──タンツハウスは当初からダンスが中心だったのですか。
ダンスが重点の一つであったことは確かですが、1978年に再開した時の名称は「ダンス、演劇、絵画、工作、造形の工房」でした。芸術と関わりたいという人々の思いを真剣にとらえ、工房としてこれらの人々に開かれた場所を提供したのです。ある人は絵画、ある人は演劇、ある人は動きやダンスを通じて、自らの創造性を表現することができます。80年代に入ってから、演劇部門が独立、画家たちは自らのアトリエに戻り、そこで教えるようになりました。世界音楽の部門はzakk(Zentrum für Aktion, Kunst und Kommunikation)として活動しています。様々な活動の中から、いくつかの原則が生まれてきました。その一つが、ドイツでそれまで知られていなかった外国の文化を紹介するセンターになろうということでした。こうして、アフリカやインドのダンス、日本の舞踏などがここで初めて紹介されました。もう一つの原則は、実験的なことをやるということでした。
──タンツハウスが協力しているiDAS(International Dance Artist Service)とは、どういうものでしょうか。
ノルトライン=ヴェストファーレン州にはおよそ50のカンパニーがあります。そのうち約20のフリーの振付家あるいはカンパニーが州を超えた活動をしています。iDASはこのようなカンパニーを支援する組織で、タンツハウスとは密接な協力関係にあります。制作や、国外でのツアーを希望するアーティストのためにきめ細やか支援を行っています。