The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
MK・ウェグマン
MK・ウェグマン氏
(Ms M.K. Wegmann)


ナショナル・パフォーマンス・ネットワーク(NPN)
National Performance Network

http://www.npnweb.org/
ナショナル・パフォーマンス・ネットワーク
NPNの助成金(クリエーション・ファンド、フォース・ファンド)を受けた作品
Inkboat
“Crazy Cloud Collection” InkBoat (under the direction of Shinichi Iova-Koga and Ko Murobushi) photo by: Pak Han
Gloria's Cause
“Gloria’s Cause” Dayna Hanson photo by: Benjamin Kasulke
Every House
“Let of Think of These Things Always. Let Us Speak of Them Never.” Every House Has a Door photo by: John W. Sisson, Jr.
ArtSpot
“Go Ye Therefore” ArtSpot Productions. Photo by: Artspot Productions
Dance Theatre X
“The World Headquarters” by Dance Theatre X, photo by: Zebra Visuals
Rhodessa and Idris Ackamoor
Rhodessa and Idris Ackamoor
Rhodessa and Idris Ackamoor
Women of Calypso (which was the NPN Commissioned work co-produced by Rhodessa and Idris)
Jane Comfort
“Faith Healing” (Jane Comfort)
Elia Arce
“First Woman on the Moon” (Elia Arce)
866 Camp Street
866 Camp Street (photo of New Orleans office)
Presenter Interview
2011.5.9
Pioneering artist residencies and fee-structure, Roots of the NPN strategy 
レジデンシーと共同制作 NPNのすべて 
コンテンポラリーダンス専門機関のダンス・シアター・ワークショップ(DTW)が、アメリカ各地に現代舞台芸術専門の団体が多数誕生したことを受け、アーティストの公演ツアーの機会を増やし、ツアー時の報酬や地域住民との交流を含めた条件を改善する目的でスタートしたプロジェクト「ナショナル・パフォーマンス・ネットワーク(NPN)」。1998年にDTWから独立したNPOとなり、四半世紀にわたり、全米各地の限定約70のパートナー組織(*1)とともに独自の戦略の下に設定した枠組みで新作委嘱(コミッション)やツアーの助成金プログラムを運営してきた。同組織の推進力であるMK・ウェグマン(Wegmann)が語るNPNの活動とその背景。
(聞き手:吉田恭子[日米カルチュラル・トレード・ネットワーク(CTN)エグゼクティブディレクター])

*1 NPNでは「メンバー・パートナー」と呼ばれている。



──NPNが創設されて四半世紀になります。創設の経緯からご紹介いただけますか。
 ナショナル・パフォーマンス・ネットワーク(以下NPN)は、1984年にニューヨーク市のダンス・シアター・ワークショップ(以下DTW)(*2)のプロジェクトとして創設されました。DTWのアーティスティック・プロデューシング・ディレクターだったデイビット・ホワイトは、全米各地で多くのアーティストが孤立して創作活動を行っていること、そして小さな町やシカゴのような大都市においてさえ、地方発信の作品が全米レベルでプレゼンターや観客の目にとまることは非常に難しいという状況を踏まえ、事態を改善する枠組みとしてツアー・アーティスト(*3)の作品を上演するプレゼンター組織のネットワーク化を考えました。当時は、地理的な意味での孤立だけではなく、アフリカ系、アジア系、ネイティブ・アメリカン、ラテン系といった白人以外(本稿の便宜上以下「マイノリティー」)のアーティストとそのコミュニティーは、地元においてさえ孤立していることが多々ありました。また、そういった状況の下でも、それぞれのコミュニティー内では注目に値するコンテンポラリー作品が創られていました。NPNは、そのようなアーティストと作品に新たな機会を提供するために生まれました。
 デイビッドは、この状況を改善するためにNEAとフォード財団から資金を調達し、ミネソタ州ミネアポリス市のウォーカー・アート・センターに、全米各地から14の組織(*4)を招集して会合を開きました。そして「全米から選んだプレゼンターをネットワーク化し、その枠組みの中でナショナル・オフィス(本部)がアーティストのツアーのための資金を調達する」という考えを発表しました。当時私は、ニュー・オーリンズのコンテンポラリー・アーツ・センターのディレクター兼共同創立者としてこの会合に出席しました。同センターは、アーティストを中心に考えて活動し、ツアー・アーティストの作品を上演するとともに、地元のアーティストの作品を全米にプロモートすることを真剣に考えていたので、NPNのメンバーとしてうってつけの候補でした。私たちは「これは天恵だ」とこのアイディアを大歓迎し、NPN構想に参加しました。
 NEAとフォード財団は、NPN構想のパイロット期間のために、二年間の継続助成をし、14の組織が19になりました。最初に集まったメンバー達は、米国の多様性を反映したシステムをつくるという信念に基づき、マイノリティーによる組織の参加を呼びかけ、パイロット期間終了時には、5つのマイノリティーの芸術関連団体が参加するに至りました。
 DTWの上演プログラムはダンスが中心でしたが、現代作品を中心とした音楽や、パフォーマンス系の演劇作品も上演していたこともあり、NPNは、最初から舞台芸術の全てのジャンルを対象にしました。現在はビジュアルアーツのプログラムもありますが、それはずっと後に始まりました。(脚注VANプログラム)そして「滞在型公演ツアー」(以下ツアー・レジデンシー)と定型報酬契約(以下フィー・ストラクチャー)という概念を土台に、NPNのプログラムが展開していきます。

