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Presenter Interview
The Kunsten Festival des Arts, making Brussels a center generating new trends in contemporary art
現代アートの潮流を生み出す震源地 ブリュッセルのクンステン・フェスティバル・デザール
──次に、共同制作について伺います。KFDAはなぜ共同制作をするのか、KFDAにとって共同制作とは何を意味するのか、その背後にある哲学とはどのようなものか、お聞かせいただけますか。
 まずフェスティバルをするには2つの方法があると思います。1つは、ショッピングバックを携えて世界中で作品を見て周り、面白い作品をピックアップしてフェスティバルの枠で紹介すること。それはそれで素晴らしいことだし、実際KFDAでも一部のプログラムはこれで成り立っています。もう一方で、フェスティバルは、アーティストが新たな作品を創造し発表するのを支える役割も担っていると考えます。ですからKFDAでは、比較的作品を創造・発表する機会が少ないアーティストにこそそうした機会、方法を差し出したいという意識が強くあります。例えばフォーサイスやローザスは、KFDAでも何度も紹介していて常に私たちの興味をひきつける素晴らしいアーティストたちですが、今、必ずしも彼らの制作にフェスティバルが支援する必然性はない。一方でまだそれほど有名でない若手アーティストが新しい作品にチャレンジすることを、共同制作という形で間接的に支援していくことはフェスティバルの大きな存在意義といえます。
 共同制作には2つの側面があります。ひとつは純粋に財政的な側面、つまりフェスティバルがお金を出資=投資するという側面です。二つ目は内容面において、フェスティバルがそのプロジェクト、その作品に対して内容面で支えるという側面です。我々が共同制作をする場合、まず大前提としてそのアーティストに何度か会ったことがあり、彼のそれまでの作品も観てきて、彼との信頼関係が築けていることがあります。私たちは彼を信じ、彼が作品を作ることを心から支えたいと思う。この信頼関係によって、アーティストとの間に盛んなコミュニケーションが生まれ、そのアーティストの現状や今後について相談を受けたり、時にはリハーサルに立ち会って意見を求められたり、時には他のアーティストとのコラボレーションについてアドヴァイスをしたりすることにも繋がるわけです。ですから共同制作には財政的な面だけではなく、芸術的および精神的な支えという意味での内容面と、2つの側面があります。
 共同制作に参加するということは、時にまだ自分が一度も見たこともない作品を観客に向かって紹介することになりますから、それなりの勇気や覚悟が必要だし、また観客に対しても説明責任が生じます。それはリスクでもありますが、そのリスクを観客とも共有することが必要です。もちろん観客もそのことは理解していて、共同制作の作品はある種の好奇心をかきたてる、どんなものか分からないなりの楽しみ方、発見をしてくれていると思います。共同制作の場合、これまでの何度かKFDAで紹介してきたアーティストばかりですから、前の作品との連続性の中からそのアーティストへの好奇心が高まるとも言えるでしょう。

──共同制作を提案する場合、まず他のフェスティバルや劇場など他の共同制作パートナーとの連携が必要ですし、誰がどのタイミングで共同制作をアーティストに提案をするかについては、様々なパターンが考えられえると思いますが。
 もちろん他のパートナーたちが必要です。KFDA単体として共同制作に出資できる金額は限られていますし、それは作品全体の制作費に対しては十分ではありません。アーティストが既にカンパニーや制作会社など組織をもっていて海外とのネットワークにも通じている場合は、自分自身で共同制作のパートナーを見つけることができますが、まだアーティストが若くて組織力やネットワーク力が弱い場合は、フェスティバル側で海外のパートナーを見つけるように手助けをしてあげます。岡田利規さんの次回の新作もそのようにして、私が他の共同制作のパートナーとのつなぎ役を果たしました。また、アーティストがまったく制作機能を有していない場合は、フェスティバルが完全に作品の制作(プロダクション)を担う場合もあります。つまりフェスティバルが個々の俳優や技術スタッフと直接契約を交わし、作品制作のマネジメントをも担当する。この場合はフェスティバルが制作の主体となり、後から他の共同制作のパートナーが見つかるということもあります。これはフェスティバルから委嘱する特別作品の場合が主ですが、例えば前回のフェスティバルでは、我々からウースターグループ にオペラの制作を依頼し、その制作をフェスティバルが行ったので、我々のほうから他のヨーロッパのパートナーを探し資金を集めました。06年のクリストフ・マルターラーの作品もそうでした。
 果たしてフェスティバルが制作機能まで果たすべきかどうかは、我々の間でも議論の分かれるところです。制作を行うには、それに適したインフラストラクチャーが必要ですが、KFDAは事務局のオフィス以外には、劇場やスタジオを持っていません。制作に着手するからには、アーティストやそのチームが集まって作業する場が必要ですし、単にフェスティバルを運営するのとはまた別のノウハウが必要となります。例えば06年にクリストフ・マルターラー の新作をKFDAが製作したときも、作品の巡回も我々サイドで手配し、ツアー先の劇場やフェスティバルと我々が直接契約を取り交わすということがおきました。このように作品制作とフェスティバル運営を両方やっていくのは、先ほども申しましたようにたった6名しかパーマネント・スタッフがいない小組織にとっては、大きな負担となってしまいます。

