The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
ダグマー・ヴァルザー
Profile
ダグマー・ヴァルザー氏
Ms. Dagmar Walser
1966年リヒテンシュタインに生まれる。スイス・バーゼル大学およびドイツ・ハンブルク大学にてドイツ文学と美術史を学ぶ。卒業後ジャーナリズムと演劇の世界で様々な仕事に就く(バーゼルのシティマガジン「ProgrammZeitung」編集者、リヒテンシュタインの劇場Theater am Kirchplatz, Schaanにてドラマトゥルなど)。1999年よりスイス・ラジオSRF2Kulturの番組制作と演劇批評を手掛ける。これまでドイツ語圏スイスの演劇について著作2冊(バーバラ・エンゲルハルトと共著)がTheater der Zeit社より出版されている。2007年より国際演劇フェスティバル、チューリヒ・テアター・シュペクターケルのアーティスティック・ボードのメンバー。


チューリヒ・テアター・シュペクターケル
Zürcher Theater Spektakel
http://www.theaterspektakel.ch/

ゲスナーアレー(チューリヒの劇場)
Gessnerallee Zürich
http://www.gessnerallee.ch/

カゼルネ(バーゼルの劇場)
Kaserne Basel
http://www.kaserne-basel.ch/

ジュートポール(ルツェルンの劇場)
Südpol Luzern
http://www.sudpol.ch/
Presenter Interview
2013.2.8
Switzerland’s contemporary theater scene through the eyes of a journalist 
ジャーナリストに聞くスイス現代演劇シーン 
小国でありながら、ドイツ語圏で演劇シーンの異なるスイス。古典のレパートリーを中心にプログラムされている公立劇場に対し、1970年代に誕生したフリー・シーンでは、プロダクション・ハウスと呼ばれる劇場で実験的な作品が発表されてきた。ジャーナリストとしてスイス・ラジオSRF2Kulturの番組制作に携わるとともに、国際演劇フェスティバル「チューリヒ・テアター・シュペクターケル」のアーティスティック・ボード・メンバーとして日本の現代演劇の招聘にも関わってきたダグマー・ヴァルザー氏にインタビューした。
聞き手:山口真樹子

──ヴァルザーさんのこれまでのキャリアについて教えてください。
 バーゼル大学在学中から、出版社や雑誌、劇場で様々な実習・インターンシップを経験しました。つまり当時すでに、出版・ジャーナリズムと演劇の両方に関わっていたということです。演劇の稽古に携わることが好きでしたが、結局、演劇の現場ではなく、観察し、伝える側に立つことを選びました。
 これはおそらく、私が学生だった80年代は、フランク・バウムバウアー氏(訳注:バーゼル劇場で一時代を築き、その後ハンブルク州立劇場、ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場のインテンダントを歴任。名インテンダントとして高く評価されている)がバーゼル劇場を率いていたこと、その後もスイスの演劇シーンが非常に活発であったこと、さらに私と同世代の演劇人たちが、劇場を動かす地位に就き始めていたことと関係していると思います。そのような状況から出てきた新しい演劇のあり方を追いかけ、記述することにとても興味がありました。
 最初は出版界で働き、この10年余りは主にラジオの仕事を手がけ、スイスの公共放送の文化部門の演劇分野を担当してきました。2007年には再び演劇の現場に関わるようになりました。チューリヒ・テアター・シュペクターケルの芸術監督であるサンドロ・ルーニン氏から、同フェスティバルのアーティスティック・ボードに加わらないかという打診があり、これを受けたことで、ラジオのジャーナリストの仕事に加えて、新しい世界が開かれました。スイス以外の演劇をより多く知るようになり、日本の演劇人とも知り合いましたし、2年前には初めて日本を訪れることができました。