*2 DTW ダンスシアターワークショップは、2010年12月にビル・T・ジョーンズ・アーニー・ゼーン・カンパニーと合併し、New York Live Artsと改称。

*3 “touring artists”の便宜訳。公演を行うためにツアーをする/しているアーティスト。プレゼンターから見ると地元に対して「外来の」アーティストで、本稿の文脈では、公演のために旅費や宿泊費が発生するアーティストとして区別している。

*4 14の組織を含むNPNの創設メンバーは、オン・ザ・ボード(シアトル)、アメリカン・イン・ローズ(サン・フランシスコ)、ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(ロサンジェルス)、ロサンジェルス・コンテンポラリー・エギゼビジョン、コロラド・ダンス、コロラド大学アート・ギャラリー、ダンス・アンブレラ(テキサス州ダラス)、コンテンポラリー・アーツ・センター(ルイジアナ州ニュー・オーリンズ)、モア・プロダクションズ(ジョージア州アトランタ)、ダンサーズ・コレクティブ(ジョージア州アトランタ)、ダンス・プレイス(ワシントンDC)、ペインテッド・ブライド(ペンシルベニア州フィラデルフィア)、ダンス・シアター・ワークショップ(ニューヨーク市)、ダンス・アンブレラ(マサチューセッツ州ケンブリッジ)、インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(マサチューセッツ州ボストン)、ウォーカー・アート・センター(ミネソタ州ミネアポリス)、ミネソタダンス・アライアンス(ミネソタ州ミネアポリス)、モミング・ダンス&アーツ・センター(イリノイ州シカゴ)、コンテンポラリー・ダンス・センター(オハイオ州シンシナティー)。


──NPNのプログラムの前提ともいえるその2つの概念についてもう少し詳しくご紹介ください。
 今では潮流となったアーティストの「レジデンシー」ですが、NPNのプログラムが始まるまでの業界の慣行では、ツアー・アーティストは到着するとすぐ劇場で仕込みをし、上演を終えるとただちに搬出して帰路につくというもので、アーティストにとってはどうゆうコミュニティーで作品を上演するのか全くわからないまま慌しくパフォーマンスをするだけでした。プレゼンターにとっても、アーティストによるアウトリーチ活動ができないので、知名度の低いアーティストや実験的なアーティストの作品に対する観客開拓の可能性がとても限られ、それ故、「冒険」ができなかった。NPNはこれを改善するために、アーティストが一都市に滞在する期間を基本的に1週間とし、「ツアー」と「レジデンシー」の一体化を図りました。これが、ツアー・レジデンシー(滞在型公演ツアー)(*5)の概念です。
 そして、当時はツアーの機会が少なかったので、アーティストは赤字になってもツアーの仕事を受けることがしばしばありました。この問題を解決するために設けたのが「フィー・ストラクチャー」で、基本的にアーティストの仕事に対する報酬金額と、食費や宿泊に関する条件を決めた枠組みのことです。お金の問題を先に片付けることにより、アーティストとプレゼンターが同じ土俵にたって「観客を開拓する」という共通の目的に集中することもできるようになります。

*5 現行プログラムの正式名称は舞台芸術の場合が「パフォーマンス・レジデンシー」、ビジュアルアーツの場合が「エギゼビジョン(またはVAN)・レジデンシー)。

──NPNのプログラムが始まってから12年後に、大きな転機がありました。
 設立から10年余りで、NPNは、19のメンバー組織から50以上の組織が加入するネットワークへと成長しました。NPNが大規模になるにつれ、母体であるDTWのインフラへの負担も大きくなっていきました。そして1997年、DTWでは、新たな劇場スペースを作る目的でビルを購入するためのキャピタル・キャンペーンが始まりました。DTWの上演を中心とするプログラムとNPN、それに加えてキャピタルキャンペーンの資金集めをするのは、到底不可能だということになり、NPNは非営利組織として独立することになったのです。

