ることが出来る。どうすればそれを、音楽で後押しできるか。それを考えるのが私の仕事だと思っています。
 以前観たロメオ・カステルッチの舞台で上演中に白い紗幕が降りてきて、そこに大きく「音楽」という文字だけが投影される場面がありました。舞台上に音楽は流れていない。……けれどもその間、私の頭の中には確かに音楽が流れていた。これは本当に素晴らしい観劇体験でした。観客に観客自身の想像力を体験させる。それが演劇だとも思っています。
 ミュージシャンには先に自分の伝えたいことがあり、そのために音楽をつくったり、歌ったりしている人もあると思いますが、何故か私にはそういう欲求はありません。でも台本を読んでこのシーンは白いとか、冷たいとか、もっと速いとか、感じる事を音楽に置き換えるのが面白いんです。

──俳優の中には楽器演奏経験のない人もいると思いますが、技術的な訓練も行われるのですか。
 ク・ナウカ時代から基礎稽古と呼んでいるものをやっていて、俳優たちは身体訓練をした後に、リズムの裏打ちや16分音符を打つなど、演奏の基礎稽古をしています。ある程度叩けるようになると、次にその演奏を演劇的なものにしていく段階に入ります。パフォーマーがいる所にどうやって音楽を置いていくか、一発の音でどうやって伝えるかなど、技術よりも感覚的な事を重要視した稽古をします。太鼓をどの音量から叩き始めるかは、俳優がどう呼吸するかというような事と同じではないでしょうか。

──音楽づくりは具体的にどのように進んでいくのでしょうか。
まず私がフレーズをつくって、それをAさんに繰り返し演奏してもらいます。それから別のフレーズをつくって、Bさんに重ねて演奏してもらい、それをCさん、Dさん……と次々に重ねていく。それをそれぞれ自分でわかるように台本にメモしていきます。そこからさらに変更を加えていくという……本当に超アナログ(笑)なんです。だから1曲が1時間でできることもあれば、最初に「このフレーズをやって」と言われたAさんが3時間ぐらい演奏していることもあります。
 私の想う色彩みたいなものを実際に音にしてみて、イメージと違うと「もっと芯をキュッとして」とか、「もっとザラッとした感じに」とか無茶振りをする(笑)。するとみんなが「こんな感じ?」って探してくれるんです。そうやって音楽が一通りできると、セリフと合わせてみて、最後に“ムーバー”と呼ばれる俳優に入ってもらいます。それで「ここはもう少し音量を下げよう」とか、「ムーバーがもう少し動くから伸ばそう」といった調整をします。
 最初は音楽先行のつくり方に違和感がありましたが、台本を楽譜だと思えば予め本読みで声を聞かなくても音楽はつくれるはずなんですよね。実際に声を聞いて、この人はこういう低い声で、このぐらいのテンポで喋る……というのがわかれば、そこから調整すればいいので。

──音楽ができた後で、演出家からダメ出しが入るのですか。
 はい、曲ができ上がった後に宮城さんから「そういうんじゃないんだよなあ……」とか言われて曲を変えることもよくあります。そこから演出家のイメージに、私のイメージと、俳優の表現を融合させていく作業になります。
 最近の宮城さんには、「自分一人の中から出てきた考えじゃつまらない」という思いがあるようで、私や俳優たちから出てきたものを見てから、盛りつけを考えているような感じがします。みんなから出てくるものをギリギリまで待つというのは本当に凄いと思いますが、こちらとしてはハラハラもさせられます。

──初期作品では演奏者は舞台の見えないところにいましたが、最近は演奏者の姿を観客から見えるところに配置することも多いようですが。
 はい。演奏している姿が見えすぎると芝居のノイズになってしまうことがあるので、ク・ナウカ時代は基本的に見せていませんでした。演奏者を見せるようになったのは『マハーバーラタ』からで、多分、宮城さんが見せた方が作品の強度になると考えるようになったからだと思います。演奏している身体がとてもエネルギッシュな瞬間があって、演奏者を見ている方が面白いこともあるんです。

──棚川さんが俳優の演奏する動きにダメ出しすることはありますか。
 そうですね。あまりノリノリで演奏してしまうと、芝居より動いている身体が気になってしまうので、「もうちょっと動きを抑えてほしい」と言ったりします。これは宮城さんもよく言うことですが、バンドみたいなフリーな演奏をするのではなくて、抑制をかけた俳優の身体で演奏することが求められている。例えば、王女メディアが息子を殺すシーンでは、厳粛な身体で演奏するとかですね。

──音楽を演奏するという経験が、俳優の芝居に影響することもありますか。
 あると思います。演奏をしているとリズム感が鍛えられて、セリフの間合いも良くなり、芝居も上手くなると思います。一人で演奏するのではなく、周りの音も聞かなければならないのでアンサンブル能力も身につきます。
演奏しながら同時にセリフも聞いて、芝居も観て、周りの音を聞くなど、常に開いた感覚が要求されるので、それが演技にもプラスになるのではないでしょうか。

──これまで宮城さんと多くの作品を手がけられていますが、音楽をつくりやすかった作品、逆につくりづらかった作品はありましたか。
 台詞に勢いがあるとそれに上手く乗ればよいので音は付けやすいですね。私にとっては台本が楽譜なので、本が面白ければ音楽も作りやすいと感じます。そもそも作品に強度がある古典や、三島由紀夫の『黒蜥蜴』、野田秀樹さんの『真夏の夜の夢』などはクリエイションからとても楽しかったです。
 『イナバとナバホの白兎』(2016年)ではSPACの俳優たちで台本そのものをつくったのですが、1つのシーンを単発でつくることはできても、それを俯瞰して一貫した流れを持たせることが難しかったように思います。


