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Presenter Interview
An organization tuning out world-class actors Talking with the Director of The National Institute of Dramatic Art of Australia
世界的な俳優養成機関オーストラリア国立演劇学院(NIDA)の学長に聞く


オーブリー・メロウ

オーブリー・メロウ
オーストラリアの観客は、劇場がテレビ化していることにうんざりしています。家にいてタダで見ることができるものに、どうしてわざわざ足を運ぶでしょうか。観客は異質のものを求めています。ですから、フェスティバルに集まるのです。そこなら、はっとさせてくれて、想像力をかき立てるような作品を観ることができるからです。

残念なことに、これはあらゆる意味で、イギリス植民地時代の古い文化的(従属的)概念に起因します。現在、オーストラリアの劇場は、以前にもましてずっとイギリス的だと思います。非常に保守的です。シドニー・シアターカンパニーはますますオールド・トート的で、過去に逆行しています。事実、ほとんどの州立カンパニーでは、60年代後半のイギリスのプログラム制のようなものがいまだに行われています。それは、当時オーストラリア国内で権勢を振るっていたイギリス演劇そのものです。

州立カンパニーはいまだ観客の要望に対して甘いところがあります。私たちは新しいテーマ、斬新なデザイン、新たな演劇性を求めています。しかし、実際に舞台の上で観られるのは「赤い照明とたくさんの煙」だけなんだ(笑)。

一方、非自然主義的な形式もあります。オーストラリアには優れた喜劇のスタイルがあります。(コメディ番組「Kath & Kim」のような、大げさで風変わりな母娘のドタバタドラマがテレビにもあります)。ただ、ごく限られてはいますが。大劇場風のプロダクションはオーストラリアではほとんど見られません。観客は、例えば、大キャストでイマジネーションに満ちた壮大な物語に飢えています。忘れてはならないのは、観客の存在は実際のパフォーマンスの一部であること。観客との相互作用なしでは、公演がある一定レベルに達することはありません。もっとも、これを意識している演出家や作家もいます。ベル・シェイクスピア・カンパニーのジョン・ベルのプロダクションは、多くが観客と雑談したり観客に向かって演技したりするという手法を用いています。ルイー・ナウラやスティーブン・スーエルのなどは非常に演劇的な書き手ですし、オーストラリアの最も偉大な劇作家で今は故人のパトリック・ホワイトやドロシー・ヒューイットなどは、ぜひ日本でも上演したいと思っています。

最近は、実験的な演劇集団がたくさん出てきています。60年代後半に始まったオーストラリアの演劇ルネッサンス時代以来、このような小規模グループの活動はありませんでした。当時、プラム・ファクトリー(メルボルン)のオーストラリアン・パフォーミング・グループ(APG)、同じくメルボルンのラ・ママ、シドニーのニムロッドらは、いわゆるオーストラリアの堅気な演劇制度に対して、かなり反発していました。今の集団にはそのような対立意識はあまりないかもしれませんが、彼らは彼らなりの異なるスタイルを確立し、突出した存在になっています。イラク人の弦楽器奏者を呼んだり、ポーランド人俳優を連れてきて芝居を打ったりしています。この種類の非自然主義的な動きは制度化されたオーストラリアの演劇界では稀です。

オーストラリアは単なるイギリス文化のとりでではなく、ケルト、イギリス、アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアが融合する活気あるマルチカルチャーなのです。何より嬉しいのは、最近は人種を越えたキャスティングが行われており、多くのグループが日本、インドネシア、マレーシア人などの劇場関係者と共に働いています。このような例を挙げればきりがありません。現代オーストラリアの超保守的な政府が認めたがるかどうかはわかりませんが、私たちはアジアにいます。地理的にも、いまや文化的にもアジアの一部分なのです。そう、後戻りはできないのです。
 
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