The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
Founder Val Borne talks about   the Dance Umbrella festival
創設者ヴァル・ボーンが語る フェスティバル「ダンス・アンブレラ」とは?
ヴァル・ボーン
──今回の来日はトヨタ・コレオグラフィーアワードの審査員としてですが、この中で賞をとったアーティストをフェスティバルに加えたら、トヨタからアーティストに与える資金援助のメリットがあります。ダンス・アンブレラの運営費の30%は個人や企業からの寄付金によって成り立っているわけですが、「このアーティストを加えると、資金繰りが楽になるぞ」といったような視点でラインナップを考えるなんてことは、なさいますか?
決してありません。そういう風にものを組み立てるフェスティバルもありますし、それもひとつのやり方でしょう。でも我々のところは全く違います。今年はフランス政府から援助があり、フランスのアーティストが多くフェスティバルに含まれていますが、これにしたって私たちがフランス政府にアプローチしたわけじゃない。向こうからもって来た話で、そして誰を含めるかについては話し合いに話し合いを重ねた上でのことで、「資金がそこにあるから」という理由でのアーティスト選びはしていません。もちろんお金のことを軽く見ているわけではありませんが。今回のフランスとのことですら、多くの(経済上の)交渉が必要でした。いまもまだジョセフ・ナジのプロジェクトについては、500人の観客しか導入できないことから、多額の資金調達に苦労しています。

──日本のアーティストについて伺いたいと思います。トヨタ・コレオグラフィーアワードの審査員は今回で3度目ですね。
はい。でもこの3年間の他に、確か12年前にも一度──日本で米不足が社会問題になっていた時期でしたが──国際交流基金の招聘で10日ほど日本を訪れたことがありました。当時はコンテンポラリーダンスの公演なんてものはほとんど何もないくらいで、ちょうど滞在中にローザスの公演があって、あとは能を見ただけでした。活躍している日本人のカンパニーは、ほとんどが日本の外のフェスティバル──例えばオーストラリアとか、ニューヨークとかといった国外に出ていましたね。

──トヨタでの来日を通して、何か変わったと感じましたか?
このコレオグラフィーアワードに、ものすごく多くの応募者がいたということに驚きました。最初の年には、確か200件くらいの応募があったと記憶しています。その多くをビデオでしか見ることができないことが消化不良でした。最初の審査の時には、「傑出した作品」というべきものがなくて、最優秀のものを決めるのが難しかったですね。一昨年、実際の舞台を見た8つのファイナリストのうちのひとつが、黒田育世の作品でした。私はその他に昨年の「身体表現サークル」の作品が気に入りました。すごくおかしな作品でした。彼らの作品を即興だと思った人も多かったようですが、そうじゃない。審査にはひっかからなかったけれど、フェスティバルに招聘してもいいかなと思い、審査発表の後、彼らと話しをしました。その作品は彼らの最初の作品で、あれこっきりだというでしょう。最初の作品としてはとても良くできたものだとは思いますが、20分の作品をひとつしか持っていないというのでは、ちょいと無理だなと(笑)。
なにしろ、多くの応募があるというその「数」におどろきました。12年前とは大違いですもの。12年前は、日本で基礎を築いた人たちでも、活躍の場所は海外だった──たとえばエイコ&コマ、勅使川原三郎、アリアドーネの会…。セゾン文化財団をのぞけば、当時の日本にはダンスを助ける仕組みが何もなかったでしょう? パパタラフマラが活躍していて、私は彼らの『SHIP IN A VIEW』という作品がすごく気に入っていたのですが、プロダクションが大きすぎたのであきらめた。でも1991年には『パレード』を招聘しました。大がかりな舞台美術とセットで、視覚的にすごく美しかった。彼らもセゾンにサポートされていただけで、政府からの助成などは受けていなかったと思います。

──ダンス・カンパニーの数の他に、例えば作品の質という意味では、12年前と比べていまの日本はどうですか? 日本の振付家の作品は、例えばヨーロッパでは見つけられない何かユニークなもの感じますか?
そうですね。日本のアーティストの作品は、美術のバックグラウンドを感じさせるものが多いですね。視覚的なセンスに、すごく先鋭的なものをもっていると思います。例えば勅使川原三郎の作品、あるいはパパタラフマラの作品。黒田育世も、視覚に訴える要素がとても強い。あと、音楽の選び方がとても多岐にわたっていること。クラシックからポップ・ミュージックに至るまで、ひとつの作品の中であらゆる種類の音楽を折衷して使いますよね。西洋のアーティストは、もっと音楽に対して厳選主義です。シェン・ウェイ(Shen Wei = 在ニューヨークの中国人振付家)は、まぁ日本人ではないですが、例えば彼の『春の祭典』の作品の中で、音楽のリズムやらなにやらをまったく無視して振付けていて、そのやり方に西洋の観客はみな一歩引いてしまいましたが、私はああいうアプローチをおもしろいと思いました。
日本のアーティストの特徴ということに話を戻しましょう。いまの日本には、以前よりも多くの西洋のカンパニーが来日公演するようになったせいと、そして日本のアーティストの多くがヨーロッパでトレーニングをした経験があるせいで、技術的には西洋の影響がとても強いですね。例えば黒田育世はロンドンのラバン・センターで学んでいますし、他にも多くの人々が欧州のあちこちに出かけていると思います。多くの人がバレエのテクニックを基盤にしています。もちろん、「身体表現サークル」の男の子たちはまったく違いますし(笑)、トヨタの最初の年にはディスコ・ダンス風のもので、とうていフォーマルなダンスの訓練をしたのではないのだろうなという種類の面白いものも見ましたが。でも、やはり多くのダンサーがバレエを、それもとても優れたレベルで修得しています。実際、イギリスのバレエ団には多くの優秀な日本人ダンサーがいますよね。米国のモダン・ダンス・カンパニーにも多くの優れたダンサーがいるでしょう?
すべてのものが「グローバル化しているのだ」なんていう考え方に単純に同調する気はないのですが、いろいろなものの境界が曖昧になってきているのは確かだと思います。人々が無国籍化していると言いましょうか。例えば、在ニューヨークのエイコ&コマ。彼らは彼らがやりたいことをそのままやっているわけで、米国にいることでこれこれの影響を受けたからあれをやっている、というのではありません。アリアドーネもフランスにいますが、彼女らも彼女らのやりたいことをそのままやっているだけです。

