The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
ハビエル・イバカチェ
ハビエル・イバカチェ氏
Mr. Javier Ibacache

ガブリエラ・ミストラル文化センター
プログラム・ディレクター
ガブリエラ・ミストラル文化センター
Centro Gabriela Mistral
http://www.gam.cl/
ガブリエラ・ミストラル文化センター
フレディ・アラヤ
フレディ・アラヤ氏
Mr. Freddy Araya

テアトロ・デル・プエンテ共同館主
テアトロ・デル・プエンテ
Teatro del Puente
http://www.teatrodelpuente.cl/
テアトロ・デル・プエンテ
*1 アウグスト・ピノチェト
(Augusto Pinochet)
1973年9月11日、当時陸軍総司令官だったアウグスト・ピノチェトが米国の支援で軍事クーデターを起こし、1970年に史上初の自由選挙で誕生した社会主義のサルバドール・アジェンデ政権を倒した。大統領府であるモネダ宮殿にろう城し、命を落としたアジェンデ大統領の最後の演説は、今も当時の映像の中に残っている。アジェンデ率いる人民連合を支持していたフォルクローレ歌手のビクトル・ハラをはじめ、労働者や学生たちが、クーデター直後の戒厳令の中、サンティアゴ・スタジアムに集められ虐殺された。大学は軍の統制下に置かれ、一般市民に対して誘拐、拷問、殺害を行う強権政治を断行した。新自由主義経済の導入で、貧困率は40%、失業率は22%にハイパーインフレまで起こしたが、失脚したのは、1988年の国民投票で、海軍、空軍が反旗を翻し1990年に辞任した。しかし、その後も陸軍司令官として君臨、後に終身上院議員に就任し、2001年には裁判にかけられたが、2006年12月に91歳で死去するまで、ピノチェト支持派と共に社会に対して大きな影響力を持っていた(今もピノチェト支持派は現存している)。
*2 ミチェル・バチェレ
(Michelle Bachelet)
2006年3月11日に就任した第34代のチリ大統領、ミチェル・バチェレは、チリ史上初の女性大統領で、その父、アルベルト・バチェレは、軍人ながらもサルバドール・アジェンデに協力したことから、クーデターの際逮捕され、拷問死を遂げた。その1年後、当時チリ大学医学部の学生だったバチェレ大統領本人も母と共に拷問を経験し、解放された後、一度は旧東ドイツに亡命するが、79年に帰国。チリ大学に復学するとともに、チリ社会党員として反政府活動を行ったという経歴を持つ。バチェレ大統領は4年の任期を2010年3月に満了。任期の最後は、2010年2月に起こったチリ大地震の被災地対応に追われた。
Presenter Interview
2012.6.6
Chilean performing arts today and its growing momentum 
勢いを増すチリ現代舞台芸術のいま 
チリの演劇シーンには、新たなエネルギーが息づいている。1920年代から培われてきたチリ演劇の文化は1973年から1990年まで続いたピノチェト軍事独裁政権で、一旦流れを断ち切られたが、徐々に独立系小劇場が息を吹き返し、今、70年代生まれの演出家たちが勢いを増している。そして、1945年にラテンアメリカ初のノーベル文学賞を受賞した女流詩人、ガブリエラ・ミストラル(Gabriela Mistral)の名を冠した文化センター(GAM)が2010年にオープン。演劇、音楽、ダンス、映像に至るまでチリのアートを牽引するとともに、観客を育成する様々な試みが行われている。新世代の演出家とその観客が主体と言われるチリの演劇事情について、2月に横浜で開催された国際舞台芸術ミーティングTPAMのために国際交流基金の招聘で初来日したGAMプログラム・ディレクターのハビエル・イバカチェ氏と、同行者として来日した独立系劇場テアトロ・デル・プエンテ共同館主のフレディ・アラヤ氏にインタビューを行った。
[聞き手:比嘉セツ]

