The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
Looking into the heart of the Asian Cultural Council, an organization that has helped support over 5,000 artists
5000人以上のアーティスト等を支援 アジアン・カルチュラル・カウンシルの精神
──舞台芸術の分野における助成の成果の実例をいくつかお話いただけませんか?
 どなたか外部の方にお話いただくほうがいいかとも思いますが、私自身は、作曲家の例をいくつも思い起こします。例えば近藤譲。確か1979年か1980年に、ACCの助成で1年間ニューヨークに滞在しています。当時の彼は若手の作曲家で、ジョン・ケージやあの一連の作曲家によるアメリカの現代音楽に興味を持っていました。近藤譲のここでの経験は、そういった作曲家と実際に交流を深めることができたというだけでなく、彼が世界の作曲界のどこに位置するのかをよりよく理解するための重要な経験となりました。彼自身ならもっと正確にこのことを説明できると思いますが。その3〜4年後に、佐藤聡明がやはりACCの助成で(ニューヨークに)来ました。彼は、西洋の影響を受けつつも、彼のバックグラウンドや受けた教育、美学という観点からみてももっとずっと日本というものに比重を置いている作曲家であり、思想家です。ですから、その彼が日本を出て、ニューヨークという国際的な環境の中に身をおいたことは、劇的なことだったと思います。

──ニューヨークにいて、彼が自分自身のアイデンティティを見直したとか、日本人としての意識を深くしたとか、そういう意味ですか?
 佐藤聡明にとって海を渡りアメリカで過ごすというのは、挑戦だったと思います。どのような発展をみたかという面においても、よっぽど強烈な経験だったのでしょう。彼の音楽を聞いたアメリカ人はたいへん好意的でした。しかも、日本よりも早くアメリカで彼の音楽は演奏されるようになった。彼の音楽が国際的に演奏されるようになってようやく、日本の人々も彼の音楽を弾くようになりました。キャリアという意味で、非常に実践的な成果を生みました。

──他の分野ではどうでしょう?
 近年の例をあげましょう。乙女文楽の桐竹繭紗也と知られる木村真奈美です。彼女のACC助成の一段階目はインドネシアへの1カ月滞在で、かの地の棒使い人形劇や影絵人形劇を初めて見て、彼女は非常に感銘を受けました。その後の5カ月の米国滞在も彼女にとってすばらしい体験で、バジル・ツイストやダン・ハーリンといったニューヨークの現代人形劇のアーティストたちと出会って、相互に影響を与え合いました。

──バジルもダンもふたりとも日本の伝統劇な人形芝居から深い影響を受けたアーティストで、しかも独自の人形舞台を創造してきています。バジル・ツイストもACCのフェローですし。
 ここニューヨークだけでなく、ラリー・リードのような西海岸のアーティストにも木村真奈美は出会っています。非常に様々なことが派生的に起きて、しかも彼女はここで出会った人々との関係を今も継続して、そのことが彼女をヨーロッパに誘うという結果をも生んでいます。また彼女は、「言語の壁」という意味でも非常に面白い例でした。英語はあまりしゃべれなかったのですが、それでも人々とのコミュニケートに尻込みすることなく、実際、まったく英語をしゃべらないままに自分の人形の技術・芸術を使って人々とコミュニケーションできていました。

──アメリカ人がアジアを訪れるという逆方向で成果を上げた実例はありますか?
 実にたくさんありますよ。例えばカレン・カンデルという女優で、マブー・マインズをはじめ多くの実験演劇の演出家たちと仕事をしています。ACCの助成で彼女は初めて日本を訪れました。目的のひとつは、当時オン・ケン・センが作っていた新作の『芸者』という作品に出演するための準備で、芸妓にインタビューをするというものでした。ACCと付き合いのある芸術分野の人々は芸妓の世界とのつながりがなかったので彼女を助けるのは難航したのですが、最終的には、ACCは彼女の調査を手助けすることができました。滞在中、彼女は能に非常に傾倒しまして、能の稽古を始めました。以来、彼女は機会をみつけては日本に通っています。彼女は非常に多くの日本のアーティストとの交流を深めています。

