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Presenter Interview
European arts scene leader Frie Leysen talks about the role and activities of arts festivals
欧州のアートシーンを牽引するフリー・レイセンが見る フェスティバルのアイデンティティとは?
──2010年のTheater der Weltのプログラミングに関してどのような考えをお持ちですか。
 世界演劇フェスティバルではありますが、私は演劇だけのフェスティバルにすることに興味はありません。「コンテンポラリー・シアター」について話すとき、演劇と音楽、ダンス、ビジュアルアートとの境界線はどこに存在するでしょう。つまり、そこにある個性や現代性を提示することが大事であって、彼らが扱う作品の形式ではないと思っています。とにかく、本当の“コンテンポラリー”な作品に焦点を当てたい。メインストリームでもなく、伝統的なものでもなく、いかに現代的であるかということを検証します。さらに、国際的なものや非西洋文化圏のものとの繋がりが重要です。
 エッセン市は2010年の欧州文化首都に指定されていますが、この都市は目下自分たちを売り出すことに必死です。欧州文化首都はマーケティング的発想であり、プロモーションのためのものであったりしますが、それはそれとして、私の仕事とは関係ありません。それよりむしろ、世界に開かれたこのプログラムに参加するということが大切です。エッセン市は田舎で、市の境界線が世界の果てのような保守的な場所です。地元の人たちは自分たちのことばかり話しています。世界中のアーティストと出会い、自分たちとは別の、大きな世界があることに気づいてくれることが非常に重要です。さらに、これがヨーロッパ全体に広がっていってほしい。ヨーロッパがナルシズムで、近視眼的なものの見方から解かれていくことを望んでいます。

──招聘するアーティストやカンパニーの候補について可能な範囲で教えてください。
 実際にほぼ決まっているものもあれば、現在アプローチしているものもあります。例えば、メキシコ人のある演出家とオペラ作品をつくる構想があります。日本滞在の後すぐにメキシコに出掛けていき、彼と打ち合わせをすることになっています。ドイツのバロック音楽をメキシコ人の発想で上演する、おもしろい企画になると思います。
 また、エッセン市の地域的特色を活かした作品を提示できるアーティストを海外からも招聘したいです。エッセンといえば、石炭、鉄鋼業などで繁栄したルール工業地帯の中心的都市でしたが、産業の衰退や人口の減少などで、文化的にも取り残された地域です。産業遺産として残っている古い工場などの建造物は、建築としてもアートとしても美しい。現在ではそういった遺産を文化的に再利用しよういうネットワークが形成されています。この土地とがっぷり向き合う意志のあるアーティストが求められています。歴史的建造物にチャレンジすることは、アーティストにとってもきっと有意義な仕事になるはずです。
 「ベルリン」というベルギーのアーティスト集団は、都市の肖像や演劇的なインスタレーションとしての映像作品をつくる予定ですが、エッセンでどんな作品が生まれるか楽しみです。また、サモア生まれで現在はニュージーランドで活動している振付家のレミ・パニファシオにも、参加してもらいたいとアプローチしています。彼は大洋州の伝統舞踊の型をつかったムーブメントを、あくまでコンテンポラリーなものとして追究しているアーティストです。
 タイの古典仮面舞踊の手法を用いた独特な表現をする舞踊家のピチェ・クランチェンからは、ニジンスキーを題材に作品をつくりたいと言われています。ロシアのバレエダンサー・振付家だったニジンスキーは、タイの古典舞踊に多大な影響を受けているそうです。ピチェはそれを証明する作品を体現してくれるようです。

──ヨーロッパのフェスティバルでは新作委嘱が盛んですが、Theater der Weltではどのように考えていらっしゃいますか。
 Theater der Weltでも既存の作品と新作の両方を予定していますが、私からアーティストに対して、何かをするように頼んだりすることは決してありません。彼らがやりたいことに対して、私たちはそれを実現するために必要なサポートをしますが、それが一方では新作の創造であり、他方では既存の作品の招聘であるということです。真のアーティストなら自分たちは何をすべきかよくわかっているはずです。
 もちろん新作を提示することも一つの方法ですが、すでにある作品を適切な形で招聘することも同等に重要であると思います。私は常に、自分のなすべき仕事とは何か、自分の仕事の存在意義は何かを自問しながら働いています。最近の同業者たちはみな、常に新作、ワールドプレミアを欲しがっています。いったい何をしているんでしょう。人が創造する作品には命が宿っているはずです。舞台であれば繰り返し演じることにより質が高められ、異なる観客に出会うことにより成長していく。しかし、現代のほぼすべてのキュレーターたちはとにかく新作を欲しがります。新作恐怖症とも言えるでしょうし、新しいものに取り憑かれているのかもしれません。私たちはその勢いに抗うべきです。このままではアーティストたちを殺してしまっているようなものです。

──あなたは長年、ヨーロッパのフェスティバルの現場にいらっしゃいましたから、さまざまな見識をお持ちだと思います。現在のヨーロッパの他のフェスティバルについて何か感じていらっしゃることがあればお聞かせください。
 今や、何でもかんでも「フェスティバル」になってしまっていると思います。劇場さえも絶えずフェスティバルを企画しています。つまり、そういうラベルを張ることに対するニーズや、売り出しやすいパッケージ商品をつくることが目的になっているように見えます。フェスティバルの飽和状態です。フェスティバルにすれば、メディアにも載せやすいわけですから、この傾向は本当に危惧すべきです。劇場なら、普段の活動が影を潜めてしまいかねません。フェスティバルでないと注目されないわけですから。私たちはこういう流行病から自分の身を守っていかなければなりません。

──あなたはある意味、フェスティバルに対してオルタナティブなビジョンをもっていると思います。通常、演劇フェスティバルにはマーケティングの要素は大ですが、あなたのような本質的な見方をすることも必要です。しかし、その考えに至るまでには、長い時間がかかるし、深い考察も必要です。そして、あまりにも多くのエネルギーを費やす必要があります。
 繰り返しになるかもしれませんが、アートの世界に生きる私たちは、あらゆる抵抗勢力に打ち勝つための勇気がまだまだ足りない。政治、経済、マーケットの力にいまだに圧倒されています。アートは政治に対して不平不満をよく言いますが、私にしてみれば、アートの世界も同罪です。政治が世界に課しているものすべてを受け入れる必要はないのです。十分にその自由はありますし、なぜそこで「No」とはっきり言って、戦わないのか。今日のような状況があるのは、私たちにも連帯責任があるのです。私たちは抵抗勢力の犠牲者ではなく、同じように原因をつくっただけです。私にとっては、その点がたいへん重要です。

──欧米では、金融危機に端を発した財政破綻が相次いでいます。この状況は、文化芸術にとって2つの側面があると思います。一つは社会問題が浮き彫りになり、アーティストたちが立ち上がるべくして、その社会問題に対峙していこうとする動き。もう一つは助成金が減らされるのを恐れて、アーティストたちは率先して政治に迎合してしまうといったことが起こるかもしれません。
 いかなる状況下でも、私は、本物のアーティストはどこにいるか直感的にわかります。もちろん、淫売的なアーティストだらけかもしれません。しかし、経済危機であろうが、予算が下がろうが、本物のアーティストは必ずいるはずです。パンクのようなアラブ世界を大冒険した後に私が言えるのは、欧米(のアート)はとにかく甘やかされすぎているということです。
 
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