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レベッカ・アーヴィン
Profile
レベッカ・アーヴィン(Rebecca Irvin)
「ロレックス賞」「ロレックス メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ」ディレクター(事務局長)

1981年米イリノイ州ウィートン大学卒(政治学、現代言語学)。85年スイス・ジュネーブ国際関係大学院にて国際歴史学および政治学の修士号を取得。82年から91年まで通信社やラジオのフリーランス・ジャーナリストとして、ジュネーブ、ロンドン、リスボンで活動。91年から93年までジュネーブに本部を置く赤十字国際委員会の広報部長を務める。93年にジュネーブに本社を置くロレックス社に入社し、科学や環境保護等の分野で斬新な活動を行っている人々やプロジェクトを支援する表彰プログラム「ロレックス賞」の事務局長を務める。

2001年、同社代表取締役社長・CEOのパトリック・ハイニガーからの応援を受けて、芸術界における新たなフィランソロピー・プログラム『メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ』のプログラムを始動。ジュネーブの事務局で15名のスタッフを率いて、顧問委員や選考委員の構成、広報や教育活動の管理など、同プログラムの全体統括責任を担う。

ロレックスに勤務する傍ら最近では、得意のピアノでジュネーブポピュラー音楽学校の学位を取得。米国、スイス両方の国籍を持つ。2児の母親でもある。

「ロレックス メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ」
http://www.rolexmentorprotege.com/
en/index.jsp
Presenter Interview
2008.1.22
The Rolex Mentor and Protege Arts Initiative, fostering encounters between artists across generations 
巨匠との出会いをコーディネートするロレックス社「メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ」 
ロレックス社が行っている「メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ(Mentor=師匠とProtégé=弟子・生徒のための芸術プログラム)」は、ダンス・演劇・音楽・文学・映画・美術の6分野において、ロレックス社が若手作家の支援をする事業である。2002年にスタートしたこのプログラムは、世界的に著名なアーティストや芸術界の大御所らから構成される顧問委員会(Advisory Board)のメンバーが、各分野からひとりの世界的な巨匠(=メントー)を選出し、その分野で将来性のある若手作家(=プロトジェ)を選び、ペアになって育成するというもの。プロトジェの選考にあたっては、世界各地から集められた精鋭の専門家たちが分野ごとに選考委員会(Nominating Panel)を構成し、会議を重ね、その《メントー》に適合しそうな作家を人選する。
事業は2年サイクルで行われ、《メントー》は《プロトジェ》と1年間、交流しながら育成を図り、ロレックス社がニューヨークで1年おきに催す豪奢なガラ・パーティーを以てプログラムは完了する。パーティーは、アーティスト、プレゼンター、キュレーター、批評家や芸術系助成財団の人々など世界各地の芸術関係者600人以上の招待客を迎えて開催され、《メントー》と《プロトジェ》が事業サイクル期間中にどのように時を共に過ごし、どのような活動を行ったかをリポートするドキュメンタリー・ビデオを上映するとともに、シャンパンと美味な料理でサイクル終了を祝う。以下のインタビューは、第3回目のサイクル終了を祝う同ガラから36時間後のニューヨークでとり行われた。

(聞き手:ジャパン・ソサエティー芸術監督 塩谷陽子


──私自身、2年前にこの事業の演劇ジャンルの選考委員を務めさせていただきましたので、楽屋裏のことも多少は存じ上げていますが、今回は改めていろいろと伺わせていただければと思います。まずは、そもそもどういう経緯でロレックス社は「芸術支援のための事業を何か始めよう」と思い立ったのですか? また、どうしてこういう「メントー&プロトジェ」という枠組みになったのでしょう?
本事業の開発には、1999年から2001年まで約2年の歳月が費やされています。我が社は「ロレックス賞」という科学と環境問題に関するもうひとつの篤志的な事業を運営してきましたが、「メントー&プロトジェ」はそこから発想されたものです。1999年ごろに、「ロレックス賞を芸術分野にまで拡張できないだろうか?」と我々は自問しはじめていました。が、速やかに「科学や環境を支援するのと同じやり方で芸術は支援できない」との結論に達し、私はCEOのパトリック・ヘイニガーに、芸術については別個の事業を立てるべきだと提案して早速調査にとりかかりました。
当初から我々は、この事業を「国際的で」「恒常的に行うもので」「多様で」「多くの芸術形態を扱う」ものにしたいと考えていました。多くのアーティストたちからの意見を聞くことを基本に、加えて在ニューヨークの芸術支援を業務とする小さな会社に調査を依頼しました。ロレックス内部での吟味・検討、アーティストたちとの会話、委託調査の結果とそれに基づく提案、さらに多くのブレーン・ストーミング──それらすべての複合的な情報の結果として、この事業は編み出されました。
そのときに課題になったのは、「ロレックスが芸術に貢献する方法、しかも他に類が無い面白い方法は何か?」「従来必要だとされながら実行されたためしがないことで、我々にできることは何か?」ということでした。若い作家が必ずしも金銭援助を欲しているとは限りません。彼らは彼ら自身の知己を利用するでしょうし、発表の機会や助成金を手に入れたりもできます。こういう環境に真の違いをもたらし得るのは、彼らに「指導者《メントー》」を与えることだと考えました。2001年に最初の顧問委員会をジュネーブで開き、そして最初の《メントー》と《プロトジェ》らをペアで整えて正式にこの事業がスタートしたのが、2002年です。

