The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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チョ・ギョンファン
Profile
チョ・ギョンファン氏
(Cho Kyung-Hwan)

1961年生まれ。中央大学ならびに同大学院演劇映画学科卒業。33歳でヨンガンホールの劇場長となり、その後、国立劇場(2000〜01年)、安山文化芸術の殿堂(04〜09年)で企画チーム長として仕事をしながら劇場運営に携わる。また、果川ハンマダン祝祭(03〜04年)の事務局長としてフェスティバル運営に参加。09年、富川アートセンター館長に就任。また、漢城大学大学院メディアデザイン学科、青雲大学公演企画経営学科、国立江原大学放送映像学部芸術経営などで兼任教師として映像関連、芸術経営を教えるなど、教育面でも活躍している。現在、高陽市青少年修練館の青少年文化プログラム諮問委員ならびに青少年指導官ほか。


富平アートセンター
2010年4月開館。ヘヌリ劇場(太陽劇場・893席)、タルヌリ劇場(月劇場・339席)、屋上にある野外公演場ビョルヌリ劇場(星劇場)、ギャラリーコッヌリ(ギャラリー花)、コミュニティホールHoBAC、スタジオ、セミナー室、子どもたちのプレイルームなど。10月にレジデンス施設のアーティスト・ヴィレッジがオープン。
Tel: +82-32-500-2000
http://www.bpart.kr/
富平アートセンター
Bupyeong Arts Center



無料オープニングフェスティバル「ストリート!遊ぼう」(2010年7月)
無料オープニングフェスティバル
無料オープニングフェスティバル


オープニング記念公演のひとつ「チャン・サイクのコンサート:あたたかな春の日、花見」
オープニング記念公演


*1
2010年7月現在のレートで計算。以下の韓国ウォン表記に関しても同じく計算。

*2
国公立芸術団体や国公立劇場の委託運営法人、水準の高い民間の職業芸術団体を、国家または道知事(日本でいう県)や市長が専門芸術法人・専門芸術団体として認定する制度。2000年に導入され、現在415団体が登録されている。
Presenter Interview
2010.8.26
A new style of public theater in Korean - Bupyeong Arts Center 
韓国の公共劇場に新風 富平アートセンター 
2010年4月、仁川(インチョン)広域市富平(プピョン)区に開館した公立の富平アートセンターが一躍注目を浴びている。韓国内のウェブサイトの分析と評価を専門とするランキング.comで、開館まもない同アートセンターが、ソウル圏の有名劇場施設をしのいで全国公演場ホームページアクセスランキング6位に突如ランクアップしたからだ。国内外14チームのパフォーマーが参加した無料オープニングフェスティバル「ストリート!遊ぼう」では1日に2万人を動員、3カ月で会員数は4000名、自主企画公演の客席占有率83%と、既存の公共アートセンターの開館当初の記録を塗り替えている。韓国における新しい公共アートセンター、地域に密着した公共施設の在り方を模索する富平アートセンターの館長チョ・ギョンファン氏に、地域と公共劇場への思いと今後の展望を聞いた。
(聞き手:木村典子[舞台芸術コーディネーター・翻訳者、在ソウル])


──最近日本の劇場関係者の方に会うと、チョ・ギョンファン館長とお会いしたという話をよく聞きます。日本語もお上手だそうですね。日本にはずいぶんと行かれているのですか。
 ここ数年は、1年に10回は日本に行っていると思います。自費で行く場合が多く、平日は仕事があるので、週末を利用して1泊2日、2泊3日の短いスケジュールで日本の公共劇場や文化施設を回っています。関係者の方とお会いすることもありますが、ただ施設を見て帰ってくることもあります。劇場を訪ねると、私と同じく公共施設について真剣に悩み、努力している同志と出会った思いがし、元気を与えられます。また、私にとってはこうした移動時間が集中して物事を考え、整理する貴重な時間になっています。
 
──なぜそれほど日本を訪問するようになったのですか。
 大学と大学院では映画を専攻したのですが、卒業論文のテーマが日本帝国強制占領期における朝鮮映画でした。この論文のための資料が日本に多くあったのと、朝鮮の植民地化が歴史上の運命だったとはいえ、私自身が日本文化を克服しなければという思いがありました。それで大学院に在籍していた1985年から2年間ほど日本大学に留学し、比較映画史を学びました。専門は小津安二郎です。留学生時代、岩波ホールなどに足繁く通いましたが、劇場マインドとでもいいましょうか、文化に対する劇場や映画館の志のようなものを強く感じ、とても印象的でした。この経験から私と日本との関係が始まっています。
 劇場運営の仕事を始めてからは、清水裕之さんや衛紀生さんの書籍に感銘を受けましたし、果川(クァチョン)ハンマダン祝祭の事務局長を務めていた頃に黒テントの方々と知り合い、それが縁で公共劇場での佐藤信さんの活動にも関心を持ちました。

