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ヴァル・ボーン
ヴァル・ボーン(Val Bourne)
data
ダンス・アンブレラ(Dance Umbrella)
プレゼンター・トピックス参照
http://www.danceumbrella.co.uk/
Presenter Interview
2005.9.23
Founder Val Borne talks about   the Dance Umbrella festival  
創設者ヴァル・ボーンが語る フェスティバル「ダンス・アンブレラ」とは?  
ヴァル・ボーン氏は、ロンドンで27年続いているダンス・フェスティバル「ダンス・アンブレラ(Dance Umbrella)」の創設者・芸術監督である。コンテンポラリーダンスの紹介者としてその名を世界に知られている同氏に、トヨタ・コレオグラフィーアワードの審査員として来日していた折りを利用して、インタビューを行った。
(7月8日、渋谷にて。聞き手:塩谷陽子[ジャパン・ソサエティー 舞台公演部部長])


──「ダンス・アンブレラ」は、もう四半世紀も続いているフェスティバルですが、まずは年代を追って今日までの経緯を伺いたいと思います。
私がまだ国の機関であるアーツ・カウンシルの若手スタッフだった時に、「英国の小さいカンパニーを率いるコレオグラファーたちを紹介するショウケース型のフェスティバルをロンドンでやる必要がある」という企画書を組織に提出したんです。その後、私はアーツ・カウンシルを離れて、当時その管理下にあったグレイター・ロンドン・アーツという団体に就職しました。その頃のグレイター・ロンドン・アーツには「ダンス&ドラマ」という担当者が一人しかいない部署があるだけだったのですが、ダンスに多くの動きがでてきているということでスタッフを増員することになり、私が雇われたのです。
そんなある日、古巣のアーツ・カウンシルから「あなたの企画が採用されました。どうしますか?」という電話がかかってきたんです。フェスティバルの準備期間は5カ月しかありませんでした。すごい時間の無さですよね(笑)。でもスタッフを何人か付けてもらって、他の多くの仕事と平行しながら準備を行い、1978年の11月に最初のフェスティバルを実施しました。

──第1回目からダンス・アンブレラ」という名称を使っていたのですか?
そう。でもこれは私が考えた名前ではありません。ニューヨークにあった同名のフェスティバルから拝借したの。その当時、ニューヨークには「テクニカル・アシスタント・グループ」、通称TAGという団体があって、ここが「アーツ・サービス」というもうひとつの団体──こちらはスティーブ・ライヒとかフィリップ・グラスとかダグラス・ダンとか、あるいは多くのコレオグラファーたちのマネージをする非営利の団体でしたが──と一緒になって、「ダンス・アンブレラ」というフェスティバルを開催していました。ニューヨークでこれを見た人から教えられて、あぁいい名前だなと思って、拝借しちゃいました(笑)。
「ダンス・アンブレラ」は、1回だけのフェスティバルとして実施されたのですが、それが大成功した。あまりに予想以上の成功だったので、2回目をやろうということになりました。15カ月ほど間を置いて、翌々年の1980年春に開催しました。でもまぁいろいろな理由で、春にやるのはすごく苦労が多かったので、3回目の1981年からはまた秋の開催に戻しました。

──その3回目は、「グレイター・ロンドン」の下ではなく、ご自分で開催されたんですよね。
そう。2回目が終わったところで、グレイター・ロンドン側は、このフェスティバルには思っていたよりもものすごくお金がかかるということに気づいたのです。当時はEメールどころかファックスも無い時代でしたから(笑)、大西洋を越えた電話のやりとりや、郵便代などがものすごく嵩んだ。で、もうやってられない、と。だから独立したんです。

