The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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アン・エスン
Profile
アン・エスン氏
Ms. Ahn Ae-Soon

1960年生まれ。梨花女子大学舞踊学科卒業、漢陽大学大学院理学博士。
1985年にアン・エスン舞踊団を結成。「横浜ダンスコレクション」「フェスティバル・グローバル・ダンス」「シンガポール・アーツ・フェスティバル」「セルヴァンティーノ国際フェスティバル」「ダンストリエンナーレトーキョー」「コリアダンスミュージアム」などに招聘される。韓国の伝統文化と哲学、韓国舞踊の動きをコンテンポラリーダンスで表現する独自のスタイルは批評家からの注目も高い。1998年にはバニョレ国際振付賞、2000年韓国ダンス批評家賞、2003年韓国現代舞踊振興会最高振付家賞、2004年韓国文芸振興院今年の芸術家賞を受賞。また、1997年と2006年韓国ミュージカル大賞振付家賞、2007年ザ・ミュージカルアワード振付賞を受賞するなど、ミュージカル分野でも活躍している。 1985年〜2013年アン・エスン舞踊団芸術監督、2010年〜2012年(財)韓国公演芸術センター芸術監督、ソウル国際公演芸術祭芸術監督。2013年7月から現職の(財)国立現代舞踊団芸術監督。



(財)国立現代舞踊団
Korea National Contemporary Dance Company
ソウル市草端区南部循環路2406
芸術の殿堂書芸館3F
Tel. +82-2-3472-1420

http://www.kncdc.kr/
韓国国立現代舞踊団
*1 死者の不浄を清めて極楽に送る祭祀

*2 ムーダン(巫女)が神に食べ物や財物を供えて歌と踊りで人間の願いが叶うように祈る儀式(国立民族博物館韓国民俗信仰辞典より)
アン・エスン舞踊団
『Circle – After the Other』
(2003年初演)
Circle – After the Other
アン・エスン舞踊団
『白い騒音』
(2007年初演)
白い騒音
アン・エスン舞踊団
『哀れ』
(2009年初演)
哀れ
国立現代舞踊団
『怪しいパラダイス』
(2011年)
怪しいパラダイス
国立現代舞踊団
『羅生門〜どうしようもないのなら』
(2012年)
羅生門
国立現代舞踊団
『11分』
(2013年)
11分
Presenter Interview
2013.9.17
Korean contemporary dance, Progressing dynamically under new national arts policies 
国の文化芸術政策刷新で躍進する韓国現代ダンス 
劇場街大学路(テハンノ)のランドマークともいえるアルコ芸術劇場がダンス専門劇場に指定され、国立現代舞踊団が設立されるなど、2010年以降、新たな動きをみせている韓国の現代ダンスシーン。これまで舞踊教育に力を入れていた大学の同門を中心に創作活動が行われていたが、今、大きな変革の時期を迎えている。そうした舞踊界のニューリーダーが、1985年に舞踊団を結成して以来、ダンサー、コレオグラファーとして国際的に活躍してきたアン・エスンさんだ。韓国公演芸術センター(Hanpac)初代芸術監督、ソウル国際舞台芸術祭(SPAF)芸術監督を経て、2013年7月には国立現代舞踊団2代目芸術監督に就任。日韓のダンス交流にも尽力してきた彼女に、国立現代舞踊団と現代舞踊シーンについて話を聞いた。
聞き手:木村典子[舞台芸術コーディネーター・翻訳者、在ソウル]
写真提供:(財)国立現代舞踊団、アン・エスン舞踊団

──2013年7月に国立現代舞踊団の芸術監督に就任されたばかりですね。
 国立現代舞踊団は2010年8月に発足しました。発足からわずか3年の団体なので、芸術監督の責任は重大です。これから国立芸術団体としての総合的で有機的なシステムを構築していかなければなりませんし、韓国ではコンテンポラリーダンスはまだ馴染みの薄いジャンルなので観客層と市場も開拓していかなければなりません。やるべきことが山積みです。

