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2010.6.9
Latest Trends by Genre: Kabuki, NÔgaku, and Bunraku  
歌舞伎、能楽、文楽の最新動向─奈良部和美(ジャーナリスト)  
歌舞伎、能狂言、文楽の最新動向

 2001年の能楽に続き、2003年に文楽、2005年に歌舞伎が登録され、日本の代表的な古典芸能はいずれもユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作」になった。1990年代後半から伝統芸能は日本文化再発見の風潮に乗り、歌舞伎の尾上菊之助や文楽の豊竹咲甫大夫、狂言の茂山宗彦ら、花のある10代、20代の若い伝統芸能の担い手を指す「伝芸アイドル」なる言葉も生まれ、彼らが獲得した若いファンを対象にした入門書や写真集が書店の棚を賑わわせた。加えて日本は高齢化社会に突入し、健康で資産があり、文化に関心の高いシニア世代が劇場に通うようになった。世代を超えて客層が広がり、能楽堂も国立劇場も歌舞伎座も、かつてない熱気に溢れている。また、2003年3月には国立劇場を運営する日本芸術文化振興会が「伝統芸能情報館」を開き、国立劇場が蓄積してきた資料のデータベース化とインターネット技術を活用した公開に取り組むなど、新たな動きも始まっている。

歌舞伎

 2003年、歌舞伎は生まれて400年を迎え、ミュージカルや発祥時の歌舞伎の復元公演も含め、「歌舞伎四百年」を祝うさまざまなイベントが行われた。歌舞伎の生みの親、出雲の阿国が京都・四条河原に現れ、華美で斬新な男装で踊ったのが400年前といわれる。風俗を乱すと女性による歌舞伎を時の支配者が禁じると、主役は美少年に代わり、それもいかがわしいと禁じられて成年男子が演じる「野郎歌舞伎」が生まれた。以来、女性以上に女を表現するといわれる「女形」をはじめとする独特の表現様式が磨かれ、江戸時代には客席に張り出した役者の通路「花道」や、舞台の床が回転して場面転換する「回り舞台」など劇場機構も発達した。

 現在、歌舞伎は松竹株式会社によって、常打ち小屋である東京・歌舞伎座を中心に興行が行われている。また、歌舞伎の保存と継承を目的のひとつとして1966年に開場した国立劇場においても解説付きの歌舞伎公演や復活公演などが定期的に行われている。

 芸の継承の中核を成すのが、親から子へ代々芸を伝える「家」の存在だ。「梨園」と呼ばれる名門の息子たちは子役時代から舞台で鍛えられ、「お家芸」といわれる代々の芸を身に付け、スターへと育っていく。一方、家出身でない役者が主役を務める機会は少なく、脇役志願者が減少したため、1970年から国立劇場による後継者の育成事業がスタート。役者だけでなく、音楽劇である歌舞伎を支える音楽家(後継者不足が心配されている鳴物と呼ばれる打楽器奏者や竹本と呼ばれる歌舞伎義太夫)の養成にも取り組んでいる。

 近年、歌舞伎の革新に貢献した役者で注目されるのは、現在病気療養中の市川猿之助と、2005年に父の名を継いだ中村勘三郎だろう。猿之助は国立劇場の後継者養成事業の修了者を積極的に登用、女形の市川笑也などスターを育てる一方、哲学者の梅原猛脚本の新作の上演を重ね、スペクタクルとしての歌舞伎を追求している。猿之助一座の若手による「二十一世紀歌舞伎組」の人気も高い。勘三郎は前名・勘九郎の時代に東京・渋谷の現代劇のための劇場シアターコクーンと、江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場「平成中村座」(2004年、07年にはニューヨーク公演を実現)での上演を行うなど、現代劇の演出家・串田和美野田秀樹と組んで古典に新解釈を加える試みを続けている。荒唐無稽な筋立てや役者が観客の頭上を舞う宙乗りなど、リアリズム演劇の対局にある歌舞伎の醍醐味を徹底的に追求する猿之助や勘三郎の試みは、常に大入りの人気となっている。

 勘三郎は現代劇の渡辺えり作・演出の『今昔桃太郎』で襲名興行を飾った。2005年には蜷川幸雄がシェークスピアを翻案した『NINAGAWA十二夜』を歌舞伎座で1カ月上演(2007年に再演)、2006年には若者の街、東京・渋谷のパルコ劇場で若者に人気の喜劇作家・三谷幸喜作・演出『決闘!高田馬場』が市川染五郎ら若手役者を中心に上演され、いずれも大入り満員を記録した。歌舞伎の美意識、演技の型は現代演劇の担い手を魅了し、新しい形の歌舞伎が生まれようとしていると言えそうだ。

 歌舞伎俳優の映画や新劇への越境は今に始まったことではないが、尾上菊之助が蜷川幸雄演出のギリシア悲劇『グリークス』に、市川新之助がNHKテレビで1年間放送された大河ドラマ『武蔵』の主役に挑戦、2008年正月には初の座頭を新橋演舞場で勤める。2007年には市川亀治郎もNHKテレビの大河ドラマで準主役を演じるなど、若手の活躍も目をひく。歌舞伎を離れても彼らに人気のあることが、着実に世代交代が進んでいることを現している。

 2001年に中村歌右衛門、市村羽左衛門の2人の人間国宝を失ったほか、名脇役の死も続いているが、歌舞伎には、その名前を継承することによって名優の死を乗り越える伝統がある。後継者が、「襲名」によって、父や祖父、名優の芸風を名とともに受け継ぎ、襲名記念の興行を行うのである。2002年の尾上辰之助の「松緑」、2004年の市川新之助の「海老蔵」、2005年の勘九郎の「勘三郎」、2006年には大阪を中心とする上方歌舞伎の中村鴈治郎が230年途絶えていた関西の名女形「坂田藤十郎」を襲名するなど、観客動員効果の高いビッグイベントが続いた。

 現在、歌舞伎興行主である松竹は映画製作会社でもある強みを生かし、新たな歌舞伎の普及策に取り組んでいる。名付けて「シネマ歌舞伎」。ハイビジョンカメラで舞台を撮影した高解像度映像を、デジタルプロジェクターと6チャンネル音響を使い映画館で上映するというもので、2005年の勘三郎主演『野田版鼠小僧』を皮切りに、2006年に『野田版研辰の討たれ』、坂東玉三郎主演の『鷺娘』『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』の計4本を製作・上映した。歌舞伎座1等席の約15分の1の低料金で歌舞伎が味わえると、幅広い層の観客を集めている。

 こうした歌舞伎の興隆を引っ張ってきた松竹会長の永山武臣氏が2006年12月に死去した。第2次世界大戦で常打ちの劇場や舞台道具を失い、俳優も音楽家も四散した歌舞伎を再建、海外への紹介にも尽力し、世界遺産に登録される礎を作った人物の死後、興行に大きな資金を要する歌舞伎を株式会社・松竹が支えきれるか危ぶむ声もあるが、松竹は2005年に決定した歌舞伎座の立て替え計画を進め、2008年正月は東京で4カ所と大阪の計5カ所で同時に歌舞伎を上演するなど興行に積極的に取り組んでいる。国指定の有形登録文化財である歌舞伎座が築50年を超え老朽化が著しい。3つの切り妻屋根が並ぶ1924年落成時の様式を復活、劇場内をバリアフリー仕様にし、劇場背後に高層のオフィスビルを建設する計画。2007年秋頃まで検討を進め、2010年の開場を目指して着工する予定だ。
 
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