The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
Presenter Interview
A look at the Singapore arts scene, invigorated in recent years by new theaters and festivals
新劇場やフェスティバルなど、活性化するシンガポールの芸術文化シーンに迫る
*アジア舞台芸術祭協会
アジア地域の舞台芸術祭の国際的な協力の促進、コストシェアリング・共同コミッショニングなどのためのネットワーク構築などを目的として2004年6月に設立。創設メンバーは上海国際芸術祭(China Shanghai International Arts Festival)、シンガポール・アーツフェスティバル(the Singapore Arts Festival)、香港アーツフェスティバル(the Hong Kong Arts Festival)、ジャカルタ国際アーツフェスティバル(the Jakarta International Arts Festival: JakArt)の4フェスティバルだったが、現在は東京国際芸術祭を含む13団体が正式加盟している。
www.aapaf.org

*シンガポール・ダンスシアター
故アンソニー・ゼンと現芸術監督のゴー・スー・キムによって設立されたダンスカンパニー。コンテンポラリー・バレエをベースとしたレパートリーを持つが、インドネシアのボイ・サクティと共同作業を行うなど、アジアのコンテンポラリーダンスとの関わりも深い。
www.singaporedancetheatre.com

*シアターワークス
国際的に活躍する芸術監督、オン・ケンセンが率いる劇団。オンのネットワークを生かした国際的な共同制作を活発におこなっている。また、横浜トリエンナーレにも参加した「フライング・サーカス」プロジェクトなど、ファインアート、フィルムなどとの異分野間共同制作も多い。
www.theatreworks.org.sg

*アクラム・カーンとエア・ソーラのプロジェクト内容
2004年、シンガポール・アーツフェスティバルは英国に拠点を置くアクラム・カーン・カンパニーに2週間のレジデンシーをオファーし、新作「Ma」が制作された。この作品は同年のフェスティバルのオープニング・イベントとして上演された後、ロンドン、パリ、ローマ、アムステルダム、ニューヨークにツアーを行った。2006年のエア・ソーラのプロジェクトは、戦争の記憶をテーマに、ヴェトナム北部の村落の老人たちを巻き込んで、1995年制作の「Drought and Rain」の再解釈として実施された。ヴェトナム国立バレー団のダンサーたちが参加することで、ヴェトナムにおける2世代の視点が示される作品となった。
──マレーシアの劇作家・演出家であるフジール・スレイマンが2002年のフェスティバルで『オキュペーション』という作品を上演しましたね。これは日本軍占領下におけるシンガポールでの生活を描いたものでした。
歴史をテーマにした作品はたくさんありますよ。フジールの作品はその一例ですが、2004年のフェスティバルでシンガポールの劇団が上演した2つの作品もそうでした。チェックポイント・シアターの『アヘンの香り』という作品は、アヘン戦争について京劇の手法で取り上げたものでした。シアターワークスの『サンダカン挽歌」という作品も歴史をテーマにしたものです。さらに前には、ネセサリー・ステージと故クオ・パオ・クンの劇団、シアター・プラクティスが制作した、孫文をテーマにした『100年間待ち続けて』という作品もありましたね。
アイデンティティの問題を取り上げた作品として面白かったのは、ロンドンを拠点とするモティロティという劇団とニューヨークを拠点とするビルダーズ・アソシエーションが共同制作した『アラディン』という作品です。これはインドにあるお客様相談センターの話なのですが、そこのオペレーターはアメリカ人を装うように訓練されているのです。アメリカで製品を買った人が質問しようとして電話をかけると、当然アメリカのどこかに繋がっていると思うわけですが、実際にはインドに電話が繋がっているという話で、交差するアイデンティティに関する寓話になっていました。この作品ではマルチメディアが斬新な使い方をされており、その意味でもとても面白いものでした。
フェスティバルをオーガナイズしていると、それが実際どれほど面白いのか気付かないことがあります。もちろん、面白いということはわかっているのですが……。それぞれのプログラムがどのように連関しているかが見えないことがあるのです。数年たって、やっとフェスティバル全体がとても興味深いものであったということに気付いたりするのですよ(笑)。

