The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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ソン・ジンチェク
Profile
ソン・ジンチェク(孫桭策)氏
(Sohn Jin-chaek)
1947年生まれ。韓国の伝統芸能の手法を現代劇創作に生かした演出家として国内外で知られる。ソラボル芸術大学で演劇を専攻後、劇団民芸の旗揚げに参加し、84年『ソウル・マルトゥギ』で演出家デビュー。82年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで1年間研修。86年には自身の劇団美醜を旗揚げし、数々の作品を演出するとともに「美醜山房」「美醜演劇学校」「美醜管弦楽団」を運営。81年から毎年様々な演目で公演している「マダンノリ」は今年30年目を迎えるが、集客数20万人以上といわれ、国民の年末年始の楽しみのひとつになっている。そのほか、88ソウル・オリンピック文化芸術祝典「漢江祭」総監督、02日韓共催ワールドカップ開幕式など、国家的なイベントも手がける。また、演出家としてだけでなく、フェスティバル・ディレクターとしての才能も発揮し、各種舞台芸術フェスティバルの芸術監督も努める。現在、財団法人国立劇団芸術監督。

財団法人国立劇団
http://www.ntck.or.kr/
財団法人国立劇団
施設開館の様子
「開かれた文化空間」開館式典の様子
*マダン劇
韓国の伝統演戯を現代的に継承した演劇様式のひとつで、時代や社会を諷刺するなど演劇の社会的機能を特徴とする大衆演劇。また、伝統演戯の共同体的な性質、観客と舞台の積極的・集団的な疎通、時空間の遊戯などを柔軟に活用する点にも特徴がある。主に広場(マダン)など野外で行われてきた。
旗揚げ公演『オイディプス』
(明洞芸術劇場)
オイディプス
国立劇団の本拠地
国立劇団の本拠地
国立劇団の本拠地
国立劇団の本拠地
創作工房パン
国立劇団の本拠地
建物内部。右に国立劇団演劇宣言文が書かれている
劇場開館記念公演『三月の雪』
(白星姫/張民虎劇場)
三月の雪
定期公演『キッチン』
(明洞芸術劇場)
キッチン
Presenter Interview
2011.8.22
Re-launched as an independent organization, the National Theater Company of Korea 
財団法人として再出発した韓国の新・国立劇団 
韓国には、政府の文化体育観光部傘下の国立芸術機関として、「国立中央劇場」とその専属団体である国立劇団、国立唱劇団、国立舞踊団、国立国楽管弦楽団、「芸術の殿堂」と常駐団体である国立バレエ団、国立オペラ団、国立合唱団、そして「明洞芸術劇場」や「貞洞劇場」などが設立されている。これまでも国立芸術機関の見直しが行われ、財団法人化が進められてきたが、李明博政権による改革で一層の見直しが図られ、2010年7月には唯一直営として運営されている国立中央劇場から国立劇団が財団法人化されて独立。この3月にはソウル駅の裏手に財団法人国立劇団の専用施設として「開かれた文化空間」もオープンした。1950年、国立中央劇場の設立とともに発足し、60年間、韓国演劇界の中核的な役割を果たしてきた国立劇団が財団法人化によりどのような方向を目指すのか──初代芸術監督に就任したソン・ジンチェク(孫桭策)氏に、新・国立劇団の現状と展望を聞いた。
(聞き手:木村典子[舞台芸術コーディネーター・翻訳者、在ソウル])


