The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
The activities of the Five Arts Center, toward the creation of contemporary Malaysian theater
マレーシアの現代演劇の創作を目指すファイブ・アーツ・センターの活動


LGアートセンター
パパ・タラフマラとの共同制作作品
『クアラルンプールの春』
──この20年間、ファイブ・アーツ・センターは日本を含め、国を超えたアーティストとのコラボレーションに積極的に参加してきました。コラボレーションに関心を持ったのはどういった理由からですか?
当初からファイブ・アーツ・センターにはさまざまな地域出身のメンバーがいましたので、ジャンル横断的な作品制作のほうにフォーカスしていました。例えば、演劇とビジュアル・アーツ、ビジュアル・アーツとダンス、ダンスと音楽、といった組み合わせです。こうして見ると、そもそもこのようなジャンルの区分は非常に人工的なものであることがわかると思います。伝統芸能の舞台を見ればなおさらです。例えば、影絵劇の名人はすべてをこなします。彼らはミュージシャンであり、歌手であり、役者であり、人形作家でもあるのです。いわゆる近代演劇がこういった区分けを生んだのです。ですから、私たちはより融合的なアートへと戻ろうとしているわけで、ファイブ・アーツ・センターの児童劇プログラムを「融合アート」と呼んでいるのもそのためです。つまり、コラボレーションはファイブ・アーツ・センターの本質的要素と言えます。
コラボレーションは、豊かさをもたらすものだと私たちは考えています。ファイブ・アーツは共同体です。例えば、私たちが行うミーティングはかなり長時間に及ぶものですが、それはメンバー一人一人の意見が非常に重要であるからです。そのプロセスは長く、労力を要するのですが、常によい結果が得られます。同様のことがコラボレーション作品についても言えます。プロセスは時にとても困難で苦労や苦痛を伴いますが、結果的にそこから学ぶものは極めて豊かなものであるのです。

