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Presenter Interview
European arts scene leader Frie Leysen talks about the role and activities of arts festivals
欧州のアートシーンを牽引するフリー・レイセンが見る フェスティバルのアイデンティティとは?
──Meeting Points 5のプログラミングについて詳しくお聞かせいただけますか。
 フェスティバルの準備をするにあたり私は9カ月もの間、中東地域をあちこち旅しました。まず感じた重要な点は、すべての都市はそれぞれ非常に異なっているということです。中東と言えば、私たちは一枚岩的に考えがちです。例えば、ベイルートとダマスカスは車でたった2時間ですが、彼らのマナーは全く違う。比較することさえできません。
 私が心掛けたのは、概して、ヨーロッパ的文脈であるか否かに関係なく中東地域のためのプログラムをつくっていくことでした。つまり、私がこれまで見てきたヨーロッパにおける中東地域を扱うプロジェクトはほぼすべてその逆だったからです。常にヨーロッパや西側の意向を確認するためのプログラムでしかありません。彼らにとってそれは当たり前のことであり、その傾向はどんどん拡大しています。中東のアーティストたちはまさにアート・ヴィクティム(犠牲者)であり、西洋がやっているのは中東へのアート・テロです。
 中東以前には、欧米における中国のアーティストがそうであったように、彼らの仕事はいつも“政治”を扱ったものだと考えられていました。そのアーティストがいっさい政治を意図していなくても、マスコミは「実に政治的作品だ」といった風に書くわけです。中国人がかわいそうでしたね。こういう例は他にもたくさんあるでしょう。このように、西洋のクリシェ(常套句)でものごとがとらえられ、それをいちいち確認し、また新たなクリシェが出来上がる。ですから、私の場合、地元の観客のために、中東地域で仕事をすることは実に興味深いものでした。非常に理にかなっていると思いませんか。発想の転換をし、先入観をなくして頭を空っぽにする。自分自身を洗脳し、目の前にあるものに対してまったく違った見方をするのです。
 もう一つの考えとしては、各都市がもつ長所をよく理解して、それをどのように活かすかということです。長所をさらに伸ばす一方で、弱点についてもよく見極め、開拓していきます。例えば、ベイルートにはいくつかの良い劇場があります。ともにレクチャー形式のパフォーマンスをする同世代(1967年生まれ)のワリド・ラードとラビア・ムルエを輩出した町です。しかし、信じられないことに、彼らは自国で自作を上演したことがありません。また、ベイルートにはダンスの文化はありません。そこに梅田宏明がラップトップ一つ抱えてやってきて、地元の劇場でコンテンポラリーダンスを上演しましたが、私たちにとってはある意味この当たり前のことが、現地ではたいへんおもしろかった。

 具体的には、まず、11都市を交差しながら上演する約40のプロジェクトを選びました。さらに、フェスティバルの期間中、どの都市で、どの作品を、いつ上演するか、といったことをシャッフルしながら考える、クリエイティブ・プールといったものをつくりました。全プロジェクトが全都市に行くことはなく、1都市ですべての作品が見られるわけではありません。こういうスケジューリングと公演地の調整を行うに当たって、私一人では難しいので、各地域にコーディネーターを配して、地元のプレス対応やホテルの予約、チケットの販売など、あらゆるレベルの仕事をしてもらいました。ですから、各地の実施状況は地元のコーディネーターの仕事ぶりに大いに依存しています。いくつかの都市は素晴らしかったわけですが、率直に言って、コーディネーターが力不足だった地域ももちろんありました。もっともそこは計算の上でやっているというところはあります。
 メインプログラムであるクリエイティブ・プールの外側には、地域独自のプログラム「Unclassified」も企画しました。主要6都市で実施しましたが、そのプログラミングには、地元のキュレーターもしくはキュレーションチーム(Unclassified Curators)を任命し、プロポーザルを出してもらいました。カイロ、アレクサンドリア、アマン、ダマスカス、ベイルート、チュニジアで実施しましたが、任命したキュレーターたちはYATFの仲間であったり、地元の若手アーティスト、ギャラリストであったりと、彼ら自身がそれぞれの都市のなかで活動フィールドをもっている個人やチームです。プロポーザルの選定にあたっては、メインプログラムとのバランスや対話、域内の他の都市や地元におけるリアリティをもつかどうかを重視しました。巡演を目的としませんから、サイトスペシフィックで多彩な内容になりました。
 まず私は地元のキュレーター全員と、その周辺にいる多くの若いアーティストたちに会いました。大学を出たてのアーティストなど、普段あまり出会うことのない若者たちと語り合えるたいへん貴重な機会でした。時に、キュレーションをするにはこの子は若すぎる、などと言われたりもしましたが、私はフェスティバルの期間中、彼らキュレーターの成長を見てみたかった。
 例えば、チュニジアでは、セルマとソフィアンという振付家の姉妹がキュレーターを務めましたが、彼女たちは、旧市街のメディナという町で、古い商店やカフェ、ストリート、小さな民家をマルチスペースにした「Dream City」というプロジェクトを立ち上げました。アラブ地域から約60人の若手アーティストが関わり、ダンス、演劇、音楽などのパフォーマンスや、インスタレーションなどのあらゆる内容の展示を行い、観客は地図を片手に町を探索しながら作品を見て回るという仕掛けです。地図を見ながらうろうろ歩き回る人々がこの小さな町にあふれる光景は、実に素晴らしいものでした。

 ダマスカスでは、ウサマ・ガナン(Oussama Ghanam)がキュレーターとなり、20歳代の劇作家、詩人、映像作家の3人のアーティストがコラボレーションしたビデオ・インスタレーション『Of Death and Cafes』をつくりました。ウサマは才気あふれるユニークな若者です。シリア人ですが、数年間フランスで勉強し、ヨーロッパの多くの作品を見て、広い知識を備えています。その後ダマスカスに戻りましたが、砂漠のように飢えた状態だった彼にキュレーターとしてあるチャンスを与えたわけです。その映像作品というのは、カフェに入り浸って「時間をつぶす」という彼らの日常を皮肉った、私が見ても実にクレージーなものでしたが(笑)、他方で全く見たことのない異質な作品でした。ジャンルを超えたコラボレーションをすること自体、ダマスカスでは初めてのことだそうです。彼らのもてるものから何が生まれるか、それこそが私が彼らに与えたかった自由でもあります。ウサマはその後も、自分の国でのフラストレーションに打ち勝つためにいろいろと開拓しているということです。チュニジアでも彼女たちのプロジェクトは続いています。Meeting Pointsの後にも、フェスティバルを超えて、こうした活動が継続的に起こっていることは本当にうれしい限りです。
 また、ベイルートでは、レート・ヤシン(Raed Yassin)がキュレーターを務めました。彼も若いビジュアルアーティストであり、ミュージシャンです。ワリド・ラードやラビア・ムルエの後の世代です。ヤシンたちの世代はもはや戦争を扱うことに飽き飽きしている。戦争は起こっているが、人々は普通に生活をしている。彼は同世代のフォトグラファー、ビジュアルアーティスト、造形アーティストらと共に、ベイルートにある教会で『周辺都市の秘密(The secret of peripheral city)』という作品をつくりました。本人は作品には直接参加していませんが、参加したアーティストから、ヤシンはキュレーターとして完璧な仕事をしていたと聞いています。
 
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