The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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湯浅真奈美
Profile
湯浅真奈美(ゆあさ・まなみ)氏
ブリティッシュ・カウンシル
1934年に設立された英国の公的な国際文化交流機関(本国では公益団体として登録)。現在、100以上の国・地域に事務所を設置し、「アーツ」「英語」「教育と社会」の3 分野で事業を展開。日本では、1953年に創立、2013年に60周年を迎える。80年代のイギリス現代美術の紹介、大規模な英国祭「UK90」「UK98」の開催、コミュニティダンスの紹介など現代芸術におけるイギリスと日本の架け橋として大きな役割を果たしてきた。
http://www.britishcouncil.or.jp/
ブリティッシュ・カウンシル「アーツ」
Arts Organization of the Month
→「今月の支援団体」
(ブリティッシュ・カウンシル)
ジェニー・ホワイト氏
演出家の祖母、舞台美術家の母、俳優の父という演劇一家で育つ。展示デザイン会社、ギャラリーなどの勤務を経て、演劇界でのキャリアをスタート。エジンバラ・フリンジ・フェスティバルやスコットランドのツアー劇団コミュニカードの海外公演担当の後、ブリティッシュ・カウンシルの職員に。1989年から99年までBCの東京オフィスのアーツ・マネージャーとしてUK90、UK98を含むアーツ部門のプログラムを担当。その後、ロンドンのアーツ部門を経て、BCキューバの代表などを歴任。
「今日のイギリス美術」展
1970年の東京国立近代美術館で開催された「現代イギリス美術」展以来の大規模な展覧会。国際的に活躍している作家から、日本初の新進作家まで約200点近くを紹介。各館の若い担当学芸員が共同研究・調査を行い、3年近く準備をして実現。イギリスから気鋭の作家が派遣され日本での現地制作を行うなど画期的な展覧会となった。(国立国際美術館、東京都美術館、栃木県立美術館、福岡市立美術館、北海道立近代美術館)
「UK90」
芸術を通じて日本とイギリスの相互理解を深めることを目的とした大規模な英国祭。1990年8月〜11月に東京をはじめとする各都市で多数の展覧会、コンサート、演劇公演、映画祭などが開催された。ウェールズ・ナショナル・オペラ初来日公演、「イギリス美術は、いま」展(世田谷美術館)、「ウィリアム・ブレイク」展(国立西洋美術館)、大英博物館展(世田谷美術館)、ブリティッシュ・フィルム・フェスティバルなど。
Presenter Interview
2012.12.21
Contemporary cultural exchange between Japan and Britain today  The British Council 
日英現代文化交流の要 ブリティッシュ・カウンシル 
1953年に東京センターが開設されて以来、日英現代文化交流の要となってきたブリティッシュ・カウンシル(BC)。世界100以上の国・地域に事務所を開設し、「アーツ」「英語」「教育と社会」の3分野で事業を展開。日本では、80年代にイギリス現代美術の紹介で大きな役割を果たし、その後は美術やダンス関係者等を本国に招くスタディ・ツアーで信頼関係を構築するなど、国際文化交流機関としてその存在感を増してきた。近年はコミュニティダンスの紹介に尽力するなど、社会的な課題と向き合うアートを日本のNPOとともに推進。アーツ部長の湯浅真奈美さんにBCの戦略とその取り組みについて聞いた。
聞き手:吉本光宏[ニッセイ基礎研究所]

──湯浅さんがブリティッシュ・カウンシルに入られた経緯、イギリスや芸術文化との関わりなどについてお聞かせください。BCに入られたのは何年ですか?
 1995年なので、17年目です。アーツ部門のアシスタントとして入りました。私の今の役職はアーツ部門を統括するアーツ部長です。現在、熊本市現代美術館の館長に就任されている桜井武さんのようにBCで30年以上仕事をされたようなケースはありますが、現在世界各地のBCでアーツプログラムを担当しているスタッフの中でも17年は長いと思います。

──大学では何を専攻されていましたか?
 実は、美術、演劇、アート・マネージメントなどを大学で専門に学んだことはありません。上智大学の英文学部に進学しました。ただ高校生の頃は80年代の小劇場演劇ブームだったので都内の小劇場によく芝居を見に行っていました。大学に入ってからは学生劇団に制作として参加し、チラシ配りや広告集めほか制作関係全般を喜んでやっていました。演劇の制作というか宣伝することが好きだったのだと思います。卒業後は、国際見本市の運営会社に就職し、広報チームでの仕事を経験しました。その後、映画会社に移りました。