──エスンさんは、韓国の現代舞踊シーンを30年にわたって牽引されてきた草分けのおひとりです。ダンスの道を選ばれた経緯を教えてください。
 小学生になって習い事としてバレエを始めました。一番後ろの列でその他大勢のひとりとして踊っていたのが、踊る列がひとつずつ前になり、最前列のセンターで踊る機会をもらった。でも、本番で頭の中が真っ白になり、すっかり振りを忘れてしまいました。子どもながらに本当にショックで、その後、いくら勧められても踊ることができなくなりました。
 梨花(イファ)女子大学併設の金蘭(クンラン)女子中学校に進学しましたが、当時は将来の舞踊専攻の如何に関わらず全校生徒に舞踊の創作と発表が義務づけられていました。それで再び舞踊に親しむようになりました。もう一度夢をつなぎたいと、高校の課外活動では舞踊を選択しました。この体験を通じて、舞踊によって自分を発見して向上させること、そして社会性を学んだように思います。大学は梨花大学舞踊学科に進学しました。

──舞踊にも韓国の伝統舞踊やバレエなどいろいろありますが、現代舞踊を選択したのは?
 大学でユク・ワンスン先生からアメリカのモダンダンスの創始者マーサ・グレアムのテクニックを学びました。当時のコンテンポラリーダンスです。とても型破りで、私たちには馴染みの薄いものでしたが、とても自由を感じました。テクニックを駆使しながらも、身体はテクニックに縛られることなく、自由に表現することが許されているのがコンテンポラリーダンスです。そこが私には魅力でした。実は大学入学後、現代舞踊を専攻する学生たちのすらりとした背の高い姿を見て、背の低い自分は韓国舞踊を選択するしかないと漠然と考えていました。でも大学2年生の時に先生が現代舞踊の道を勧めてくださいました。

──私も公演を拝見させていただいていますが、アン・エスン舞踊団は同時代を追及しながら、韓国の伝統舞踊の要素や動きを現代化することにもチャレンジされています。
 大学在学中から「アン・エスン個人発表会」をやりながら、その延長として1985年に舞踊団を設立しました。振り返ってみると、約10年単位で私自身のテーマが変わっているように思います。90年代は“伝統の再解釈”がテーマでした。伝統的な要素をコンテンポラリーの動きで解釈する作業に熱中しました。そのため、祭儀的で敬虔で厳粛な雰囲気を感じさせる作品が多いのが特徴です。『業』(90年)、『シッキム』(*1)(92年)、『余白』(94年)、『11番目の影』(98年)などが代表作といえます。
 90年代末、10年間こだわってきた韓国的なものから独自のコンテンポラリーダンスを追及すべく模索している時に、クッ(*2)を見る機会がありました。クッの中にコンテンポラリーダンスの要素ともいえる遊戯性、解体性、即興性、観客参加性が内在していて、驚きました。とても新鮮な発見でした。それで主にその遊戯性と解体性を取り入れた創作を始めました。『クッ – PLAY』(2001年)、『曖昧な地点』(02年)、『Circle – After the Other』(03年)などが代表的な作品で、アン・エスンの新たな方向性として評価していただきました。
 ここ数年、関心をもっているのが韓国の近代化です。近代化という時代の疾走の中で多くのものが破壊され、忘れ去られ、その代わり新しいものが続々と登場しました。韓国の近代化はとても短い時間の中で起こっている伝統と現代の衝突です。ここにひそむ社会的・文化的な物語を形にしたいと思い、『白い騒音』(07年)、『3 Tenses』(07年)、『ガラパゴス』(08年)、『SはPだ』(12年)を発表しました。
 私は常に自分の視点で時代のテーマを選択し、コンテンポラリーダンスとして追求してきました。時代ごとに考え方も表現も変わっていくわけですから、同時代を創造していく側もやはり変化するのが自然だと思います。時代とともに変わり続けるのが私のダンスなのかもしれません。