──その頃、ウェグマンさんはNPNにどのように関わっていらしたのですか。
 当時、私はニュー・オーリンズのジューン・バグ・プロダクションのマネージング・ディレクターだったのですが、NPNのアドバイザリー・コミッティーの理事長を、ロリス・ブラッドリーと共に務めていました。NPNの独立にあたり、このアドバイザリー・ボードがそのままNPNの理事会になったので、私とロリスもそのままNPNの理事長になりました。理事会は、サン・サン・ウォンをNPNのエグゼクティブ・ディレクターとして雇用しました。サン・サンは、NPNの独立組織としてのインフラを作るという骨の折れる仕事を18カ月間勤めまた後、辞職しました。インフラを作るというのは、そのための資金集めも並行して行うという大変困難なことで、果たしてNPNは存続できるのかどうか、私たちにもわかりませんでした。この大変な時期に助成をしてくれたのがドリス・デューク財団の「ブリッジ・グラント」というプログラムでした。間もなく、ロリスが一身上の都合で理事会を退任したので、私はNPNの単独の理事長となりました。
 サン・サンが辞めた後、理事会は、新しいエグゼクティブ・ディレクターを雇用する前に「全米規模のリサーチに基く計画(ナショナル・プランニング・プロセス)」を実施して、NPNが存続する意味と可能性があるかどうかを検討することにしました。そして8カ月間にわたり、前述の「ブリッジ・グラント」の資金を使って全米各地でラウンドテーブル(円卓会議)を招集しました。これは、いわゆるフォーカス・グループ(*6)によるミーティングのような形式で、NPNメンバーの地元、あるいは出張可能な都市を選んで行いました。NPNメンバーの他にも、開催地の地元のプレゼンターやアーティストにも参加してもらいました。この全国各地のラウンドテーブルを通して、NPNの存在が業界にとってどれほど必要とされているかが明確になりました。並行して複数の助成財団ともミーティングをもち、関係を築いていきました。助成側の反応は総じて肯定的で、デューク財団からは引き続き3年間の継続助成を受けることができました。そして、このプロセスが終了した時点で、NPNの必要性を確信した私は、NPNの理事長兼CEO(チーフ・エグゼクティブ・オフィサー)になる決心をし、2000年に就任しました。

*6 マーケティング・リサーチの手法の一つで、例えば、開発途上の製品の試供品を提供された対象者が、使い勝手や感想を小規模なグループで話し合う。グループ内では、自由に発言し、お互いの意見を聞くことで、通常のアンケート用紙などからは得られないより充実した情報収集が得られるとされている。

──2001年にNPNの本部をニューオーリンズに移されたのは、なぜですか。
 私は生まれ育ったニューオーリンズが大好きなのです。それでこの地を離れたくなかったということだけではないのですが、通信をはじめとするテクノロジーの発達、運営費用と物価なども考慮して、全米を対象とした組織であるために、ニューヨークに本拠を置くことは必須条件ではないとの判断をしました。

──現在のNPNのスタッフ数と予算規模は?
 ニューオーリンズの本部に8人、それに加えてニューヨークに国際プログラムのディレクターであるレナータ・ペトロニ、フロリダのマイアミに同プログラムのスペシャリストであるエリザベス・ダウド、それからITとデザインを担当しているブライアン・グラハム、出版関係の編集員であるキャシー・デノブリガがいます。全体の予算は約260万ドルで、そのうちの210万ドルがナショナルプログラム、残りの50万ドルは地元ニューオーリンズのためのプログラム(後述)予算です。