──ラジオにおける演劇の番組とは、具体的にはどういうものなのでしょう。
 番組の大部分は、スイス演劇界のうちドイツ語圏のシーンについて伝えるものです。しかし、自分たちに馴染みのある世界にとどまらず、外国の作品や新しい演劇の在り方にも視線を向けるよう心がけ、より幅広い演劇の概念を描き出すことを重視しています。つまり、すでに確立された大規模な演劇や、有名な演劇人について伝えるだけでなく、様々な演劇のスタイルや形式、小規模なもの、新しいもの、そして実験的なものも取り上げています。
 多くの演劇作品はローカルな芸術であるのに対し、ラジオは非常に幅広いリスナーを相手にするもので、私たちが取り上げる作品を観る機会のない人のほうが多いでしょう。そこが番組をつくる上での課題です。
 私が手掛ける番組には、様々なタイプのものがあります。まず、初日を迎えたばかりの作品について、翌日、私がスタジオから公演のレポートを放送しています。また、様々な議論やルポ、特集番組なども手掛けています。多様な音素材があり、一か所に留まらず流れていく媒体である演劇を、同様な性質のラジオで語ることが面白いと思っています。

──ラジオ以外の媒体の状況はどうですか。
 ここ何年かで、特に活字媒体で演劇が紹介される状況はかなり変わりました。活字媒体自体が困難な状況にあり、以前は新聞の文化紙面の重要な要素だった演劇批評のスペースが減らされ、中でも初日評はその輝かしい地位を失いました。逆に、制作される作品の数は増加しています。数年前までは、新しい戯曲の初演では複数の新聞に評が載るのが当たり前でしたが、今や状況はすっかり変わりました。たとえ取り上げられても、単純に善し悪しをいうものがますます増え、丁寧なレポートではありません。演劇かダンスか、どちらとも言えないような新たな形式を試みているプロジェクトなどは、編集担当の網からすり抜けてしまい、取り上げられることも極めて少ないです。その中で多くなっているものがあるとすると、演劇をめぐる文化政策についての記事ぐらいです。とはいえ、他国に比べるとまだまだ恵まれていることでしょう。このような状況の中、最近では、インターネット上のプラットフォームが新しい媒体として出てきています。例えば「nachtkritik.de」です。ここでは作品の批評だけでなく、コメントを寄せて議論するフォーラムも設けられています。そして今後もさらに新しいメディアが出現するでしょう。日本では演劇作品に関するツイッターが盛んだそうですが、あるいは次の批評のメディアとなるのでしょうか?

──スイスの演劇の特徴は何ですか。
 スイスは小国である一方で、多言語国家でもあります。演劇文化に関して言えば、同じスイスでもフランス語圏のそれとドイツ語圏のそれでは全く異なります。いわゆるスイス西部(フランス語圏)の演劇は、フランスの演劇文化を拠り所にしており、スイスのドイツ語圏の演劇シーンは、オーストリア、ドイツとともにドイツ語圏演劇界を形成しています。ドイツとスイスドイツ語圏の演劇人は同じ演劇教育を受け、同じテキストを読み、演劇の方向性を共有しています。
 もちろん、スイスの文化的な特徴もありますし、非常にスイス的とされるアーティストもいます。もっとも有名なのが、国際的に活躍するクリストフ・マルターラー Christoph Marthalerでしょう。しかしながら、スイス的独自性よりも、ドイツ語圏の隣国との共通の言語による文化的な結び付きの方が重要です。
 劇場については、ドイツと似た構造になっています。かなり簡略化していいますと、一方に公立の劇場があり、もう一方にいわゆるフリー(インディペンデント)なシーンがあります。 公立劇場には長い歴史があり、古典を扱う劇場として市内の中心に位置し、俳優、歌手、ダンサーを年間で雇用。そのアンサンブルで様々な作品を上演し、レパートリーシステムとして運営されています。伝統的に、こういった劇場は文学作品としての戯曲を手掛け、知識層の観客をターゲットとしています。
 一方、1970年代に既存の文化へ対抗するものとして生まれたフリー・シーンの演劇人たちは、プロジェクトからプロジェクトへと渡り歩き、テーマを中心とした作品づくりを行い、実験的な作品を集団で創作しています。上演場所はいわゆるプロダクション・ハウスといわれる劇場で、チューリヒのゲスナーアレー Gessnerallee Zürich(芸術監督:ロジャー・メルグイン氏 Roger Merguin)、カレーナ・シュレーヴィット氏 Carena Schlewittが率いるバーゼルのカゼルネ Kaserne Baselなどがあります。また、マックス=フィリップ・アッシェンブレナー氏 Max-Philipp Aschenbrennerが芸術監督だったルツェルンのジュートポール Südpol Luzernもあげられあす。彼は来シーズンからウィーン芸術週間演劇部門に移ることになっています。これらの劇場は、スイスの舞台芸術シーンで非常に重要な位置を占めています。というのも、国内外との重要なネットワークを築いているため、フリー・シーンの演劇人たちにとっては様々な都市で上演する機会に繋がるからです。

