The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
The activities of the Five Arts Center, toward the creation of contemporary Malaysian theater
マレーシアの現代演劇の創作を目指すファイブ・アーツ・センターの活動


Manchester United & The Malay Warrior
イギリス・マンチェスターで開催された英連邦競技会関連のアートフェスティバルで上演された『Manchester United & The Malay Warrior』
──ファイブ・アーツ・センターは昨年創立20周年を迎えました。この20年でマレーシアの演劇を取り巻く状況はどのように変わりましたか?
先ほどお話しましたが、20年前は地元劇団の英語上演はほとんどありませんでした。ですが、現在では多くの劇団が上演しています。80年代終わりから90年代初めにできた劇団です。以来、マレーシア国内の舞台芸術の地位が大きく変わりました。ダンスについては、20年前まで、高いステータスと言えば、クラシック・バレエだと考えられていたのですが、事態はすっかり様変わりしています。古典のマレー舞踊やインド舞踊も高いステータスを獲得しています。私が踊りを始めたころ──それはファイブ・アーツ創設前ですが──伝統的でも近代西洋的でもない、マレーシアのコンテンポラリーダンスをつくろうとしていました。当時私は「東洋的/西洋的」「伝統的/近代的」といった言葉の意味をかなり真剣に考えていました。マレーシアでの「近代」的とは、必ずしも「西洋」的であることを意味しません。私は、アジアにはまだこの問題があると感じています。世界中に広まった非西洋的コンテンポラリーダンスである日本の「舞踏」がおそらく唯一の例外かもしれません。
80年代初めにインド古典舞踊家、ラムリ・イブラヒムなどの有能なダンサーがマレーシアに戻ってきました。私自身も1981年にニューヨークから帰国しました。当初の6、7年、私たちは、コンテンポラリーダンスがマレーシアに存在し得ること、そして東洋と西洋を結びつけることが可能であることを証明するために、精力的にパフォーマンスを行いました。地元新聞に「これはダンスじゃない」「マリオン・ドゥ・クルーズは振付家じゃない」などと叩かれたりした実験的な舞台もありましたが、マレーシア人の創造性に社会的権利を持たせるのに必要なものだったのです。マレーシアの作曲家、振付家、劇作家は、西洋の作曲家らと同じくらい、もしくはそれ以上にその存在は重要なのです。そして結局のところ、演劇であれ、ダンスであれ、ビジュアル・アーツであれ、音楽であれ、私たち自身のこと、つまりマレーシア人としての自分の人生を語らなくてはいけないのです。演劇はエンターテイメントである以上に、人々に刺激を与え、考えさせるものでなくてはいけません。
観客数は確かに増えました。例えば昨年上演された『選挙の日(Election Day)』という作品は暗く重い雰囲気のある、女性のひとり芝居でしたが、14日間連日満員の観客を集めました。20年前なら、200席の劇場で5日間上演できただけで大成功と見なされていました。観客は、登場人物を自分自身と同一視するようになり、「これって私の話じゃない?」と言うようになるのです。このように自国の演劇に対する興味は以前よりずっと拡大しています。
この20年以上の間に舞台(プロダクション)の金銭的価値も上がりました。当時の公演はもっとその場しのぎ的でしたが、現在の私たちはマーケティングや広報に関してちょっとは賢くなったと思います。プロ意識が芽生えてきているのです。現在はアーティストとして食べていこうとする人が大勢いるので、私たちも報償はできるだけそれに応えたいと考えています。業界や市場をサポートしたいのです。企業のスポンサーシップも以前より断然増えてきています。

──(アブドラー新内閣で)文化芸術遺産省(MOCAH)ができたことはマレーシアのアーティストにとって画期的な出来事だったと思います。MOCAHは2004年の創設以来、国内のアーティストらと対話を始め、前身の文化芸術観光省では期待はずれだった助成プログラムを新たに立ち上げています。多くのアーティストがこのような動きを歓迎する一方で、それでも十分な支援でないのではないか、と懐疑的な人たちもいます。こういった人たちに賛同しますか? あなた自身、政府は自国のアーティストをいかにサポートすべきと思いますか?
今のところ、私はとても楽観的です。政府はこの改革を大々的に公告してしまったため、今さらひっくり返すことはできません。事実、省庁がこれほどまで自国アーティストへの支援を強く示したことなど、これまで見たことがありません。実際に私たちも大きな額とは言えないまでも、ここ数年にわたり省庁から援助を受けています。例えば、政府所有の劇場(公共施設)を使いたいときはいつでも、低料金にしてもらう、というようなことまで。ですが、今新たな動きが起こりつつあります。政府は芸術振興団体(アーツカウンシル)までつくろうとしているのです。
問題は、この状態がいつまで持続するかです。こういった動きが、明確な政策として国民に理解され、永く続くのでしょうか。それとも現在の閣僚たちの在任期間だけで終わってしまうのでしょうか。わが国の問題は、政府系であるか否かに関わらず、多くの機関や施設が個人に依存しすぎてしまっているところにあります。
アーツカウンシルの設立は一つの方策でしょう。いったん明確な機関が立ち上がれば、少なくとも各ポストが、創立時のメンバーがそれぞれ退任した後も引き継がれていくからです。そうすれば企業なども、税金対策や政府認可を理由に寄付活動がしやすくなります。シンガポールのアーツカウンシルは、非常に順調です。もちろん、まったく機能していない、もっと他に資金源を探したほうがいい、と主張するアーティストたちもいますが。世界のどこのアーツカウンシルにも、それぞれにプラス面とマイナス面がありますし、どの解決方法がベストなのか、私自身も判断しかねるところです。