──ソン芸術監督は、ご自身の劇団美醜(ミチュ)と日本の劇団昴との合同公演『火計り−四百年の肖像』(2001年)や新国立劇場プロデュースによる『THE OTHER SIDE/線の向こう側』(アリエル・ドーフマン作、04年)の演出、そして2002年の日韓共催ワールドカップのオープニングセレモニーの全体演出など、日本でもよく知られる韓国の演出家のお一人です。遡って恐縮ですが、ご自身の演劇の歩みについてご紹介いただけますか。
 高校を卒業後、友人たちと漢江(ハンガン)という河に浮かぶ小島に20坪ほどの稽古場をつくり、そこで演出をしたのが演劇人生の始まりです。M.J.シングの『谷間の影』という戯曲でした。その後、劇団山河に入団し、韓国リアリズム演劇の金字塔といわれるチャ・ボンソク(車凡錫)先生などの演出助手をしながら、ソラボル芸術大学で本格的に演劇を学びました。大学を卒業した翌年の73年に師匠であるホ・ギュ(許圭)先生が劇団民芸を旗揚げしたので創立メンバーとして参加し、『ソウル・マルトゥギ』という作品で演出家デビューしました。この作品は84年に東京で開催された「韓日演劇フェスティバル」でも公演しています。

──『ソウル・マルトゥギ』は、権力に対する批判を含んだマダン劇(*)です。この作品も含め、30年間毎年公演してきた“マダンノリ”など、韓国伝統演戯を表現の基盤とした作品を数々手がけていらっしゃいます。演劇を始めた当初から韓国の伝統的な表現に関心があったのですか?
 学生の頃から伝統演戯に関する資料を集めていました。また、師匠のホ・ギュ先生は伝統劇を現代に接ぎ木する試みをした韓国演劇史のなかでとても重要な人物です。その影響もあったのでしょうが、イギリスに留学してロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシステムを学ぶなかで、独自の演劇言語を持ちたいと痛感するようになりました。韓国には、古くから仮面劇やクッ(祭祀)といわれる儀式、男寺党(ナムサダン)という旅芸人たちの演じた芸能など、伝統的な演戯形式があります。私もこの伝統と美を掘り下げ、それを現代化する方法を独自の表現として模索しはじめました。

──ソン芸術監督がデビューした80年代半ば、韓国演劇界では伝統の現代化という試みが盛んに行われ、台詞中心のリアリズム劇に対して韓国の伝統演戯のもつ身体性を軸にした演劇や小劇場が台頭するなど、演劇的なパラダイムの変換があったように思います。
 翻訳劇特有のイントネーション、つけ髭やカツラに違和感があり、翻訳作品への反発はありましたが、殊さら小劇場運動的なことを始めようとは思っていませんでした。そもそも演劇というのは総合芸術であり、俳優の演技も音楽も美術も一体化しているものだと思います。私と同世代の役者を集めて86年に劇団美醜を旗揚げし、台詞、動き、歌がひとつになった演技スタイルを目指して俳優養成学校をつくるとともに、管弦楽団も創設しました。つまり演技も演奏もできることを劇団美醜の目標としました。

──そうした活動を経て、財団法人国立劇団の初代芸術監督になられたわけですが、まずは就任されたご感想をお聞かせください。
 正直、芸術監督という仕事を引き受けるのはたやすいことではありませんでした。これまでとは違う国立劇団をつくり上げていかなければならないという重荷も感じましたし、若い人材が国立劇団の変革を主導するほうがいいのではないかという思いもありました。しかし、新たに出帆することになった国立劇団がいい方向へと向かえば、韓国演劇界全体にとっても意味があると判断し、お引き受けすることにしました。

