The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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ラルフ・サミュエルソン
Profile
ラルフ・サミュエルソン氏
(Ralph Samuelson)
アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)上級顧問
コーネル大学卒業後、ウェズレイアン大学にて音楽の修士号を取得。民族音楽学の講師、フェスティバルのリサーチャーを経て、1976年よりACCの前身であるJ.D.R三世ファンド財団に勤務し、1992年よりACCのディレクターを務める。今年7月から現職。ACCにおける職務の他、尺八の奏者としても古典曲・現代曲の両分野において、第一線の演奏者としてのキャリアを築いている。

アジアン・カルチュラル・カウンシル
http://www.asianculturalcouncil.org/
アジアン・カルチュラル・カウンシル
Arts Organization of the Month
Presenter Interview
2008.8.8
Looking into the heart of the Asian Cultural Council, an organization that has helped support over 5,000 artists 
5000人以上のアーティスト等を支援 アジアン・カルチュラル・カウンシルの精神 
アジアン・カルチュラル・カウンシル(Asian Cultural Council)は、芸術分野におけるアメリカとアジア諸国の交流を目的に、アジアのアーティスト等がアメリカに滞在し、また、アメリカのアーティスト等がアジアに滞在するための奨学金制度を45年以上にわたって継続してきた有名な財団。これまでに5000人を超えるアーティストや研究者たちが、ACCの奨学金制度を活用して交流してきた。そのフェロー(奨学金受給者)には後に世界的に活躍するようになった著名なアーティストも多く、これまでに築いたアジア・ネットワークの価値は計り知れない。そのACCに32年間にわたり携わってきたのが、この7月に17年務めたディレクターから上級顧問となったラルフ・サミュエルソン氏である。アーティストたちのよき理解者であり、アジア・ネットワークの要とも言えるサミュエルソン氏に、同じく日米交流を牽引してきたジャパン・ソサエティーの塩谷陽子氏(アーティスティク・ディレクター)が奨学金制度を支えた思想について聞いた。
(聞き手:ジャパン・ソサエティー芸術監督 塩谷陽子


──アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)は、アーティスト支援を行う米国の助成財団の中でも最も寛容なやり方で助成金(奨学金)を提供するところのひとつです。
 そうですね、我々の助成は小規模ですから、「額」の面ではなく「援助の方法」という意味において、おっしゃる通りでしょう。我々の援助はお金だけではなく、アーティストたちが彼らの目的に到達できるよう一連のサービスを提供することをも含んでいます。その結果、彼らは母国に戻って仲間や所属先に多大なインパクトを与えます。フェローたちは、細心の注意を以て選ばれ、細心の気配りを以てサポートされる──これが我々のプログラムの特徴のすべてです。

──その「気配り」ということには本当に感服しています。なにしろACCのケアは、海外からのフェローたちが異国に数カ月滞在するために「住む場所を手配する」といった実質面だけではないですものね。ACCから助成を受けた人々との数々の会話によれば、例えばあるアジアのアーティストがニューヨークに滞在している間、ACCのスタッフはそのアーティストに会って、彼が何に興味があり何をやりたくて、そしてどこに行きたいのかを聞く。それを実現できるよう手助けするのはもちろん、さらなる情報の提供や、「あの人に会ったらこのアーティストの将来に役だつだろう」という人々とのミーティングまでセットアップしてあげる。そのアーティストの英語力が不十分な場合には通訳の手配までしてあげる、といった具合ですから。この「細心のケア」というポリシーは、いつから始まったのですか?
 ジョン・D・ロックフェラー三世(JDR 三世)氏の考えでした。1963年にJDR三世氏は自ら出資をして、J.D.R三世ファンド財団を設立しました。小さな財団ですが、「米国とアジア諸国との間の文化交流をサポートする」という目的にはっきり焦点を定めた財団でした。「多少のまとまった金を持っていたとして、それを文化交流とその発展のために使いたいとしたら、何が最良の方法だろう?」と、JDR三世氏はポーター・マクレイ氏に相談したのです。ニューヨーク近代美術館の「国際展覧会」というプログラムを作り上げた人物で、「米国の美術を海外へ送り出す」という事業──主にヨーロッパとラテン・アメリカ方面でしたが──におけるMoMAの最初の試みでした。JDR三世氏とマクレイ氏は膝を突き合わせて相談し、マクレイ氏はJ.D.R三世ファンド財団のプレジデント職に就くことを承諾しました。
 「才能のある《個人》に助成金を提供しよう」というのが、彼らの決定でした。大きな組織が行う一展覧会に小さな金額を寄付したりするよりも、ずっと効果的なプログラムを行う、つまり、「最高の人材を注意深く選び、彼らの目ざすものに対して細心の手助けを施してやれば、小さな金も大きなインパクトを生むはずだ」、そう彼らは考えたのです。
 それは、一個人が発揮し得る力というものを信じることに繋がります。この種のインパクトが起こり得る機会を最大限に作り出してやるプログラムというのは、非常に手間のかかる贅沢なものですが、それは当時のJDR 三世氏の考えを反映しており、今もってこの発想が我々の事業の核となっています。

