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Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
Working to build an infrastructure for contemporary dance in Germany. Speaking with the founder of Tanzplattform Deutschland
ドイツのコンテンポラリーダンスのインフラ整備に尽力 タンツプラットフォームの創設者に聞く
──BRダンスフェスティバルにはどのような人たちが参加していましたか。
ベルリンのDance Company Rubato、Tanzfabrik Berlin、Susanne Linkeらが参加しています。Gerhard Bohnerの最後の公演もこのフェスティバルで行われ、北米からも多数のプレゼンターが集まった歴史的な瞬間でした。
この全国的なフェスティバルを実施したとき、中央の政治家や官僚たちがそれまでまったく知らなかったコンテンポラリーダンスという世界に初めてふれたのです。助成を受けるために、コンテンポラリーダンスとは何であるかを説明しに私は何度役所に足を運んだことでしょう。さらに、コンテンポラリーダンス教育に関するシンポジウムの同時開催を企画し、教育省の州事務官に理解してもらい何とか開催に漕ぎ着けた、といったこともありました。ちなみにその事務官は現在、ドイツ議会の議長として重要なポストにある人物です。このように人々とコラボレーションしてプロジェクトを拡大し、より多くの観客を引き付けることによって、官僚にもアピールできたわけです。

──シンポジウムはどういったものでしたか。
ダンス教育に関する国際シンポジウムです。当時、ドイツにはバレエアカデミーはいくつかありましたが、コンテンポラリーダンスの教育機関はエッセンのフォルクヴァングのみでした。すべてのダンス・コミュニティは、まるでピナ・バウシュのための下請けのようなものでしたから、このシンポジウムは情報提供という意味で非常に重要な役割を果たしたと思います。
シンポジウムの資料として教育省の助成を受けてコンテンポラリーダンス専門のブックレットを作成しました。地域にこういったダンス・コミュニティがあって、こういうカンパニーが活動しているといったことをコンタクト先とともに掲載しました。また、プロのダンス・プレゼンターに関する情報も掲載しました。つまり、このブックレットは、ダンスという芸術様式おいてはこのような活発な活動が行われているため、資金が必要であるということを示す資料になったわけです。裏を返せば、この芸術がドイツに立派に存在しているのにもかかわらず、公的な援助がまったく得られていないという、われわれの叫びでもあります。

──うまく誘発しているわけですね・・・。
挑発し、プレッシャーをかけているんです(笑)。あらゆる手段を使ってダンスの存在を広く認知させることが重要だと思います。このフェスティバルは評論家にも絶賛され、インパクトも大きかったのですが、毎年同じことばかりやるわけにはいきません。スイスのあるフェスティバルの例ですが、それは今でも続いているのですが、3、4年後にはお決まりのカンパニーが出て、いかにもお祭り騒ぎのフェスティバルになってしまいました。毎年、同じダンスばかり集めて繰り返す必要はありません。初回にわれわれが何をやっているかをスポンサーにしっかり認知してもらい、スポンサーのビジネスにも反映できるような態勢を整え、資金調達の仕組みさえ継承できればいいのです。
こうしたさまざまな活動を重ねていき、1999年には国内6つのダンス関連機関とともにコンテンポラリーダンスへの支援を継続的に行うためのネットワーク「ナショナル・パフォーマンス・ネット(NPN)」を設立しました。NPNの考え方は、アーティストとプロモーター/プロデューサーのコラボレーション(協働)を刺激することにあります。
ダンスカンパニーを招聘するプレゼンターに対する助成金では、アーティストの社会的地位を向上するためにかならずギャラを出すよう要求します。できるだけ多くの金額がアーティストに還元されるようにしていますが、もちろんNPNの助成によってプレゼンターの負担は軽減できるわけです。これが基本モデルです。
共同創作に対する助成は、ドイツ国内の異なる州の2つ以上のカンパニーが共同で作品制作を行う場合、もしくは国外のパートナーを必要とする創作において付与されます。その振付家がドイツ出身であるかどうかは問題にはなりませんが、クリエーションがドイツで行われることと、申請者がドイツ出身であることが要件となっています。