──なぜ国立劇団は財団法人化されることになったのですか?
 朝鮮戦争直前に創立された国立劇団は、韓国演劇界の中枢的な役割を果たしてきましたが、80年代に入り時代と共感する作品づくりに失敗した面もあり、この30年あまりは、はかばかしい成果を上げられないでいました。韓国を代表する演出家たちが芸術監督に就任してはみたものの、官僚化されたシステムのなかで民間として行ってきた個人の芝居づくりを公共の場で繰り返すことに終始する結果となりました。いわゆる創意性と自律性の不足という問題です。この問題の深刻さを韓国演劇人の多くが感じていましたし、誰かが制度の革新とともに国立劇団の位置づけを新たにしてくれることを願う雰囲気がありました。このような演劇界の思いが、文化観光体育部が国立劇団の専属団員制を廃止し、法人化を推し進める背景にはありました。
 すでに2000年には、国立オペラ団、国立バレエ団、国立合唱団は、「国立中央劇場」から「芸術の殿堂」に移管された際に財団法人化されています。国立芸術機関の法人化という課題と流れは2000年代からあったわけです。現政権も発足当時から国立劇団と国立現代美術館の法人化を明確に打ち出していました。
 2009年に国立劇団の法人化推進計画報告が行われ、年末には法人化予算47億ウォン(約3億5千万円)が確定しました。2010年4月に既存の国立劇団の団員の契約解雇が行われ、6月に新たな理事会が構成されて、7月には財団法人国立劇団が発足しました。そして11月に初代芸術監督として私が任命されたわけです。法人化までの道程は、既存劇団員の解雇、労使対立の激化とストライキによる公演中止という不祥事、芸術監督の人選など、決して平坦なものではありませんでした。しかし、演劇という芸術は危うい条件下で跳躍するという本領を発揮し、国立劇団が進んでいかなければならない地点を見つけ出し、今年1月の明洞芸術劇場での旗揚げ公演『オイディプス』(ハン・テスク演出)に漕ぎ着けることができました。なお、国立現代美術館については、現在、国会の法案審査小委員会で検討が行われています。

──財団法人国立劇団の組織はどのようになっているのでしょうか。
 大きな方向性を検討ならびに決定する理事会があり、芸術監督と常任演出家、そして事務局長がいます。芸術監督は3年の任期です。常任演出家は3名で1年の任期です。芸術監督、常任演出家で実質的な年間計画と公演作品のプログラミングを行い、実務は公演企画課、学術出版課、会計課が行っています。これらの部署とは別途に国立児童青少年劇研究所が傘下にあります。

──劇団員の構成は?
 劇団員は、国立劇団の創設時から主席団員として活動なさってきたチャン・ミノ(張民虎)先生(87歳)、ペク・ソンヒ(白星姫)先生(86歳)のお二人だけです。かつての国立劇団は国家公務員として給料制で劇団員を抱えていました。給料を貰うこと自体は悪いとは思いません。しかし、経済的安定が演劇人を怠慢にし、安易な方向へと向かわせるなら、このシステムは改革しなければなりません。演劇人は演劇そのものを通じて生存すべきで、出勤することが生存方法になるなら発展はあり得ません。それにアーティストは生存も重要ですが、もっと重要なことがあることを伝えるのが本来の仕事だと思います。
 芸術監督就任後、作品のレパートリー化を宣言しました。そして、シーズン毎にオーディションで団員を選抜し、シーズン契約を交わすことで、経済的安定と芸術的発展のバランスをとることにしました。少数の演劇人だけに恩恵が与えられることより、より多くの演劇人に恩恵の機会が与えられることを願ってのことです。芸術は絶えず生き、流動していなければなりません。また、絶えず社会に反応しなければなりません。経済的な安定という飴で演劇人の志と社会的感覚を鈍らすのは、退行的なシステムでしかないと思います。

──作品のレパートリー化というのは?
 作品を一回性で終わらせるのではなく、観客から愛され続ける作品をつくり、数年というスパンで公演できるシステムを準備したいと思っています。いい作品をつくるには、いい俳優がいなければなりません。このシステムをつくるのが私の仕事だと思っています。