──NPNのビジョンをよく表している現在のプログラムについて教えてください。
 私たちは、現在NPNで進行中の複数のプログラムを、2つの主な趣旨に分けて説明します。一つ目は、現代芸術の「創造とツアー」。二つ目はNPNメンバー、NPNから支援を受けているアーティスト、そして業界で志を同じくする関係者を招集し、業界に影響のある全米規模のカルチュラル・ポリシー(文化政策)の問題を提起し、話し合うことです。これを簡単に「コンヴィーニングとカルチュラル・ポリシー(招集と文化政策)」と呼んでいます。
 「創造とツアー」のカテゴリーには、次のプログラムが属します。1)パフォーマンス・レジデンシー、2)エグゼビション・レジデンシー(別称ビジュアル・アーツ、またはVANレジデンシー)、3)クリエイション・ファンド(共同委嘱制作の助成金、舞台芸術のみ)、4)コミュニティー・ファンド(新作制作過程のためのフレキシブルな助成金)、5)フレイト・ファンド(パフォーマンス・レジデンシーなどに付随する助成金で、ツアーの際の人以外の輸送費をはじめ、技術関係の経費のための$500前後の助成補助金、そして、6)インターナショナル・プログラム(ラテンアメリカとの交流プログラム「パフォーミング・アメリカス」、そして現在パイロットプログラムとして開発中のアジアとの交流プログラム)です。
 もう一つのカテゴリーである「招集と文化政策」にも関連することですが、NPNのプログラムは複雑です。その理由は、特定の目的を達成するために意識的な構造となっているからです。大きな財団から資金を得て、それをそのまま再配分するだけの単純な「リ・グラント(再助成)」プログラムではないからです。
 例として、「クリエイション・ファンド(創造助成)」を詳しく紹介すると、これは、共同委嘱を土台とするプログラムですが、細かな条件があります。まず、少なくとも2つの共同委嘱組織(コ・コミッショナー)が必要で、複数のコミッショナーの内、少なくとも一つはNPNメンバー組織であること。そして共同コミッショナーになるためには、プレゼンター同士が地理的に100マイル以上離れていることが条件です。共同コミッショナーの数に上限はありませんが、それぞれが2,000ドルのコミッション・フィー(新作委嘱料)をNPNに支払い、NPNからはそれに6,000ドルを加えた金額をコミッション・フィーの合計としてアーティストに支払います。したがって、NPNのコミッション・フィーの最低保証金額は1万ドルです。共同コミッショナーは、各々が委嘱したアーティストの作品を上演することが条件です。その作品は、委嘱した新作であることを想定していますが、上演作品の最終決定はアーティストに委ねられています。新作が満足のいくものにならなかった場合、アーティストが他の既存作品を上演するオプションがあるということです。また、稀にコミッションを行ったプレゼンター側が、例えば作品の規模が大きくなりすぎて手持ちの施設におさまらなくなった場合などには、同じアーティストの別の作品を上演することもあります。
 クリエイション・ファンドは助成を受けてから3年間有効です。アーティストによっては、新作をつくるのにそれだけの期間が必要だからです。そしてNPNメンバー組織がその新作を上演する際には、NPNが上演に関わる経費も補助します(共同コミッショナーでも、メンバー以外の組織には上演に対する補助金制度は適応されません)。これらの諸条件により、クリエイション・ファンドを受けた作品には、最低でも1万ドルの制作資金と2つの都市で上演できるという「ミニ・ツアー」が保障され、さらに、新作が満足のゆくものにならなかった場合、アーティストは無理に上演するプレッシャーはなく、代わりに別の完成作品を上演することができます。
 次に、「コミュニティー・ファンド」ですが、これは前述のクリエイション・ファンドやパフォーマンス・レジデンシーに付随する助成金です。例えばアーティストが、HIV感染症/エイズに対する知識と理解を深める社会福祉団体と共同作業する過程で、ストーリー・サークル(*7)を実施することになったとします。このような一見小さなイベントでも、実際にはその団体のスタッフが時間と労力を費やし、場所代やお茶菓子代も発生します。その場合に、団体への謝礼他雑費を支払うための資金です。細かな経費がカバーされることにより、より充実したアウトリーチ活動と作品の創作過程が可能となるという考え方に基づいています。「コミュニティー・ファンド」の有効性が非常に高いことが立証されたので、このプログラムを新たに「フォース・ファンド」と改称し、前述のクリエイション・ファンドの中に位置づけて、メロン財団の助成を受けて実施することになりました。
 「フォース・ファンド」(Forth Fund訳注:Forthは、Go Forthのように、前に進むときの「前へ」の意味)は「実際の新作制作期間中になぜ、どのような経費が必要になるか」という現場の声とニーズによって開拓されました。既存の支援のギャップを埋めるために、1万5,000ドルを制作資金として創りだす仕組みで、まずNPNがアーティストに5,000ドルをクリエイション・ファンドに加えて助成します。同様に、新作委嘱をしたプレゼンター組織にも5,000ドルを支給します。ただし、そのプレゼンターは、1対1で5,000ドルをマッチすることが条件です。それを合わせて1万5,000ドルの制作資金になるということです。

*7 小規模なグループ内で各個人が自分の経験を話すイベント。共通の問題意識をもつ人が集まり特定の目的(リサーチやヒーリング)をもって開かれることが多く。通常、モデレーターやオーガナイザーがいる。

──もう一つのカテゴリーである「招集と文化政策」について説明してください。
 インターネット上のミーティング・サイトの中にはとても良くできたものもあります。でも、お互いを知り合い、人間関係をつくるにはやはり実際に同じ部屋に居ないとできません。NPNの年次総会(アニュアル・ミーティング)はNPNパートナーにとって重要な集会の機会です。年次総会の期間中、メンバーのみが参加する半日のミーティングを設け、NPNとネットワーク内の様々な問題について話し合います。また、NPNの助成を受けたアーティストを、プレゼンターと同数になるように招待し、彼らの旅費を補助します。これはアーティストにとってはこのような会合に出席する機会が非常に少ないという現状も踏まえていますし、大勢のプレゼンターに対して少数のアーティストだと力関係が均等にならないという考えにも基づいてます。そして「プレゼンターとアーティストが共に作品を観客に届ける」ために、両者が同じテーブルについて対等に話し合う環境をつくります。このような会合で、アーティストと直接対話をすることは、彼らの声を直接文化政策に反映する意味でも極めて重要です。
 年次総会は、プレゼンターがアーティストの新作を知るための場でもあるので、基本的に4つの異なる方法で作品を紹介します。まず、クリエーション・ファンドを受けた完成作品をフル上演します。どの作品を上演するかの決定に際しては、ジャンル、地域、文化的多様性を考慮します。また、「アート・バースト(弾けるアート)!」という7分間のノーテク・ショーケースをミーティングの前後などに行います。この枠組みで上演する作品はソロ・パフォーマンスの場合が多いです。「メディア・ショーケース」では、プレゼンターがDVDやユー・チューブで主に地元で注目に値するアーティストを紹介し、それを参加者全員が見ます。2時間のセッションで、紹介されたアーティストがすぐ契約に結びつくことはまずありませんが、新しいアーティストを知り、将来のサポートを考えるための貴重な機会になっています。さらに、年次総会の全参加者が、2〜3分間、今自分がやっているプロジェクトについて発言する「イン・ザ・ワークス(ただ今制作中)」というセッションがあります。たとえば、あるアーティストは、「今、〇〇〇の葛藤についての作品を構想中で、デザイナーを探しています」、とか「共同コミッションをしてくれるプレゼンターを探しています」といった短い発言をします。このような情報交換とネットワーキングのために1時間のセッションを二コマ設けています。

