The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
Bangkok Theatre Network An organization sparked by a Thai version of Akaoni
タイ版『赤鬼』が契機となったバンコク・シアター・ネットワーク
『赤鬼』
1996年にNODA・MAPの公演として初演。翌年、国際交流基金がアジアと日本の演劇人の交流と共同制作を目的に「アジア舞台芸術家交流・研修事業」をスタート。1997年、その1回目(世田谷パブリックシアターとの共催)として野田秀樹がバンコクでタイ人の俳優とワークショップを行い、タイ版『赤鬼』を発表。その後、タイ版は98年(バンコク公演)、99年(東京公演)と再演され、2003年にはイギリス人の俳優・スタッフによるイギリス版を発表。2004年に東京で日本・イギリス・タイ3カ国版の連続公演を行い、同年の朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。
【物語】
船に乗って砂浜にやってきた異人は、人を食う赤鬼と誤解され、村人に差別されたあげく処刑されることになる。「あの女」と白痴の兄とんび、嘘つきのミズカネの三人は、赤鬼が人でなく花を食べること、理想の地を求めて浜にやってきたことを知り、赤鬼を救出しようとするが…。
→アーティストデータベース(野田秀樹)
→「今月の戯曲」(『赤鬼』)
──現在展開中のプロジェクトについて教えてください。
 非常にたくさんのプロジェクトを展開しています。くたびれるほどたくさんあります(笑)。例えば、日本公演に向けて製作中の『赤鬼』もそのひとつです。このプロジェクトでは、“Art of Peace”という理念に基づいて作品づくりをしています。この作品をとおして、タイ南部で起きている民族問題の解決に貢献できればという思いがあり、南部地方のナラティワート、パッタニー、ヤラーの3つの県の音楽を用います。“赤鬼”という異質なものに対する差別意識は、イスラム教徒と仏教徒の問題にも通じるところがあります。
 別のプロジェクトでは、ミャンマーの難民と活動をしています。また、演劇やワークショップ、公演をとおして、家庭内暴力という問題に取り組んでいます。

──ミャンマーのプロジェクトでは、演劇公演を観るだけでなく、彼ら自身にも演じてもらうのですか。
 そうです。ミャンマーの難民にも自分で演じてもらいますし、家庭内暴力の被害者には、どうして家庭内では幸せを感じることができないのか、どうして夫が暴力を振るうのか、などの問題の原因を探るために、芝居を演じてもらいます。当事者が自分で役を演じて、一緒に芝居をつくることで、彼らと直接対話することができますし、彼らに本音を語ってもらうことができるのです。それから、彼らに語ってもらった話などを集めて、私が演劇公演として完成させていきます。

──演劇を観るだけでなく、自身で演じてもらうのはなぜですか。
 彼らに演じてもらうのは、彼らに対するインタビューをするようなものです。口でインタビューをする代わりに、アクションでインタビューをするということです。また、演じることにより、どういうアクションをとれば第三者にわかってもらえるのかを、彼らは自分で考えなければならなくなるのです。芝居をつくる過程で、議論したり、相談し合ったりすることで、協力や互いに理解し合うということがどういうことなのか、わかってきます。芝居をとおして一般の人たちに自分たちのことをわかってもらえたり、自分たちの話に耳を傾けてもらえるようになる。最終的に、彼らは自分自身に対する自信と誇りをもてるようになります。それに、彼らの中に溜まっているストレスも軽減される。芝居をとおして、自分自身のことを見つめて、いろいろなことが学べるのです。
 そして、今度は私たちが手を貸して、彼らの話をより芸術的な演劇作品につくり上げます。そうすることで、当事者の彼らにしてみれば、自分たちのライフヒストリーもこんなに立派なドラマになるのだと、自分に対する自信がもてるようになるのです。また、観客の側から見れば、彼らのことを知ることができるようになるのです。