──この事業を始めた時点で、《メントー》の「指導」の仕方について何か具体的なイメージを持っていましたか?
発足当時に作成したガイドラインは、5年たった今でも有効です。我々は《メントー》らに対して「こんなことができるのではないでしょうか」というサジェスチョンは与えますが、「これをしてください」とはっきり通達をするのは、「1年間の期間中、最低30日は《プロトジェ》と共に時間を過ごすこと」という条項だけです。結果としてそれ以上の日数になることの方が普通ですが。一緒の作業をしたり、意見交換をしたり、若い《プロトジェ》が《メントー》のリハーサルを観察したりついてまわったり、あるいは数週間集中的に《プロトジェ》が《メントー》のインターンとして働いたりといったことを当初から想定していましたが、実際に起こっているのもだいたいそんなところです。ただ、近頃は《メントー》と《プロトジェ》の役割が逆転しているケースなども見られるようになってきました。

──事業が始まって3サイクルを終了しました。《メントー》と《プロトジェ》の役割に変化が見られるようになったとのことですが、どのように変わってきていますか?
たとえば最新の第3サイクルを例にとると、すごく広がりが出て、参加している作家がどん欲になり、同時にしっかりとしたものになってきてると思います。もちろん、《メントー》と《プロトジェ》の関係の近さ・遠さはペアによってさまざまですが、それでも今回のサイクルにおいてとても興味深かったのは、概して、《メントー》が《プロトジェ》の仕事に自らを関与させる度合いが以前よりもずっと増したということです。今回はそんな3つの良い例が登場しました。
ひとつは、美術分野でのジョン・バルデッセリとアレハンドロ・セサルコとが行ったコラボレーションです。彼らは実際にひとつの作品を恊働でつくりあげたのです。ガラの晩の時にお配りしたギフトバッグの中に『Retrospective』というタイトルの本が入っていたでしょう? 一連の版画の作品集ですが、あれは彼らが恊働で制作し、出版したものです。《メントー》が《プロトジェ》と恊働して作品を作ったなんてことは、このプロジェクトにおいて初のことです。
もうひとつの例は、映画分野の《メントー》、スティーブン・フリアースです。《メントー》と《プロトジェ》の役割が逆転してしまっていて、彼は、「このプロジェクトの期間、自分は映画づくりをしないし、自分が誰かに追いかけまわされるのもたまらない。むしろ自分が若い《プロトジェ》の映画づくりを追っかけてみたい」と言って、実際、《プロトジェ》のホセ・メンデスのいるペルーまで出かけて行き、メンデスの撮影期間の前後のさまざまなプロセスに立会っています。《プロトジェ》が《メントー》についてまわるのではなく、その逆例が起きたというわけです。
さらに今回起こったもうひとつの面白い例は、文学の分野でした。やはり《メントー》のタハール・ベン=ジェルーンが、当時3つ目の小説にとりかかかっていた《プロトジェ》のエデム・オゥメイを追っかけています。《メントー》は、その小説の筋書きや登場人物のキャラクター設定などをエデムと話し合い、どっぷり《プロトジェ》の仕事に関わりました。と同時に、タハール・ベン=ジェルーンは彼自身の新作についてエデムに意見を求めており、つまり《プロトジェ》は《メントー》の新しい小説創作の一部をも担ったということです。

──なぜ第3サイクル目になって初めてこのような「恊働関係」が発生しはじめたのですか?
なぜでしょうね。はっきりした理由はわかりませんが、考えられる原因は、まずひとつに《プロトジェ》のレベルが向上しているということが言えるでしょう。第1サイクルや第2サイクルの《プロトジェ》たちが劣っていたということではありませんが、なによりもまず今回の《プロトジェ》は「年齢」がそれまでとは違っているのです。
今回は《プロトジェ》の年齢を「40歳を越えないこと」という風に規定しました。というのも、《メントー》らが求める《プロトジェ》像には、「しっかりした一連の創造活動の積み上げがあること」、「学生ではなくプロとして歩み始めていること」という要件が含まれていたからです。つまり《プロトジェ》の年齢の向上が、彼らのレベルの向上を招いた──彼らは第1回目や2回目のサイクルの参加者よりも成熟したアーティストだったと思います。
とは言っても、本事業は本事業のような支援を必要とする若手のアーティストのためのものであり、すでに独り立ちしている人のためのものではありませんから、年齢の高くなるのを手放しにしておくわけにもいきません。特にダンスや音楽分野の《プロトジェ》は若いですから、平均年齢は相変わらず約30歳です。あまり高年齢の者を《プロトジェ》として迎えたがらない《メントー》もいますしね。
もうひとつの理由は個性の問題でしょう。当初、私たちは「《メントー》は「与える側」だと思っていました。ところが2回目のサイクルが始まってしばらくした頃から、「得るものがいろいろあるよ」という《メントー》たちからの声を聞くようになった。《メントー》にとって、「与える」よりも「得る」ものの方が大きいということに、徐々に我々は気づきはじめたのです。それ故に、我々運営の側も「伝授」よりも「交換」に強調を置くようになったのかもしれません。ロレックスとしてはこの成り行きを見て自信を深めましたね。なにせこの事業は、「何かが起こってくれればいい」なんて期待をしながらも、「まったくの赤の他人同士をくっつけてしまう」という、非常にコワイことをやっているのですから。わかるでしょう?

──いわば「強制見合い」みたいなものですものね。
(笑)、そう。「まだ離婚は起こっていないね」なんてよく内輪の冗談を言っているくらいです。もちろん、ペアの親密さの度合いはさまざまですが、少なくとも皆それなりの関係性を構築しています。それゆえに、今では我々も「この事業は機能している」との確信を深めています。ロレックス社は常にリスクをかけた挑戦をしていますが、この事業の成り行きを眺めるにつけ、以前よりは気持ちを楽に持てるようになりました。
 
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