──学術出版課ではどのような仕事をしているのですか?
 国立劇団は作品製作だけでなく、教育事業にも力を入れています。これを運営していくのが学術出版課の大きな仕事です。各大学に演劇や映画に関連した学科が数多くありますが、現在のシステムではプロフェショナルな俳優を輩出するのは難しい状況です。国立劇団では各種教育プログラムを開発してプロフェッショナルな演劇人を育成するつもりです。現在、俳優訓練プログラム、演出・劇作ワークショップ、海外の演劇人を招いてのマスタークラスなど、実践的な教育カリキュラムをスタートしています。また、観客教室と銘打ち、読み稽古やプレビュー公演を公開して観客が演出家や俳優と討論する場も設けています。
 ただ、このような実践的な教育を行う前に、まず社会教育が必要だと感じています。演劇は人間を理解しなければならないからです。演技をするには演技を通して伝えたいことや胸に熱い気持ちがなければなりません。社会がどのような構造で成り立ち、どんな矛盾を抱えているのか、どれほど多様な人々がいるのか、知らなければなりません。これらを理解して初めて作品がつくれるのではないでしょうか。貧民街や裁判所など、社会の多様な姿を発見できる場所に連れて行くところから始めたいですね。
 このほか、国立劇団の公演を稽古から公演終了後までを記録するリハーサルブックと季刊誌の発行、公演プログラムの作成、公演映像のアーカイブづくりなどを行っています。

──傘下に国立児童青少年劇研究所を設立なさいましたが、どのような事業と活動を行うのでしょうか?
 未来を担う子どもたちが、開かれたかたちで人間と世界を学び、演劇を通じて真摯に生を見つめる力を得てくれることを願って設立されました。この研究所は5月に開所式が行われたばかりですが、今後、優れた児童青少年劇の製作とシステムの構築、人材教育と専門家の育成、観客層の拡大に力を注ぎ、文化芸術から疎外されがちな地方も含め全国ツアーも行っていく予定です。児童青少年演劇団体のモデルケースになればと思います。

──作品製作、教育、児童青少年劇の育成など、多岐にわたる事業をスタートされていますが、新・国立劇団を方向付けるコンセプトは?
 国立劇団に対する私たちの考えを最もよく表しているのが国立劇団演劇宣言文です。長くなりますが引用させてください。
「ひとつ、演劇は“今、ここ”の人間らしい人生の真実を追究する。ひとつ、演劇は誇張と虚飾を捨て、演劇固有の原型的な生命力を蘇らせる。ひとつ、演劇は韓国演劇の生きている遺産を包容し、同時代演劇の地平を新たに拓く。ひとつ、演劇は今日の韓国社会が投げかける問いに答え、問い返す芸術的実践である。ひとつ、演劇は演劇そのもの以上に進み出て、文化的循環を試み、世界と対話する」
 この宣言は施設の壁面にも書かれています。韓国の近現代をともに歩んできた既存の国立劇団60年の伝統と歴史を踏まえつつも、演劇が総合芸術であること想起させる、詩、音楽、ダンス、時間と空間、メディアなど、すべての表現が調和するシアター本来の精神を鼓舞できる存在でありたいと思います。そのためには、基本的に社会に潜在する多くの観客を発掘し、観客づくりをすることが重要だと思っています。同時に国立機関なわけですから、国家的観点と国際的観点からのビジョン設計も必要です。

──国家的観点と国際的観点からのビジョンとは具体的にどのようなものですか?
 国家的観点で言えば、南北の関係改善と究極的な統一という未来を踏まえた演劇のビジョンを構築しなければなりません。例えば、解放後(1945年8月15日、日本では終戦後)、多くの演劇人たちが朝鮮民主主義人民共和国に渡りました。そして南北分断後は南北の演劇人の交流は全くありません。このような問題が国立劇団のビジョンのひとつとならなければいけないと思っています。
 国際的観点は少し説明が必要ですが、国立劇団の“国立”には“ネイション”の意味が強くあります。“ネイション”は他の“ネイション”に対して“ネイション”であるわけです。ですから、韓国の国立劇団は他国の国立劇団を意識し、関係を結ばなければならないと思います。過去にジャン・ヴィラールがフランス国立民衆劇団を通じて民衆を中心として下から演劇的な活気を盛り上げたという点も重要ですが、今日は他国との交流を通じて新たな演劇的な活気を求める時だと思います。国立劇団は、東北アジアのドラマチックな変化のプロセスで演劇にどのような役割が可能かに注目し、日本、中国、韓国との演劇的協力と交流を目指します。それは、演劇を通じた和解と協力になるはずです。類似点の多い東北アジアの3カ国が、演劇の全プロセスを通じて共通の関心を引き出し、相互理解の幅を広げていくことが国立劇団のビジョンのひとつです。

