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Latest Trends by Genre: Kabuki, NÔgaku, and Bunraku
歌舞伎、能楽、文楽の最新動向─奈良部和美(ジャーナリスト)
*流派
無形の芸能の特色ある芸風を守り、後世に伝えるために生まれた集団を「流派」という。能楽では主役を務めるシテ方、シテの相手役のワキ方、伴奏を務める囃子方、狂言方の各々に流派がある。例えば、シテ方では、観世、宝生、金春、金剛、喜多の五流、狂言方では、大蔵、和泉の二流がある。
能楽

 能楽は、現在上演されている能の約3分の1をつくった世阿弥が現れた14世紀から数えても600年の歴史をもつ。「四拍子」と呼ばれる4種の楽器(笛、小鼓、大鼓、太鼓)と合唱を担当する地謡の伴奏にのせ、演者が歌い、舞う音楽劇の「能」と、笑いを主とする台詞劇の「狂言」で構成されている。特に能は過剰な表現を削ぎ落とし、ギリギリまで簡略化された動きの中にいくつもの内容が込められている劇的な表現で、「幽玄」という美を獲得した世界最高峰の舞台芸術と称えられている。世阿弥以来、能楽は支配層をパトロンとし、特に江戸時代には幕府が儀式に用いる「式楽」として保護してきた。幕府お抱えの芸能は大衆の人気とは無縁の世界で継承され、武家社会崩壊後も政府の要人や新興財閥がパトロンとなって支えてきた。庶民の愛好者獲得が迫られたのは、第二次世界大戦後、財閥解体によりパトロンを失ってからである。現在は、愛好家への教授活動と公演活動によって経済的な基盤がつくられている。

 支配層によって支えられてきた芸能の歴史が、現在も尾を引き、多くの日本人は、「能は高尚で難しく、能楽堂は知識がなければ出掛けられない場所だ」と感じている。しかし、83年に開場した国立能楽堂や横浜市の財団法人が運営する横浜能楽堂など、普及活動に力を入れ、新しい試みを行っているところには若い観客も多く、チケットの入手が困難なほどの人気となっている。また、1990年代前半には、夜空の下でかがり火を焚いて演じる薪能が盛んに行われ、ブームになった。

 とは言うものの、各流派がもつ能楽堂の公演にまで出掛ける観客は極めて限られており、高齢化も進んでいる。こうした状況に対し、ようやく演者たちの間に危機感が生まれ、極めて制約が多い能の世界でも、21世紀を目前にして少しずつ新しい動きが出てくるようになった。若手能楽師たちによる流派を超えたグループ「神遊」や、金春流の若手4人による「座・SQUARE」が、いずれも若い感性で能の良さを訴えた活動をスタートし、ファンを増やしている。2006年には能楽の枠を超えて多彩な活動を展開する狂言方の野村萬斎、囃子方笛方の一噌幸弘、囃子方大鼓方の亀井広忠が「能楽現在形」と名付けた公演を始めた。能楽協会会員の3分の2は主役を務めるシテ方のため、大曲を演じる機会の少ない同世代のシテ方を迎え、「能楽の惰性を排して、真剣勝負をしよう」というのが発会の趣旨だ。

 能は「一期一会」を重んじる。演じ手はその時のために精神を集中させ、その場に集う囃子方、地謡、観客とともにたった1度の舞台を作り上げる。歌舞伎のような長期公演はない。そのため、能楽師は愛好者に能を教えて生活を支えるが、その方法にも若い世代が工夫を凝らすようになった。「神遊」のメンバーの一人、観世流シテ方の観世喜正は謡や能の一部を舞う仕舞は1対1で伝授するが、初心者には取っ付きにくいことから、複数で学ぶ「1から始める謡/仕舞」の講座を開いている。ホームグラウンドの東京・神楽坂の矢来能楽堂で、ビギナーが能に関する知識を深めるために、和歌や「源氏物語」などの原典を学ぶ講座や装束の着付けを見せたり、上演演目の謡の一部をシテ方の指導で観客が謡ったりする「のうのう能」を定期的に開催し、能楽ファンの裾野を拡げている。また、映画『ラストサムライ』が公開された頃から、武士道、古武道への関心が高まり、能も摺り足などの身体技法が大腰筋などインナーマッスルを鍛え、身体を強健にするとスポーツや健康法の面から注目された。ヨガブームの小型版といった趣だが、カルチャーセンターなどで「能エクササイズ」の教室が開かれている。

 一方、口語体の台詞でわかりやすい喜劇、狂言の人気は上昇の一途である。テレビドラマや映画で主役を務め、世田谷パブリックシアターの芸術監督を務める野村萬斎や、京都・大蔵流茂山家の若手狂言師、茂山正邦、宗彦、逸平らの公演チケットは早々に完売になる。プロデューサーとして力量を発揮し、古代の芸能「伎楽」や能楽の元といわれる中世の芸能「田楽」の復元に取り組んだ野村万之丞が2004年に40歳代で急逝したのは惜しまれるが、身体全体から発散する柔らかな人間性で若い女性の人気を集めている1919年生まれの人間国宝・茂山千作など、世代を超えて、狂言界には豊富な人材が揃っている。