──映画会社にいらっしゃったんですか?
 はい。最初は映画祭などの新規事業を担当し、それから宣伝部に異動しました。宣伝のためのコンセプトづくりからはじめて、邦題を付けて、来日キャンペーンを企画して、パブリシティに乗せていくという宣伝プロデューサーの仕事をしていました。映画会社には4年ほどいましたが、単館系のアート映画や予算規模の大きなハリウッド映画なども担当しました。入社から4年経ち、コマーシャルな映画業界で仕事を続けるよりは、公益性があり文化芸術に関わる仕事に就きたいと思っていた時に、BCのアシスタントの求人があったのですぐに応募しました。
 元々イギリスに興味があり、国際文化交流は一番やりたいと思っていた仕事なのですが、ポストがほとんどない。BCの求人がジャパン・タイムズに告知されることを知っていたので、ずっとチェックしていました。10年振りの求人で、しかもアーツ部門。後で、100人以上の応募があったと聞きました。海外でアート・マネージメントの勉強をしていた人などがたくさん応募されていたと思いますが、本当にBCの仕事がしたくて面接で必死にアピールしました。BCとしても民間経験があるような新しい人材を探していたのと、私の熱意が尋常ではなかったので(笑)、採用されたのだと思います。

──当時は、日本で開催された大規模な英国祭(UK90、UK98)の芸術プログラム担当で、演劇に造詣が深く、日英文化交流の架け橋として活躍されたジェニー・ホワイトさんがまだBCのアーツ部長をされていた頃ですよね。
 そうです。桜井さんもまだ現役でした。ジェニーさんは1999年まで日本にいらして、その後、ロンドン本部のアーツ部門に異動しました。もしあの時採用していただけなかったら、今は全く違うことをしていたと思うと、感慨深いものがあります。

──湯浅さんに大変お世話になっている日本の文化関係者にとっても、そこが分かれ道だったわけですね(笑)。95年当時のBCはどのような状況でしたか。保守党のサッチャー政権からメージャー政権に交替後5年くらい経った頃ですよね。
 私が入ったのは、BCが「UK98」の準備に入る前ぐらいのタイミングでした。当時のBCの事業分野は現在とそれほど変わりなく、「アーツ」「英語」「教育」「科学」などの分野で活動をしていました。インターネット環境がそれほど整っていない時代、今のようなダイナミックな動きになる前で、前職の映画会社から比べると固い感じの静かな事務所でした(笑)。アシスタントとしてみんなで情報共有するような仕組みをつくったりしていましたが、UK98では1年間準備して、映画会社時代のネットワークを活かして英国映画祭を外部の企業と連携して企画しました。

──振り返ると、湯浅さんが入られる前、80年代〜90年代初頭はBCによってイギリス文化が日本にいろいろと紹介された時期のような気がします。特に80年代、イギリスの現代美術を日本に紹介した功績はとても大きなものだったと記憶しています。
 その通りです。現在、新潟市美術館の館長をされている塩田純一さんが著書「イギリス美術の風景」の中でも紹介してくださっていますが、BCが全面協力して、82年に開催した「今日のイギリス美術展」の成功はとても大きなものでした。当時、日本では、まだイギリスの現代美術に詳しい方も少なくて、本国のキュレーター、BCスタッフと共に、栃木県立美術館の学芸員として展覧会に関わっていただいた塩田さんのような若い方たちが3年かけて研究しながら企画してくださいました。これが日本の美術館がイギリスの現代作家の作品をコレクションするきっかけになり、栃木県立美術館などにとてもいいコレクションができました。
 翌93年には、学芸員や日本の美術関係者8名を招待し、3週間にわたってイギリスのアートシーンを総合的に視察していただく「スタディ・ツアー」を行いました。これで一気にイギリス美術についての理解が進み、そうしたことを契機に、今やイギリス通として知られる方々との繋がりを育んでいきました。90年に大規模な英国年「UK90」が開かれたこともあって、80年代から90年代にかけて英国と日本の間にはいろいろな関係が生まれていきました。私が入ったのは、そうした活動をもとに新たな展開がはじまった時代でした。

──アシスタントの後はどうされましたか?
 入社から数年後、チーム編成の見直しがあった際に、プロジェクト・マネージャーにポストが変わりました。その後、2005年からアーツ部長になりました。