──ファイブ・アーツ・センターが日本人アーティストと行った主なコラボレーション・プロジェクトには『ダンス東風2』(1996年、竹屋啓子ダンスカンパニーと共同制作。佐藤信演出、竹屋啓子振付)と、『クアラルンプールの春』(2003年、パパ・タラフマラと共同制作。小池博史演出)があります。この2つのプロジェクトを比較すると?
国際コラボレーションはある意味、非常に自然発生的でさまざまな物事の混合体と言えます。佐藤信氏から『ダンス東風2』を持ちかけられたとき、彼の切り出し方は面白かった。私たちはかなり以前から劇団黒テントを知っていました。彼らの舞台はとても政治的で、私たちの舞台も、彼らほどではありませんが政治的なものだったからです。彼は日本の東南アジアとの関係について──日本は東南アジアとどうすれば向き合うことができるのか──ということについて非常に率直で誠実でした。作品でも戦争問題について無視できないことを理解していました。彼は既にフィリピンのPETAと活動を始めていたのですが、彼と夫人の竹屋啓子氏の、アジアのアーティストとコラボレーションしたいという要望は真摯なものでした。
彼らは既に『ダンス東風』の最初のバージョンをインドネシアとタイのアーティストらとつくっていました。そのなかでは、あるセクションの振付はタイの振付家が担当し、別の部分は啓子が振り付ける、といったように、ただセクションごとに切り離してつくっていました。パート2をつくろうと私たちに話を持ちかけてきたとき、私はファイブ・アーツの学際的バックグランドがありましたから、単にマレーシア側からダンサーだけを持ってくるだけにするのはやめようと提案しました。こうして、ビジュアル・アーティスト1人、女優/ダンサー1人、ミュージシャン1人、マレーシア人舞踊家1人に、ダンサー/振付家1人──これは私自身ですが──を選びました。異質の集団になりました。日本側は、啓子以外にコンテンポラリー・ダンサー2人、舞踊家1人、ミュージシャン1人が参加しました。
私たちが彼らとコラボレーションしたいと思った理由は第一に、信と啓子の手がける作品を信頼していたこと。第二にコラボレーションという発想自体が豊かな経験をもたらしてくれると信じていたことです。私たちはアートを利用してお互いを知り、理解し合い、いわゆる文化的ステレオタイプを打ち破っていったのです。結局のところ、コラボレーションは作品制作のみならず、お互いの関係構築においても行われたのです。
実際これは、私がかつて経験したなかでも最も対等なコラボレーションの一つでした。コラボレーションのあり方として、より多く発言したほう、もしくはより強い意見を持っているほうが相手を支配するという傾向があります。コラボレーションはとかく支配的になりがちです。しかし、この作品では10人の参加者一人一人に創造する時間と空間を与えようとする動きがありました。構成もすごく面白いものでした。そして、佐藤信氏を演出家として迎え、ちょうど私たちには外側から見る眼を求められていたわけですが、信の演出としての目は最終的に彼らを一致団結させました。
ここで興味深いと思ったのは、日本で公演をした際、日本の観客は語彙やスタイルがダンスらしくないファイブ・アーツのスタイルだったので、「マレーシア人ダンサーが日本人を支配している」と言っていたこと。一方、マレーシア公演ではマレーシアの観客は照明や衣装が非常に日本的だったので「ああ、日本人ダンサーがマレーシア人を支配してしまっている」と言っていたことです。今『東風』を見てみると双方の意見に同意できます。本当にこの作品は有意義で、奥深いコラボレーションでした。
『クアラルンプールの春』では、「コラボレーション」という言葉は、人によって異なる意味を持つことを教えられました。幾度かのワークショップを経て、「私のアイデアを提供するからあなたのアイデアをください」という私が慣れ親しんでいたコラボレーションとは違うことに気がつきました。小池博史氏のコラボレーションというのはパフォーマーを全員集め、彼がディレクションするというものでした。これはコラボレーションとは言えない、という人がたくさんいました。演出家の文脈、演出家の視点、つまり演出家が見たいと思っていたものでしたから。特に博史は、非常に明確な独自の視点を持っていました。そしてワークショップからプロダクションに移行する時点で、私はパフォーマーたちに「しっかり目を見開いて臨みなさい。学ぶことは多い。でも、ある意味、これはコラボレーションだとは思わないで」といった話しをしました。ですから『クアラルンプールの春』をコラボレーション作品と呼ぶべきかどうかはわかりませんが、素晴らしい経験でしたし、結果的にとてもよい舞台になりました。しかし全体を仕切っていたのは、演出家一人でした。
しかし、この日本のパフォーマーたちとのリハーサルを通じて、表現という点においてはコラボレーションが実現し、充実したプロセスでした。ただ、基本的にパフォーマーは演出家の視点を表現するように求められました。面白かったのは、おそらくグループ内で私が年上だったからでしょうが、演出家は他の人にディレクションしても私には何も言いません。そういった意味で、彼と私の間にはコラボレーションが成立していました。しかし全体としてみると、何と呼んでいいのか分かりませんが、一般的な意味のコラボレーションではありませんでした。一方で、創造的な活動はすべてコラボレーションだとも思っています。そうすると『クアラルンプールの春』もコラボレーションと言えるわけです。しかし『東風』は本当の生みの苦しみを味わった、そして喜びに満ちたコラボレーションでした。一瞬一瞬が、一人一人の努力のたまものなのです。
今年の春に東京を訪れ、世田谷パブリックシアターで東南アジアの16人のアーティストが参加するコラボレーション・プロジェクト作品『ホテル グランド アジア』を観ました。アジアのコラボレーションについての面白い考察が得られました。アジアのコラボレーションとは何か、アジアとは何か──佐藤信氏から発せられたこの問いを私たちは20年以上考えて続けています。今私たちは、新しい方向へ向かっていかなくてはなりません。新たな問いを発する必要があると、強く感じるのです。

<弔辞>
ファイブ・アーツ・センターの共同創立者であり、マリオン・ドゥ・クルーズ氏の夫であるクリシェン・ジット氏が2005年4月28日、ちょうどこのインタビューから1週間後にお亡くなりになりました。ジット氏は、マレーシアで最も尊敬され、偉大な影響を与えた演劇の体現者でした。マリオン・ドゥ・クルーズ氏に対し、心からのお悔やみを申し上げます。
 
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