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Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
What lies ahead for the Beijing Modern Dance Company and its international dance festival in today's Chinese contemporary dance scene?
中国現代舞踊界の台風の目、国際フェスも手がける
北京現代舞団の目指すものとは?
覚
覚
覚
覚
『覚』(Jue・Aware)2004年
© R PRODUCTION
──北京現代舞団が非政府系芸術団体として独立するまでの経緯についてお伺いします。政府の芸術団体しかなかった中国で、北京現代舞団はどのように成立したのですか。
 最初は法律上での成立で、実際はただ8名のダンサーがいるだけでした。当時、北京市文化局の局長がなかなか先鋒的な考えをもった人で、北京にも現代舞踊団があるべきだと考えたのです。そして、北京舞蹈学院の現代舞踊科、第一期卒業生8名に北京戸籍を与え北京に留まらせたのが、北京現代舞団の始まりです。対外的に彼らを北京現代舞団と呼びましたが、実際は独立した芸術団体ではありませんでした。北京歌舞団の管理下にあり、上演許可証も北京歌舞団のものを使っていましたし、政府が多少の資金を用意しましたが、それも北京歌舞団に渡されました。つまり北京歌舞団が北京市文化局に代わって北京現代舞団を管理していたわけです。ですから、成立は95年ですが、この時はまだ政府系の芸術団体です。私もまだ関わっていません。

──北京現代舞団に関わるようになったのはいつからですか。
 98年です。当時、北京現代舞団は存続が危ぶまれていました。政府は我関さずの態度で、自然消滅もやむなしとしていました。必要だといいながら、面倒なことが起こると関与したがらない。財務など様々な問題が起きていたのです。私はもともとダンサーたちをよく知っていたので、彼らにしばらく様子を見るべきだと言いました。すると、3カ月後にはダンサー全員が北京現代舞団を離れ、生活費を稼ぐためにナイトクラブで踊るようになってしまいました。ダンサーにとっては辛いことです。そこで、北京市に話に行くと、君が自分で管理しろと言うのです。手伝いたいのはやまやまでしたが、当時私は複数の会社を持っていて、時間を割ける状況ではありませんでした。そこで考えた結果、ダンサーたちの生活を保障するだけの給料を負担しようと、友人と一緒に数万元(数十万円から百万円単位。約15円/1円)もの資金を提供することにしたのです。幸い資金はありましたから。でも、これは問題の根本的な解決にはなりませんでした。問題は管理と計画がなっていないことで、金銭の問題ではなかったのです。自分にできることは何だろうと考えた結果、北京現代舞団に関わることになりました。それから約8年。こんなに長く関わるなんて思いもしませんでしたよ。ダンサーたちはひとりを除いて皆入れ替わりました。残ったひとりとは、ご存知の通り、私の妻となった高艶津子です。私は今では北京現代舞団の仕事に専念しています。他の仕事はすべてやめました。仕事とは自分で選ぶものではないのですね。仕事に選ばれるものなのだとつくづく感じています。

──その後、どのようにして北京現代舞団を独立した民間団体まで発展させたのですか。
 まず初めに、北京現代舞団に所属するための「北京戸籍所有」という条件を廃止しました。そして、中国特有の人間関係に頼る方式を改め、契約制を敷いたのです。それから、政府の資金を得ることをやめました。稽古場の使用にさえ、使用料を払うように改めたのです。当初は、以前北京現代舞団を管理していた北京歌舞団の稽古場を借りましたが、もちろん使用料を支払いました。なぜそうするかというと、政府の管理下から外れ、独立した芸術団体となるからには、すべての事柄に対する決定権を持ちたかったからです。中国では政府の関係のイベントがあると、こちらの大事な計画があるのにもかかわらず、政府の方を優先せねばならないことがあるのをご存知でしょう? でも、絶対的な決定権があれば、それを断ることができるわけです。また、政府高官と共に海外に赴き、公演を行う際には、政府からギャラを得ることもできます。政府の資金で食べているのではないわけですから、もしギャラがなかったら、どうして生きていけるでしょう。もちろん直接そうは言いませんが、そういうルールに則って事を進めるのです。光栄なことに、胡錦涛(Hu Jintao)総書記に伴って海外で公演を行った時も、上演料として相当の金額の小切手を頂きました。
 これで、独立した民間の芸術団体といえるようにはなりましたが、まだ完全に独立した状態ではありません。というのは、中国には上演に関する許可証があるのをご存知ですね。北京現代舞団は、この時まだそれを持っていなかったのです。公演を行うには、どこかの上演権を使わせてもらわなくてはなりません。自分たちの名義では公演が打てなかったのです。この権利を得るために、私は3年もの時間を費やしました。そして2004年6月27日、遂に自分たちの上演許可証を手に入れたのです。だから2004年の夏に東京芸術見本市に招かれた時、「北京現代舞団は完全に民営化をした」と言ったのです。しかも商業公演上演許可証ですよ。現代舞踊ではあり得ないことです。北京現代舞団より先に設立された広州現代舞団ですら、いまだに政府の資金を得ています。中国全土で北京現代舞団だけがこの許可証を持った、つまり唯一の完全に独立した民間の芸術団体なのです。

──28名もの団員を抱えて、政府の資金を得ずにどのように運営をしているのですか。
 海外のフェスティバルに積極的に参加し、作品のPRの場としています。この作品をプロモーターが気に入って巡演することになれば、相当なギャランティが入ります。30ステージもこなすと、50万米ドル(約5800万円。116円 / 1ドル)程度の収入になりますから、ここから様々な費用を引いても、まだそれなりの金額が手元に残ります。その上、我々の生活はシンプルですからね、さほどお金はかかりません。基本的な生活は維持できます。
 ダンサーとは最短で1年の契約を交わし、毎月約4000元(北京の大卒入社のホワイトカラーの月給に相当。約6万円)の固定給を与えています。その他、毎月500元(7500円)の住宅手当に傷害保険。さらに、公演ごとに最低200元(3000円)のギャランティを別途支払います。
 安定しているように見えるかもしれませんが、私としてはまだまだ安心できません。これから北京現代舞団の固定スポンサーを探すつもりです。公演は繁忙期と閑散期がありますから、経済不安に陥りやすい。固定的なスポンサーがあれば安定します。それには、1箇所ではなく、少なくとも10箇所からは欲しいところです。それぞれ10万元(150万円)出してくれれば十分です。 

──最後にフェスティバルに日本のダンサーを招聘する可能性についてお聞かせ下さい。
 このところ日中間は政治上の問題がありましたが、芸術とは関係ありません。機会があればフェスティバルにもぜひ参加して欲しいと思っています。個人的には大野一雄や山海塾などの表現が好きです。
 
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