──アーツ部長というのはジェニーさんが務められていたポストですよね。
 そうです。元々は英国本部から英国人スタッフが派遣されてくるポストだったのですが、BCの組織改革に併せて地元雇用になりました。BCは組織が柔軟に変わり、例えば、本部機能を縮小する一環で、現在はIT関係の業務をインドに集約したりしています。そういう組織改革の中で、各国のアーツ部門のトップは現地採用にするという決定が行われたのだと思います。BCには経験を積めば自動的に昇格する制度はなく、新しいポストが必要になった際、社内外で公募する仕組みになっています。2005年にアーツ部長のポストが現地採用になった際に、応募し採用となりました。
 アーツ部長は、日本のアーツ部門の戦略を立ててプログラムをデザインし、予算配分を決める権限をもっています。と同時に組織内で予算を獲得する責任もあるので、BC全体の中で日本のアーツプログラムのプレゼンスを上げていくことも求められます。部長になるまでそうしたことを戦略的に構築する経験がなかったので、とてもいい勉強をさせてもらっています。

──80年代から90年代初頭は、イギリスから現代アートを日本に紹介することに主眼が置かれていましたが、2000年以降、コミュニティダンスの考え方を日本に広めたり、音楽を通じてホームレスの自立を促しているストリート・ワイズ・オペラのワークショップを企画するなど、イギリスにおいて社会的な役割を果たしているアートの活動を紹介されることが多くなったように思います。それは湯浅さんの方針なのですか。
 私が興味をもっているというだけでなく、日本やイギリスの状況が変わったことが大きいと思います。私がBCに入ってからの17年で、本部の方針や認識も変わりました。例えば、ブレア首相時代にはコンテンポラリーなイギリスというブランディングが優先されたこともあります。日本ではこの間にNPO法が制定され、現在、BCが連携しているアートNPOがいくつも誕生するなど、アートの社会的な役割が問われるようになってきました。イギリス本国でも同じような状況があり、こうしたソーシャル・インパクトのあるアートの分野で事業を展開できればと思うようになりました。

──現在の本部の方針はどのようになっていますか。
 アーツ部門としては、各国のアート関係者と連携し、イギリスの質の高い創造性を新しい多くの観客層にに広げていきたいということですが、こうした枠組みを示すグローバルなコーポレートプランが数年毎に発表されています。最新の「コーポレートプラン2012-15」は本部のホームページ(http://www.britishcouncil.org/about)にもアップされています。そこにはヴィジョン、2015年までの目標、「アーツ」「英語」「教育と社会」3部門の方針などが示されていて、各国のオフィスはそれに従って活動します。
 現在、100以上の国・地域にオフィスがあり、かつてはそれぞれが本部と対応していましたが、2000年からその各地域事務所を西ヨーロッパ・北アメリカ、ラテンアメリカ・カリブ、南東ヨーロッパ、ロシア・北ヨーロッパ、中央・南アジア、インド・スリランカ、中国、東アジア、中近東・北アフリカ、中東、サハラ砂漠以南のアフリカの11地域(現在は7地域)に分けてグローバル・ネットワークをつくりました。日本は東アジアに所属していて、このグローバル・ネットワーク単位で集まる部門毎のミーティングを年1回行っています。そこで各国が行っているプロジェクトについての情報を共有し、東アジア地域のアーツチームとしての戦略を立てています。
 ちなみに本部のアーツ部門のディレクターはグレアム・シェフィールドで、彼がリーダーシップをとってグローバルなヴィジョンを決めています。去年は、各国のアーツ部長も入ったミーティングが英国で開催されました。私も参加して日本の状況について話をしました。

──コーポレートプランにおけるアーツ部門の位置づけは高いのでしょうか。
 2003、04年頃、イギリスの経済状況が悪化する中でBCのアーツ部門の位置づけが揺らいだことがありました。しかし、アントニー・ゴームリーなど、世界的に活躍しているアーティストたちが、無名な頃にBCが海外進出の橋渡しをしてくれたから今があると、アーツの重要性を訴えた声明文を連名で発表してくれました。それを受けて、BCではアートが重要なものであるというステートメントを発表したのですが、こうしたアーティストたちの後押しは本当に心強かったです。