──国の組織が「金がかかりすぎる」といって放り出したプロジェクトを、個人でやろうとしたなんて、ものすごい勇断ですね。
いえ、実はニューヨークのアーティストたちと色々と話をしていた時に、前述の「アーツ・サービス」というアーティストの代理人として彼らのビジネスをマネージするNPOと、そして「ペンタクル」というやはり似たようなNPO──こちらは今もニューヨークにある──とを比べて、「アーツ・サービス」のやっている事業をモデルにしたものをロンドンにも作りたいと思い立ったのです。このマネージメントの方の事業プランに対して、ポルトガルのグルベンキアン財団が援助をしてくれることになり、この仕組みによってフェスティバルを継続することが資金的にも可能になりました。その後8年間、その時々でいろいろ入れ替わりつつ常に4〜5くらいのダンス・カンパニーのマネージャー役をする「アーツ・サービス」の事業を平行しながら、毎年フェスティバルを開催しました。

──当時はそうすると、「アーツ・サービス」の事業が主体だったのですか?
いえ、どちらも均等でした。ただ困ったことは、「アーツ・サービス」の方のマネージメント業がすごくうまくいけばいくほど、そして私たちの扱っていたカンパニーがビッグになればなるほど、ブッキングやツアーが増えて、そのカンパニーのために割かなければならない労力や時間が増大してしまったこと。そんなわけで、1988年には「アーツ・サービス」の事業はもう十分やりつくしたなということで、この事業の方は終了することにしたのです。つまり、アーティストやカンパニーが大きくなれば、彼らは選任のマネージャーを自分で雇うことができるでしょう? 私たちの扱っていたアーティストの場合、多くがこういう経緯をたどったということです。

──80年代の終わりから90年代にはロンドン以外でもフェスティバルをオーガナイズしていらっしゃいましたが、近年はロンドンだけに力を注いでいらっしゃる?
はい。ただ95年以来、フェスティバルに招聘したカンパニーのうちひとつを、大規模なツアーにして英国の各地を巡回させるということもしています。なぜかアメリカのカンパニーが多いのですが。最初の大型ツアーはマーク・モリスのカンパニーでした。スティーブン・ペトロニオやトリシャ・ブラウンのツアーをしたこともあります。昨年はマース・カニングハム。今年は4度目のマーク・モリスのツアーです。米国以外ではベルギーのローザスやイスラエルのインバル・ピント、フランスのモンタルヴォ・エルヴューらもツアーさせました。来年からは、とある財団から3年間の助成金をもらいまして、年に2つずつ、小さな劇場向きの小規模のツアー・プロジェクトも新規にスタートさせることになっています。ロンドンでのフェスティバルと各種のツアー、これが現在のダンス・アンブレラの主要な事業です。

──今年のフェスティバルには大きな援助をフランス政府からもらっているようですね。10種類ものフランスのカンパニーが含まれている…
そう、これも初めてのことです。1989年、つまりフランスの革命時の「人権宣言」の200周年を記念して、《フランス尽くし》をやったことがありましたが、あの時にはフランス政府の援助はもらっていませんでしたから。春に、プレイス・シアター(The Place Theatre = ロンドンのダンス専門の小劇場)を運営するジョン・アッシュフォードが5つか6つくらいのフランスのカンパニーを招聘し、私たちが同じくらいの数を秋のフェスティバルで招聘したというものでした。
今度のは「France Moves」というテーマのフェスティバルです。数年前にニューヨークで同じようなのが行われたでしょう? 今年のは、私たちのフェスティバルの中の一部として行われるいわば《副次的フェスティバル》です。参加する10カンパニーの中には、パリ・オペラ座のバレエ団(Paris Opera Ballet)──演目は、アンリ・プレルジョカージュ振付けの『Le Parc』ですが──や、フィリップ・ドゥクフレ振付けの『Tricodex』を上演するリヨン・オペラ・バレエ団という2つの大きなプロダクションが含まれています。
「France Moves」の幕開けは「英・仏合作」の世界初演です。フランス人のシルビー・ギエムと、イギリス人振付家ラッセル・マラファントのデュオ。ラッセルは以前、シルビーと(英国で「バレエ・ボーイズという名で知られる)ジョージ・パイパーというグループをやっている2人の元ロイヤル・バレエ団のダンサーのための作品を作ったことがあるんです。でもラッセルとシルビーが“2人で踊る”のはこれが初めて。
 
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