──映画から劇場運営へと転向されたのは?
 大学卒業後、企業で展示や映像など文化関連の部署で仕事をしていたのですが、斗山(トゥサン)グループで勤務していた時、会社が経営するヨンガンホール(現トゥサンアートセンター)という劇場があり、劇場長を社内公募していたので応募したところ、配置になりました。33歳で劇場運営に携わり始めたのですが、国内で最も若い劇場長でした。ここで6年ほど仕事をして、2000年に企画チーム長としてソウルの国立中央劇場で勤務を始めました。ただ、ここでの仕事は国立劇場の限界も感じましたし、映画製作への未練もあり、1年で退職して映画会社の理事として映画界に復帰しました。でも、映画界をしばらく離れているうちに状況は変わっていましたし、自分の居場所みたいなものがうまく見つかりませんでした。
 それで03年に果川ハンマダン祝祭の事務局長として舞台芸術界に戻り、04年10月に開館した京畿道(キョンギド)安山(アンサン)市の安山文化芸術の殿堂の公演企画チーム長として勤務を始めました。これが私の大きな転機となりました。安山は韓国有数の産業都市で大きな工業団地を抱えており、外国人労働者も多く暮らしています。このような背景があるため文化芸術不毛の地と言われていましたし、住民たちも自分が暮らす地域にコンプレックスを抱いていました。そこに200〜1,500席規模の3つの劇場を抱える公共劇場が出来たわけです。この劇場で公共劇場の在り方を真剣に考える機会を与えられ、公共性とは何かという問題に直面しました。
 これら悩みの解決に糸口を与えてくれたのが清水裕之さんや衛紀生さんの書籍、そして世田谷パブリックシアターなど日本の公共劇場の存在です。この頃から日本に頻繁に訪問しています。これまで世界各国400カ所余りのアートセンターを訪ねましたが、日本の公共劇場の在り方と運営システムから学ぶべきことは多いと思いました。
 公共性と公共劇場に対する試行錯誤を積み重ねるなかで、自分の生涯の仕事は地域での劇場運営だと腹が座ってきました。安山文化芸術の殿堂では、全国でも初の試みである四季ごとの市民フェスティバルの開催、自主企画のレパートリー化などに成功し、住民の意識と暮らしが少しずつ変化していくのを体感しました。これらの活動が認められて、06年には全国文芸会館連合会の優秀機関賞と優秀個人賞を、08年には革新競演大会劇場プログラム運営本部最優秀賞を受賞させていただきました。

──富平アートセンターとの関わりはいつからですか?
 富平アートセンターの土地は元々国防相の所有でした。この一帯の土地が区に売却され、どのような活用をするのか検討された際、公共劇場の建設が持ち上がりました。富川区は仁川広域市に8つある区のひとつで、57万人の住民が暮らしているにもかかわらず、町内ごとの住民センターのようなものしか文化施設がありませんでした。07年から建設工事が始まり、私は安山での実績を買われ、09年から運営諮問委員としてアドバイザー的に関わっていました。
 区役所の公務員たちは実に熱心で、住民たちのこともよく理解していました。最初は建設反対の声もありましたが、ベンチマーキングを重ね、住民たちの声を検討し、合意を得てきました。竣工を控えて館長を公募するというので応募しました。ここで自分の夢と公共劇場に対する信念を形として作り上げたいと思ったからです。