──近年、シンガポール・アーツフェスティバルが、単に既成の作品を招待するだけではなく、新たな創造の場となってきているのは興味深いことです。2004年のフェスティバルでは、イギリスのアクラム・カーン・カンパニーが2週間のレジデンシーを行い、新しい作品を制作しました。
はい。アクラム・カーンの翌年には、ベルギーのヴィム・ヴァンデケイビュスを招きました。今年はベトナム/フランスのエア・ソーラを招待しています。フェスティバルでの公演を世界初演とすることはできなかったのですが、私たちは彼女のベトナムの2世代にわたる人々との共同作業をコミッションすることになりました。我々の隣人、そしてカウンターパートからは非常に多くのことを学んでいます。我々がこれまでに知ったこと、学んだことをもとに、独自のツールややり方といったものをつくり上げることができました。結果として、これらが私たちのポリシーとなっているのです。
アーツカウンシルが設立されてからは、こうしたポリシーを実行に移すため、より意識的な努力が払われるようになったと感じています。ある特定のイベントを、新たな発展の可能性を開く道具、あるいは原動力として使うということです。つまり、フェスティバルは単に作品を買い付けて、順番に見せていくというだけのものではなくなるのです。むしろ、観客の芸術に対する理解を深め、世界の動向を知り、そして、これはとても重要なことですが、国内のアーティストを育てる、こういったことのための土台として機能することができると考えています。シンガポールのアーティストの新作にお金を出すことも重要ですが、海外の作品を連れてくることにより、彼らに新しいアイデアをもたらすことも同じく大事なことだと思っています。
また、フェスティバルによって、国を超えた繋がりをつくることができるというのも事実です。こんなことを断言してしまっていいものか、いささか心許ないのですが、シンガポールはこの地域において、常に極めて活発に活動してきたと思っています。実際、私が新しく設立されたアジア舞台芸術祭協会の議長を務めさせていただいているのも、それが理由であろうと思います。

──新しい作品の創造ということでいえば、国際的なコラボレーションは重要な方法になりうると思います。今年のフェスティバルでは、シンガポールの劇団による演劇作品3作品のうち、2作品までが国際共同制作です。コラボレーションという方法について、どのような可能性を感じておいでですか?
私が2000年に現在のポジションについたとき、既にいくつかの国際共同制作の実績がありました。オン・ケンセンが日本の岸田理生と一緒に制作した『デズデモーナ』がその一例です。ロバート・ウィルソンの新作をコミッションしてもいます。年を重ねるにつれ、私たちは徐々に他の国際フェスティバル、例えばオーストラリアや香港のフェスティバルとの協力関係を築いてきています。そうした後、アクラム・カーンの作品のように、より国際的なコミッションを行うようになってきました。
私たちの側で作品制作を先導し、流れを逆転させようというのが、そこでの私たちのねらいです。初期においては、アーティストが制作した作品を受け入れるという一方通行の流れしかありませんでした。アーティストが自らの地平を拡大する機会を与えたい、そしてこの地域のアーティストやパートナーとのある種の仲介をしたい、というのが現在の私たちの願いなのです。

──2003年のフェスティバルにおいては、シンガポール・ダンスシアターと日本のH・アール・カオスとの非常に印象的なコラボレーションがありました。H・アール・カオスは2001年に自分たちの作品の上演のために招かれ、その2年後に戻ってきたということになります。このプロジェクトはどのように始められたのでしょうか。
プログラムの編成については、いくつかの変化がありました。80年代や90年代はアートが依然として成長を続けている時期であり、フェスティバルは観客育成の重要なツールとなっていました。したがって、当時のプログラムは幅広い観客層にアピールするために、より広範なものとなっていたのです。
しかしながら、私が就任した2000年にはアートシーンは既に成熟しており、アーツカウンシル以外にも数多くのプレイヤーが存在していました。たくさんの海外のイベントが自力でシンガポールに来るようになっていました。ですから、フェスティバルには何か別のものが必要だと考えたのです。また、この年は新しい千年紀に入った年でもありましたので、未来に向けたフェスティバルのあり方を提案したいとも思いました。
そこで、2000年のフェスティバルのタイトルを「ニュー・インスピレーション」とすることにしました。この年のフェスティバルでは、数多くのコンテンポラリー作品が紹介され、同時にアジアのアーティストによる作品に焦点が当てられました。それ以来、フェスティバルの作品の50%以上がシンガポールおよびその他のアジア諸国からの作品となっています。新しい創造をもたらしたい−第一義的にはシンガポールのアーティストによって−という私たちの願いが、そこにはっきり現れていたと思います。シンガポールのアーティストによる作品は、これまで全て新しくコミッションされたものとなっています。しかしながら、彼らにとって重要なのは、地域のアーティストと一緒に作品を作ることだと私は考えています。そして、他のフェスティバルも彼らをサポートしてくれるのが理想的です。
H・アール・カオスのケースでは、私たちはアーティストとの関係を発展させることが重要だと考えました。それまでは観客を刺激するために新しいものをどんどん紹介し続けていたわけですが、そろそろある特定のアーティストと彼らの作品とをフォローしていくべき時期なのではないかと感じたのです。現在は、将来コラボレーションの相手となりうる海外のアーティストを意識的に招待するということをしています。シンガポールの観客に彼らの作品を見る機会を与えておいた上で、数年後に現地のアーティストと共同制作を行うために再度招待するわけです。
 
BACK
| 1 | 2 | 3 |
NEXT
TOP