The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
In pursuit of Theater for the Playwright Talking with Art Director Ostermeier of the revived Schaubuehne
劇作家のための演劇を目指す 新生シャウビューネのオスターマイアーに聞く
火の顔
火の顔
シャウビューネ
『火の顔』
(Feuergesicht / Fireface)
撮影:Arno Declair
シャウビューネ劇場について

シャウビューネが今ベルリンでどういう位置を占めているか、どういう状況にあるかをお話したいと思います。ここにいる何人かの方は恐らくご存知かと思いますが、シャウビューネには40年という長い伝統があります。そのなかでもっとも活動が盛んだったのは70〜85年で、当時の芸術監督はペーター・シュタインでした。当時はアンサンブル形式による合意形成を主体とした芝居づくりをしていて、とても新鮮さがありました。しかし、80年代の半ばから90年代にかけてそれがある種、博物館化してしまい、これまで培ってきたものを守るという守りの姿勢に入っていました。

そうした時、90年代の終わりに当時の劇場主が英断を下し、私をシャウビューネに呼びました。私はそれまで3年ほど、ベルリンでドイツ座の小スペース「バラック」の運営をしていました。そこには少数の俳優たちが関わっていて、そのうち何人かはドイツ座の俳優でした。ごく短期間でつくる、現代作品のプロダクションを上演していました。

96年頃はちょうど、フォルクスビューネが上り調子にあったころです。彼らはある程度の評判を確立し、ある意味、自分たちの世界に閉じこもってしまっていたと思います。それに対抗すべく、私たちは「バラック」を運営していました。

フォルクスビューネはプロダクションの方向性として、戯曲を破壊するというある種のデコンストラクションの手段をとっていたわけですが、私たちは、若い世代を代表しているという自負があったのでそれとは別の手法が取れないかと考えました。よりワイルドで、より極端な方向性を模索しました。その回答が、“社会のリアリティー”を劇場の中に持ち込むということでした。その一番の基礎、へその緒となったものが“劇作家”です。劇作家が描く世界そのものを現実に忠実な形で劇場にもってこられないか、そう考えました。

『火の顔』を書いたマイエンブルクに関して言うと、私が思ったのは、彼の戯曲は上演のために書かれたものではなく、自分を自己省察するような形で書かれたテキストだということです。(今回の演出では)物語の中の人物がどう成長していくか、発展していくか、それを追うという筋を大事にしていますから、手法としては保守的と言えるかもしれません。若い力、若い劇団の典型的なイメージが私たちの公演に見て取れる、というわけにはいかないので、あまり期待をしすぎないでほしいのですが(笑)。典型的な若者像を見出すよりも、どういうふうに物語が展開されていくかの方に見どころがあるかもしれません。

劇作家の発掘とフェスティバルについて

私たちは現在活動している若手の劇作家の作品を発掘、支援することに努めています。とりわけ、社会批判的な作風をもつものが中心です。それと同時に、過去の作家の作品についても、新たな解釈を加え、今日のコンテクストに置き直してリアリティーのあるものに翻案する作業をしています。例えば、ゲオルク・ビュヒナーの『ヴォイツェク』や、マリイルイーゼ・フライサという女性作家の作品などです。

同時代の若手作家を発見、発掘する場として、シャウビューネでは、若手の劇作家を紹介するインターナショナル・フェスティバルを年1回行っています。これは毎回、ある言語圏に焦点を絞って、ドラマリーディング形式を中心に企画します。ほとんどの作品は優れた演出家の手によって上演され、衣裳も小道具も選びます。実際、本公演となった時にリーディングの方が良かったということもあります。

2005年3月には、二人の日本人劇作家を紹介し、松尾スズキの『マシーン日記』と、ケラリーノ・サンドロビッチの『フローズン・ビーチ』のドラマリーディングを行ないました。例えば、ケラ作品は、演出に関しても、原作戯曲のテンポを崩さないよう音楽やその他の点で工夫されており、若い観客を中心にとても良い反応がありました。『フローズン・ビーチ』は、『火の顔』と同様、ある種の家庭劇なのですが、テレビ文化、娯楽文化というものがトコロジーとしてとても良く反映されている。こういう劇作、作品世界にとても惹かれました。

このフェスティバルは5日間で、上演作品は5〜8本。観客も含めて国際色豊かで、メッセのような機能を果たしています。私たちはこのフェスティバルを足掛かりに、次のシーズンでどういうものを上演までもっていくかを考えます。こういう活動を通して私たちが望んでいることは、若い世代にもっと劇場に目を向けてもらい、生活のなかの実人生とでも言いましょうか、そこにつなぎ止めておくことです。若い劇作家は想像力が貧困というと言いすぎかもしれませんが、映画やテレビの影響で、実際に自分で物語を語るという力が貧弱になっているのは確かです。劇作家を発掘して支援するというこの場が最後の砦になってくれることを期待しています。また、このフェスティバルが、元来あるべきコミュニケーションというものを守るフォーラムになってくれることを期待しています。

今回もってきた2つの作品について言うと、『ノラ』はいわゆる近代劇で、『火の顔』は新しく発見され支援されている作家のものです。つまり、この2つが、今シャウビューネが目指している方向性が非常によく表れた作品だということです。これらが日本でどのように受け止められるか、そしてどのようなコミュニケーションが展開されるか、今からとてもワクワクしています。
 
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