──ドイツにはたくさんの公共劇場がありますが、NPNとの関係は?
ドイツには、300の州立もしくは市立の公共劇場があり、そのうちおよそ80にはフルタイムで雇用されている付属カンパニーがあり(オペラカンパニーなどを含む)、今も増え続けています。ダンスでは、元々はバレエカンパニーしかなかったのですが、その後ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイスのようなコンテンポラリーダンスのカンパニーもでてきました。
しかし、こうした公共劇場の付属カンパニーはお互いに交流することもなく、地元のニーズに縛られた活動をせざるをえないということがあります。創作をしたいなら地元の公共劇場でやればいいと言われますが、それでは芸術的な課題に自由に立ち向かうことはできません。
今、ドイツから発信されているコンテンポラリーダンスはインディペンデントシーンからでてきているものが多いのですが、付属カンパニーに比べてはるかに少ない助成金しか受けていません。それで、インディペンデントなダンス・コミュニティは国際フェスティバルや制作団体とコラボレーション(協働)することで強い機動力を発揮し、公共劇場のカウンターパワーになってきました。しかし、ここ1、2年、既存の公共劇場がインディペンデントシーンと交流しなければならないという危機感を抱くようになり、深かった溝はかなり埋まってきたと思います。
公共劇場の仕組みをもたない国にはこの問題点が理解しにくいかもしれませんが、公共劇場はアーティストの仕事の助けになると同時に芸術的な発展の重荷にもなります。既存の劇場が門戸を開かない、住民が興味を持たないからといって、実験的な作品が提供できないようでは芸術的な発展はありえません。

──ドイツの文化政策では州が大きな役割を果たしていますね。
実際はそうなのですが、ドイツの法律には「芸術の主管は連邦国家にある」という条文があります。つまり、法律上は、芸術に対して最大の責任を担っているのは連邦国家です。私たちは主管を州に帰属するよう法律の改正をしてほしいと狂おしいほど訴えてきました。そもそもこうなったのには歴史的な経緯があります。ナチ政権下においてすべての表現(芸術)活動はプロパガンダによって統制されていました。その反省から、表現が独裁者や連邦政府によって統制されるのを避けるため、芸術の主管を連邦国家に与えたのです。
これ自体はもっともなことなのですが、それを実際に行うのはかなり複雑です。各連邦州はみんなライバルですから、全く調整ができずコミュニケーションが図れません。また、文化省の議会運営も効率が悪く、州知事すべてが拒否権をもつため、16州すべての合意を得るのは至難の技です。さらに州としてもそれぞれの役割を果たしきれていないのが現状です。ですから、私たちが運営するNPNは、連邦州が文化のための財源としていかに連携すべきかという点において模範的な例となっていると思います。

──「ダンスプラットフォーム」について紹介してください。
ダンスプラットフォームは、当初はフランスのバニョレ国際振付フェスティバルのドイツ選考会(プラットフォーム)としての役割を担ってスタートし、その第1回を1994年にベルリンで開催しました。ベルリン、フランクフルト、ミュンヘンの3都市とコラボレーション(協働)して25カンパニーの作品を上演し、世界中からの130人のプロモーターが参加しました。隔年でこの3都市を巡回し、2回目をフランクフルト、3回目をミュンヘンで開催しました。ミュンヘンでは、150席の小劇場から1200席の大劇場まで7劇場が会場となり、15作品を上演しました。Lynda Gaudreauがミュンヘン大学のメインホールで、Felix Ruckertが工事現場で公演を行い、また、350人のプロデューサーが世界中から集まるなど、大成功をおさめました。
元々開催地は3都市しか考えていなかったというか、そもそもその後も続くとは思っていませんでした。しかし、フランクフルト開催のときに「ミュンヘンが終わったらどうする?」という話が出て、内務省からも助成金が受けられることになり、工場をアートスペースにしたハンブルグのカンプナーゲル劇場が手を上げてくれ、2000年の第4回はハンブルグで開催することにしました。
プラットフォームは当初、Nele HertlingとDieter Burochそして私の3人がオーガナイザーとして共同運営していました。開催地などはこの3人で決め、プログラムについては外部の専門家にも入ってもらっていましたが、規模が拡大してきたのに伴い、2004年のデュッセルドルフのダンスプラットフォーム以来、プログラムの意志決定は、われわれオーガナイザーに選出されたダンス専門家から成る委員会の手にゆだねています。

──プラットフォームの将来に関する見通しは?
世界が変化するようにダンスプラットフォームもアーティスト自身によって変えていくことができればいいと思います。2008年はハノーバーで実施しますが、2010年以降の開催については未定です。もしかしたらフランクフルトで開催するかもしれませんが、まだわかりませんね。
 
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