チリ演劇の現状について

──チリの舞台芸術の現状について教えてください。

イバカチェ(以下JI):最近の特徴ですが、チリの舞台の主な観客は若者たちです。現代劇の演出家や実験的な演劇を行っているカンパニーに敏感に反応し、フォローしています。彼らの間には共通する芸術的コードがあるからです。
 しかし、ピノチェト(*1)以前のチリの状況は今とは違っていて、もっと大人の観客が数多く存在していました。チリは19世紀に共和国として誕生以来、舞台芸術の伝統が培われてきたからです。19世紀には主にヨーロッパ諸国、特にスペインやフランスを手本にしていましたが、20世紀に入って、チリ独自のドラマツルギーが生まれ、劇作家や演出家、そして俳優たちがプロとして活躍し始めました。その動きは1920年代に拍車がかかり、40年代には舞台芸術として大学へと広がり、60年代に多様性とダイナミズムを持った演劇がチリに出現したのです。
 その流れが70年代の独裁政治によって断ち切られました。劇場は閉鎖され、上演作品が減ると共に観客も減少しました。チリの演劇は、60年代以降、政治的なテーマが歓迎されていたからです。独裁政権が終わり、90年代に入ると、演出家たちの美学を前面に出す舞台が現れました。2000年以降の新世代は、これまでの伝統と歴史の中に、新たな言語と舞台美術、映像やマルチメディアまで統合する舞台を作り出しています。現在のチリの演劇には、政治的テーマと美学が共存しています。

──劇場の現状はどうでしょう?
JI:全体像が見えるように数字を出しましょう。サンティアゴでは、年間200前後の作品が上演されています。常に上演している劇場は、大小合わせて約50で、最大の劇場の座席数は約1,200席、最小は約60席です。劇場の大半は独立系劇場で、チリには国立劇場や公立劇場はありません。文化センターなどの公的機関の劇場はありますが、財政的に国や自治体が100%支援を行っている所はないのです。チリ大学の劇場が国立劇場の代わりのように見られていますが、実際に活動的に演劇シーンを支えているのは、ここにいるフレディが運営しているような独立系劇場です。観客たちは、独立系劇場の館長がどのような演劇を上演するのか、観客に何を観てほしいと思っているのか、ということに非常に敏感です。劇場の中心地は、首都のサンティアゴのベリャビスタ(Bellavista)地区です。
アラヤ(以下FA):ベリャビスタは、サンティアゴの中でも特に活気があり、伝統的にボヘミアンな地域として知られているので、独立系の小劇場が集まっています。私たちが運営しているテアトロ・デル・プエンテ(Teatro del Puente)は、ベリャビスタと北部の地域を結ぶ橋(Puente)の上にあります。サンティアゴ市を流れるマポチョ川(Mapocho)に架かる橋で、19世紀に建造されたものです。世界で唯一、橋の上にある劇場です。
JI:テアトロ・デル・プエンテのように、チリのすぐれた若手演出家たちが公演できる独立系劇場をどう支えていくか、ということが議論の的です。国の助成は、ひとつのプロジェクトに関して2年が限度で、継続的な支援はありません。劇場収入は観客が購入するチケット、もしくは民間からの助成しかありませんが、チリの民間企業は演劇にほとんどお金を出しません。唯一の例外は、英国・オーストラリア資本のBHPビリトン(BHP Billiton)が出資しているミネラ・エスコンディーダ(Minera Escondida)という外資系鉱山会社で、1994年から毎年1月に開催されている「サンティアゴ・ア・ミル国際演劇祭」(Santiago a Mil)のメインスポンサーです。でも一般的には、民間企業からの助成はほとんどありません。上演作品を厳選しながら、劇場にカフェを併設したり、チケット割引の日を作ったりと、様々な挑戦を行っています。
FA:2010年の独立200周年を初めとして、大掛かりな国家行事がある時には、記念企画として、より長い期間の助成を受けることができます。例えば私の劇場は、インフラ整備や技術者への助成を4年間受けることができたお陰で、かなり助かりました。作品はたくさんあるのに、演出家たちが舞台でしたいことができるようなスペックを持った独立系劇場が少ないのが現状ですから。

──大きな劇場ではどんな作品が上演されているのですか?
JI:ここ最近、商業演劇として安定した上演を行っているのが、ミュージカルとコメディ作品ですが、商業演劇というのはチリではまだ新しい分野です。現在の経済体制の中では、商業演劇の分野はなかなか成り立たないのが実情で、最も需要があるのはイベント的なもの、例えば、アルゼンチンから来た演劇や海外からツアーで回ってくるカンパニーやミュージカル作品が中心です。

