The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
マティアス・リリエンタール
マティアス・リリエンタール氏
(Matthias Lilienthal)

ベルリンHAU劇場(Hebbel am Ufer)芸術監督


ベルリンHAU劇場(Hebbel am Ufer)
http://www.hebbel-am-ufer.de/
ベルリンHAU劇場
Presenter Interview
2009.6.24
Berlin’s HAU as an epicenter of the performing arts — What’s the ideas behind its aim to “Create friction in the world?” 
パフォーミングアーツの震源地HAU“世界に摩擦を起こす”その企みとは? 
ベルリンの壁崩壊後、旧東ベルリンのフォルクスビューネ・アム・ローザ・ルクセンブルクプラッツを実験劇場として再生し、2003年に、移民が多く住むクロイツベルク地区にある3つのスペースからなる劇場組織Hebbel am Ufer(HAU)の芸術監督に就任した闘士マティアス・リリエンタール。リアリティ/ドキュメンタリー演劇を追究し、実験演劇集団リミニ・プロトコルなどとともに“世界に摩擦を起こす”パフォーミングアーツのプロジェクトを次々に仕掛け、今最も注目されている。壁崩壊20年となる2009年の今年、さまざまな記念イベントやフェスティバルに沸くベルリンで、10月に開催される日本を特集したフェスティバルの企画も進行中だ。現代社会に鋭く切り込むプロジェクトを目指し、世界のカルチャーシーンにアンテ ナを張り巡らせるリリエンタールに、HAUの取り組みや都市が発信するカル チャーについて聞いた。
(聞き手:山口真樹子)


──リリエンタールさんは、90年代初頭、演出家フランク・カストルフとともに、新生フォルクスビューネ・アム・ローザ・ルクセンブルクプラッツの立ち上げを主導されました。同劇場は、ベルリンにおいてより実験的で政治的な作品を制作する劇場のひとつとされています。その際に行った最も重要な改革、特筆すべき変革について話してください。
 当時はベルリンの壁が崩壊してから間もない頃で、旧東ベルリン地区にあるフォルクスビューネを、激変した社会の中で新たにどう位置づけるかが重要なテーマでした。当時、東ドイツの人々は必死で西ドイツ社会へ近づこうとし、一方再統一のプロセスの中で自分たちが抱えていた問題はないがしろにされました。その中で私たちが試みたのは、東ドイツの人々は問題を抱えているのだ、それを無視してはいけない、ドイツの再統一はひとつの国を民主主義で自由化するというよりはむしろ、西ドイツによる東ドイツの植民地化だったのではという問いかけでした。そのためのメタファーを見つけ、東ドイツの人々の問題を取り上げる論争を仕掛けたのです。そのひとつとしてかつて東ドイツで使われていたレトロデザインを使いました。こうしたヴィジュアルを用いることで、突然失業状態におかれた旧東ドイツの人々の問題と、彼らがおかれた社会的状況に対する世間一般の関心を促そうとしました。

──東ドイツの人々の問題を扱った作品について具体的に紹介していただけますか。
 そういう意味で最も成功したのが、『Murx den Europaer(ヨーロッパ人をやっつけろ)』という作品です。演出・作はクリストフ・マルターラーで、ドイツのナチス時代によく歌われた歌で構成されています。アンナ・フィーブロックがデザインした超現実的な舞台美術は、奇妙な待合室、救世軍の待合室、あるいは老人ホームのようにも見えました。舞台上には10人、それぞれが自分の机に向かって座っており、お互いに話もせず個々に引き籠もっている。ただ一緒に歌を歌う時だけ慰めを得るという設定です。超現実の中で合唱を通してのみユートピアが生まれるというこの作品は、まさに、ドイツ再統一のもたらした負の結果を先取りして示したものでした。マルターラーはこの作品で初の大成功を収め、以後14年間にわたり上演されました。これはドイツの演劇界では記録的といっていいほど例外的なロングランです。また、カストルフは『リア王』を取り上げました。権力闘争と権力掌握をテーマとしたこの作品で、彼は東ドイツ政権への肩入れを描きました。

