The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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畠由紀
Profile
畠由紀(Yuki Hata)
独立行政法人国際交流基金
舞台芸術専門員

お茶の水女子大学博士課程終了。音楽学専攻。修士課程在学中より国際交流基金の「アジア伝統芸能の交流」プロジェクトのスタッフとして、各国の舞台芸術の紹介に携わる。1989年より、国際交流基金に開設されたアセアン文化センター(後にアジアセンターに改組)の舞台芸術専門員。2004年より舞台芸術課専門員。一貫して、アジアの現代舞台芸術の紹介、共同制作に携わる。


アジア伝統芸能の交流(略称ATPA)
1976年より5回にわたり実施した、公演、セミナー、記録作成から成るアジア伝統芸能の紹介シリーズ。第1回「日本音楽の源流を訪ねて」(1976年)、第2回「アジアのうた」(1978年)、第3回「神々の跳梁」(1981年)、第4回「旅芸人の世界」(1984年)、第5回「アジアの神・舞・歌 - 愛と祈りの芸能」(1987年)。紹介した国は、東アジア、東南アジア、南アジア、西はイラン、トルコに及んだ。
パンフレットと英文報告書は国際交流基金のライブラリーで閲覧可能。レコード、16mm映画は絶版だが、音源の一部はビクターの「JVC WORLD SOUNDS BEST 100」に収録されている。ほかに、『旅芸人の世界』(朝日新聞社編、朝日文庫、1985年)がある。
[英文報告書]
“Asian Musics in an Asian Perspective - Report of Asian Traditional Performing Arts 1976”(平凡社、1977年。1984年、アカデミア・ミュージックより再販)
“Musical Voices of Asia - Report of Asian Traditional Performing Arts 1978”(平凡社、1980年)
“Dance and Music in South Asian Drama - Report of Asian Traditional Performing Arts 1981”(アカデミア・ミュージック、1983年)
国際交流基金企画・招聘・制作現代演劇公演一覧
演じる女たち
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演じる女たち
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演じる女たち
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インド・イラン・ウズベキスタン・日本コラボレーション
『演じる女たち』3部作〜ギリシャ悲劇からの断章〜

(2007年10月/Bunkamuraシアターコクーン)
Presenter Interview
2007.12.28
Connecting the theater people of Asia   The Japan Foundation international collaboration program 
アジアの演劇人を繋ぐ国際交流基金の国際共同制作 
国際交流基金は、1972年の設立以来、とりわけアジアを重視して文化交流の促進に取り組んできた。その事業分野は日本語教育、日本研究・知的交流、芸術交流と幅広いが、中でも現代アジアの芸術を日本に紹介する上で果たしてきた役割を見逃すことはできない。1990年の「アセアン文化センター」(1995年、アジアセンターに改組。2004年、基金の独立行政法人化に伴い本部に統合)設立当初から舞台芸術部門の専門員としてアジアの演劇人によるコラボレーション作品(国際共同制作)を企画し、インド、イラン、ウズベキスタンの演出家が競演した最新作『演じる女たち』を発表したばかりの畠由紀さんに話を聞いた。
(聞き手:内野儀(東京大学教授))


──畠さんは国際交流基金に入る前、80年代からアジアの舞台芸術の招聘や紹介に携わってこられました。そもそもアジアと関わるようになったきっかけはどういったものだったのですか。
大学院で音楽学を勉強していた時、指導教官だった徳丸吉彦先生が、国際交流基金が1976年にスタートした「アジア伝統芸能の交流(略称ATPA)」プロジェクトの監修者の一人だったので、私も先生を通じて研究スタッフとしてプロジェクトに関わるようになりました。
国際交流基金は1972年に設立されましたが、当初は日本の文化や芸術を海外に紹介する事業が中心でした。しかし、基金設立にあたっては、日本に対する海外の理解を深めることに加えて、日本国内の海外に対する理解を深めることも重視されていました。そこで、アジアとの相互理解をすすめようとの目的から、ほとんど日本に知られていなかったアジア各国の舞台芸術を日本に紹介するこのプロジェクトが立ち上がり、1年目に調査と計画策定、2年目に公演とセミナーの実施、3年目に記録作成という3年がかりの取り組みが、5サイクルにわたって実施されました。仮面劇をテーマにした回では、大規模な仮面展(「変幻する神々─熱きアジアの仮面展」)を併催するなど、関連企画も充実していました。記録も、セミナーで得られたことだけではなくその後の研究成果をふんだんに盛り込んだ詳細な英文報告書やレコード、映画など、学術的にも貴重なもので、世界の多くの大学図書館におさめられています。