──舞台制作の現状は?
FA:チリには「芸術開発基金」という助成金があります。年に一度、映画や演劇、ダンス、音楽などのすべての分野で募集があります。
JI:応募が殺到するので競争率は高く、10,000の企画の中から、助成を受けられるのは1,000から1,200といったところです。演劇で生活できる人はいません。演出家や劇作家の大半は、大学や学校で演劇を教え、俳優たちはテレビや映画に出て、生活費を稼いでいますが、チリの演劇人は自らの表現活動に誇りを持っています。40年代から60年代には、大学が所有する劇場は、国からの助成を受け、劇場専属カンパニーもあり、俳優たちも安定した生活ができていたのですが…。
FA:それでも次々と新たな世代が生まれ続けています。現代のチリで生きるチリ人として、資本主義や新自由主義の社会、メディアやネット社会の中で生きていく上で抱え込んでしまう孤独や無関心、フラストレーションを表現したいと思う若者たちが意欲的に芝居を作っています。政治的な演劇やアートが未だにとても多いのは、独裁政権当時の傷口がまだ塞がっていないからですが、若者たちは、全く違う現実を生きています。親たちの世代からサルバドール・アジェンデが勝利した時のことやクーデターのことを聞いても、実感がない。物心ついた時には、すでに独裁政権の真っただ中だったのですから。それよりも、民主主義になった後に、ユートピアや理想がないまま、今に至ったことのほうが問題が大きいのです。若者たちの演劇の中では、理想なき社会が、今、とても重要なテーマになっています。

──現在、最も注目される若手演出家は誰ですか?
JI:筆頭はギジェルモ・カルデロン(Guillermo Calderón)です。彼は1971年生まれで、大学では演技を学び、ニューヨークのアクターズスタジオでも学びました。興味深いことに、2000年代に頭角を現したポスト独裁主義世代と呼ばれる演出家や劇作家は、大半が大学で演技を学んでいます。ギジェルモ作・演出の『ネヴァ』(Neva)は、2006年にモリ劇場(Teatro Mori)で初演された後、ロサンゼルスやリスボン、サンパウロ、ブエノスアイレス、フィンランドの演劇祭をはじめ、欧米ラテンアメリカ諸国を回っています。女優であり、劇作家・演出家のマヌエラ・インファンテ(Manuela Infante)(1980年生)も、チリ大学演劇学校を出たあと、ニューヨークのHBスタジオで学んでいます。
 その他、貧困層の若者たちのアイデンティティを探るルイス・バラーレス(Luis Barrales)(1978生)、ストリンドベリやイヨネスコ作品の新たな解釈で注目を集めるアレクシス・モレーノ(Alexis Moreno)(1977生)がいます。彼らの作品にはドラマ性と独自の美学が共存していて、代表作はチリ国内外で上演されています。
 また、チリ大学演劇学校出身者たちが作ったラ・トロッパ(La Troppa)という劇団が、最先端で斬新な舞台を作り、2002年のアヴィニョン演劇祭をはじめ各国を回っていました。そこから出たメンバーが、今はテアトロ・シネマ(Teatro Cinema)という劇団を作り、ギジェルモ・カルデロンのカンパニー「テアトロ・エン・エル・ブランコ」(Teatro en el Blanco)と共に、2010年のエディンバラ国際演劇祭に招待されました。

GAM(ガブリエラ・ミストラル文化センター)について

──プログラム・ディレクターをしていらっしゃるGAMについて教えてください。

JI:GAMの役割と現状を知っていただくには、簡単に歴史からお話ししたほうが良いと思います。なぜかというと、建造物自体は、1972年、サルバドール・アジェンデ政権の時に建てられたからです。アジェンデ政権は、史上初の自由投票で選ばれた社会主義政権でした。チリで初めてUNCTAD(国連貿易開発会議)の国際会議を行うことになり、チリの未来を建設するために、275日という短期間で完成させました。「団結すれば不可能はない」という想いの下に、労働者から建築家までが協力して作った象徴的な建物だったのです。そこに芸術家たち、特に前衛的でアジェンデの人民連合政府を支援した芸術家たちも、内装やデザインで協力しました。
 会議が終わったあとは、文化センターにする構想でした。72年4月に会議が無事に終了し、その後、しばらくはガブリエラ・ミストラル・メトロポリタン文化センターとして機能していましたが、クーデターが起こり、この建物は軍事政権の本部として占拠されました。サンティアゴの中心であるアラメダ通りへのアクセスが閉ざされ、とても暗いものになりました。その後、国防省の建物となり、独裁政権終了後コンベンション・センターとなりましたが、2006年に火事が起こり、建物の3分の1が焼失しました。
 そこでバチェレ政権下(*2)で委員会が設立され、演劇と音楽を中心としたチリを代表する文化センターとして建て直そうということになりました。バチェレ大統領は、3段階に分けた建て直しを考え、2010年のチリ独立200周年までに第一期工事を完成する計画を立てました。その竣工式が2010年2月29日に行われる予定だったのですが、27日にチリ大地震が起こったため、後任のピニェラ大統領が9月に開館式を行いました。アラメダ通りへのアクセスが復活し、インフラが整備され、単なる文化センターではない場所として、再びガブリエラ・ミストラルの名が付けられました。