──ACCが非営利の財団として発足したのは1980年ですよね。けれども数年前にACCは「40周年記念」と銘打った資金調達のガラを行っています。つまりJ.D.R三世ファンド財団の設立をACCの誕生だというふうに計算しているのですね?
 そうです。JDR 三世氏は、当初3種類のプログラムを設けていました。最も主要なものが「アジアン・カルチュラル・プログラム」と名付けられたアジアとの文化交流事業です。《アジア》とは、西はアフガニスタンから東は日本までという範囲で、この地理的な定義は現在も健在です。彼はまた教育における芸術の役割ということにもたいへん関心を持っていましたので、「アーツ・イン・エデュケーション・プログラム」という事業も作りました。小さな事業で米国内だけを対象としたものでしたが意義深いものでした。3つ目はほんの数年しか存続しなかった「青少年プログラム」。しかし何にせよ中心になっていたのは「アジアン・カルチュラル・プログラム」です。芸術という分野の中で、作家や学者や芸術にかかわるプロの人たちという《個人》を対象にしたフェローシップ・プログラム、つまり今の我々の事業は、基本的にこの1963年時に作られたプログラムの体系とまったく同じです。「継続は力なり」です。その歴史を今からお話します。
 JDR 三世氏は、ロックフェラー家の三世代目にあたります。寄付行為を行う篤志事業のプロであり、もの静かで縁の下の力持ちという方でした。プリンストン大学を卒業後、1929年に初めてアジアを訪れて以来アジアに惚れ込み、戦後のサンフランシスコ講和条約の後には、ジョン・フォスター・ダラス(アイゼンハワー大統領政権時、1953〜59年に国務長官)の一行に同行して再び日本を訪れました。文化面での交流関係を築くという任務を与えられていたためです。その後も、妻のブランシェットと共に日本以外のアジアの国を訪れ、彼らは特にアジアの美術に傾倒します。当時の戦後世界情勢において、アメリカとアジアの人々はもっと互いを深く理解しあう必要があると強く感じた彼らは、米国とアジアという異なる二つの世界の関係を築くべく様々に尽力しましたが、中でも大きなのは(貴女もよく知っているように)ジャパン・ソサエティーの再建(JDR 三世は、1952年にジャパン・ソサエティーのプレジデントに就任)、そして1956年にアジア・ソサエティーを設立し、翌1963年にJ.D.R 三世ファンド財団を作ったのです。
 ところが1978年、JDR 三世氏は不慮の自動車事故で亡くなります。高齢ではありましたが、死ぬことなど念頭になかったから、J.D.R 三世ファンド財団を今後どうしていくかとかいう遺書もありませんでしたし、財団には基金もありませんでした。その頃には「アーツ・イン・エデュケーション」プログラムは終了していましたから、J.D.R 三世ファンド財団の活動はアジアン・カルチュラル・プログラムだけでした。
 とにかく長い話を要約すれば、彼の遺産の管財委員とブランシェットたちはアジアン・カルチュラル・プログラムの意義を認め、このプログラムは存続させるべきだとの合意に達したのです。そこで、彼らは小さな基金をこのプログラムのために設けると同時に、J.D.R 三世ファンド財団を、公からの寄付を募って運営される501(c)3というステイタスの組織、つまり民間NPOにしました。

──それが1980年なのですね?
 そうです。「外に出かけて行って運営資金調達することで、このプログラムを存続させなさい」ということです。さらに我々は、この新組織を「アジアン・カルチュラル・カウンシル」という名前に変えました。新しい名前、新しい運営体制、そして外に出かけていって公に資金を調達する──その始まりが1980年なのです。フォード財団、スター財団、そしてメロン財団、さらに堤清二氏と西武セゾングループが、国際交流基金を通じて資金提供してくれたのです。さらに、その他の方面からも寄付を得るべく、年次ごとの資金調達も開始しました。そうしてアジアでの運営資金を拡大していったのです。

──ACCはアジアのいくつかの場所に自営の事務所を構えていますね。
 最初の事務所は、堤氏の援助によって誕生した「ジャパン・プログラム」を行うための日本事務所でした。1985年には香港事務所を、1995年には台湾事務所、2000年にはフィリピン事務所を開設しました。東京・香港・台湾・フィリピンの各地域には、各現地で我々とともに資金調達活動をしてくれる人々がいますから、この4つの場所では、他のアジアの地域よりも多くのことができます。

──ということは、この4つの場所で調達された寄付金は、それぞれの場所のためにしか使えないという限定条件付きなのですか?
 各地は互いに少しずつ条件が違っていますが、基本的にはその通りです。例えば香港の場合、香港で調達した寄付は香港と中国全土の個人と団体を対象に使えますが、台湾からの寄付は台湾だけ、フィリピンもフィリピンだけです。
 
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