The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
Breathing new life into contemporary dance   What is the source of the vitality in Finnish dance today?
コンテンポラリーダンスに新風 フィンランドの活気の源は?
ピリエッタ・ムラリ
ピリエッタ・ムラリ
──そのような創造活動への芸術家支援をしてくれますか。
基本的には、ノーです。なぜなら、国家が助成しているからです。何しろ、我が国では、大学教育は誰でも無料で受けられます。もちろん、申請しなければなりませんが。教育が無料なんて素晴らしいでしょう。ただ、税金は高いです。収入によりますが、およそ30パーセントです。むろん、ローンがあったり、何か理由があれば、税金の控除が受けられます。ともかく、そのお陰で、素晴らしい教育と社会保障が保たれています。ダンサーになろうと思えば、ダンスの世界に入る平等の機会を誰もが持っています。芸術家の地位も充分に補助されています。教育省とアーツ・カウンシルが、芸術家を支援しています。アーティスト・サラリーという制度もあります。月額1,000ユーロで、現在、20人のダンス・アーティストがそれを受けています。そのためには、活動計画をアーツ・カウンシルに提示し、申請する必要がありますが……たとえば、カトリ・ソイニはこのサラリーを5年間受けています。これによって、生活の基盤を思い悩む必要はなくなり、さらに仕事によって収入を得ることも可能なのです。

──フィンランドの制度から芸術家支援の方法を学ばなければなりませんね。
ここで、方向の違う質問をさせてください。舞踏についてです。フィンランドの人々は、舞踏に強い関心を持っています。古川あんずが、フィンランドの多くのダンサーに影響を与えていますが、その理由は?

まず、表現の強烈さがあります。我々の表現と全く違う。フィンランド人は、非常にメランコリックな人々です。まあ、スウェーデン人もそうですが、これも古川あんずが受け入れられた理由のひとつです。自然に対する深い理解があるので、舞踏とは何かが我々にとっては理解しやすいのです。とても奥が深いですよね。舞踏は、厳しく、激しいですが、自然な感情を包含しており、どこかで自分とつながるものを感じとることができます。
古川あんずは、非常によく受け入れられ、フィンランドのダンサーたちに強く影響を与えました。アリ・テンフラは、古川あんずや伊藤キムと仕事をし、テロは大野一雄のところに行きました。テロは、普通のダンサーでいたくはなかったのです。(舞踏におけるような)厳しい教育を受けたかったのだと思います。彼は、動きや身体について深く理解していく独特の視点があり、ダンス作品を創り始めた時、バレエだけでは駄目だと感じていたようです。

──彼の最近の振付家としての成長に対して、どう評価されていますか。とても興味深く思われます。もちろん、簡単に言えるものではないでしょうが。
舞踏の経験から、きっと何かを学んだと思いますね。国立バレエ団にいる時に、「ダンスは、これ以上のものを表現しなければならない」と言っていたのを憶えています。ただの感じですが、たぶん、基本的に全く別のものである舞踏の影響があるのかもしれません。

──身体に関する彼の内的な探求、ピルエッタさんの評価を伺い、興味を引かれます。また、日本人としては、自然に対するフィンランド人の姿勢にある種の親近感を覚えます。
私もそう感じます。互いに大変離れたところに住んでいながら、我々は似たところが多いですね。どうして、我々の社会がいろんな点で似ているのかわかりません。歴史的には異なっていますが、教育水準が高く、産業化のプロセスもあります。精神性もどこか似ており、ともにとても内気で、無口でもある……。

──それに、裸(ヌード)に対する考え方もありますね。他のヨーロッパ諸国では、キリスト教との関係から、“禁忌(タブー)”に対する挑戦としてとられることが多いのですが、フィンランドではもっと自然な受け取り方をしている。ある意味では、日常の一部としてみなされ、自然で健全なとらえ方をされている。ダンスの表現においても、ヌードに対して逡巡することがない。もっとも、その意味合いに違いはあるでしょうが……。
日本には、公共浴場のお風呂があり、フィンランドにはサウナがあります。フィンランド人は、裸でいることに慣れています。習慣は異なっていますが、似ている点もあります。ヨーロッパは近いですが、我々の考えや習慣に親近感を持つ人は少ない。もっと思考やその他の点で、自然との絆を持った方がいい。

──ではここで、もう少し実際的な質問をさせてください。フィンランドのフェスティバルについて少し伺いたいと思います。1970年に始まり、北欧で最も長い歴史を持っている「クオピオ・ダンス・フェスティバル」は、昨年第36回目の開催を迎えました。フィンランド中部の美しい湖沼地帯に位置するクオピオ市で白夜の頃に毎年開催されており、フィンランドばかりでなく、北欧のコンテンポラリー・ダンスの発展に重要な役目を果たしてきました。プロデューサーのほかに、芸術監督を置き、その見識と方針がそれぞれの開催プログラムに魅力的な個性を与えています。これまで時々、日本、中国、タイなどの伝統文化も取り上げています。最近では、日本の若い振付家の仕事を紹介するのに、レニ・バッソが招聘され、『FINKS』が上演されました。
クオピオのほかに、どのようなフェスティバルがあるのでしょうか。

