The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
キム・チョルリ
Profile
金哲理(キム・チョルリ Kim, Chul-Lee)
1953年生まれ。演出家。西江大学新聞放送学科卒業。成均館大学大学院公演芸術学科卒業。2002年〜2003年国立劇団アーティスティック・ディレクター、2004年〜2005年水原華城国際演劇祭アーティスティック・ディレクター、2005年からソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)アーティスティック・ディレクター。その他、韓国演劇協会理事など多くの役員・委員を歴任。演出家として第26回白想芸術大賞新人演出家賞(1990)、第29回東亜演劇賞演出賞(1993)、第33回白想芸術大賞演出家賞(1997)などを受賞、翻訳家としては第29回ソウル演劇祭翻訳賞(1991)を受賞。

ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)
ソウル市鍾路区東崇洞1-89 ソクマビル4F
(Seokma B/D 4F 1-89 Dongsoong-dong, Chongro-ku, Seoul, Korea)
TEL 02-3673-2561
FAX 02-745-7924
http://www.spaf21.com(韓国語・日本語・英語・フランス語)
ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル 2007
(2007年9月20日〜10月14日)
「プレゼンター・トピックス」
ソウルパフォーミングアーツ・フェスティバル
ソウルパフォーミングアーツ・フェスティバル

演劇国内作品(5作品)
Namodak Movement Lab『チェ・ゲバラ』
劇団物理『荷』
Sadari Movement Lab『盲人たち』
劇団ウトゥリ『ホンドンジ遊び』
演戯団コリペ『血の婚礼』

音楽劇国内作品(3作品)
音楽劇集団パラムゴッ『水を探して』
TIMFアンサンブル『ローズ』
韓国フェスティバルアンサンブル『イプセン・イン・ミュージック』

演劇海外作品(8作品)
Performers at Work『アラビアンナイト』(インド)
New Riga Theatre『ロング・ライフ』(ラトビア)
Plasma『狂夜』(スイス)
Farm in the Cave『Waiting Room』(チェコ)
Jacques Bourgaux『ドンキホーテ』(フランス)
Schaubhne am Lehniner Platz『セールスマンの死』(ドイツ)
National Theater『ゴドーを待ちながら』(ルーマニア)
『演じる女たち』(ウズベキスタン、イラン、インド、日本)

ダンス国内作品(13作品)
ユニバーサルバレエ団『バンブー、バンブー』『ほのかな香りの蘭』『マイナス・セブン』
ダンスシアター加頭『戻ってきたパズルの中の記憶』『ロミオと幽霊ジュリエット』
SEOバレエ団『ニュー・ボレロ』
ソウルバレエシアター『マスク』
UBINダンス『砂漠熱』
ナム・ヨンホ舞踊団『マティテル、マティエル…』
YJKダンスプロジェクト『ベケットの部屋』
カン・ヘヨンダンスプロジェクト『水流』
チョン・ミスク舞踊団『行かないで』『聞かないで』

ダンス海外作品(7作品)
Cie Michele Noiret『百色の部屋』(ベルギー)
bjm dance Les Bllets Jazz de Montreal『MAPA』『ジャコブの部屋』(カナダ)
Electronic Shadow『2つの視線』(フランス)
Inbal Pinto Avshalon Pollak Dance Company『Shaker』(イスラエル)
Olivier Dubois『地上のすべての金のために』(フランス)
Lucy Guerin Inc『Malt』(オーストラリア)

コラボレーション作品(2作品)
ダンス:『あの時、あの時間』(韓国、中国、日本)
演劇:弘前劇場+劇団路地『ソウルの雨』(日本、韓国)
Presenter Interview
2007.11.7
Stimulating the Korean performing arts scene The role of Seoul Performing Arts Festival 
韓国舞台芸術シーンを刺激するソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF) 
劇場数が100を越えると言われる演劇の街・大学路で開催される韓国最大規模のフェスティバル「ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)」。7回目を迎える2007年は、9月20日〜10月14日まで、韓国をはじめインド、フランス、ドイツなど16カ国、33団体が参加し、全38作品の公演が行なわれた。世界各国のフェスティバルを飛び回り、招聘作品を自分の目で確かめてプログラミングしているのが、SPAFアーティスティック・ディレクターの金哲理(キム・チョルリ)氏だ。フェスティバルが終わったばかりだというのに、息つく間もなくまた来年の準備のために上海に向かうというキム氏に話を聞いた。
(聞き手:木村典子/インタビュー:2007年10月16日)


──今日はお忙しい中、お時間をつくっていだだき、ありがとうございます。「ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)」は、ソウル演劇祭(1977年から開催)とソウル舞踊祭(1979年から開催)という2つのフェスティバルが2001年に統合された総合フェスティバルです。発足当時は韓国演劇協会と韓国舞踊協会の主催でしたが、2003年からは独立組織としてアーティスティック・ディレクター制で運営されるようになりました。キムさんは就任して2年目になられますが、まずは、フェスティバルの運営方針からお話いただけますでしょうか。
フェスティバルを発足した時に掲げた指針が3つあります。1つ目が、ソウルという国際都市に見合ったインターナショナルなフェスティバルに育てようということ。2つ目が、ジャンルの壁を壊し、東洋の舞台芸術の大きな伝統ともいえる「音楽劇」あるいは「トータル・シアター」のような作品を制作し、舞台芸術表現を活性化していこうということ。3つ目が、創造的な出合いを通じた新しい舞台芸術のインキュベーターとなり、発信地となることを目指すというものです。
ちなみに、今年の予算は10億ウォン(約1億2千万円)でした。本来、きちんとした形の国際的なフェスティバルを開催するには30億ウォンは必要ですが、招聘費を削減するわけにはいかないので、事務局はボランティアで仕事をしているようなものです。財源は、文化観光部、韓国文化芸術委員会、ソウル文化財団が助成をしてくれているのと、企業や放送局、各国大使館がスポンサーについてくれています。