──プログラム・ディレクターとして立ち上げから関わったのですか?
JI:はい。開館する5カ月前に、私たち運営チームが招集され、白紙の状態からどのような施設にするかを話し合いました。人々の出会いの場であり、風通しが良く、透明性のある空間(建物も透明です)にしたい、観客が作品やクリエイターたちとインタラクティブな関係が作れる場にしたい、と思いました。他の公的施設とは違って、誰もがフリーでWIFIが使えますし、偉大な歴史の重みを背負いつつ、とても近代的な設備を備えていて、音楽、ダンス、演劇が行われる劇場は重厚な美しさを持ち、リハーサル室も完備しています。敷地は22,000平方メートルと広大で、現在はまだ第一期工事終了段階ですが、映像や絵画の展示を行う部屋、会議場、大きな図書館、本屋からショップ、カフェテリア、レストラン、3つのオープンスペースまであります。

──プログラムに関しては、何に重点を置きましたか?
JI:まず、70年代の演劇から現代演劇、コンテンポラリー・ダンスに至るまで、現在ある劇場をすべて使って、常に何か上演していることを人々に知らせようと思いました。特に力を入れたのが、新世代の演出家たちが作る現代演劇とコンテンポラリー・ダンス、大学生たちによるクラシック音楽やポピュラー音楽のコンサートです。サンティアゴにそれまで存在しなかった様々な芸術が交差する場にしようと思いました。
 というのも、ダンスの観客は未だ少ないですが、演劇の観客は数も多く多様性があります。クラシック音楽には、高齢者や、より保守的な人々が訪れます。それぞれの層の観客が出会う場になればと、観客同士や観客と演目とのインタラクションを考えたプログラムを構築しています。幼稚園児から小学校の子どもたち、若者たち、大学生、近隣の住民、高齢者といったすべての人々を観客としてとらえています。

──開館から1年余りですが、現在の状況を教えていただけますか?
JI:現在職員は60人で、2011年は演劇、ダンス、音楽など合わせて計830公演を行いました。約63万人が来館し、公演に来た観客は約9万人、観客養成関連の講座やその他のワークショップ、セミナー、会議など大小合わせて計1,120回開催しました。演劇祭、ダンスフェスティバル、現代ヨーロッパ戯曲フェスティバルなどを行い、2012年も2つのコンテンポラリー・ダンスフェスティバルを企画しています。
 また、多様性のあるプログラムを組むだけではなく、訪れる観客について分析しています。地域社会や地元の学校などと協力して、調査を行った結果、貧困率や高齢者率の高いところからは、なかなか人が来ないことがわかりました。そこで4年計画でその不公平をなくすために、情報発信するとともに参加しやすい場をつくるための様々な活動を行っています。
 2011年は、若手演出家による舞台『オイディプス』の市民オーディションをしました。主要登場人物3人はプロの俳優で、それ以外の役とコロスを一般市民から選ぶためです。年齢、性別、経験不問で約600人がオーディションに参加し、35人がキャスティングされました。また、近隣住民の集会にGAMの職員も参加して、高齢者や退職者など希望者の皆さんにはGAMのガイドとして活躍してもらっています。
FA:GAMは市民たちが奪われた文化を再び取り戻す場所として、大きな意味があります。チリの歴史の流れの中で、一度はユートピアだった所ですから。単なる文化センターではなく、歴史や記憶を伝えていく場所だと思います。
JI:まさに、私たちは人々の記憶を背負っています。今年からバーチャルガイドも出来るので、近隣住民たちに、この場にまつわる想い出や歴史を語ってもらいます。また高齢者を対象にして、毎週金曜日に15〜20人のグループで、この場所の記憶を手紙に書いてもらうワークショップも行っています。授業の一環として、先生が生徒を連れて来たり、若者と高齢者が共に参加できる創造ラボを行ったり、フォーラムやカンファレンス、セミナーまで企画しています。火曜日から土曜日まで、「観客学校」を開き、無料で参加できるようになっています。