──1997年のタイ版『赤鬼』についてうかがいます。これは、国際交流基金がアジアと日本の演劇人の交流と共同制作を目的にスタートした「アジア舞台芸術家交流・研修事業」の1回目(世田谷パブリックシアターとの共催)としてプロデュースされました。野田秀樹さんとタイ人俳優がワークショップをしてつくりましたが、これをきっかけに「バンコク・シアター・ネットワーク」が立ち上がるなど、タイの現代演劇の転機にもなりました。プラディットさんはその時の『赤鬼』に出演されていますが、初めて野田さんと交流されたときにどのように感じましたか。
 最初に野田さんとお会いしたときには、近寄りがたくて怖い人という印象を抱きました。実際はそんなことはないのですが、タイの俳優である私たちから見ると、野田さんはとても偉大な演出家ですから。一般的にタイでは、権威と言われる演出家たちに接すると、敬う気持ちが強すぎて、恐れてしまうのです。野田さんに対してもそうでした。ただ、一緒に働ける絶好のチャンスだと思い、企画に参加することにしました。2日間一緒にワークショップをやったのですが、ワークショップをやると相手がどんな性格の人間なのかわかってきます。野田さんからたくさんのことを学ぶこともできますし、たとえ選ばれずに一緒に仕事をする機会がなかったとしても、長い付き合いのきっかけになる。オーディションで選ぶのではなく、ワークショップをやった野田さんと私は同じ考え方だと思いました。
 タイ人は、いくら仕事だといっても、演劇は“Play”という言葉どおりに、遊びという感覚でやっているところがあります。純粋に仕事としてとらえるのではなく、芝居は楽しみながら演じるものだと私たちは考えています。最初、私たちのこの考え方が日本人スタッフにはどうしても理解できなくて頭を痛めていました。日本人には、お芝居をやるときに、真面目に稽古に取り組み、ちゃんと時間と規律規範を守らなければならないという意識がありますよね。ところが、タイ人の役者たちはそうではありません。時間を守らないことはしょっちゅうですし、台本をちゃんと覚えてこないことも度々あります。いつも遊び感覚で芝居に取り組んでいます。遊びすぎてしまうことがあるのは問題ですが(笑)。
 ところが、野田さんはとても頭がいいので、タイ人の役者の働き方を観察して、それを理解しようとされました。最初に、「タイ人の役者と一緒に仕事をするときに、一番困ることって何ですか?」と質問してきました。私は、「自分の仕事に対する責任感が欠如していることだ」と答えました。タイ人の気質として、仕事をする時に真面目になりすぎることをあまり好ましく思わない傾向があるのです。外国人がタイ人と一緒に仕事をする際には、まずそのことを理解する必要があると思うと話しました。
 そのためか、野田さんは、タイ人の役者たちと稽古を始める前に、ゲーム、フットボール、バスケットボール、日本の伝統的な遊びなどを取り入れました。野田さんのそういう、人間同士が交流するとはどういうことかをわかっているところが凄いと思います。

──他の国の演出家と仕事をしたことがありますか?
 あります。欧米の演出家と一緒に仕事をするときには、意見の食い違いが頻繁に発生します。例えば、芸術に関する美意識そのものの違いがあったりするのです。ドイツ人はきっちりルールを守り、一度書いた脚本を絶対に変えないという融通が利かないところがあります。芸術は化学とは違う。芸術はその時の役者の気分、その場の気候、雰囲気など、たくさんの要素に合わせていくらでも変えられるものだと思います。アメリカ人演出家は、技術や枠組みにこだわりすぎます。その代わりに、台本の中身をあまり重視しない傾向を感じます。私は、体の動きによる身体表現をとても重視しているので、意見が対立してしまいます。日本人の場合は、作品を完璧に仕上げようとする志向が強いですね。
 一方、タイ人は、役者も演出家も、多分アジアの場合は大方、舞台の上では大げさに演技をすることを好みます。舞台では、大げさに演技するほうが観客から見るとリアルに見える、魅力的に見えると思っているからです。こうした考え方が同じなので、香港、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、カンボジア、ラオスなどの人たちと一緒の仕事はとても楽しかった。特にラオス、カンボジア、ミャンマーの人たちとはとても気が合います。ラオス、カンボジア、タイで共同プロジェクトをやったときには、皆それぞれ自分たちの言葉を話し、英語を一切使いませんでした。もちろん、通訳が付いていましたが、民族が違っても不思議なことに通じる言葉があるんだなと思いました。
 
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