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イ・ジョンホ
Profile
イ・ジョンホ氏(Lee Jong-Ho)
1953年生まれ。ソウル大学フランス語フランス文学科卒業ならびに同大学院修了。
フランス語月刊誌「Le pays du Matin Clalme」記者(77)、「コリアヘラルド」仏語週刊部記者(77〜78、79〜80)として勤務後、1981年から連合ニュースの外信部、社会部、ブリュッセル特派員、文化部長、文化専門記者、編集担当常務として活動し、2009年3月退社。
文化観光部長官表彰(2007)、現代舞踊振興会国際交流発展賞受賞(07)、フランス政府Chevalier dans I’ordre national des arts et des leters殊勲(07)。アジア舞台芸術フェスティバル協会前執行理事(04〜08)、韓国舞踊評論家協会前会長(01〜04)、外交通産部公演芸術諮問委員(04〜08)、外交通産部韓国・アセアン特別サミット準備委員(08〜09)など、多様な役職を歴任。
現在、国際舞踊協会韓国本部会長、SIDance執行委員長兼芸術監督ほか。


SIDance(Seoul International Dance Festival)
SIDance
TEL +82-2-3216-1185
FAX +82-2-3216-1187
http://www.sidance.org/
Presenter Interview
2010.2.17
Leading South Korea’s dance world  CID-UNESCO Korean Chapter and SIDance 
韓国ダンス界をリードする国際舞踊協会韓国本部とSIDance 
2009年に12回目を迎えたSIDance(Seoul International Dance Festival)は、韓国舞台芸術の秋シーズを彩る代表的なダンス・フェスティバルだ。1998年の初開催から約50カ国・1300名余りのダンサーたちが参加し、延べ約17万人の観客を集めている。主催の国際舞踊協会韓国本部は、フェスティバル開催だけでなく、海外ダンサーとのコラボレーション事業、韓国ダンサー海外派遣事業など、多様な交流事業を展開している。2005年には日本国際交流基金、韓国国際交流財団、韓国国立劇場との共催で「日韓ダンス交流フェスティバル〜舞踏フェスティバル/現代舞踊フェスティバル」をソウルで開催し、舞踏とコンテンポラリーダンスを初めて体系的に紹介し、日韓のダンス界で大きな話題となった。新聞記者、ダンス評論家としての活動を経て、1996年に国際舞踊協会韓国本部を設立。会長として、またSIDance芸術監督として現在の韓国ダンス界をリードしているイ・ジョンホ氏に話を聞いた。
(聞き手:木村典子)


──様々な顔をお持ちなので、どのようにご紹介したらいいのか……。
 1977年にコリアヘラルドに入社以来、本職は新聞記者でしたが、今年(2009年)3月に通信社である連合ニュースを退職し、30年余りの記者生活にピリオドを打ちました。なので、今はダンス評論、国際舞踊協会韓国本部会長、SIDance芸術監督とダンス関連の仕事だけをしています。

──ダンスとはどのように出合ったのですか。
 幼い頃から文学、音楽、美術、演劇と芸術分野に関心があり、自分でも詩を書いたり、学生新聞を発行したり、美術館や音楽会にもずいぶん通っていたのですが、舞踊だけはどうも興味が湧きませんでした。学生の頃に見た芸術高校の伝統舞踊公演がひどくつまらなかった印象が強かった上に、70年代は誰もが西洋文化に憧れを抱いていた時代なので、舞踊は他の文化芸術に比べ洗練されていない三流ジャンルだと感じていました。
 それが、1980年代初頭、月刊「チュム(舞)」という舞踊雑誌からアメリカやフランスで発表されたダンス批評や論文の翻訳を頼まれまして。最初は翻訳だけやっていたのですが、その内容が面白く、各国の大使館を回ってはダンス雑誌や資料を読み、その中から記事や評論を再構成して原稿を書き始めました。これが、なかなか評判が良かったんですよ。翻訳のためにダンス公演も見るようになりました。
 当時は音楽評論家がダンス評論も手掛けるなど兼任者ばかりで、ダンス専門の評論家がほとんどおらず、「チュム」の発行人チョ・ドンファ先生から「自分は何もない状況でひとりダンス批評をやってきた。演劇や音楽は専門の批評家も理論化もいるが、ダンスにはいない。ダンスをサポートする人材が必要だ」と口説かれ、この一言に感動して新聞記者とダンス評論家の二足のわらじを履くことになりました。これがダンスとの出合いです。