──富平アートセンターは韓国で初めてBTL方式(Build Transfer Lease:民間事業者からの資金調達により施設を建設し、公共に一定期間リースする。民間はそのリース料により建設費を回収し、リース期間満了後、施設を公共に譲渡する)を導入した文化施設と伺いましたが、どのように推進されたのですか。
 富平アートセンターは、仁川広域市と富平区が共同で事業を実施しました。管理運営は06年に発足した富平区文化財団が行っています。施設の建設にあたってはBTL方式を導入し、390億ウォン(約29億円)(*1)かかる施設建設は富平区からの依頼で民間事業者が行い、開館後20年間は当アートセンターが民間事業者から施設をリースして賃貸料を支払いながら運営を行い、それによって民間事業者は建築費を回収するという形です。本来なら仁川広域市と国が文化芸術のインフラ作りとして進めるものですが、初期費用が大きいのと富平区が積極的に建設を提案したこともあり、国庫から1億ウォン(約7千万円)、そして仁川広域市と富平区が施設費として毎年定額を出し合い、当センターを通じて賃貸料を支払うようになっています。国、仁川広域市、富平区の三者が建設費を負担しているといえますが、国と仁川広域市は文化芸術インフラへの投資というだけで、運営に関してはすべて富平区に任されていますし、毎年の運営費も富平区が負担することになっています。このように地方自治体がBTL方式でアートセンターを作るのは、韓国では初めての試みです。今後、安東(アンドン)、金浦(キンポ)などに開館する施設もこの方式で進めると聞いています。
 なので、当アートセンターは施設のリース料を国、仁川広域市、富川区から毎年助成される施設費と施設収益から捻出しなければなりません。公共文化施設といえば地方自治体の文化予算で運営されていると思われがちですが、私たちの場合は区の公的予算だけに頼ることなく、施設自体も経費負担をしていく考え方をしています。今年はオープン年なので区からの運営費が36億ウォン(約2億6千万円)、自主収益は15億ウォン(約1億1千万ウォン)と見込んでいますが、今後は専門芸術団体法人(*2)に登録し、助成金の確保とともに自主収益を上げることに努力して、運営費の割合を区70%:劇場30%にしていきたいと思っています。

──果敢な取り組みですね。また、これまでの公共劇場の概念が変わりそうなお話です。
 私は民間劇場と公共劇場の良いところを合わせた新しい公共劇場を作りたいと思っています。それを実現するために劇場運営の公共性、経営性、合理的運営をミッションに掲げています。どこも同じでしょうが、住民のコンセンサスを得るためには住民の税金をどう使っているのかという投資とそれに見合った成果という点が問われます。これまで韓国の公共アートセンターは、豪華な劇場施設と華やかな演目というバブルな状況が続いていましたが、当アートセンターはそういう部分をできるだけそぎ落としてスタートしました。
 3つの劇場とギャラリー、コミュニケーション空間などを、技術スタッフも含め16名の職員と5名のインターンで動かしています。仕事量を考えると職員の負担はかなりです。それでも、職員を増やすのは住民とのコンセンサスが十分に取れてからでも遅くはありませんからね。その代わり、住民にとって必要と思われる部分には惜しみなく投資しています。例えば、富平アートセンターの核心部とも言える、住民のコミュニケーション空間HoBAC(ホバク、Heart Of Bupyeong Arts Community)には誰もいなくてもいつでも明かりをつけておく、ロビーなど施設内に気持のいい音楽を常時流すなど、住民がいつでも気軽に気分よく施設を使用できるような配慮をしています。
 サービスという点でも気を遣っています。普段はカジュアルな服装で仕事をしていますが、観客を迎える公演時は、館長以下、職員全員が制服を着用します。開館前には演劇を通じて職員自ら接客などを肌で感じる体験や研修を行いました。また、訪問客が最初に出会うであろう駐車場の管理者をはじめ、職員全員が互いに笑顔で挨拶するなど気持ちよく仕事ができる環境を整える努力も大切です。職員個々人の心理状態は観客にも影響を与えますから。私たちは全職員に配慮する劇場を目指しています。
 韓国の公共劇場では花束持ち込み禁止など観客の禁止行為規則が多いのですが、私たちではできるだけこういう慣例を打ち破り、観客との壁をなくし気軽に鑑賞してもらえるような自由な雰囲気作りもしています。

──劇場施設を紹介いただけますか。
 893席のヘヌリ(太陽)劇場、339席のタルヌリ(月)劇場、屋上にある野外公演場ビョルヌリ(星)劇場の3つの劇場とギャラリーコッヌリ(花)、資料を常備し誰でも自由に使用できるコミュニティホールHoBAC、スタジオ、セミナー室、子どもたちのプレイルーム、授乳ルームなどがあります。空間の名前に“ヌリ”という言葉が入っていますが、これは韓国語で“分かち合う”という意味です。文化を分かち合うアートセンターでありたいと、公募された中から選びました。外の広場はクルムマダン(雲)で、住民が散歩に来たり、お弁当を広げたり、子どもたちを遊ばせられるように一部芝生にしています。兵庫県のピッコロシアターを訪ねた時、外で学生たちがギターの練習をしている光景を見たことがあります。これこそ公共劇場の姿だと感じました。当アートセンターも学生や住民が集まって自由に練習やコンサートができる空間でありたいと思いますし、住民自らがそのような劇場を作っていってくれることを願っています。
 今年10月にはレジデンス施設となるアートビレッジがオープンします。収容人数は5名ですが、ここから富川と仁川ならではの活動と作品が生まれてくると期待しています。また、施設ではありませんが、これも韓国で初めての試みといえる、フランチャイズカンパニーを置いています。仁川市内を拠点にしている団体から劇団十年後とクボタンツテアターという演劇とダンスのカンパニーを選定しました。富平という地域を考えた時、専属芸術団体を置くよりもフランチャイズカンパニーを育成した方が経済的な負担も少なく、アウトリーチ活動の機動力にもなり、様々面で有効だろうと判断したからです。