まず、「フル・ムーン・フェスティバル」があります。今度の夏で10周年になります。このフェスティバルもまた、マルヨ・クーセラとトンミ・キッティによって開始されました。フィンランド中部、プヒャイヤルビの近くにある人口3千人の小さな村に夏の別荘を持っている、とても活発なダンス関係者が偶然その村にいたのがきっかけで、地方のフェスティバルとして始まりました。2,3年後、新しい芸術監督にこの地方出身のアルポ・アールトコスキが就任し、彼がこのフェスティバルをフィンランドのダンス・プラットフォームのように作り上げました。現在では、ダンスの国際フェスティバルに成長しました。7月の終わりの6日間開催されます。
舞台は、スポーツ向けの会場にありますが、我が国で最もいい舞台ではないかと、私は思っています。巨大なアイス・スケート用のホールですが、とても美しい建物です。
フェスティバルの印象は特別なものがあります。一日に5から6公演あり、500人から600人の観客がコンテンポラリー・ダンスのフェスティバルを観にやってきます。昼間は、セミナーやワークショップがあり、夜は公演を楽しむ。クオピオは大きなフェスティバルですが、フルムーンはずっと親密な感じです。若い人々にとってそこに出演することは、とても重要で、芸術監督が若い振付家に作品を委嘱します。通常、主要な振付家の新作初演がある一方、若手の作品の初演も行われます。コラボレーションもあり、若い振付家たちの新作を支援しています。フェスティバルの委嘱作については、ゾーディアック「ヘルシンキの新しいダンスのためのセンター」とオウル・ダンス・センター、ジョジョ、ヘルシンキのプロダクション・センターの共同プロデユースになります。少なくとも、若い人々から2作品のほか、6から7本の新作が発表されますから、その時点で、最も面白いフィンランドのダンス作品がプレゼンテーションされます。

──海外のカンパニー、あるいはダンサーや振付家も招待するのですか?
そうです。アクラム・カーンやキット・ジョンソンが招待されていますね。若い人に限りません。すでに地位を確立した国際的なカンパニーや気鋭グループということもあります。観客のほとんどは地域の農民で、ダンスを観る事を楽しんでいます。質問もたくさんでますよ。プロデューサーや観客はヘルシンキからもやってきます。

──ほかのフェスティバルはどうですか。また、ダンサーや振付家への助成は芸術による自国文化の育成を目指しているように見えますがいかがですか? 現在、ヘルシンキで活動している日本人ダンサーの松田孝子さんによりますと、フィンランド人のアーティストと仕事をしている場合、外国人アーティストも助成申請ができると伺いましたが。
ほかには、アレキサンダー劇場での「アジア・イン・ヘルシンキ・フェスティバル」というアジアからの作品を紹介するフェスティバルがあります。それは、年毎にテーマがあります。ユッカは、クオピオに様々な民族舞踊や芸術を紹介しました。後継のヨルマが、それをコンテンポラリー・ダンスのフェスティバルにしました。また、80年代からすでに20年以上も開催されてきた「ムーヴィング・イン・ノヴェムバー」というフェスティバルもあり、ヘルシンキの観客に新しい海外のダンスを紹介するのを目的としています。2005年にピナ・バウシュなどのような海外からのゲスト・アーティストを紹介するパフォーミング・アーツのフェスティバルに衣替えしました。驚くことに、それがフィンランドでのピナ・バウシュの初公演でした。ドイツのダンスは、フィンランドのダンスに大きな影響を与えてきたのに、ピナ・バウシュの影響は大きくありません。もちろん、ピナはなかなかつかまらず、待望の公演ではあったわけですが……。
ダンスへの助成は、ただ今ご指摘のようなコンセプトが基本となっています。援助があるべき完璧なものでなかったとしても、アーティストが芸術活動をして暮らしていけることを可能とするシステムが求められています。ダンスへの支援がここへきて増加していることは、嬉しいことです。

──ダンスのアーティスト支援システムにおいて、ピルエッタさんが仕事をされている「フィンランド・ダンス・インフォーメーション・センター」は、ダンス文化を振興する重要な役割を担っています。ダンス・インフォーメーション・センターのご活動を紹介していただけますか。
フィンランド・ダンス・インフォーメーション・センターは、1980年に設立されました。我々のセンターは、フィンランドのダンスについての情報を収集し、刊行物を出したり、国際協力を促進しています。センターは、フィンランド語で「タンシ」(ダンス)という季刊誌を発刊し、またフィンランドのダンスの最新情報を海外の読者にお知らせする「フィニッシュ・ダンス・イン・フォーカス」という題名の英語の刊行物も毎年出版しています。情報提供のほかには、センターは公演や観客に関する統計を集め、分析して、セミナーを開催したりしています。センターのウェブサイトは、フィンランドのダンスに関する総合的なオンラインの情報ソースとなっています。
国際関係のプロジェクト・マネジャーである私の仕事は、フィンランド・ダンス・インフォ−メーション・センターの国際部を設立する経済的、機能的な基盤を作ることです。それを通じ、フィンランドと海外におけるダンスの国際的プロジェクトをコーディネートし、組織化することを目的としています。
 
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