 また、国立能楽堂の企画による哲学者・梅原猛原作の新作狂言にベテランの茂山千之丞(演出)、千作(出演)らが挑み、公害問題や戦争を題材にした硬派な内容を笑いで表現。新しい活動の中で時代を超えて通用する古典芸能の力を示し、高く評価された。国立能楽堂は新作能も制作しているが、2006年には人気漫画を題材にした『紅天女』を上演、当日はそれまで能楽堂に無縁だった漫画ファンの若い女性が観客席を占め話題になった。また、後継者育成の面でも、1984年から演者の絶対数が少ないワキ方(シテ方の相手役を務める)や囃子方、狂言方の養成に力を入れている。

文楽

 文楽は江戸時代に大阪で生まれた人形芝居である。太棹三味線の伴奏で語る義太夫節の浄瑠璃に乗せて、人形を操る。当初は1人で人形を操ったが、1700年代に3人で一体を操る三人遣いが誕生する。首と右手を操る主遣いをリーダーに、左手を使う左遣い、足を使う足遣いが一体となって人形を操ることで、それまでより繊細で豊かな表現が可能となった。文楽では、こうした人形遣い、三味線方、複数の人物を語り分ける太夫の三者の芸が溶け合って展開する人間ドラマが大きな魅力になっている。人気のあった文楽も1955年頃から赤字興行が続いたため、1963年に国と大阪府、大阪市、NHKが援助を行い、文楽の継承のために財団法人文楽協会を設立。演者は文楽協会所属の「技芸員」となり、東京の国立劇場小劇場と大阪の国立文楽劇場で公演を行っている。

 2001年に、2人の人間国宝、人形遣いの吉田玉男と義太夫の竹本住大夫の自己研鑽の日々を紹介したテレビのドキュメンタリー番組がきっかけとなり、文楽ブームが再来し、ここ2年は東京公演のチケットが入手できない状態が続いている。文楽は歌舞伎のように代々芸を継承する「家」がなく、男性なら誰でも、実力次第で未来を拓くことができる。実際、太夫、三味線方、人形遣い総勢88人の技芸員の内46%は、1972年に国立劇場が後継者育成のためにスタートした「伝統芸能伝承者養成事業」の修了者であり、文楽とは無縁の世界から飛び込んで来た者が多い。研修生は、2年間の基礎教育を受けた後、師匠について舞台を勤めながら、人形遣いは首(かしら)を遣う主遣いになるまで足10年、左手は20年の修行を積み、太夫は50代になってようやく花開くといわれる芸の本格的修業に入る。この養成事業で着実に後継者が育ち、1998年には養成事業出身の野沢錦弥(三味線)が41歳で五世野沢錦糸を襲名、2006年には鶴沢燕二郎が師の名を継ぎ六代鶴沢燕三(えんざん)となった。人形遣いでは、父の桐竹勘十郎に連れられて幼い頃から文楽の楽屋で育った吉田簑太郎が2003年に50歳になったのを機に三代桐竹勘十郎を襲名した。

 中堅・若手が国立劇場の公演の合間を縫ってゴスペルなどとの共演や、人形を伴わない浄瑠璃だけを聴かせる素浄瑠璃会を開くなど、次世代の台頭を予感させる動きもある。とは言え、文楽の屋台骨を支えているのは、1924年生まれの住太夫を筆頭に、2007年に認定された1945年生まれの鶴沢清治まで60、70、80代の6人の人間国宝。人間的な円熟が芸に反映するといわれるだけに、一朝一夕ではいかない世代交代をどう進めるかが常に課題だ。2006年9月、立ち役(男性)の遣い手では実力、人気ともに当代随一だった吉田玉男が87歳で逝った。『曾根崎心中』をはじめ女形(女性)の名手・吉田蓑助とつくった名舞台の数々が文楽ファンを魅了してきただけに、玉男を失った痛手は大きい。太夫ではこの数年間に50歳代の4人を亡くし、2007年にはキリ語り(重要な場面、大詰めを語る太夫の最高位)の一人が不祥事から廃業した。世代交代は待ったなしの状況に追い込まれている。太夫、人形遣いの人材育成には時間がかかる。特に太夫は人材不足。「ここ5年が勝負。文楽は滅びるかもしれん」という太夫もいるほど厳しい状況にある。

 国立劇場と文楽協会は2007年11月の大阪公演で、ともに50代の玉男の一番弟子・吉田玉女(たまめ)と蓑助の一番弟子・勘十郎を『曾根崎心中』に起用した。文楽愛好者は、玉男・蓑助に代わる次代を担うコンビ誕生と受け止めた。2人が目の肥えた文楽ファンをつかめるか、太夫の育成が進むか、文楽は多難な次代に入った。
 
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