──画期的なプロジェクトだったのですね。
当時の基金の若手職員が情熱的に働きかけて、プロジェクトのプランをつくり、研究者たちを巻き込んで実現したものです。当初は既存の資料を集めるところからスタートしたのですが、それでは足りず、実際にアジア各地に赴いて調査するようになりました。まるで、民族音楽のフィールドワークのようでしたね。

──公演は具体的にどのようなものだったのですか。
第2回までは、各国の伝統芸能を日本の伝統芸能と比較しながら紹介するという形式でした。例えば、インドネシアの伝統的な楽曲形式を沖縄音楽と、あるいはモンゴルの伝統的な歌唱を日本民謡と並べる、といった具合です。しかし、ともすれば日本の源流探しに見えかねないこのやり方に疑問もあり、第3回からは、日本なしに、個別に紹介するようになりました。
当初は研究者のためのアカデミックなセミナーにかなりの力を注いでいましたが、徐々に公演の比重が大きくなり、ひとつの公演として見ごたえのあるもの、ということでプログラムを組んでいくようになりました。第3回(1981年)は仮面劇(「神々の跳梁」)、第4回(1984年)は旅芸人の芸能(「旅芸人の世界」)、第5回(1987年)は祈りの芸能(「アジアの神・舞・歌」)というふうに、テーマをもたせました。

──その後1990年1月、国際交流基金のなかにASEAN諸国との文化交流の拠点として「アセアン文化センター」がオープンします。アセアン文化センターは、日本と深い関係のあるASEAN諸国との双方向の交流を促進し、新たなパートナーシップを築くため、竹下内閣が1987年に提唱した「日本アセアン総合交流計画」に基づき、日本国内においてASEAN各国の文化を継続的に紹介する目的で開設されたものですが、畠さんはどういう経緯で関わることになったのですか。
アセアン文化センターはアジアの芸術を紹介する初の公的機関となったわけですが、ATPAが契機で私は研究者と制作者の中間的な立場になっていたので、そういうことから舞台芸術部門の専門員として声がかかり、準備室から関わることになりました。センターをどのような方向に持っていくべきかの調査ミッションにも参加し、ASEAN各国の知識人・アーティストにインタビューして回って、彼らから厳しくも熱い課題を与えられ、単に「エスニック・ブーム」でない、地に足をつけたことができそうだ、と奮い立つ思いでした。私のほかに、映画、美術にも専門員を置き、当時の基金の枠組みとしてはかなり新しい取り組みだったと思います。

──舞台芸術分野の事業方針はどのようなものだったのですか。
映画、美術を含め、どの分野も明確に「現代」をキーワードに据えました。舞台芸術の分野で言えば、前述のATPAをきっかけにアジアの伝統芸能の紹介は徐々に増えていましたし、80年代後半ごろからの「エスニック・ブーム」と平行してちょっとしたガムラン・ブームもありました。しかし、東南アジアを同時代的な視点で見ることは欠如していました。先に述べたミッションからも、「現代」と取り組んでいくべきだ、という方向性が確認されていましたし。
とりわけ、演劇に力を入れるべきだと思いました。音楽やダンスのほうがはるかに紹介はしやすいのですが、人々が何を考えているか共有するには現代演劇の方が有効だと思ったからです。演劇は、翻訳の困難さ、費用の面で、民間ベースの紹介は簡単ではなかったですし―実際、当時、現代演劇の招聘公演はほとんどありませんでした。というわけで、国際交流基金が率先してカバーしていくべきだと考えたのです。
センターのオープニング記念公演は、インドネシアの詩人・劇作家・演出レンドラの作品、『スレイマンの子孫たちの祭事』でした。この作品は、反体制というレッテルを貼られて投獄されたレンドラの最初の劇作品で、初演は60年代の終わりです。当時のインドネシア、あるいは東南アジア全体が直面していた近代化と個の確執の問題を、せりふを廃した、当時としては極めてアバンギャルドな形式で描き出した作品で、東南アジアの現代演劇史を語る上で最も重要なものの一つです。公演を見に来たある演劇関係者が、日本の演出家が既存の演劇から飛び出して小劇場演劇を始めた60年代に、同じことをインドネシアでもやっていたのだと知って感無量だった、と言っていたのが印象的でした。オープニングにこの作品を据えたことで、アセアン文化センターは自らの進む道の決意表明をしたとも言えます。
この後、演劇では、シンガポール・マレーシアとの共同制作『スリー・チルドレン』、シンガポールの『ビューティー・ワールド』、フィリピンの『エル・フィリ』などが続きます。
 
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