──公立劇場とフリー・シーンという分け方にあてはまらないものもあるのですか。
 もちろんあります。先ほどは触れませんでしたが、例えばスイスで根強い人気を博している素人による大衆演劇などです。そもそも、正統派の古典作品を主に取り上げる公立劇場と、革新的なフリー・シーンという分け方も厳密なものではなくて、公立劇場のなかにも新しい演劇のあり方を取り入れているところはあります。例えば、バーゼル劇場Theater Baselでは、2年契約でフリー・シーンの劇団ファー・ア・デイ・ケイジ FAR A DAY CAGEをレジデンス・グループとして劇場のアンサンブルに迎えることになっています。
 このように両方にまたがって活動するアーティストはほかにもいます。例えば演出家ではクリストフ・フリック Christoph Frick、セバスティアン・ニューブリング Sebastian Nübling、若い世代ではトム・ルッツ Thom Luz、ボリス・ニキーティンBoris Nikitinやアンナ・ゾフィー・マーラー Anna Sophie Mahler など。彼らは自らの劇団で活動する一方、公立劇場の作品を演出しています。フリー・シーンは予算が少ないもののやはり自由という概念と結びついています。クリストフ・マルターラーは、長年にわたり各国の大劇場やオペラ劇場で演出を手掛けていますが、今なおフリー・シーンの出身であることを誇りにしています。
 しかし、現在、スイスの財政状況が悪化したことで、公立劇場の在り方をどうするかという文化政策上の議論が活発に行われています。非常に重要な議論です。公立劇場の運営には多くの人手や費用が係っているにも関わらず、多くの劇場は観客数の減少という問題を抱えています。各都市で提供される文化・芸術プログラムが多様化するに伴い、演劇はそのうちのひとつに過ぎなくなりました。特に若い観客層の劇場離れは深刻です。
 では、潤沢な補助金を得ている伝統的な公立劇場は何のために存在するのか? フリー・シーンにより多くの予算を振り分けるべきではないか? これは劇場文化の終焉を意味するのか? 劇場は誰のために作品を上演するのか? 可能な限り広い観客層をターゲットにすべきか? あくまで芸術のために最良の条件を整えるべきなのか? そもそも今の社会における劇場の位置づけとは? そしてその展望とは?……
 こうした議論を通して、ここ10年、フリー・シーンが改めて注目されるようになり、その存在感を増しています。フリー・シーンの作品制作では公立劇場ほど大きな組織も必要なければ、補助金も少なくてすみます。組織は柔軟で、作品も革新的なものが多い。とはいうものの、公立劇場のような知識層の文化は、フリー・シーンに比べてずっと強力なロビーに支えられているので予算の削減はそう簡単ではありません。スイスのフリー・シーンの演劇はこの10年間でその存在感を増し、自信を強め、一方、公立劇場は再び本来の役目を見出すべく努力するようになり、全体として活発になっています。才能あるアーティストの存在とともに、安定した予算による公立劇場と、優れたネットワークを形成しているフリー・シーンのプロダクション・ハウスの存在がこうしたシーンを支えています。