──昨年ファイブ・アーツ・センターは、マレーシアの総選挙の物語『選挙の日』を上演しましたが、あなたは上演許可を得るためにクアラルンプール市当局の検閲委員会と戦わなくてはなりませんでしたね。マレーシアの検閲についてどう思いますか?
私たちは文化芸術遺産省との対話で、検閲についても議論を続けています。マレーシア社会が本当に成熟しているかどうかを見極めなくてはならないわけですから、これは厳しい戦いになります。私たちは常に綿密な自己検閲をしていて、ブダヤ・キタという自国文化の規範も十分理解しています。ただし、政治、宗教、人種といったいわゆる「微妙な問題」について、さまざまな異なる考え方が存在するのはやむを得ません。
かつて私たちが提案したのは演劇のレイティング・システムです。一般の人が自分で判断できるよう、例えば、「成人向け」といったような公演の内容を広告に載せるのです。また、すべてを公演主催者たちに任せてしまうというアイデアもあります。つまり、やりたいことは何でもやってよいけれど、いったんルールを破ったらそのツケを払わなくてはならない、というものです。しかし、自分たちはルール違反しているのか、そのツケとは何なのか、といったことを認識しない限りは、そのアイデア自体も結局は、私たちにとって非常に危険なものにすぎません。
そんななかでも『選挙の日』はまだ良いほうだったと言えます。というのは、この話題が新聞に取り上げられたため、問題の一部始終を劇場のロビーに貼りだし、毎晩観客と議論することができたからです。公の場でこのような大きな議論になったのは興味深いことです。観客同士も議論をし、問題の経過に深く関わっていきました。もちろん常によい反応ばかりだったわけではありません。検閲委員会の注文どおりに台本修正することに同意した、と言って私たちを非難するアーティストもいました。
最近の変化ははっきりとは分かりませんが、もはや上演台本を検閲委員会に提出する必要はないはずです。クアラルンプール市当局は『選挙の日』以降、検閲委員会を解散していますから。
検閲はとにかく、悪です。私が教えているナショナル・アーツ・アカデミーで講義するとき、学生たちは「微妙な問題」について話すのを非常に怖がります。問題が「微妙」なのはひとえに、私たちが話題にしないからなのです。問題について堂々と話せば、それはもう「微妙」でもなんでもなくなります。
しかし、それがもっとも難しい。例えば、マレーシアの人種問題について言えば、私の子どものころと比べると、人種間の社会的緊張がずっと高まっています。私がジョホール・バルの小・中学校に通っていたころはマレー系、中国系、インド系の生徒たちがすべて混ざり合っていました。現在、学校に行って休み時間に生徒たちを観察してみると、マレー人だけでかたまり、中国人だけでかたまり、インド人も彼らだけでかたまります。ひどい状況です。人種間の交流があり得るのはロック・コンサートか、国立スタジアムでのサッカーなどのスポーツの試合か、そして現代演劇だけなのです。
現在、マレー系の人々の多くはイスラム文化の自覚を持っています。しかし、イスラム教がマレーシアに伝わったのは1400年代になってからです。人々はイスラム以前に存在していたマレー社会、マレー文化の記憶を無くしてしまっているのではないでしょうか。実際、マレー文化はヒンドゥー教とアニミズムの要素がすべてです。人々はその事実を無視しようとしていること自体、恐ろしいことです。マレー舞踊のダンサーが「インド人の子はマレー舞踊を踊れないね」とかつて私に言ったことがあります。このような人種の偏見がアートの世界にもいまだ存在します。
先ごろ、マレーシア政府は「国の結束」を達成すべく国家奉仕プログラム(徴兵を含む国民研修)を開始しました。しかしこのような人種システムの中で18年間も教育を受けてきた若者たちが、どうやってたった3カ月の研修で意識を変えることができるでしょう? 私たちが政府に助成申請するたびに「カンパニーにマレー人は何人いるか? 中国人は? インド人は? その他は?」と問いただすのです。これにはうんざりします。しかし、人種混合を促進しなさい、というのが彼らの主張です。とにかく、こんな考え方は止めてほしい。
 
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