──複合フェスティバルというのは、ジャンルが混在していてやりにくいところもあるのではないですか。
ジャンルを区分する時代はすでに過ぎたと思います。私は演劇畑の出身ですが、私たちは他のジャンルに目も向けなかった世代です。この年になって、様々なジャンルを経験できる機会を与えられて幸せですし、とてもいい勉強をさせてもらっています。ただ心配なのは、アーティスティック・ディレクターとしてダンスや音楽がわかるのか、演劇に偏るのではないかと思われることです。能力以上の場を与えられた気分です。

──キムさんは、2003年まで国立劇場のアーティスティック・ディレクター、2005年まで水原華城(スウォンファソン)国際演劇祭のフェスティバル・ディレクターをされていました。また、劇団枇杷(ピパ)の代表であり、『ノートルダムのせむし男』『シラノ・ド・ベルジュラック』『タイタス・アンドロニカス』などを演出されている他、俳優や翻訳家としても活躍されています。本当に多彩ですが、どういうきっかけでSPAFのアーティスティック・ディレクターになられたのですか。
私の本業は、あくまで演出家です(笑)。演出家としては翻訳劇を主に演出してきましたが、韓国は創作劇中心なので翻訳劇はそれほど評価されないという風土があり、助成金も創作劇に偏っています。また、韓国には劇団木花(モックファ)レパートリーシアターの呉泰錫(オ・テソク)氏をはじめ強烈なスタイルをもつ演出家が多いのですが、私は演出スタイルをもたないタイプで、そういう演出家はなかなか認めてもらえない。演劇評論家から“スタイルを作ったら認めてやる”と言われたこともあるぐらいです(笑)。それと、年をとるごとに演劇はやはり俳優だという思いが強くなってきましたが、俳優層が薄く、チェーホフやシェイクスピアをやろうにも俳優がいない。この他にも多々ありますが、これらが50歳になって私が直面した韓国演劇界の現実であり、悩みでした。
こうして、演出家として壁にぶつかっていたころ、国立劇団のアーティスティック・ディレクターの話があり、2002年から2年間務めさせてもらいました。在職中は自分が演出するというより、後輩演出家に国立劇場の舞台を任せることにしました。おそらく、国立劇団で若手起用のプログラムを試みたのは私だけだと思います。若い人たちと仕事をしながら、とてもやりがいを感じました。自分が作品を手がけるだけがすべてではない、素晴らしい人材を探し出すのも舞台芸術の発展に寄与できる道だと実感し、フェスティバル・ディレクターという仕事にもはじめて魅力を感じました。その後、偶然に水原華城国際演劇祭を任され、本格的にフェスティバル・ディレクターという肩書きで仕事を始めました。ここは非常勤だったので演出家としても活動ができる状況でしたし、引き受けたのは、まあ、食うため、生存のためというのが本音です(笑)。そして、2005年にSPAFのアーティスティック・ディレクターの公募があり、応募しました。そうして現在に至っているわけです。

──キムさんはアーティスティック・ディレクターとしてSPAFをどのようにしていきたいとお考えですか?
アーティスティック・ディレクターに就任した時、漠然とした言い方ですが、世界のレベルの高いいい作品を紹介する場、韓国の舞台芸術が海外に進出できる場にしたいと思いました。海外進出に関しては、私の就任と時を同じくして2005年からソウル芸術見本市(PAMS)が開かれるようになり、開催期間も同時期なので、PAMSのショーケースをSPAFのプログラムに組み込みました。それで世界の舞台芸術を紹介するほうに力を入れることができるようになりました。韓国はアジアの端にあり、海外の演劇が簡単に見られる環境ではありません。韓国にいると、舞台芸術にかかわっている人でさえ、世界の流れが今どうなっているのか把握するのが難しい。それに、アジアと言った時に一般的にどこの国を思い浮かべると思いますか? まず、日本、そして最近は中国です。いくら映画で韓流がブームだと言っても、舞台芸術はほとんど知られていない。ですから、韓国にも見る目をもった観客がいて、公演できる場があり、招聘もするということを、世界に知らせていく必要があります。フェスティバルのプログラムとして海外の作品を招聘することで、韓国の人々は世界の文化芸術の流れを知り、また海外にも韓国の文化土壌を紹介できると思っています。実は、韓国のフェスティバルでは自国のものをみせなければならないという暗黙の了解のようなものがあるのですが、この2年で、できるだけ海外招聘を増やしてきました。今では、国内作品と海外作品が半々ぐらいになっていると思います。
 
| 1 | 2 | 3 |
NEXT
TOP