──ヴァル・ボーンさん個人としては、「西洋の影響を受けた日本人の作品」と、単純に「作りたいものを作っている日本人の作品」と、どちらに惹かれますか?
そういう切り方はしないですね。どちらでもいいです。「作品」になっていれば。

──つまり、「日本的なるもの」を作品の中や裏に見つけようという意図で作品を眺めることはしない、単純に芸術性だけをみるということですね。
そう言っていいと思います。トヨタの審査についても、「日本的かどうか」ということを審査の基準にはしていません。「France Moves」のアーティストを選出する時にも「『フランスなるもの』とは何か」などということは議論していませんし。実際、「何がその国のものか」なんてことを考えるのは無理なことで、例えば私たちが「英国の振付家」と呼んでいる多くの在英の優れたアーティストたちも、実際には英国人でないアーティストが大勢いるんですから。

──日本のカンパニーのツアーをプロデュースする計画はありますか?
黒田育世を招聘した時に、可能であればツアーにしたいとは思いましたが、資金面から無理でした。今後も可能性があればとは思っています。あるいはもっと小さなスケールのカンパニーとか、あるいはソロの作品とかで面白いものがあれば、もちろんツアーの可能性を探ります。

──ということは、黒田育世の作品にはイギリスやヨーロッパでは見られない何かがある…ということでしょうか?
どこか違うフレーバーがありますし、観客はそれを楽しむと思います。以前(黒田がカンパニーのメンバーとして踊っていた)伊藤キムがイギリスで公演した時に、すごく好感を持って受け取られました。あの時は私たちのフェスティバルの招聘ではなかったのですが、小さな規模でしたから、ああいうのであれば私のところでツアーをプロデュースする興味は大いにあります。問題は資金繰りだけです。

──ところでカンパニーの招聘にあたって、ビデオやDVDと、文字情報だけで決定するということはなさいますか?
ほとんどないですね。やはり本物の舞台を見ないことには。以前にビデオだけを見て招聘したことがありますが、招聘してみたら結局そのビデオはいいとこどりだけをしたもので全体の作品はおそまつだった…という苦い経験をしたことがあります。前にも招聘したことがあるとかよく知っているカンパニーの場合には、ビデオだけで決定することもあるにはありますが、そうでなければビデオだけでは決められません。
毎年のフェスティバルで紹介するイギリスのカンパニーは、全体の4割ほど。彼らについては、新作を紹介するなど、どのような作品になるかわからないリスクを背負ってラインナップを決めるのですから、残りの6割の海外のアーティストで大きなリスクを背負うわけにはいきません。ですから海外のアーティストの作品については、どういう作品なのかしっかりと把握した頭で上演を決めたいのです。

──ということは、日本のカンパニーをダンス・アンブレラで招いてもらうには、日本に来ていただいて、あるいは日本よりも近いニューヨークのジャパン・ソサエティーに来ていただいて(笑)──生の舞台を見ていただかないとダメだということですね。
そうですね。エイコ&コマはニューヨークで見て招聘したのですし、アリアドーネはパリで見て招聘した。日本で見るよりはこれらの方が簡単ですね。

──実際に見るのが不可欠…となると、例えば「これは必ず出かけることにしている」というフェスティバルというのがありますか?
はい、頼みにしているものがいくつかあります。例えば、ニューヨークのAPAPの毎年1月の年次大会がそれ。数日で実にあらゆるものをショウケースで見ることができますから。ただ惜しむらくは、ショウケース方式ですからすべてが20分程度の抜粋作品なこと。本当に作品全体で良いものになっているか、確信が持てません。
一方、ハンブルグのフェスティバルでは、多くの作品をしっかり全編通して見ることができます。これはとても良いことなのですが、ただ、朝の9時から真夜中までぶっつづけで見続けないとならない。シンドイですよ(笑)。
昨年は、私は行かなかったのですが同僚のベッツィー・グレゴリーが、マダガスカルのフェスティバルに行ってきました。アフリカ産の作品を見るフェスティバルでしたが、このフェスティバルのオーガナイザーはフランス政府の文化機関AFAAです。あと、二人で一緒にヨハネスバーグのフェスティバルにも行きました。これもまた多くの作品を一カ所で見ることのできる良い機会です。テルアビブのフェスティバルにも3回行ったことがあります。確かにとても有意義でした。ただ最後に行った時にちょっと政情が不安定だったので…。あとはエストニアのタリンとか、モスクワとか。
まぁとにかく旅の多い仕事です。せっかく出かけて行って、これといってひっかかるものに巡り会えない時には、落ち込みます。時間も金も使っているわけですから、プレッシャーもありますし、無駄遣いをしたように感じるかもしれません。でも、決して無駄ではありません。「何も見つけられなかった」と言っても「何も見なかった」のではないのですから。
 
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