──「東アジア」のグローバル・ネットワークについて紹介していただけますか。何カ国で構成されているのですか。
 日本、韓国、台湾、シンガポール、フィリピン、ミャンマー、インドネシア、ニュージーランド、オーストラリア、タイ、マレーシア、ベトナム、それから中国です。

──東アジアというか、パン・パシフィックですね。 
 そうです。中国は昨年度から東アジアのネットワークに入りました。東アジアは新興国が多くて、これからの成長が期待されているのに加え、日本のようなインフラの整った国もあるのでBCの中でも位置づけが高くなっています。しかし、国の仕組みが全く異なるため、イギリスの質の高い創造性を新しい観客層に広げる、アーティストの国際的なコラボレーションを促進する、デジタルメディアを使って新しい観客層に働きかけるといったコーポレートプランで示されている方針はありますが、プロジェクトのあり様は国毎に異なっています。BCの強みは、各国に私たちのような事情に通じているローカルスタッフがいて、各マーケットのニーズに合わせたプログラムを各国のパートナーと連携して、一緒に考える体制があることです。
 例えば、ここ数年、インドネシアのBCではファッションの分野に力を入れています。インドネシア政府の観光クリエイティブエコノミー省と連携し、インドネシアのファッションデザイナーの育成や英国とインドネシアのファッション産業のネットワーク形成を今後複数年のプロジェクトとして戦略的に行っていく予定です。タイのプロジェクトでは、アジアのデザイナーが集まって、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートのファシリテーターによるエコデザインのワークショップを行いました。日本のデザイナーにも参加してもらいましたが、グローバル・ネットワークによってこうした新たな繋ぎ方の可能性が生まれています。また、日本オフィスとしては、東アジアでの日本のプレゼンスを上げていきたいと思っています。

──BCの国際文化交流の考え方は、イギリス文化の一方的な紹介というのとは異なっていますよね。
 日本語に訳すと、BCは「英国の公的な国際文化交流機関」ということになってしまうのですが、英語では「カルチュラル・リレーションズ・オーガニゼーション」と言っています。「カルチュラル・リレーションシップのリーダーになる」というヴィジョンをもっていて、少し前のコーポレートプランでは「ビルド・トラスト・アンド・エンゲージメント」という言葉を使っていました。相互の信頼とコミットメントしあう関係を築くというか…「BCは橋である」という言葉を使っていた時期もありました。文化交流というと、文化を紹介したり、されたりというイメージになりますが、リレーションシップをどう築くかがBCの核になっています。信頼できる友達を増やしていく感覚に近くて、それをファシリテートしていくのがBCの役割だと思っています。

──BCのアート部門の取り組みについて教えてください。
 誤解されることがあるのですが、BCは助成機関ではないので、他の人が企画したものに対して金銭的な助成を行うことはありません。私たちが行っているのは、革新的なイギリスの現代アーティストを紹介することと、日英のアーティスト、アート機関、政策関係者と連携したプロジェクトベースの事業を行っています。ちなみに、現在、メンバーは私を含めて3人です。
 イギリスの現代アーティストを紹介するということでは、1997年から2年に1度、エジンバラ国際フェスティバルでBCが主催したパフォーミングアーツのショーケースを行っています。2007年、09年には、そこに日本の公立ホールのプロデューサーなどの関係者を派遣しました。それから2010年には東京舞台芸術見本市(TPAM)との共催で「Connected」を開催しましたが、これはとても波及効果がありました。イギリスでパフォーミングアーツの新たな可能性に挑戦しているアーティストを集めたショーケースですが、東アジアからもプロデューサーを招聘して見てもらいました。
 こういった活動の成果として、実験的なカンパニーのロトザザや1粒のお米を人にたとえるStan's Caféの「私が一粒の米であったら」などの日本公演が実現しました。お米のプロジェクトは面白くて、世界の人口の山があったり、ソニーで働く人の山があったり。世田谷パブリックシアターで行ったときには、ツイッターでいろいろな統計数字を募集したり、子どもたちと一緒にお米の山をつくったりましたが、美術館でやるにはとてもいいプロジェクトだと思います。それから公共スペースでデジタルを使って観客参加によるインタラクティブなパフォーマンスを仕掛けるダンカン・スピークマンのサトルモブ。これは、Connectedをきっかけに、ニュージーランド、韓国、香港、横浜でプロジェクトが実現しました。彼らは、今年の2月には横浜に戻り、STスポットが受け入れ先になって1カ月のレジデンスを行い、新作をつくりました。こういう繋がりが発展していくようなあり方が、BCの最も望んでいる形だと思います。

