The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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ダンススポットの誕生
新世代アーティストが台頭した背景には、コンテンポラリーダンスの人材発掘と育成に尽力し続けたアートスペースの存在がある。80 年代はじめには、舞踏集団が自分たちで運営していた稽古場兼劇場(土方巽のアスベスト館、大駱駝艦の豊玉伽藍など)を除くと、ダンス公演を企画していたのは渋谷の小劇場のジァンジァンぐらいだった。その後、いくつかの民間企業がアートによるイメージアップを図り、芸術を支援する目的でホールをオープンし、コンテンポラリーダンスのプログラムを行なうようになる(SPIRAL HALL、パークタワーホール、アサヒビールホールなど)。
特に、90年代後半から、不況で都心に生まれた空きビルなどの遊休スペースが次々と新しいアートスポットに生まれ変わるが、その中で登場してきたのが、現在のムーブメントの震源地となっているダンススポットの数々である。10分の小作品を集めたフェスティバルや観客が公演後に価格を決めるユニークな企画を多数行なっているセッションハウス。日替わりでダンサーが競演する「ダンスが見たい」などを企画しているディプラッツ。横浜市立の小劇場を市民ボランティアが運営し、気鋭のアーティストがキュレーターとして新人のオーディションから作品づくりまでサポートするなど、アーティストの卵たちの拠点になっている横浜のSTスポット。NPO法人が運営し、関西のコンテンポラリーダンサーの登竜門であり、拠点にもなっている大阪のDANCE BOX など。いずれもダンスの理解者であるプロデューサーが責任者となり、互いに連携しながらアーティストの育成を行なっている。
また、公立劇場の中にも伊丹アイホール、世田谷パブリックシアター、横浜赤レンガ倉庫など、ダンスの拠点として名乗りを上げるところが生まれ、自主事業を企画して継続的な支援を行なっているのもシーンを支える大きな要素となっている。

民間支援と新世代プロデューサーの活躍
90年代には民間企業が社会貢献活動の一貫としてアートに対する支援を行なうようになる。その中で価値の定まらない新しい創造活動への支援を打ち出し、コンテンポラリーダンスを積極的に支援したのが、アサヒビール、キリンビール、トヨタ自動車セゾン文化財団などである。特に、トヨタ自動車が、「次代の振付家の発掘」を目的に、世田谷パブリックシアターとの協力で2001年にスタートした「トヨタコレオグラフィーアワード」(審査委員長:天児牛大)は、開催2回目にして新進アーティストの登竜門として評価されるほどになっている。
コンテンポラリーダンスの活況を支えているもう一つの要素が、新世代のプロデューサー・制作者の活躍である。集団単位で活動し、集団のリーダーがプロデューサーを兼ねていた舞踏に対し、コンテンポラリーダンスでは、集団から独立したプロデューサー・制作者が制作会社を設立し、民間や公共から支援を受けながらダンスフェスティバルなど様々な企画を実現する体制に大きく変わってきた。
また、日本ではまだ活動がはじまったばかりのNPO法人もこの領域において画期的な役割を果たすようになっている。例えば、2001年に設立されたNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークは、アーティストなどが会員となって旗揚げしたもので、情報発信やチケット販売、出前公演やワークショップなど、ダンスの上演環境の整備と普及活動に共同で取り組んでいる。アーティストを小中学校に派遣しているNPO法人芸術家と子どもたちの活動にも、たくさんのダンサーたちが参加している。
このように、新世代になってこれまで横の繋がりを嫌っていたアーティストたちが社会との関りを真剣に考えるようになるなど、意識が大きく変わってきた。また、芸術見本市にも積極的に参加するなど、海外進出意欲が高く、日本での評価が定まる前に海外でデビューするケースも多くなっている。新世代アーティストの力量は未知数の段階だが、こうした広がりによってこれまでにない飛躍が期待される。
 
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