「観客学校」について

──GAMのプログラム・ディレクターに就任される前から、独自で観客学校を行ってらっしゃいましたが、そのきっかけを教えてください。

JI:観客学校の原型は、フランスで生まれたものです。演劇理論家や評論家たちが、作品をどのように分析したかを話し合う場として始まりました。80年代に演劇の記号学を基に、作品の各ポイントを分析した文書が出され、スペインやメキシコ、アルゼンチンをはじめ様々な国で観客学校が行われるようになりました。でもその大半は、教育省や文化省、文化センターとの協力で行われていました。
 チリでは2006年から、独立した形で観客学校を始めました。どのように観客を作るかということが議論されるようになったからです。舞台制作にインセンティブを与えたことで、数多くの作品が生まれたにも関わらず、演劇や文化に対する需要が少ないではないか、と。同じ頃、フランスが芸術作品と観客との繋がりを育む文化的「仲介」戦略を取り始めました。チリの観客学校は、この戦略に則って、作品と観客の「仲介」役になることを目的に始めました。
 チリでは誰もやっていなかったし、省庁の協力を得ることは現実的ではなかったので、まず私たち演劇関係者が集まって始めました。私は当時、メディアの演劇評論家でしたし、フレディは劇場のディレクター、そしてもうひとり、大学で教鞭をとっていたラゴス(Lagos)を含めて、観客たちが気軽に参加できるプログラムを構築しました。目的は、観客が脚本や演劇を理解することが困難だ、と感じる垣根を取り払うことです。
 まず、演劇を観ない人々、劇場に足を運ばない人々の理由を分析することから始めました。彼らが挙げた理由として、「時間がない」「金がない」「劇場が遠い」というほかに「情報が少なくて理解できない」という声がありました。俳優たちが、一体、何について話しているのかわからない、演劇的言語が理解できない、というものです。事実、90年代後半から2000年代にかけて、チリでは多様な演出家たちが新たな演劇的言語やコードを生み出す一方で、観客は置いてきぼりになっている状態でした。そこでフレディと共に、劇作家や演出家、俳優たちの考えを観客と共に深めようと思ったのです。「作品をどう理解すれば良いのか」「作品が提示している問題は、どう解決されたのか」「なぜこの作品を作ったのか」という観客からの質問に、劇作家や演出家が直接答えるという出会いの場です。

──1回目はどこでしたか?
JI:2006年のサンティアゴ・ア・ミル国際演劇祭(Santiago a Mil)です。初めは90人ぐらいでしたが、そのうち100人、120人と集まりました。1回に1作品と決めていたので、バラツキがありましたが、参加してくれた人々は、とても満足して、観ていない作品を観るきっかけになったと言ってくれました。このプロジェクトには、先ほどのミネラ・エスコンディーダ社が助成してくれたので、演劇祭のあと、無料で各劇場や最近ではサンティアゴ以外の都市でも行っています。

──演出家たちは協力的ですか?
JI:ええ、とても。これまで5年間で、演出家や劇作家、俳優たち約250人が参加してくれました。その中には海外の演劇人たちもいます。彼らは、自分たちの作品がチリの観客にどう伝わっているのかがわかって、とても面白いと言ってくれました。これまで、例えば、ピナ・バウシュがチリに来ても、話を聞けるのはダンサーだけといったことが多々ありました。私たちは、一般観客と演出家に直接対話してもらいたいのです。
FA:観客学校がきっかけで劇場に来る人も増えています。演劇の理論というより、とても基本的なことを知りたい人々がたくさんいます。演出家とはどんな役割なのか、舞台美術のデザインはどこから生まれるのか、といったことです。また、複数の作品の演出家や俳優たちが対話する時もあります。互いに何を求めて活動しているのかが分かる貴重な時間です。そういったことから、劇団や演出家たちが積極的に協力してくれます。批評家や友人ではなく、一般の見知らぬ観客からのフィードバックが得られる機会はそうないですから。観客たちも、話を聞いてから、その作品を観に行きたくなる人々が出て来ますから、作品を広めるためにも有効だと思います。