──そのような状況にはとても共感します。幸い私のいる東京国際芸術祭(TIF)は、フェスティバルと平行して稽古場や劇場といったハードも持っていますが、フェスティバルを運営しながら場所を運営し、かつ作品の制作もやっていくというのは至難の業ですよね。
 さて、こうした理念に支えられたクンステンで紹介されることは、若いアーティストにとってどんな意味を持っているんでしょうか。例えばクンステンでの初演後、岡田利規さんのもとには世界中から多くのプロポーザルがあったと伺っていますが。

 とても微妙な問題ですね(笑)。確かにKFDAは新しいアーティストの「発見」のフェスティバルとしての評判を得ています。既に評価の定まったアーティストだけではなく、まだヨーロッパで紹介されていないアーティストをヨーロッパに紹介するのが私たちの役割のひとつです。しかし、私が一番重要視しているのは、まず観客です。例えば岡田さんの作品を、私は素晴らしいと思いプログラムに選んだわけですが、その作品を観客と分かち合いたい、という思いが最初にあるわけです。確かにKFDAは海外からの多くのプロフェッショナルが来て、今日の現代芸術の参照点のような存在となっていて、例えば私のように世界中をまわって現地で作品を観ることに多くの時間を割くことが出来ないプロフェッショナルにとっては、KFDAに来ることで世界中の作品を一度に見られる機会でもあるわけです。
 しかし、こうした役割や効果を持つKFDAには、逆に大きな責任も生じてしまいます。つまり逆にマイナスの波及効果をもたらしてしまう危険性もある。ある作品が、世界中のプロフェッショナルが集まっている場で、我々が期待したような受け取られ方をしないこともあるわけです。ですから我々は、性急なやり方を避けねばなりません。
 とても正直に言って、私はKFDA後に岡田さんに訪れたある種異常な状況を、まったく予想していませんでした。もちろんいろいろな提案をもらうことは彼にとっては素晴らしいことだとも思いますが、一方で、怖い状況だと思います。というのも、どういった形で彼の作品が日本以外の場所で受容され得るのか、彼の作品は日本の若者の生活や言語(スラング)に密接に関わっているので、翻訳の問題にしても、それほど単純な話ではない。実際私が日本以外の場所で始めて紹介したときも、とても怖かったし、これからも彼が次の作品を発表してそれが一作目に比べて成功度が低い場合、あっさりと背を向けてしまう人々が出るのではないか。もちろん私自身は、岡田さんの仕事はそれに耐えうるだけの十分な強度があり、成熟していると信じています。だからこそ慎重に、時間をかけたいと思います。岡田さんの場合は、一作品を一度見ただけですぐに決断できましたが、それはむしろ例外的で、アーティストの作品を4作品、5作品と観て、ようやく6作品目でフェスティバルに招待することを決める場合もあります。ここで慎重にならないと、成功したらそれでもいいですが、失敗したときは本当に悲惨なことになる。フェスティバルには大きな注目が集まっていますから、失敗したら世界中から「だめな作品」というレッテルを貼られることにもなりかねません。だからといって評価の定まった確かなアーティストだけを紹介するということではありませんが、一方で、まだ若くてフラジャイルな状態のアーティストをプログラムすることも避けなければなりません。今日、十分にそのレベルに達したアーティストを注意深く判別し、国際的な批評や評判にも耐えうるかどうかを見定めなければならないのです。
 岡田さんがKFDAで成功して以来、日本のアーティストからまるで私が彼らのキャリアを救う「救世主」のような眼差しで見られてしまうことがあるのですが(笑)「KFDAで紹介されれば、世界的に成功する」といった考えは、まったくの幻想で、ある一人の人間にはそうだったかも知れないけれど、他のアーティストにはそうでないかも知れないわけで・・・だからこそこういった問題は、非常に微妙だし神経を使います。
 
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