──2002年の「世界の演劇(Theater der Welt)」フェスティバルではディレクターを務めていらっしゃいます。同フェスティバルは1981年からITIドイツセンターが主催している国際演劇祭で、毎回文字どおり世界中の舞台作品を招聘しています。3年ごとにドイツ国内の都市持ち回りで実施されますが、2002年は例外的にケルン、デュイスブルク、ボン、デュッセルドルフの4都市で行われました。その時のフェスティバルについてご紹介ください。特に個人宅や使われていない建物内に、アーティストがそれぞれインスタレーションを展示し、観客が二人組になって数箇所の住居をみてまわる「X住居(X-Wohnungen)」というプロジェクトが行われたそうですが、これについても教えていただけますか。
 同フェスティバルは、基本的には外から国際的なスタンダードに適う作品を招聘するもので、2002年にはヨハン・ジーモンス演出のTheater Hollandia公演『バッコスの信女たち』などを招聘しました。その一方で、フェスティバルを開催地域に根ざしたものにしたいと考え、そのためのプロジェクトも多く行いました。今、ベルリンでも展開しているX住居はその一環としてこのフェスティバルで立ち上げたものです。かつてルール地方の貧しい炭鉱労働者たちが住んでいた地域で、今は移民の多いデュイスブルク北部で実施しました。
 この地域の個人の住宅などをインスタレーションの会場として用い、そこを観客が訪ねるわけですが、実際に足を踏み入れると自分が勝手に抱いていた予想が見事に裏切られ、全く異なる現実に遭遇します。私が一番好きだったのは、ポーランドのクリストフ・ワリコフスキのインスタレーションです。彼は、50年代・60年代は炭鉱労働者用の食料品店、70年代・80年代はトルコ人労働者のためのモスクとして使われていた廃屋を用い、サラ・ケインの戯曲『フェイドラの恋』のインスタレーションを展開しました。裸の若い男がベッドに横たわり、女性が部屋の中を歩き回り、部屋にはポーランド・カトリックの祭壇が設置されている──この祭壇は、産業革命時にポーランドから大挙してこの地域に移ってきたポーランド系移民の存在を思い起こさせます。と同時に、外には常に20人ほどのトルコ人の子どもたちが裸の男をみようとしてたむろし、意識下に深く潜在するホモセクシュアリティおよびセックスへの関心を示唆していました。
 インスタレーションは演出家だけでなく美術家や映像作家にも依頼するのですが、彼らは今までにない想像力を要求されますし、観客が思いがけない現実と出合うことができるかどうかが問われます。観客は2人組で10分ごとに出発し3〜4時間かけて8軒の住宅を訪ねます。通りでの出会いにも演出があり、サプライズもあります。ドイツの演出家と外国の演出家が出会う良い機会でもあります。隣り合う住宅でそれぞれ作品をつくるうちに、交流の機会も出てきます。住宅の中は100%保護されている劇場空間とは異なり、状況によっては演者一人と観客一人が二人きりでひとつの部屋にいることにもなり何が起こるかわかりません。エロティックな状況になってしまうこともありえます。Theater der Welt 2002の後、ベルリンで3度、カラカス、スイスで実施しました。これからサンパウロ、リオデジャネイロでも行う予定です。2010年にはヨハネスブルク、ワルシャワが控えています。

──日本でもできると思いますか。
 日本の場合、個人の住宅に人を入れたがらないのでは? 住宅が狭いし、条件を整えるのが難しいかもしれません。ただ東京には非常に近代化された場所と、容赦ないほど小さな村のような場所があります。この矛盾に満ちた状況で実施するのはとても面白いと思います。日本というのは、奇妙な島意識があるからか、やはり閉じられた感じを受けます。つまり遠い。でも実際にベルリンから東京に飛ぶと、間にはロシアしかないですし、10時間のフライトで到着するわけで、不思議な感じがします。こういった矛盾はこのプロジェクトを実施するのに適していますし、東京の独自性を失わずに東京ならではのX住居を実現できると思います。
 
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
NEXT
TOP