──近年のスイスの現代演劇のスタイルにはどのような傾向がみられますか。
 そうですね、全体的にはパフォーマティヴな演劇になってきていると思います。つまり、テキストが中心を占めていない演劇などが注目されているということです。また、ジャンル間の関係を新たに捉え直すようなジャンル越境的なプロジェクトという傾向もあります。そしてやはり、ここ最近の傾向として、同時代の潮流であるドキュメンタリー演劇の動きを抜きにすることはできないでしょう。
 ドキュメンタリー演劇で最もよく知られているのは、ドイツ・スイスのアーティスト・コレクティヴ、リミニ・プロトコル Rimini Protokollです。F/Tにも招聘されたので日本でも知られていますが、いわゆる「日常のエキスパートたち」をステージに招き、彼らが舞台上で自らの生活、これまでの人生、仕事について語ります。プロの役者や、フィクションのテキストは用いません。こうしたドキュメンタリー演劇の方法やグループは、今ではとても多様化しています。
 ちなみに1960年代・70年代のドキュメンタリー演劇、例えばペーター・シュタインやロルフ・ホーホフートなどは、演劇という媒体を通して現実を見つめ、倫理面から問い直し、価値判断さえするものでした。これに対して、現代のドキュメンタリー演劇は、リアリティとフィクション、もしくは人生と舞台の間を行き来する多様なスタイルに焦点が当てられています。
 例えば演出家ミロ・ラウ Milo Rauは、自分の劇団とともに、歴史的状況をリ・インアクトメント、つまり再現するという方法をとっています。2年前、彼はルーマニアの役者たちと共に、1989年のクリスマスに開かれた、独裁者チャウシェスク大統領夫妻の公開裁判を、ディテールまで忠実に再現しました。あるいはバーゼルのカプリコネクション CapriConnectionは、専門家にインタビューし、それをそのままベースにして舞台作品をつくっています。これらはすべて興味深い現代的な方法であり、従来の演劇における外見と実体、言い直せば、本物性と信憑性、といったテーマを新たに問い直すものです。

──ダグマーさんがアーティスティック・ボードのメンバーを務めているチューリヒ・テアター・シュペクターケルについてお聞かせください。
 テアター・シュペクターケルは1981年にチューリッヒ市の主催でスタートしました。当時はオルタナティブな演劇や若者文化がその存在を認めさせるべく盛んに闘っていた時代です。大道芸との関連が深く、現在もサーカスから、南アフリカや日本の実験的なパフォーマンスまでとプログラムの幅が広いことを特徴としています。
 もう一つの特徴が、チューリヒ湖畔をフェスティバルの会場にしていることです。毎年、湖畔に複数の仮設劇場やレストランを建てて、8月から9月にかけて18日間にわたってフェスティバルが開催しています。
 サンドロ・ルーニンが芸術監督に就任してからは、フェスティバルのポリティカルな姿勢がさらにクリアになり、とりわけいわゆる南の世界の国々への関心を打ち出しました。これまで、こうした国々の作品をスイスで見る機会はほとんどありませんでした。ドイツ語圏の演劇界の国際化といっても、実際に欧州以外の国々の作品をスイスまで招聘できるフェスティバルは限定されています。チューリヒ・テアター・シュペクターケル以外では、新バーゼル演劇祭、ローザンヌの「ラ・バティ」(la Batie)、 小規模なベルンの「アウアヴィアレーベン」(auawirleben)、フリブールの「ベルアール・フェスティバル」(Belluard Festival)くらいしかありません。

