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Presenter Interview
An organization tuning out world-class actors Talking with the Director of The National Institute of Dramatic Art of Australia
世界的な俳優養成機関オーストラリア国立演劇学院(NIDA)の学長に聞く


オーブリー・メロウ

オーブリー・メロウ
さて、NIDAはニューサウスウェールズ大学の付属機関です。同じ敷地内にありますが、かなり独立しています。1959年に設立され、当初のビジョンはアカデミックなコースと実践的な職業訓練の場を併せ持つ機関であること。加えて、きわめて重要なプロダクション・カンパニーであることでした。当初からNIDAは、プロダクションに重きを置いていましたし、私たちのコースは、芝居をつくるという目的に終始します。この点が世界の演劇教育界における独自の存在になり得るのだと考えています。

59年に大学から土地を提供され、NIDAはオールド・トート・カンパニーをつくりました。そこには演出スタッフがいて、私たち学生が運営を手がけました。私自身、舞台監督、照明デザイン、しかも役者までやりました。今思えば、私はあくまで端役でしたが。ここは後の演出家としての私に深い洞察を与えてくれたところでした。非常によかった。最近の演出家はこのようなバックグラウンドを持っていない人が多く、ものを知らないですね。例えば、照明やデザインなどのイン/アウトを心得ていないなど、本当に残念なことです。私自身は実地体験を積んで、あらゆる分野の仕事をしたのが幸いでした。

昔話はこれくらいにして、NIDAのトップとしては、今こそNIDAと演劇界との繋がりを回復させたいと思っています。オールド・トートは結局解散し、ニムロッドを経て、現在はシドニー・シアターカンパニー(STC)となりました。しかし、NIDAにいる私たちは、これらプロの劇団との結びつきがかなり薄くなっているように思います。私はこれを改善しようとしています。例えば、私はSTCに無料チケットを学生に提供するよう求めました。また、共同で芝居をしたり、学生のためのインターンなどを実施してもらえないかとも思っています。大学の授業の一環として学期中、学生が無料で働くことができるよう、労働組合と交渉しています。

つまり、私がしようとしているのは、実践面を優先させることです。学生は現場に立ってこそ学ぶのです。また、劇場の最新技術に対応できる多くの人材が必要です。シドニーには私たちを導いてくれる優れた人材が数多くいます。

さらに現在、私たちのカリキュラムで弱いのはおそらく、劇作と演出でしょう。来年から1年制のディレクター・コースを2年制にします。そこで演技、照明、音響などのディレクターを養成します。作家コースについては、現在、やや厳しさを欠いています。作家の感性を甘やかし過ぎているきらいがあります。ですが、私はより厳しく職人的なコースであってほしいと考えています。私たちは、若い作家に一定のスタイルをもつよう強制してでも書かせるべきだと考えています。例えば、「イプセンが書いたかのように幕を開け、チェーホフの芝居のように幕を下ろしなさい」と言うかもしれません。

さらに、作家コースをより実践的にしたいと思い、NIDAはThe Australian Film Television and Radio Schoolと提携する予定です。クリエイティブ・ライティング、劇作法、映画・テレビ脚本作法の3つのコースを設置します。作家コースの学生はここから選択することができます。
しかし、これらはもちろん戯曲を書くことが前提にあってのことです。学生には常に、演劇のもつ可能性を面白がっていてもらいたい。オーストラリアでは自然主義が君臨していて、実に多くの舞台がテレビ的になってきています。私の興味は常に、「舞台でしかできないもの」というところにあります。例えば、2つの異なる時間枠が同時に舞台上で進行することや、2人の俳優が同じ人物を、別々の年齢の時に演じること、そういった演劇特有の可能性は日本演劇に触れて開眼したことでもあります。1972年の来日時に観た、歌舞伎役者が自分の腕を頭上高く、宙に突き上げる所作を思い出します。オーストラリアでは感情を形にするのに腕を頭上に振り上げるジェスチャーをする俳優なんて見たことないでしょう? 自然主義的な演技──これは私たちがテレビで見ているものですが──「リアル」に見える演技が主流なのです。しかし、ここでリアルとは何かという疑問が沸いてきます。なぜなら、観客が受け入れるものならどんなものでもリアルだからです。

オーストラリア人はすべての演劇的表現に対してもっとオープンであるべきです。問題は、多くの俳優が自分の理解できる範囲の安全ゾーンにある演技を好むということにあると思います。非リアルな芝居をしようとすれば、最初はかなり心地の悪い思いをするのは当然でしょう。

鈴木忠志がメルボルンのプレイボックスに「鈴木メソッド」をもってきたとき、オーストラリアの俳優たちは、最初はとにかくへとへとでした。エネルギーを持続させることができません。それでも、しばらくすると非常に熱中し、結局彼らのコミュニケーション能力や、役の解釈をより複雑にし、深めることができたと思います。

 
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