──運営方針と事業内容は?
富平アートセンターのキャッチコピーは“共に分け合う芸術(Arts for Everone)”です。文化芸術も、文化施設も、ある特定少数の人たちのものではありません。富平区はソウル市内から電車で1時間余りに位置するベッドタウンです。30万人ほどが区の外で仕事をして夜戻る住民、27万人ほどがここに20年、30年と生活のベースを置いて暮らしている住民です。また、人口の30%は文化芸術にふれたことのない文化疎外層です。私たちはここに長く暮らしている人々、文化芸術に接する機会のなかった人々に何が必要かを考えています。
 そこでまず、気軽に公演芸術にふれ、参加してもらう機会を増やそうと、無料の野外パフォーマンスフェスティバルや音楽、演劇、児童劇の公演を安いチケット料金で提供しています。開館記念事業の無料パフォーマンスフェスティバルを4月3日に予定していたのですが、哨戒艦「天安」の沈没事件と重なり、国中が沈鬱なムードのなかでオープニングを祝うのはどうかと思い、自主的に7月にずらしました。それにもかかわらず2万人の観客が参加してくれました。
 富平区は都心から近いので、ソウルと同じことをしても意味がありません。なので、真に住民を考慮したものを中心にプログラミングしています。だからと、住民の目の高さに合わせた大衆的な作品だけを上演するというわけではありません。そこそこの作品ばかりを上演する存在感のない劇場では意味もありませんし、住民も劇場に対して誇りを感じられませんからね。レベルの高い舞台芸術の魅力と面白さを伝えていくのも公共劇場の大きな役割です。
 どちらにしても、職員は大変ですよ。スターが出演したり、有名な公演なら、広報マーケティングも簡単でしょうが、観客動員のために地道な努力をしなければならないので。でもこうした努力をすることが住民とのコミュニケーションになるし、それによって富平アートセンターを愛してくれる観客が育ってくると信じています。公共劇場の最終目標は、公演プログラムへの関与を通じて各種文化福祉厚生の満足度を最大限に高め、住民の支持を得ることだと思っています。
 公演以外にも、バックステージツアー、舞台の専門家を育成するアカデミー、住民を対象にした演劇教室、美術、音楽、小説、映画などのアート講座、アートブックやパッチワークなどの生活文化講座など、40余りの芸術教育と生涯学習のプログラムを提供しています。世界各国のアートセンターを訪ねながら、生涯学習の場としての役割というものを考えさせられました。今後、このような教育プログラムが劇場と住民のコミュニケーションのベースとなる可能性は高いと思います。そこで専門家教育、演劇教育だけでなく、主婦、青少年、高齢者など多様な年齢層に向けたプログラムを開講しています。
 これら多重な事業が、富平アートセンターのイメージを作り、他の公共劇場とは差別化された個性を育み、地域の特徴が文化を通じて再生産されるのではないでしょうか。均一化されたイメージの公共劇場に、今後求められる課題でもあると思います。