──劇団なわけですから、お話いただいたようなビジョンを作品の上演を通じて実践していくわけですが、ソン芸術監督自身はいい演劇とはどのようなものだと考えられていますか。
 演出家によりいい演劇の基準は異なりますが、私は社会的効用性がもっとも重要だと考えています。演劇は社会に向かって発言する道具のひとつだと思います。舞台の上で観客に見せるだけではなく、舞台から観客の変化を感じられる演劇をつくりたい。良い演劇とは舞台を通じて観客と共感し疎通するものです。

──演劇は社会に向かって発言する道具とおっしゃいましたが、国立劇団が作品を通じて政府批判もできますか?
 国立だからと政府の嗜好に合わせて作品を上演する考えはありません。しかし、演劇は紛争を誘発するものではなく、葛藤を解決する機能もあります。良い演劇は解毒剤の役割も果たすものです。

──幅広い事業と活動が予想されますが、予算はどのようになっているのでしょうか。
 財団法人ではありますが、毎年国庫から助成を受けるシステムになっています。11年予算は約52億ウォン(約3億9千万円)、ここから人件費などの運営費を除き、25億ウォン(1億9千万円)が事業費に充てられます。初年度なので年末の決算を経てでなければ正確には言えませんが、予算の45%前後が公演や各種関連事業の費用になると思われます。

──今年3月にオープンした専用施設についてご紹介ください。
 国立劇団が本拠地としているのは、ソウル駅裏手の「開かれた文化空間」と呼ばれている施設です。その場所は、81年に軍事に関する情報収集と調査を目的に設立された国軍機務司令部輸送隊の敷地として造成され、車庫ならびに車両整備所として30年あまり使用されていました。08年の移転により空き家になっていましたが、文化観光体育部がここを文化空間として活用することで国防部から承認を得ました。
 劇場は2つあります。ひとつは、主席団員の張民虎先生と白星姫先生のお二人の名前を冠にした「白星姫/張民虎劇場」(323席)で、厳選した作品を上演します。もうひとつは100席ほどの「創作工房パン」で、演劇だけでなくダンス、美術、音楽、映画、パフォーマンス、デザインなど、様々なジャンルのアーティストが出会い、コラボレーションの可能性を広げられる実験的な場として活用します。また、明洞芸術劇場とも提携して公演していきます。このほか、稽古場兼教育プログラムの会場ともなるスタジオが2つあります。これらの施設はいずれも車庫や整備場をリノベーションしてつくったもので、空間としても面白いものになっています。ここが創作空間であるとともに国民のための文化空間になることを願っています。事務棟は文化体育館観光部の伝統芸術公演課と共同で使用しています。新たな船出とともにこのような専用空間を持てたことは、国立劇団にとっては意義のあることです。

──真っ赤に塗られた外観が印象的ですが、この赤には何か意味があるのでしょうか?
 挑戦と情熱という意味を込めました。韓国では赤という色に対し共産主義のイメージが強く、施設を赤に塗り替えることを文化観光体育部が同意してくれるだろうか、一般の人々が受け入れてくれるだろうかと憂慮しましたが、ワールドカップ以降、幸いにして“レッド・コンプレックス”がかなり払拭されようで、赤に塗ったのが好評です。