新作歌舞伎『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』

──最新の話題作が新作歌舞伎『マハーバーラタ戦記』(2017年10月歌舞伎座)です。最初にこの話を聞いたときは、いかがでしたか。

 宮城さんから「来年、歌舞伎をやるんだけど、音楽をやってほしい」と言われた時は、それがどれ程のことなのか想像すらできませんでした。坂東玉三郎さんが好きで、歌舞伎座に『天守物語』を観に行ったりはしていましたが、鑑賞経験もその程度で歌舞伎には全く疎く、ともかく新しいチャレンンジだと思って引き受けました。

──歌舞伎音楽とのコラボレーションはいかがでしたか。
 未知の現場への不安もあって静岡で音楽のストックを数曲創って臨みましたが、右も左も分からぬ世界で最初はとても緊張していたと思います。それでも稽古場で時間を過ごすうちに少しずつ声も掛けて頂くようになり、尾上菊之助さんはじめ、囃子方の田中傳左衛門さん、三味線方の鶴澤慎治さん、長唄三味線方の杵屋巳太郎さんなど本当にたくさんの方々に助けて頂きました。
 特に傳左衛門さんは野田秀樹さんの新作歌舞伎やスーパー歌舞伎『ワンピース』の音楽も手がけられている超プロフェショナルで、おろおろしていた私たちにも臨機応変に対応して下さいました。具体的な稽古では、作調(*2)もされる傳左衛門さんにストックしていった曲を聴いてもらったり、歌舞伎音楽の方々と場面ごとにパートを割り振ったり、時にはコンペで決めましょうかなどと提案して下さったりもしました。
 歌舞伎の世界観を壊さずに、私たちの演奏が情緒的な部分を少しでも担えていたら嬉しいです。歌舞伎音楽ならではの様式的ダイナミズムはとても勉強になり、ご一緒させてもらえて本当に幸せでした。

──歌舞伎俳優さんが入った全体稽古で音楽は変わりましたか。
 音楽どころか台本も変わりますし、あらゆることが変わりました。役者さんからの要望で音楽を変更したり、振り付けの菊之丞さんの要望に応えたり、初日まで実際の尺が分からない場面もあったので、初日が明けてから少しずつ調整し、ちゃんと決まったのは公演3日目ぐらいでしたね。

──歌舞伎音楽と一緒に仕事をしたことで、何か得たものはありましたか。
 得たものばかりです。例えば同じ歌舞伎の舞台にいても、鳴り物、義太夫、長唄では記譜法が違っていて、お互いの楽譜を読めないそうです。お互い追求しているものが別にありながら、全体として一つの作品に奉仕する。異なる者同士が活かし合うにはどうすれば良いのか……など、今後の私の仕事にも課題を頂きました。


子どもや市民向けワークショップ

──棚川さんは舞台音楽家として子どもたちや市民に向けたワークショップをたくさん実施されています。

 はい。8年ぐらい前にNPO法人芸術家と子どもたちからお声がけ頂いて、子ども向けのワークショップをやらせていただくようになりました。そちらでは都内の児童養護施設、特別支援学級、小学校等にそれぞれ10〜13回程通い、子どもたちとオリジナルの演劇作品をつくります。台本から子どもたちと一緒につくる、芝居、歌、ダンス、演奏のある舞台作品です。創作を通じて、子どもたちが自分の役割や居場所を見出すことの後押しをしたいと考えています。
 例えばあるワークショップで、芝居やダンスの稽古の時にはあまりやる気を見せていなかった子が、衣裳製作では生き生きとして、大人では思いつかないアイデアで衣裳をつくりました。彼らのアイデアや表現に向き合う姿勢には、こちらが忘れかけていた感覚を呼び覚まされてハッとさせられる事も多々あります。
 その他に、荒川区での「夏休みはエンゲキ」、穂の国とよはし芸術劇場PLATの「市民と創造する演劇」等、参加者と楽しみながらも真剣に取り組める昨品づくりを目指しています。

──どのようなワークショップをしているのですか。
 クライアントの要望によって内容が決定するので中身は色々です。例えばオリジナルの話をつくるとなれば、絵本でも絵でもいいのですが、そのイメージを出発点にして話を立ち上げたりします。音楽づくりの場合は、このシーンをどう感じるか、温かいか冷たいか、色で言えば何色か、明るいか暗いか、時間は遅いか速いかなどそういった感触を手がかりに曲づくりにつなげます。
 子どもたちと作品をつくる時は、受け入れてもらうことから回数を重ねて関係性を築きます。すると、ちょっとずつ変化が見えてくるのですが、それが本当に嬉しいんです。できなかったことができるようになる喜びや、対等に喧嘩すること、うまく言えないもどかしい思い。自分も幼い頃に感じていた鮮やかな感情。それこそ表現の原点だと思います。子供たちとそういった感覚を共有できることは、私自身にとっても大事なことです。プロの現場ですり減ってしまったものが癒されると感じることも良くあります。

──宮城演出での音楽づくり、子どもたちとのワークショップのお話をうかがっていると音楽はコミュニケーションなんだと思います。
 私にとって音楽は手段のひとつです。音楽だけで完結することに目的を見いだせないと言うか……台本があって、人間がいて、身体があって、言葉がある。役者、美術、照明、衣装、音響、大人、子ども、全てが活かしあってひとつつの音楽になればいいなと思っています。私がつくりたいのは曲ではなくて、ただ心の動かされる瞬間なのかもしれません。
 
TOP