──地域と住民の目線で富平区に根差した劇場運営をなさろうとしているのがとても新鮮ですが、富平以外の公共劇場はどのような状況なのでしょう。
 韓国は今「アートセンター637館の時代」といわれています。全国に国公立、民間を含め劇場を保有する施設は637ありますが、そのうちの半分以上は2000年以降にオープンしたものです。4月に埼玉県芸術文化振興財団の渡辺弘事業部長、ニッセイ基礎研究所の吉本光宏芸術文化プロジェクト室長のお二人を招いて、「アートセンター637館時代、地域公共アートセンターが進むべき道」という国際シンポジウムをコミュニティホールHoBACで開催しましたが、文化芸術インフラとしてのアートセンターや公共劇場などのハード面は拡充されたものの、急激な増加により、公共性とは何か、公共施設の役割とは何か、どのような運営システムが必要なのかというソフト面の問題に直面しています。同時に、地域の特徴、地域の住民構成など、地域によって公共劇場の在り方は様々だと思いますが、その地域に密着した公共劇場をどう作り上げていくのかという問題があります。
 富平アートセンターの場合は、住民主体の住民のための施設が適していると思っていますし、住民が誇りに思える、親しみのある施設でありたいと思っています。さいたま芸術劇場を訪問した際、目と鼻の先にある蕎麦屋の人が劇場の位置を知らなかったという話を耳にしましたが、外から人が来た時に住民が親切に教えられるような劇場でありたいと思っています。今は館長や職員が施設を動かしていますが、人々が関心を持ち、施設に集まり、自ら劇場を作り始めた時、真の意味での公共劇場になるのではないでしょうか。
 コミュニティホールHoBACで、今後も公共劇場に関わるセミナーやシンポジウムを積極的に開催するつもりです。この事業が公共劇場に関する世論形成や、韓国で真摯に公共劇場を考える場を提供してくれると思っています。

──仁川広域市は、最近、1930年代から40年代の建築物を利用した「仁川アートプラットホーム」を立ち上げ、また文化複合団地「仁川アートセンター」の建設を予定しているなど、文化芸術面に力を入れています。富平アートセンターもその一環なのでしょうか。
 仁川は1995年に広域市となり、仁川国際空港の開港、経済自由地域の指定と開発、09年世界都市祝典の開催と、ここ十数年の間に国際都市として躍動的に発展してきました。このような発展を背景に、国際的な水準の文化都市を目指し、03年に仁川広域市文化芸術中長期総合発展計画が策定され、仁川文化財団の創設など多様な取り組みが行われています。
 ただ、ご存知のように韓国は政権や政治にともなう変動が大きな国で、12年に完成予定と発表されていた仁川アートセンターも現在暗礁に乗り上げています。そもそも仁川アートセンターは文化エリアと支援エリアの2つのエリアで構成される計画で、文化エリアにはコンサートホール、オペラハウス、博物館などが建つ予定でした。その施設は企業がアートセンター近郊の土地に建てた住宅を販売した収益で建設するというものでした。しかし、企業がプロジェクト・ファイナンスを準備できず、今問題になっています。また、建設には8つの機関が関わっているので、利害関係も複雑です。個人的には完成することを願っていますが、現時点では予測がつきませんね。
 富平アートセンターは富川区が主体となって作った施設です。もちろん、仁川広域市から施設費としての投資があり、市の文化政策の大きな流れとは無関係とは言えないとは思いますが、市内の芸術団体や施設とネットワークを持ちつつ独自の動きを作っています。

──今後の目標と展望をお聞かせください。
 今年は開館1年目のポートフォリオ作りでした。今後は多角的な試みとコンテンツを開発していきたいと思っています。まず、アーティスト・ビレッジが10月にオープンするので本格的にレジデンス事業に取り組んで行こうと思っています。仁川文化財団を通じて幅広く公募していく予定です。
 それとともに国際交流も積極的に推進したいと思っています。日本、オーストラリア、シンガポール、上海の劇場施設との姉妹劇場提携を構想しています。現在、北九州芸術劇場と実際に交流を模索しているところです。富平区と北九州市は、空港からの距離もほぼ同じで、地域の公共劇場として同じような悩みと課題を抱えています。地理的に近いので経費的な面でも負担が軽いですし。また、北九州芸術劇場はアウトリーチ活動が活発なので、私たちにとっては学ぶことも多くあります。具体的には、学生たちを両地域にホームステイさせ、劇場で作品を創って公演するという市民交流ができればと検討を進めているところです。
 コミュニティホールHoBACでの活動もさらに充実させたいと思っています。特に公共施設に関するセミナーなどを積極的に開催し、共に考える場を作り、ネットワークを広げるつもりです。日本の公共劇場を訪問するたびに思うのは、仕事をしている人々の層の厚さと経験です。私より年は若いのに劇場運営に長く携わっている人が実に多く、蓄積された経験を感じます。こういう経験豊かな人材作りの場にもしたいと思います。
 フランチャイズ団体の活動も今後本格化してきますが、地域を回ってのアウトリーチ事業へと繋いでいきたいですし、ひいてはリージョナルシアターへと成長できる足がかりも作っていきたいと思っています。
 様々な事業を検討していますが、これらは富平区という街に合った公共アートセンターを作る夢を具現化するためのものです。これら多様で独自な公共文化サービスを通じて、住民から愛され、地域のアーティストたちに誇りに思ってもらえる公共劇場へとまい進していきます。
 
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