──Connectedは、東アジアのグローバル・ネットワークによるプロジェクトですか。
 そうです。この頃から、イギリスでは劇場から外に出て、デジタルを駆使するなど、観客が主体的に関わるインタラクティブなパフォーミングアーツが増えていました。それらを特別にキュレーションしたショーケースをアジアのどこかでやりたいという話があり、東京舞台芸術見本市もあるのでBCが「日本でやりたい」と手を挙げました。
 Connectedは3月だったのですが、その後、続けて5月は美術館のキュレーター、7月は公立ホールのプロデューサーを対象に、イギリスの最新状況を幅広く見てもらうスタディ・ツアーを行いました。これもすごく波及効果があり、「home sweet home」の来日に繋がり、伊丹と横浜でやりました。これは、アーティスト・ユニットのSubject to_changeによるプロジェクトで、彼らが場づくりした広いフロアーいっぱいに、子どもたちが家族と一緒にまちをつくります。すごく素敵なんですよ。駅をつくったり、球場をつくったり、家をつくったり。日本人のDJがいるコミュニティラジオ局があって郵便屋さんもいる。イメージがどんどん広がり、横浜でやったときには火事になったと言ってみんなで消防活動をはじめていました。その後、Subject to_changeのメンバーが今年の黄金町のレジデンスプログラムに応募し、約1カ月黄金町で滞在制作するという新しいプロジェクトに繋がり、とても嬉しく思いました。

──循環していますね。
 そうなんです。キュレーターのスタディ・ツアーの参加者も、自発的にいろいろなプロジェクトで連携していると聞きました。BCがファシリテートして日本の中に新しいネットワークが生まれるというのは、カルチュラル・リレーションシップのリーダーを目指すBCにとっては理想だと思います。
 80年代、90年代、2000年はじめぐらいまでは、英国を始め海外から学ぼうという声が聞こえましたが、実は、2009年に行ったアートによる地域活性化のプログラムを視察するスタディ・ツアーでは、参加者から「英国を学ぶばかりではなく、日本の素晴らしい実践をもっと紹介したい」という意見も出ました。これはとてもいいことだと思いました。カルチュラル・リレーションシップという考え方の中には、「イギリスも間違っているところがあります。その間違いからも学んでください」というスタンスが含まれている。そこが国際文化交流という言葉では言い表せないところでもあります。

──こうしたプロジェクトはどのように評価されていますか。
 BCの組織としては、数年毎にプロジェクト参加者に対して長期的な波及効果を調査するためのアンケートを実施することにはなっていますが、こうした評価のあり方については常に改善を目指しています。終わったプロジェクトがどうだったかというより、何を変えるのか、そのためにはどこにチャレンジしていくのか、という次のプロジェクト・デザインが評価になっているような気がします。

──最後に、プロジェクトをデザインする上での方針があれば聞かせてください。
 ひとつは、デジタルなど新しいテクノロジーを使ってアートと観客の新しい関係をつくり、体験を深めるプロジェクトが柱になると考えています。イギリスでもこうした分野で様々な取組みが行われており、また、日本でも機運が高まっていると考え、2011年には「デジタル・クリエイティブ・カンファレンス〜テクノロジーとアート、その未来を考える」を開催しました。先進的な取り組みをしているアーティストやアート機関の関係者をスピーカーとして招き、美術、演劇、建築、広告など幅広い日本の関係者とディスカッションしてもらいました。また、オーケストラや音楽ホールにおける、教育・コミュニティプログラムの分野での日英連携プロジェクトを展開しています。今年の2月に国際交流基金と共催で、ロンドン交響楽団の代表者と日本の音楽関係者を招いて、シンポジウム「音楽のチカラを伝え、コミュニティをつなげる」を行ったほか、2013年1月下旬には、日本のオーケストラ、音楽ホールの担当者をイギリスに派遣する研修プログラムをBBC交響楽団と連携して実施する予定です。
 もうひとつは、企業など新しいパートナーと連携し、プログラムを拡大していきたいと思っています。「テクノロジーとアート」「社会とアート」という分野で連携できる可能性がないか、実際に企業の方と話しをしています。これまでアート関係者と接点がなかったけど興味があるという企業もあるので、ぜひ具体化したいと思っています。
 
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