──テアター・シュペクターケルは2010年東・南アジアをテーマの一つとしてとりあげ、インドネシア、タイ、中国の作品のほか、日本からも快快、チェルフィッチュ、庭劇団ペニノの3作品を招聘しました。その後も毎年、日本から作品を招聘しています。これらの作品はチューリヒでどのように受け取られたのでしょうか。
 自分の把握している範囲ですが、非常に評価は高かったと思います。快快はフェスティバルの新人に与えられるZKB2010奨励賞を授賞しました。2010年に招聘した3作品は、前年にベルリンのHAUで、あなたとマティアス・リリエンタール氏がキュレーションした日本特集「Tokyo Shibuya - next Generation」で上演されたものです。この日本特集は、ドイツ語圏の演劇界に日本の新世代の演劇人に対する新たな関心を引き起こしました。
 これらの作品は日本にフォーカスしたプログラムとして上演されたわけですが、それぞれにスタイルや作風が全く異なっていました。これが日本の演劇である、と言いたいのでは決してなく、ましてやエキゾチックな文化への視線でもなく、都市生活において若い世代の中から発生した表現の方法・形式が明確なコンセプトをもち、そのコンセプトによって内容にアプローチしたものだったことが重要でした。

──ということは、招聘された作品が現在の日本を代表しているからと単純に捉えてはいけないのですね。
 はい、そうではありません。もしそうだとしたらあまりに退屈です。確かに、演劇を通して、異なる文化やある国の社会の現実に触れることはできると思います。しかしそれだけでは十分ではありません。興味深い芸術作品であり、その出自が認識できる以上の内容を備え、同時にフェスティバルのプログラムに適合する必要があります。
 しかし、外国の作品を招聘する場合は、経費を分担する意味で他のフェスティバルとよく連携しますが、同じ作品を招聘しながらもそれぞれ独自の文脈のなかに位置づけるわけです。例えば、2年前テアター・シュペクターケルがcontact Gonzoを招聘した際には、同時代のダンスという文脈の中に組み込みました。昨年の悪魔のしるし(危口統之)の搬入プロジェクトの場合は、スイス国内で、チューリヒ、バーゼル、ルツェルンの3カ所のツアーを組みましたが、3カ所とも異なる文脈の中で上演されることになりました。私たちのフェスティバルでは、屋外パフォーマンスとして、バーゼル演劇祭では参加性が重視され、事前準備のプロセスに学生が参加しました。ルツェルンでは、庭劇団ペニノ(タニノクロウ)や坂口恭平とともに、劇場Südpol の新シーズンの開幕プログラムにおける日本特集に位置づけられました。

──ダグマーさんは、今回、東京文化発信プロジェクトの国際招聘プログラムに招かれて来日し、その後セゾン文化財団のヴィシティング・フェロー(Visithing Fellow)として数週間日本に滞在されています。これが3度目の来日ですが、今回日本の演劇について何か新たに学んだことはありますか。
 既知のアーティストのその後の作品をフォローすることができましたし、新たなアーティストと出会うことができました。また、日本ではいまたくさんの地域で現代アート・プロジェクトが行われているとのことで、別府の「混浴温泉世界」や国東半島アートプロジェクトにも行きました。
 私が関心を持っているのは、アーティストが自分自身について、また自分の作品について、現在の日本社会との関わりの中でどう考えているのか。福島の原発事故によってアートが担う役割は変わったのか。変わったとするとどう変わったのか、といったことです。長く滞在することで、こうした日常、歴史、政治をめぐる問題意識についても議論できるのではないかと期待しています。
 旅行をすることで、東京以外の日本も知ることができました。私にとって日本の日常生活の文化に触れることが非常に重要でした。美容院にもいきましたし、レジデンスのある森下の銭湯にもいきました。広島も訪れることができましたし、友人が福島にも連れて行ってくれました。こういった経験を通して、日本の文化を知ることができただけでなく、私が日本の演劇作品、もしくは演劇作品一般を観る際の文脈がより複雑になり、より深くなったように思います。一度のフェスティバル訪問や視察、個々のインタビューだけでは決して得られなかった体験だからです。
 これらの体験ができたこと、その時間が与えられたこと、そのためのサポートをいただけたことに心から感謝しています。
 
TOP