The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
The Playwrights' Center of Minneapolis, encouraging US-Japan theater exchange as a resource supporting the development of playwrights
劇作家育成の専門機関として日米の劇作家交流にも尽力 米ミネアポリスのプレイライツ・センター
プレイライツ・センター
PWCの看板
プレイライツ・センター
PWC内オフィスの真ん中に劇作家やゲストアーティスト用のコンピューターワークステーションが置かれている
プレイライツ・センター
PWC内ウエアリング・ジョーンズ・シアター内の仕込み風景











*11 一部分や言葉を、全体の文脈を考慮して考えたり発話したりする度合いの高い事。
──日本人作家の米国での経験と、米国人作家の日本での経験の違いについて、もう少し見解を聞かせてください。
 PWCの「ラボ」で日本人作家が共同作業をする場合は、作家が英訳された戯曲を読むことができるので、一字一句を追いながら翻訳の推敲作業にフルに参加することができます。また、PWC側は、劇作家が一字一句の推敲に参加することに慣れているので、こちらのシステムにも良く合うのです。おそらく、日本で行う英文和訳より、こちら行う和文英訳のほうがより良い仕事ができているのではないかと思います。実際に、「ラボ」での日米共同作業は、米国人演出家に少しは解釈の可能性も与えたほうが良いという若干の問題以外、日本人作家の全面参加のもと、概ねスムーズに、気持ちよく進められてきました。
 日本と違って米国では、(戯曲が本公演にいたるまでの)プロセスが分断されています。劇作家がある所に住んでいて、また別の所に演出家がいる。そして劇場がまた別の地にある。芝居をつくるために、皆があちこちから一箇所に集まってくるのです。一方日本では、劇作家が演出家を兼ね、さらに劇団を持っていて、自分の作品を自分のグループで上演する、つまり全てが最初から一箇所に集まっている場合が多いように見受けられます。そしてその結果、それぞれの劇団がそれぞれの美意識と感性を持っていて、各劇団がどういった作品を上演するか、ある程度、周囲に知られているようです。それで、こちらから日本に戯曲を送ると、それぞれの劇団の固有の美意識にある程度引き込まれてしまうという現象が起こります。これは米国人作家にとっては、興味深くもあり、問題を感じたりもする点です。逆に、日本人の作家がこちらに来る場合のチャレンジやフラストレーションは、「私がこの作品の作家であり、演出家であり、プロデューサーでもある」という気持ちを乗り越えていかなければならないところにあります。

──「ラボ」が戯曲に与えるインパクトについて。例えば、本谷有希子さん原作の『Vengeance Can Wait』(原作『欲望と待機』)は、2006年7月の「プレイラボ」での作業の後、再度、2007年にガスリー・シアターのダウリング・スタジオで二度目のワークショップと公開リーディングを行いました。それを観にきた地元のアジア系アメリカ人の劇団、シアター・ムーの関係者が、この作品を気にいって、2008年の2月にリーディング公演を実施しました。そしてこのインタビューを行っている4月末、『Vengeance Can Wait』はニューヨークのPS122で本公演として上演されています。度々の「ラボ」での作業とリーディングを経たこの作品は、新しい芝居と言えるのでしょうか?
 『Vengeance Can Wait』は新しい作品だと思います。私にとって、翻訳の魅力はそこにあります。私個人の翻訳に関する知的見解は、「言葉から言葉への直訳では本当の意味をなさない」とうものです。この業界の中にも、日本人アーティストの中にも、私と同意見の人は沢山いますが、これまでの日本の戯曲の英訳に、「良い翻訳」は少なかったと思います。日本語の言葉一つ一つを英語に訳そうとしたので、アメリカ社会の文脈において本当の意味をなさず、その結果、シアトリカル(劇的)な作品にならなかった。私たちは、もちろん、原作のテキストの一語、一語を英訳する作業も沢山しましたが、原作のテキストのもつスピリットに完全に忠実でありながら、アメリカの観客がシアトリカルに感じる芝居を作りました。
 『Vengeance』は、原作に忠実でありながらもまったく別の作品になった。これは、非常にすばらしい戯曲翻訳が達成されたということだと思います。例えば、原作の「妹萌え」を背景にした兄と妹の関係という社会現象は米国には存在しませんから、米国版の芝居が、原作のテキストに全く忠実であることはできないのです。アメリカのクリエイター・チームは、「お兄ちゃん」のかわりに“Daddy”という別の要素を戯曲に持ち込む必要がありました。このつながりを見つけるのにも、ものすごく時間がかかりましたが、私たちは、このような解決の道を探すことに本当に成功してきたと思います。
 私たちは、一つ一つの課題や疑問に取り組むたびに、より良い方法や答えを学んできました。もちろん、まだ答えが見つからず、悩み続けていることもあります。例えば、英語での上演の際に、日本人の名前をそのままにするのかどうか、又は、これらの作品はアジア系アメリカ人にしかできないのか、あるいは白人やいろんな人種の混合キャストでもできるのか。こういった問いに対して、きまった正解はないのかもしれません。日本は「ハイ・コンテクスト」(*11)な文化ですが、それぞれのコンテクスト(文脈/場合)によると思います。自分がどのようなコンテクストにいるのか考えて、芝居を上演することを考える必要があるでしょう。今、ニューヨークで上演中の『Vengeance Can Wait』は、全員アジア系アメリカ人キャストですが、それはきっと、PWCでのステージ・リーディングとはまったくちがった演劇体験になる筈です。ちなみに、本谷有希子さんは、こちらでのワークショップとリーディングに関して、アジア系俳優に全くこだわらない、ということでした。

──今後、日本の他ともこのような劇作家交流を考えていますか?
 日本との劇作家交流プロジェクトは、残すところ、二人の日本人劇作家の招聘で、今年で終了します。でも、せっかく良い信頼関係とシステムを築いたのですから、たとえば一年に一人か、二年に一人の割合で作家を招聘するなど、なんらかの形で続けていきたいと思います。私の個人的わがままを言わせてもらえば、私は、日本の文化と、日本からでてくる作品がとても好きなのです。次はどの国のどの作家かということに関して、今、何人かと話をはじめたばかりですが、私はとても慎重です。日本との交流プロジェクトに関しては、本当に幸運だったと思っています。このようなプロジェクトのキーとなるのは、双方のコミットメントです。そして、それはCTNの吉田さんが双方、二つの文化の仲介役となってくれたからこそ実現したのです。このような専門性とコミットメントを備えたプロジェクトは、そう簡単には見つかりません。
 
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