The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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Presenter Interview
Another aspect of Japanese theater communicated through posters
ポスターが伝えるもうひとつの日本演劇
演劇実験室◎天井棧敷
『レミング’82年改訂版 壁抜け男』

(1982年/デザイン:戸田ツトム/画:合田佐和子)
レミング
「ジャパン・アヴァンギャルド─アングラ演劇傑作ポスター100─」
(2004年/PARCO出版)
ジャパン・アヴァンギャルド
寺山修司との運命的な出会いがポスター収集のきっかけ

──笹目さんが、そもそも演劇に携わるようになったきっかけを教えてください。
 82年、19歳の時に、当時ブームだった小劇場演劇と出合ったのがそもそもの始まりです。最初に見たのが野田秀樹の夢の遊眠社で、3番目に見たのが寺山修司の遺作となった天井棧敷の紀伊國屋ホール公演『レミングー‘82年改訂版 壁抜け男』でした。大学を中退し、モラトリアムな状態だった僕は、寺山さんの台詞でズタズタされた。もうこれしかないな、と運命が変わった。今思えば、天井棧敷との出会いがアングラ演劇のポスターとの出合いでもあったんですよね。
 天井棧敷に参加しようとも思ったのですが、寺山さんが翌年の5月4日に亡くなり、劇団が解散してしまった。その時に小道具やポスターなどのバザーが行われたのですが、僕は一ファンとして参加して、『レミング』で使われた大きな体温計を買って帰ったりしていました。まだ20歳で、「演劇の世界で生きていく」といって親から勘当されてしまったので本当にお金がなくて。でも、人の縁に恵まれていて、芝居好きの人が一緒に連れて行ってくれたりしたので1カ月に10本ぐらい芝居を観ていました。その行く先々に九條さんがいて、まるで僕が追っかけているみたいだった。
 北村想さんの『十一人の少年』を観に行った時に席が隣になり、「そんなに芝居が好きなら手伝う?」と名刺をもらった。これは人生、最初で最後の最大のチャンスだと思って連絡しました。それで西武劇場(現・PARCO劇場)で行われた寺山修司追悼第2弾『青森県のせむし男』(83年)のスタッフとして手伝うことになり、人生で初めてのポスター貼りを経験しました。それをきっかけに西武劇場からポスター貼りのアルバイトを頼まれるようになったのが、今の仕事のルーツです。バイトと平行して、九條さんが代表をしていた寺山さん関連のプロダクション「人力飛行機舎」にも出入りし、追悼公演の制作や舞台監督の助手として手伝うようになりました。85年の「寺山修司全映像詩展」で運営を任された時に僕を手伝ってくれたスタッフと一緒に立ち上げたのが、ポスターハリス・カンパニーです。

──92年に初めての展覧会をやってから、展覧会活動としてはどのような取り組みをしてきたのですか。
 現代演劇の全体像を伝えるのにポスターを活用できるんじゃないかと、96年には国際交流基金の支援を受けて、ウィーン、プラハ、ブダペストでポスター展をやりました。東京でも30年分の現代演劇のポスター500点をセレクトした大規模な「現代演劇ポスター展'66/'96〜挑発するポスター街に貼られた現代演劇」を開催したのですが、新聞にも大きく取り上げられて1万人ぐらいが来場した。この展覧会をきっかけに、プロジェクトについて周囲の認識も変わってきて、劇団から積極的に預けられるようになり、また、シルクスクリーンの刷り師だった人など個人的にポスターを所有している人から有効活用してほしいと寄贈されるようになってきました。
 2004年には、60年代から80年代にかけてのアングラ演劇の傑作ポスター100点を選んだ「ジャパン・アヴァンギャルド〜アングラ演劇傑作ポスター展」を開催しました。天井棧敷、状況劇場、黒テント、土方巽など、当時の一番面白いポスターを選んで展覧会を開催し、それらすべてを収録した決定版の図録をPARCO出版から刊行した(B3版サイズで全ポスターを掲載)。最初に出版記念の展覧会を、ロゴスギャラリーや、かつてアングラ演劇のポスターが貼ってあったようなゴールデン街の飲み屋やバーなどで同時多発的に展示しました。アングラ演劇の人たちはみんな前衛を標榜していて「過去を振り返るな」という精神だし、複雑な人間関係や権利関係があって図録の編集は本当に大変でした。このタイミングだったのと、僕がどこの劇団にも所属したことのない第三者だったからやれたのだと思います。もし天井棧敷のメンバーになっていたらできなかったでしょうね。
 それから、世田谷パブリックシアターのロビーでは、開館以来ずっと年間3〜4回入れ替えながら常設のポスター展をやっています。それから要望があれば、実費程度でポスターの貸し出しにはできるだけ対応しています。映画やテレビのセット用に貸し出すこともあれば、海外公演に併せたポスター展や、劇場ロビーでのポスター展など、色々な照会があって、年間の貸し出し枚数は100枚どころではないと思います。

──現代演劇の大規模なポスター展として画期的だったのが、88年の第1回東京国際演劇祭に併せて西武美術館(89年セゾン美術館に改称。99年閉館)で開催された「現代演劇のアート・ワーク60's〜80's展」です。笹目さんはこれには関わっていないのですか。
 すでにポスターハリス・カンパニーを設立していたので、その展覧会のポスター貼りやチラシ配りは仕事としてやりましたが、企画には関わっていません。あれは、小堀純さんという大阪の編集者の発案で企画されたものです。アングラ演劇時代のポスターの特徴は、シルクスクリーンという印刷技法が使われていることです。板の替わりに目の粗い絹を使った多色刷りの版画のようなもので、1点1点手で刷っていく。そのポスターの魅力について、当時を代表するグラフィック・デザイナーの及部さんが書いた原稿を小堀さんが読んで、展覧会を企画したと聞いています。アングラから80年代の人気小劇団までのポスターが一堂に会した、画期的な展覧会でした。

──2009年には渋谷にマンションの一室を改造したポスターハリスギャラリーを開設されました。
 ポスターの収集・保存・公開プロジェクトを立ち上げる時、本当はポスター美術館のようなものを構想していたんです。そこに行くと日本の演劇ポスターが全部コレクションされていて、世界中のポスターの情報も集まっているような。それはとても無理だけど、パソコンのモニターだけで情報にふれているような若い子たちに、少しでも本物のポスターに触れてもらいたくてギャラリーをオープンしました。今のところ年2回ぐらい作家別シリーズとして60年代のコレクションを展示する予定にしています。それに併せて色々なライブイベントも仕掛けていくつもりです。
 この時代のポスターに「ロシア・アヴァンギャルド」を文字った「ジャパン・アヴァンギャルド」という名前を付けたのは、この時代にこういう表現があったということを今のデザイナーたちにきちんと伝えたいと思ったから。こういう前衛たちの仕事を踏まえながら、自分たちの表現活動をやってほしいということを伝えるのが、僕のひとつの使命かなと思っています。
 
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