──年次総会には何人位が参加しているのですか。
 前回のダラスの会合は、NPN創立25周年ということもあり、通常より多い約350名が参加しました。通常は、ボードやスタッフを含めて約300名が参加します。VANのミーティングも行われるため、NPNパートナー全組織、それと同数のアーティスト、開催地のNPNメンバーの推薦による地元のアーティスト約20〜25名が参加します。また、年次総会のほかに、NPNのメンバー・パートナーだけを招集する小規模な会合、ミッドイヤー・ミーティング(年半ばの会合)を各地域で行っています。この会合では公演ツアーについて学びたいアーティストのために“Doing it on the Road(公演ツアーの仕方)”というワークショップも行います。ミッドイヤーに参加するのは20名ほどのNPNメンバー組織で、ワークショップは一般公開です。国際プログラムである「パフォーミング・アメリカス」(後述)にも「コンヴィーニング(招集/集会)」の機能はあります。米国プレゼンターがラ・レッド年次総会に、中南米のプレゼンターがNPNの年次総会に出席することになっているからです。

──制作現場の声を決め細やかに反映したNPNのプログラムや構造は25年間という時をかけて発展、変遷してきたのだと思います。
 もともと、「オルタナティブ・スペース・ムーブメント」(*8)の分野から始まったNPNは、アーティストにパワーを与え、アーティストの視点で見るという考えを踏襲してきました。でも興味深いことに、構造自体に関しては、設立当初にデイビッド・ホワイトが想定した形から、あまり変わっていないのです。

*8 http://books.google.com/books?id=-eu5cm9iuewC&pg=PA111&lpg=PA111&dq=alternative+space+movement&source=bl&ots=uAxHDzn9UM&sig=Br2uJj80wN-UC8Pvap7mLxtl6q4&hl=en&ei=e3-WTYv_A-PiiAL59vTlCA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=10&ved=0CFgQ6AEwCQ#v=onepage&q=alternative%20space%20movement&f=false

──25年の間にNPNが業界に与えた影響には、どのようなものがあるでしょうか?
 まず、最初の頃は特に、業界の「公演ツアー」の概念を大きく変えたことが上げられます。ツアー先での滞在期間の合計が平均2.5日だったのを、約1週間滞在して舞台上演以外の活動により地域社会にリーチアウトするという潮流をつくりました。現在、RAO(*9)がツアー助成を行う場合、レジデンシー活動が助成条件の一つになっていますが、これは70年代から90年初頭にかけてはなかったことです。
 二つ目の大きな影響はNPNの「定型報酬契約(フィー・ストラクチャー)」によるものです。現在の「レート」は、一人のアーティストの週給が700ドル、それに加えてフリンジ・ベネフィット(*10)、食費手当て、宿泊、事務人件費の一部、アーティスティック・ディレクターのための予備費を保証するというものです。NPNの助成契約書のもとに決まっていて、アーティストの報酬は、多くすることも少なくすることもできません。もちろん、有名になるとアーティストは、「NPNレートを卒業」しますが、それでも、実に多くのアーティストは、このNPNのフィー・ストラクチャーを、NPN以外の契約にも用いています。決して大きな報酬ではありませんが定額が保障され、ツアーの際の宿泊や食費からベビーシッターの費用にいたるまで、13ページにおよぶ契約書に詳しく明記されています。

*9 Regional Arts Organizations(バックナンバー参照

*10 本稿の文脈では、主に保険費や退職金の補助のために給与に15%から25%上乗せして支払われる補助金や限定期間の保険契約。一般には、「企業が給与外に個人に与える種々の利益。乗用車、住宅、子弟教育などの補助や、医療・食事、社内低利融資などがある。付加給付。賃金外給付。(コトバンクより抜粋)」