──この5年の間で新たな展開はありましたか?
JI:劇場でのライブだけではなく、より多くの人々に伝わるよう、ラジオでは演劇を、テレビではダンスを主体にした観客学校の番組を持っています。そして、チリ独立200周年企画として、ラジオ・コペラティーバ(Radio Cooperativa)との協力で出来たのが、チリ戯曲オーディオブックです。
 これは、まさに観客学校の産物と言えます。子どものころから戯曲に接することができれば、という想いから作りました。小中学校の教師たちのためのサイト、エドゥカール・チレ(Educar Chile)と共に、1877年から2008年までに書かれたチリの戯曲の中から、各時代のチリのアイデンティティをテーマにした24作品を集めました。そして俳優たちと共にラジオドラマを作り、毎週土曜日の夜にラジオ・コペラティーバで放送し、テレビのミニ・プログラムで各作品を紹介し、それを基にオーディオブックにしました。授業に取り入れられるように、各作品ガイドが収録されているブックレットも付いています。この企画を行ったことで、教師たちがよく演劇を観に来てくれるようになりました。観客学校では、演出家や劇作家たちが話したことをすべて記録しているので、演劇研究者からも注目されています。

今後の課題と展望について

──今後の課題について教えてください。

JI:GAMの運営費の6割は国からの助成ですが、後は入場料と銀行からの借り入れです。ですから観客を増やすためにも、育成だけではなく文化マーケティングをどのように行うか、ということが重要な課題です。これまでチリには、具体的な戦略がなかったので、今、私たちが学んでいるところです。観客分析をしていると、その6割は30歳以下の若者たちで、サンティアゴ内外のあらゆる地域から来ています。彼らは最新情報をネットで調べて、平均して3カ月に8回はGAMに来ます。彼らにとっては、ツイッターとフェイスブックが特に効果的だとわかったので、私たちも、このソーシャルネットワークを駆使して情報を発信しています。
 今年から、年に1度、5月にラテンアメリカ、米国、英国など海外からのゲストを呼び、文化マーケティングと観客養成についての意見交換を行う予定です。
FA:GAMには大きな可能性があります。建物の中に、演劇とダンスへの誇りや尊厳があるからです。今や若者たちは、GAMの舞台に立つことが夢です。高いスタンダードの設備と技術、荘厳な舞台と空気に魅せられるからです。私たちの劇場は、GAMから2ブロックしか離れていないので、当初は、観客をとられるのではないか、競合するのではないか、と思っていましたが、今では、共同企画を行い、互いに相乗効果をもたらしています。デル・プエンテ劇場に出ている俳優たちが、別の芝居でGAMに出る、またその逆で、観客の流れが起こっています。GAMの今後の展開で、ベリャビスタ地区の劇場も刺激を受け、活気づくと思います。

──若者以外の観客への対策はありますか?
JI:年に少なくとも3作品は、年齢に関係なく楽しめる演目を入れようと思っています。2011年にGAMで初めて制作して大ヒットしたのが、70年代から活躍している劇作家であり演出家のフアン・ラドリガンのミュージカル『アモーレス・デ・カンティーナ』(Amores de Cantina)で、今年も引き続き上演しています。この作品はライブ音楽が満載の悲喜劇で、家族で楽しめます。また、未来の観客を育てるために、実権的な試みとして、5歳以下の子どもたちを対象にした「子ども劇場」を開催しています。ダンスに関しても、今は平均して4割余りしか客席が埋まりませんが、今年からサンティアゴ・バレエ学校とコンテンポラリー・ダンス学校がGAMに移ることになったので、クラシック・バレエの生徒たちが、コンテンポラリー・ダンスに興味を持ってくれれば、と思っています。

──海外との交流に関しては?
JI:チリの文化省ができたのが2003年なので、海外交流のシステムや文化政策が、まだ何も確立されていません。特に、海外で公演を行うための継続した支援がないので、海外からの招待がなければ不可能なのが現状です。サンティアゴ・ア・ミル国際演劇祭は、海外から様々なゲストを招待するので、そこで演劇人同士が出会うことで、チリの演劇を海外に紹介する可能性が生まれています。今回、TPAMに参加できたことで、これから私たちも日本との関係をコンスタントに深めていきたいと思っています。

──本日は長時間に渡り、ありがとうございました。
 
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