──よくわかります。実際、アメリカ人にしても日本人にしても、一度ACCの助成で互いの国をおとずれた人は、その後も再訪するというケースを何件も知っていますから。さて、ACCのフェローには、「国際スター」的なアーティストも大勢いますよね。
 スターというカテゴリーなら、村上隆の話をしましょうか。ACCの助成を得たのは1992年、彼がまだ若い美術作家だった頃のことです。「物議をかもす」といった類いの注目を多少は受け始めてはいましたが、もちろんスターなどではなく、ニューヨークのP.S.1で1年を過ごしました。P.S.1は、1977年以来「インターナショナル・スタジオ・プログラム」というのをやっていまして、80年代の半ばからは「ジャパン・スタジオ」を開始したんです。ACCは毎年、P.S.1のスタジオで制作滞在をする日本からのアーティストに助成をしていました。村上隆はそのプログラムの参加者でした。川俣正もそうですよ。あと、祭國強も。彼は当時日本に住んでいましたから。ただし、残念なことにP.S.1は近年インターナショナル・スタジオ・プログラムを撤廃してしまいました。

──関係者の間では、「ACCのフェローばかりだよね」、という話題が時々出ます。例えば、経済的にとか、キャリアの上でとか、あるいは国際的な名声を得るとか、成功したアーティストが登場するたびに「あ、この人もACCのフェローなのか」とわかる。「ACCのフェローが世界を制覇しているみたいだなぁ…」と私たちは語り合っているのですが、そのことについてどう感じていらっしゃいますか。
 フェローの多くが、重要な仕事をしていたり、業界で名の通った存在になっているというのは素晴らしいことです。しかし、多くのフェローは、人々が名前を聞いたこともない人々です。名の売れた人というのは、ほんの一部です。もっといればいたに越したことはないとはいえ、例えば、チエンマイ市の小さな劇場の演出家や、ホーチンミン市にいる美術作家、ソロ市の振付家など、知られていない人々は大勢います。つまり「ACCが世界を制覇している」などというのは正しくありません。そんな例も2〜3あるかもしれませんが、我々のプログラムは基本的に非常に小規模なものなのですから。

──フェローはみんな、助成期間の終わった時に報告書を提出しなければならないはずですが、例えば、申請の時に「これこれがしたい」と書いた内容と、実際にその人が他国での滞在期間中にしたことが全く違っていた場合、それでも良いのでしょうか?
 もちろん、問題ないです。ひとたび、他国の文化にさらされて異経験をしたならば、人の考えは変容するものです。つまり、新しい場所で新しい経験をするにつれて、当初定めた方向や目的が変わるのは、ごく自然なことだと思っています。

──ではこんな場合はどうでしょう? これは実際に私が知っている事例なのですが。アジアからのフェローがニューヨークに滞在していて、一方、ACCのスタッフは彼が滞在中に出会ったら彼のキャリアの役に立つだろうと思われる面白い人々と彼を巡り会わせるべく、アポ取りに腐心している。しかし、その人はこういうサービスをうっとうしいと感じて、自分のアパートに引きこもっている。助成金のおかげでニューヨークにいるのに、どこにも出かけない、誰に会おうとしない…。
 問題ないです。もしも引きこもることが彼にとって役立つことであるならば。そのフェローが、例えばモノを創るアーティストだとして、ならばひとりで考える時間が必要なのかもしれず、その結果の引きこもりかもしれない。それはオーケーです。

──つまり、全面的に信頼しているということですか?
 もちろんです。まぁ、それ故、このプログラムも100パーセント完ぺきではないかもしれないし、リスクも負っています。ですが、我々は常に、フェロー個人に抱いた印象と信頼関係の上に立って助成の決定を行っているのです。
 
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