──評論家であるイ・ジョンホさんが国際舞踊協会韓国本部を設立した理由は?
 ダンスと付き合っていく運命だったんでしょう。ある年配の女性舞踊家が国際舞踊協会韓国本部設立の準備を進めていたのですが急死して、替わりを頼まれました。新聞記者という本職もあり、自分の分ではないようで断ったのですが、信用できない人物が立候補してきたので、これは苦労しても自分がやらなければいけないと会長を引き受け、1996年に正式に発足させました。
 80年代以降、韓国のダンス界にも刺激的なカンパニーやオリジナル作品が生まれるようになり、それに伴い評論家も増え、ダンス界が活発になっていきました。そういう状況に対して、自分としても評論をやるだけではモノ足らなくなっていて、書くだけではなく、直接現場に参加し、作品制作や国際交流を通じてダンス界をより速く効果的にレベルアップさせたいという思いもありました。。

──国際舞踊協会韓国本部とはどのような組織ですか?
 国際舞踊協会は1973年にパリのユネスコ本部内に設立された非営利・非政府組織で、全世界160カ国余りに広がっています。韓国本部はこれらの国の本部と継続的な交流を行い、海外の優れたダンスを紹介するとともに、韓国のダンサーと作品も広く世界に進出させることをひとつの目的にしています。
 そのメイン事業が毎年秋に開催している「SIDance(Seoul International Dance Festival)」です。SIDance以外にも、2005年には日本の国際交流基金などと共に日本の舞踏とコンテンポラリーダンスを紹介した「日韓ダンス交流フェスティバル」、07年と08年には韓国の外交通商部と共に「アフリカ文化祭典」「第1回アラブ文化祭典」、2009年は(財)韓国・アラブソサエティーと共に「第2回アラブ文化祭」を開催しました。これらは、ある国や地域に焦点を当て、ダンスを通じてその国の文化芸術をより深く理解するためのフェスティバルです。
 定例事業としては、毎年「世界音楽と出会う韓国の舞踊」「韓国舞踊の色彩と輝きを探して」というタイトルで公演事業を行っていますし、2003年からはダンスと最先端テクノロジーの作品を発掘する「デジタルダンス・フェスティバル」を開催しています。
 また、国内外の作品のプロデュースはもちろんのこと、国際コラボレーション作品のプロデュースもしています。この他、学術事業、世界のダンスコンクールへの審査員やダンサーの紹介・派遣など、多彩な活動をしています。
 2003年には政府から文化芸術専門団体に指定され、政府各機関をはじめ、各国大使館などと緊密な関係を構築できるようになり、交流事業をさらに拡大していける基盤も出来ました。

──SIDanceが国際舞踊協会韓国本部の活動の大きな柱となっていますが、開催の動機と目的は?
 国際舞踊協会韓国本部を設立したことのインパクトを国内外に与えたいと、2年毎に開催されている国際舞踊協会の総会を誘致することにしました。加盟したばかりの国で総会を誘致するのは時期尚早なのではないかという意見もありましたが、「韓国人はせっかちなんだ」と説き伏せて、苦労の末に第13回国際舞踊協会総会をソウルで実現しました。この大事業に合わせて、国際的なレベルのフェスティバルを開催したいと欲を出したのがSIDanceです。1992年から94年までの3年間、特派員としてブリュッセルに滞在していたのですが、ヨーロッパの各種フェスティバルにずいぶん足を運び、羨ましく思っていました。それまで文章や現地で購入してきた映像資料などで海外の文化芸術の状況を国内に知らせてきましたが、SIDanceは実際の舞台を韓国に招聘し紹介できるいい機会になると思いました。また、当時海外に紹介されていた韓国舞踊は伝統舞踊や民俗舞踊くらいなもので、コンテンポラリーダンスは全くといっていいほどその機会に恵まれていませんでした。海外に紹介できるような作品がなかったのも事実ですが、SIDanceで韓国のコンテンポラリーダンスを世界の人たちに見てもらいたいと思いました。
 当時の韓国ダンス界は井の中の蛙で、世界のダンスがどのように動いているのか、海外のダンサーたちは何を考えどんな作品をつくっているのか、交流のために何をしているのか、といったことを全く知らなかったので、この機会に世界を知ってほしいという思いもありました。この2つを大きな目的に、1998年に第1回SIDanceを開催しました。
 
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