──国立劇団の財団法人化は韓国の公演芸術界において、どのような意味があるのでしょうか。
 財団法人としての国立劇団は、まず自ら生存できる道を切り拓いていくという課題を与えられました。そのためにはレパートリーシステムを構築し、多くの観客が足を運んでくれる演劇の創作と再生産という土台を準備しなければなりません。こうして自己存立の基盤を確保するとともに、演劇が社会に大きな影響を与えた時代と同じような力ある作品をつくることが求められています。旗揚げ公演『オイディプス』以来、劇場開館記念公演『三月の雪』(ぺ・サンシク作/ソン・ジンチェク演出)、定期公演『キッチン』(アノルド・ウェスカー作/イ・ビョンフン演出)など人文的・社会的ビジョンをもった作品を公演し、多くの観客と出会いました。これからも作品を通じて国立劇団が存在する意義をつくっていきます。
 また、国立劇団には公的機関として民間の演劇創作の流れを支え、新たな演劇運動の波をつくる役割もあります。演劇界は若い演劇人たちの活発な活動と世代の新陳代謝に期待感を持っているので、彼らが自由に創作を実現できる環境を整備しました。そのひとつが「創作工房パン」ですが、演劇と他ジャンルのアーティストが協働できる公演芸術界のパワーステーションの役割を担っていきたいと考えています。

──韓国演劇界における国立劇団の位置づけと役割をどのようにお考えでしょうか?
 国立劇団が元気なら、韓国演劇も元気になる。これは韓国の演劇人たちの多くがいまだもって感じていることです。国立劇団が演劇の同時代的な流れに論点を投げかけ、その波紋の中から新たな流れの変化が生れる可能性があるのです。もちろん、このような命題が可能なのは、国立劇団が予算を担保された公的機関だからです。この公共性を基盤とした演劇的模索と探求を期待しているというのが今の演劇界の雰囲気です。
 私たちは、演劇人たちの自由な発想と実践が可能な限り歪曲されることなく、人間と世界の普遍的なドラマをつくりたいと思います。同時代を生きる人々の“人間らしい生”とは何か、そのような生を生きることができない人間の条件とは何か、このような問題を社会と演劇界に投げかけながら、国立劇団は進んでいきます。

──海外との交流に関してはどのような計画がありますか。
 少し具体的にお話しすると、中国とは国家話劇院と正式に協定を結び、今後の交流内容について話をしているところです。また日本の新国立劇場とも、まだ口頭の段階ですが協定締結の話が出ており推進中です。これは東北アジア演劇交流のための足場づくりになります。これを足がかりに、東北アジア演劇の相互交換公演と論議の場づくりを推進しようと思っています。西欧が握っている公演芸術のヘゲモニー秩序を揺るがし、東北アジアの公演芸術の美学を確立したいと思います。だからといって、西欧のいい作品を排斥するつもりはありません。例えば、東ヨーロッパ演劇には20世紀資本主義の巨大な変化にもかかわらず、演劇の不滅の価値を具現化する偉大さがあります。人間と人間の問題、人間と歴史の問題、そして演劇の形式に関する問題など、演劇が誕生してから今日まで思考してきた問題意識に満ちたものなら、私たちはどこの団体であろうと門戸を開放して交流します。
 現在の交流計画としては、下半期にポーランドの演出家が『ヴォイツェック』を公演する予定です。また、6月に「アジア・ナウ・シアター」という事業で中国、台湾、イランの作家の戯曲のリーディング公演を行いましたが、その時にノーベル文学賞作家のガオ・シンジェン(高行健)氏にも参加いただき、これが縁で様々な交流事業を協議中です。

──最後に3年間の任期中の計画は?
 芸術監督に就任した時、国民に演劇を返そうという目標を立てました。人々に演劇を身近に感じてもらうということです。そうするためにはいい作品をつくらなければいけませんし、演劇をまた見たくなるようにしなければなりません。韓国演劇の問題を自分たちで診断し、自分たちで処方しなければなりません。これは公演、教育、文化政策など、演劇と関わるすべてを含めてです。

──お忙しいところありがとうございました。私も国立劇団の赤い建物に公演やワークショップを見に行ったり、庭に点在するパラソルの下でコーヒーを飲みながら打ち合わせをしたり、何度も出かけています。そのたびに国立劇団で活動する演劇人たちの活気に満ちた姿に元気をもらいました。これからも期待しています。
 
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