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オ・テソク(呉泰錫)
Profile
オ・テソク(呉泰錫)氏
(Oh Tae-sok)
韓国国立中央劇場・国立劇団 芸術監督

1940年生れ。劇作家、演出家。延世大学哲学科卒業。1964年、『化粧した男たち』(未公演)で韓国日報新春文芸長幕佳作を受賞し作家としてデビュー。その後、国立劇場に『換節記』『高熱草』『山茱萸』などを書き下ろし、作家として活動。1984年に劇団木花を旗揚げして以来、自作の演出も手掛け、韓国を代表する劇団として日本、イギリス、インド、中国などでも数々の公演している。呉泰錫の演劇美学は、韓国の伝統演戯であるパンソリの三・四調を基調とした台詞にあり、俳優の身体表現に韓国独自の喜怒哀楽を用いるなど、伝統から多くの影響を受けている。多数の各種演劇賞を受けるとともに、2004年には大韓民国文化芸術賞を受賞。現在、劇団木花代表、韓国国立中央劇場国立劇団芸術監督、ソウル芸術大学劇作科名誉教授。



韓国国立中央劇場
http://www.ntok.go.kr/ntok_eng/index.jsp
韓国国立中央劇場
Presenter Interview
2008.11.4
Oh Tae-sok, a genius of Korean theater and Artistic Director of S. Korea's National Theater and National Drama Company 
韓国演劇界の鬼才、オ・テソク(呉泰錫)韓国国立中央劇場・国立劇団芸術監督に聞く 
今年、韓国演劇界は“新演劇(新劇)100年”を迎えた。韓国国立中央劇場も韓国演劇1世紀の歴史の60年近くを支えてきた。2006年に国立中央劇場の芸術監督に就任し、最後の年を新演劇100年という年とともに過ごしたオ・テソク(呉泰錫)氏に、国立劇場と国立劇団、そして演劇への想いについて聞いた。
(聞き手:木村典子)


──韓国国立中央劇場は韓国演劇人たちにとっては故郷のような存在と言われていますが、その歴史と機構をご紹介いただけますか。
 韓国国立中央劇場は1950年4月にアジア初の国立劇場として設立されました。当時はここ南山(ナムサン)ではなく、市内の太平路(テピョンロ)の方にありました。日本が韓国を統治していた1935年に京城(キョンソン)府が府民のためにつくった「府民館」という大規模劇場があったのですが、光復(クァンボク)(1945年8月15日)後、米軍に接収されて一時使用され、1949年にソウル市の所有となりました。この建物が、国立劇団の旗揚げとともに国立劇場として再開したわけです。
 しかし、開館後間もなくの6月に朝鮮戦争が始まり、国立劇場は慶尚北道(キョンサンプクド)の大邱(テグ)に一時的に移転を余儀なくされます。そして、1957年6月、明洞(ミョンドン)にある芸術館を引き受け、ソウルに帰還しました。この建物も1935年に日本人が建てた明治座という元・映画館でした。国立劇場もまた韓国の近現代史から逃れられない時間を過ごしてきたわけです。
 現在の国立中央劇場は、1973年に開館したものですが、日の出(ヘオルム)劇場(1,563席)、月の出(タルオルム)劇場(427席)、星の出(ピョルオルム)劇場(約100席)、野外劇場の空(ハヌル)劇場(約600席)の4つの劇場があり、現在は国立劇団、国立唱劇団、国立舞踊団、国立管弦楽団の4団体が所属しています。

──2006年に国立劇団の芸術監督として就任されましたが、それまでもずいぶんと国立劇団でお仕事をなさってきましたよね。
 ええ、おそらく国立劇団でもっとも多く仕事をしてきた演劇人のひとりだと思います。余談ですが、大学生時代に書いたデビュー作ともいえる『栄光』(1962)も明洞の国立劇場で公演しました。ある日、明洞の喫茶店で朴正熙(パク・チョンヒ)将軍がラジオ訓話で「市民芸術祭」を開催すると宣言したという話を聞いて、その翌日が締切りにもかかわらず、この『栄光』という作品を書きました。当時としてはものすごい額の賞金でしたし、国立劇場で公演できるというので、即席で「回路舞台」という劇団までつくって(笑)。
 その後、『換節期』(1968、林英雄(イム・ヨンウン)演出)、『高草熱』(1968、林英雄演出)、『女王と奇僧』(1969、李眞淳(イ・ジンスン)演出)、『飼育』(1970、ナ・ヨンセ演出)、『山茱萸』(1980、李海浪(イ・ヘラン)演出)などの作品を国立劇団に書き下ろし、1978年の『飛沫』からは劇作と演出の両方で一緒に仕事をしてきています。

──国立劇団は、韓国演劇界においてどのような存在ですか。
 韓国には、演出、俳優、スタッフなど、演劇に関わる人々が、経済的に保障されている専門劇団がほとんどありません。唯一あるとすれば、国立劇団のように公的機関が運営する国や市の芸術団体だけです。私は劇団木花(モックファ)という劇団も運営していますが、多くはこのような小劇団です。小劇団の場合、俳優たちは30代半ばになると、結婚したり、子どもが出来たりと、経済的な理由から多くが劇団を離れていきます。近頃はプロデュース公演やミュージカル公演が増加し、劇団を離れても専門俳優として活動していける道はありますが、それでも継続して舞台経験を積むのは簡単なことではありません。そのため俳優の層は薄くなっています。
 このような韓国演劇界の状況の中で、国立劇団の俳優たちは一定の社会的保障を得ているため安心して俳優業に専念でき、経験を積んだ俳優から若い俳優まで年齢層が幅広いのが特徴です。しかし、最近は独立採算を要求され、少しずつ難しい状況になりつつありますが、それでも民間劇団や興行会社のように収支に大きく左右されることなく作品をつくることができます。
 このような条件を備えた国立劇団は、正統演劇を志しながら実験的な試みが可能な場であり、時代の流行や潮流に左右されずに演劇活動ができる大きな存在です。また、今年、韓国新演劇は100周年を迎えました。新演劇とは日本でいう新劇のことですが、この新劇の確立と韓国現代演劇の基礎をつくってきたひとつが国立劇場と国立劇団だと思います。
 
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