──NPNのシステムによって育ったアーティスト、例えば、地方出身で、NPNがあったからこそ全米で活躍するようになったアーティストの例はありますか。
 カリフォルニア出身で今はテキサスのヒューストンで活躍しているラテン系アーティスト、エリア・アーシーの場合、活動を始めたころは若いソロのアーティストでしたが、NPNのクリエイション・ファンドを何度も受賞し、その結果、ツアーもできたことで成功への道が開けたといえます。設立25周年を記念して過去のクリエイション・ファンドの受賞作品から5つの作品を選んでNPNの年次総会で上演しましたが、その1つは彼女の作品“First Woman on the Moon”でした。NPNの初期に支援を受けたニューヨークのジェーン・コンフォートも、その影響の大きさについて頻繁に言及しています。他にも、シアトルのパット・グレニーやサンフランシスコのカルチュラル・オデッセイ(イードリス・アカモアとロデッサ・ジョーンズ)をはじめ、過去25年間にNPNのクリーエーション・ファンドの助成を3回以上受け、新作のツアーを実現したアーティストだけでも1,000人を越えていますし、素晴らしい仕事をしているアーティストが大勢います。また、プレゼンターとしても活動しているイードリスとロデッサはNPNメンバーでもあり、「パフォーミング・アメリカス」にも参加してラテンアメリカのアーティストとの共同制作も行っています。

──ウェグマンさんご自身のバックグランドを教えてください。アーツ・アドミニストレーションの手腕はどのようにして養われたのですか?
 私は子供の頃から大学院まで、ずっと演劇や舞台をやっていましたが、故郷を離れてニューヨークに行く気はありませんでした。でもニュー・オーリンズには舞台関係の仕事は殆どないに等しいのが現状でした。今でも、いわゆるプロの劇団は1つしかなくて、それも小規模なものです。でも、この町の文化的な豊かさは、他の米国のどの都市も及ばないと私は思っています。
 私は、アートギャラリーで仕事をしてましたが、そこに出入りしていたアーティストや関係者がコンテンポラリー・アーツ・センター(CAC)を創ることになり、その波に自然に身を投じました。その頃は、アーツ・アドミニストレーションのトレーニングやプログラムという概念はなきに等しい時代(*11)だったので、仕事の実践から学びました。大きな倉庫ビルを無料で与えられたので、とにかくそこで様々なことをやった、という感じです。「アーティストのための『場』、コミュニティーが文化芸術に触れる『場』をつくり、多くのプログラムを展開すれば、私たちをこのビルから追い出すことはコミュニティーが許さないはずだ!」と言いながら。私は、もともと数字に強かったので、大学での最初の専攻は化学で、数学を副専攻にとったのですが、一晩中劇場で舞台の仕事をして、次の朝、化学実験室(ラボ)に行くというのは、さすがに身体が持たないので、化学者のキャリアはすぐに諦めました。それで英語を専攻しました。これは後で助成金申請書を書くのに役立ちました。また、大学院時代は、アルバイトでしばらくローンと貯蓄関係の仕事もしたのですが、その経験も、助成金をはじめとする予算作成にとても役立ったと思います。
 CACの初期の頃、1978年に、舞台芸術の関係者の集まる会議がロサンジェルスで開かれ、CACのボードメンバーの中に先見の明のある人がいたおかげで、私はその会議に参加することになりました。そして、全米各地に数多くの様々な非営利団体が存在し、活動していることを知りました。ちょうど、NEAが設立されて10年ほどの歳月を経た時点で、全米にCACのような芸術組織や団体が芽をふき、花を咲かせていました。この時期に米国南部地域を対象とした組織「オルタネイト・ルーツ」(*12)も設立されています。
 米国南部は、奴隷制と南北戦争(Civil War)という特徴的な文化的遺産があり、そのために他の米国の地方にはない文化的特徴があるといえます。私は反戦と市民権運動の世代で、若い時からアクティビスト(社会活動家)だったのでそういうメンタリティーが仕事の仕方にも影響していると思います。NPN自体、最初から文化的平等性と社会正義という価値観をプログラムに明確に反映していました。地元と全米の両方を視野に入れ、地元を支援する、どうやって自分を律し、他者と連携して仕事をするか、ある意味、NPNの仕事も全米規模のオーガナイジングです。少し誇張して聞こえるかもしれませんが、私個人にとってはそうゆう流れで、2000年にNPNの存続が危ぶまれた際、失うものの大きさを考え、CEOになったというわけです。

*11 CACの設立は1976年

*12 http://alternateroots.org/


──NPNの国際プログラム、「パフォーミング・アメリカス」について詳しく聞かせてください。
 国際プログラムについても、国内ツアーと同様の「定型報酬契約」を適用しています。「パフォーミング・アメリカス」には前述の「コミュニティー・ファンド」はありませんが、3〜5週間のレジデンシーを行う「クリエイティブ・エクスチェンジ」というプログラムがあります。「パフォーミング・アメリカス」は、もともと、アーツ・インター・ナショナルのプログラムでしたが、同組織は独立組織になった後、わずか3年で終了してしまったので、このプログラムををNPNが引きつぐ形となりました。「パフォーミング・アメリカス」の中南米側の中核となるパートナーはLa Red(正式名称:Red de Promotores Culturales de Latinoamerica y el Caribe)で、このNPOはNPNをモデルに91年に設立され、最初の10年間、ロックフェラー財団の支援をうけていました。それが終了した後、組織としてはヴァーチャル化しましたが、ネットワークは機能していて、南米だけでなく、セントラルアメリカとカリビアンの各地にある50〜60の組織がメンバーになっています。このプログラムも、公演ツアーを実現するだけでなく、知識とネットワークを蓄積することを目的としています。プレゼンターのグループを組み、作品を観ると同時に、相手国のプレゼンターに会うために往来します。そしてプレゼンター同士が関係を築き、上演するアーティストや作品を推薦しあって決定します。
 具体的には、NPNのメンバー組織の中から6つプレゼンターが、年にできれば二度、少なくとも一度、ラテンアメリカのフェスティバルなど、多くの作品を観られる機会を選んで出向きます。そして3つのプレゼンターが一組となって、公演ツアーをするアーティスを選びます。こうしてラテンアメリカの2組のアーティストが、米国の三都市をNPNの定型報酬契約に沿って一週間づつ地域に滞在してアウトリーチも行いながらツアーする仕組みです。双方向性の交流プログラムなので、ラテンアメリカからのパネルも米国に呼び寄せます。「パフォーミング・アメリカス」の場合、NPNが、双方向のアーティストのツアーに関する国際航空運賃、VISA関係費、アーティストフィーの補助、宿泊や食費他の経費を助成し、また、プレゼンターの往来の国際交通費を含む全ての経費も負っています。でも、今後他の地域と国際プログラムを行う場合は、このような一方的な経費負担の体制ではなく、資金集めに関しても共同体制で臨みたいと思います。

──日本と韓国を含むアジアとの交流プログラムが始まりましたが、どのような背景と経緯ですか?
 NPNは、米国の多様性を反映するプログラムを作るという強い意向があるので、国際プログラムを行う際、ラテン・アメリカは地理的にも自然な第一歩でした。
 アジアに関しては、国際交流基金との出会いが大きく影響しています。私は、同基金のニューヨーク事務所の助成プログラムであるパフォーミング・アーツ・ジャパン(PAJ)のパネリストを4年間務めました。その間に気がつき、また基金のスタッフとも話していることとして、基金はニューヨークをはじめとする米国の大都市以外にもリーチアウトするというビジョンがありますが、現実には申請プロジェクトのアーティストや申請者団体の枠がなかなか広がらないということがありました。
 また、デューク財団との多年にわたるリレーションの中で、ある時、アジア系アメリカ人アーティストのコンソーティアムが組織化される際のメンターを依頼され、複数のNPNパートナーメンバーがコンソーティアムの創設や方針に関わったことも、組織全体として自然にアジアに目をむける下地となりました。同財団のオルガ・ガライが香港インターナショナル・アーツ・フェスティバルに合わせて招集した会合に、私も参加したのですが、そのフェスティバルのショーケースでタイ、カンボジア、インドネシア他各国からのアーティストのとても興味深い作品を観ました。そして、その折に国際交流基金が韓国をはじめとする他のアジアの国々にもオフィスがあることを知り、アジアの先進国以外の国々にもリーチアウトするとても良い機会だと思いました。加えて90年代初頭にNPNでインターンをして佐東範一さんがNPNを参考に日本でJapan Contemporary Dance Network(JCDN)をつくったという縁もありました。
 このような複数の要素が背景にありましたが、第一歩を踏み出すまでには数年越しの準備期間を要しました。2008年には、世界的な経済不況があり、アジア・プログラムの発進が遅れがちになっていたところに、韓国のKAMSがNPNにアプローチしてきました。
 NPNには、文化交流は一方通行ではなく、双方向性であるべきだという信念があります。「パフォーミング・アメリカス」が知られるに伴い、オランダ、イギリス、ドイツ、オーストラリアなどからも交流プログラムの話が持ちこまれましたが、どの国も双方向のプログラムに興味を示しませんでした。(自国のアーティストを米国にツアーする方向のみが、興味の対象でした。)国際交流基金とKAMSだけが、双方向性のプログラムが正しいアプローチだということに賛同してくれました。私たちにとってこのことが、日本と韓国をアジアへのアベニューにする決め手となりました。
 アジアとの交流についても、やはりラテンアメリカでの例にならい、ネットワーク同士のリレーションシップを築きたいと考えています。国外へツアーができるアーティストへの架け橋であるプレゼンター同士のリレーションシップの枠組みを作ることができるからです。

──国内外でツアーをするアーティストを、NPNの本部ではなく、プレゼンターが選ぶシステムにしているのは何故ですか?
 NPNの助成プログラムは、パネルの審査による「コンペティション」にはしていません。オープン・プロポーザル・コール(申請書の公募)とその審査による選択制度は確かに良いシステムですが、それだけが方法ではありません。また、そのようないわゆる競争に基くシステムが、メイン・ストリームの外にいるアーティストにどうやって機会を与えるかという問題を解決するとは限りません。アーティストにとっては受動的なシステムだからです。それに対して、NPNの考案したシステムは、アーティストが積極的に参加できる、そしてメインストリーム以外のアーティストも除外されないシステムだと思います。また、このようなシステムが成り立つのは、NPNのメンバー組織を約70に限定しているからでもあります。NPNメンバーであるプレゼンターが選んだアーティストには、NPNの助成が約束されるということになります。メンバー数に上限を設けているのは、メンバー同士が良く知り合い、話し合うためにも有効です。(*13)

*13 NPNは永久メンバー制。一度メンバーになると組織が解散するまでメンバー。

──何度か来日し、相当な数の日本のコンテンポラリー・アーティストの作品をご覧になったと思います。たとえばTPAMでショーケースをしているアーティストはまだ日本でもあまり知られていないこれからのアーティストも多いと思いますが、NPNメンバーの上演プログラムにマッチしていますか?
 答えは力強い「イエス」です。今回のTPAMや関連プログラムだけをとっても、来日しているNPNメンバーは興奮しています。全てのアーティストや作品がすぐに米国にツアーできる、ということではないのですが、例えばSTスポットのショーケースで、何人かの将来を約束された才能をもつアーティストを見ました。コンタクト・ゴンゾーに関しては、NPNメンバー全員が大いに気にいりました。フリン・シアターのアーニー・マリナは、コンテンポラリー能のアーティストのショーケースをとても気にいったようですし、言葉の壁がなければ、私は、ボードビルスタイルのアーティスト達も、良いと思いました。言葉遊びや風刺が効いたテキストだったと聞きました。それがわかれば私たちにはパワフルな作品になり得たと思います。もちろん、翻訳できない作品もあるとは思います。PICAのエリン・ボバーグ・ドートンも数多くのショーケースを見て、7、8本気に入ったものがあったようでした。

──国際プログラムが急進するNPNですが、地元では特にコミュニティーのためのプログラムも行っているとのことです。どのようなものがあるのですか?
 ニュー・オーリンズがハリケーン・カタリーナ(*14)で被災した後、私たちは地元コミュニティーに直接貢献する道を見つけました。NPNは、助成財団をはじめとする支援側と災害復興事業に関わっているアーティストとの間をとりもつ中間組織としての役割を果たしています。例えば、「ポーチ第7区文化組織」(*15)や「トランスフォルマ」(*16)プロジェクトといった復興プロジェクトや関連組織に資金をはじめ、人材、知識といったリソースを導入する手助けをしています。アーティストが地元のコミュニティーの中で、学校や青少年対象の団体と共に、地域社会を立て直す様々な方法を模索し、実践しているプロジェクトについてまとめた印刷物(*17)も二、三あります。地元で行っているNPNの大切なサービスです。
 これは日本で知られているかどうかわかりませんが、日本政府は、被災地域の復興のためにニュー・オーリンズに対して多くのことをしてくれました。特に、1995年の阪神神戸大震災で大きな被害を受けた神戸市は、復興の知識やノウハウをニューオーリンズ市や助成財団と分かち合ってくれました。そしてニュー・オーリンズからコミュニティー・リーダーや教育関係者、建築家や都市設計関係者を神戸に招待して復興に関する解決方の研究の手助けをしてくれました。とても感謝しています。

*14 2005年8月末に北米南東部を襲った大型ハリケーン。ルイジアナ州では、災害による死者が最も多く、ニュー・オーリンズ市では、陸上面積の8割が水没し、大被害を蒙った。

*15 「ポーチ第7区文化組織」
ハリケーン・カタリーナ災害の後、ニューオーリンズで最も貧困他の問題の多い地区の一つとされている第7区に設立されたコミュニティー組織。芸術を中心とするプログラムを通して社会の改善、変革をめざす。青少年も多く参加するプログラムには、アート・キャンプ、青少年演劇、デジタル・メディア、ハーブ園芸、ビーズをつかったプログラムなどがある。
http://www.theporch-7.com/

*16 ハリケーン・カタリーナ後の復興の一端を担う目的で、2005年から2010年にかけて行われた大小様々の地域社会とアートを結ぶプロジェクト。
http://www.transformaprojects.org/about

*17 関連出版書は、次のリンクから無料でダウンロード可能。
http://www.transformaprojects.org/



編集後記:このインタビューを終えてから原稿になるまでの間に、東日本大震災が発生しました。ウェグマンさんとNPNのスタッフが、被災者の皆さま、そして日本の友人、知人の皆さまへ心からのお悔やみとお見舞いを申し上げています。また、出張先(ブラジル)のウェグマンさんからEメールでお見舞いに添えた一文が届きました。
「日本のアーティストや芸術関係者の皆さまが、地域社会と共に復興に向かっていかれるに際し、私たちがニューオーリンズで携わった復興関連の経験やノウハウが少しでもお役に立てるのでしたら、是非お力になりたいと思います。アーティストの創造性は強大なパワーです」
 
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