──今年4月には山下残さんとアン・エスン舞踊団のコラボレーションにより『そこに書いてある』をフェスティバル・ボムで発表されました。エスンさんは、以前からこうした日韓ダンス交流にも尽力されています。
 初めて日本で公演したのは『根』でした。83年だったと思います。イサドラ・ダンカンを記念する催しがあり招聘されました。その後、バニョレ国際振付コンクール(現在セーヌサンドニ国際振付家による出会いの場)に出場した際、審査委員だった青山劇場ダンスプロデューサーの故・高谷静治さんにお目にかかりました。高谷さんを通じて「横浜ダンスコレクション」(02年)、「ダンストリエンナーレトーキョー」(04年)、「コリアダンスミュージアム」(05年)などに参加し、日本で公演する機会をいただきました。
 高谷さんはとても韓国のダンスを愛してくださり、数多くのダンサーを日本に紹介してくださいました。日韓ダンス交流の大きな架け橋でしたし、私たちにとっては国境を越えたかけがえのない友人でした。2010年に惜しくも亡くなられてしまいました。ご家族の意向もあって、韓国公演芸術センター芸術監督だった2012年9月に大学路芸術劇場の敷地内にダンサーたちと一緒に高谷さんの記念樹の桜の木を植えました。高谷さんは大学路がとても好きだったので、いつでも大学路でダンスを見ていただきたい、私たちの姿を見ていただきたいという思いを込めてです。日本の方もぜひ大学路にいらっしゃったら、訪ねてみてください。日本と韓国のダンス交流の絆の深さを感じていただけると思います。

──韓国公演芸術センター(Hanpac)は、2010年にアルコ芸術劇場と大学路芸術劇場を統合して新たに設立されたものです。同時にソウル国際公演芸術祭(SPAF)がHanpac主催になり、エスンさんはHanpacとフェスティバルの芸術監督を3年間兼任されました。このときにアルコ芸術劇場大劇場がダンス専用劇場に指定されて、韓国舞踊界の活性化と観客層の拡大に繋がったように思います。Hanpacではどのような方針で芸術監督の仕事をなさったのでしょうか。
 韓国文化芸術委員会をはじめ文化体育韓国部傘下の国家機関と国立芸術団体の運営見直しが行われ、それまで韓国文化芸術委員会が運営していたアルコ芸術劇場と大学路芸術劇場を統合運営するHanpacがオープンしました。その時に、アルコ芸術劇場はダンスをメインにしながら実験的でクロスオーバーな作品を、大学路芸術劇場は演劇をメインにスタンダードな観客に馴染みのある作品を公演する劇場に特化されました。
 私はダンス分野の芸術監督として、コンテンポラリーダンスの紹介、新人ダンサーとコレオグラファーの発掘、観客とのコミュニケーションに重点をおいてプログラムづくりをしてきました。韓国舞踊界はアメリカ現代舞踊を受容して50年という歳月が過ぎました。この間、大学を中心に現代舞踊界を形成しながら多くのダンサーとコレオグラファーを排出し、発展してきましたが、作品はモダンの時代で止っていたといえます。そこから、世界のダンスの流れ、韓国独自のコンテンポラリーとは何かという自問を見据え、モダンからコンテンポラリーへの転換期にありました。そのための創作、教育、フェスティバルを通じて多様な体験ができる機会を提供する必要がありました。また、コンテンポラリーダンスは「難しい」「わからない」「馴染みがない」など、観客も限定されている状況でしたので、観客層をどう形成させていくのかも課題でした。
 そこで、国内外の現代舞踊、バレエ、韓国舞踊など様々なジャンルで今まさに成長株のダンサーとコレオグラファーを選出して組み合わせ作品を発表する「ソロイスト」、次世代のコレオグラファーを集めた「ライジングスター」などのプログラムを企画し、新人ダンサーやコレオグラファーの発掘に努めました。また、ヒップポップやメディアパフォーマンスなど他ジャンルとダンスのコラボレーション作品を企画し、コンテンポラリーダンスの固定観念を覆すことも試みました。観客層の拡大に関しては、映画や美術など他ジャンルのアーティストや評論家で構成される評価団と一般観客を組織し、ダンサーやコレオグラファーと直接会って作品やダンスについて話ができる場を設けるなど、ダンス関係者以外の観客を増やす努力をしてきました。抽象的といわれるコンテンポラリーダンスを多角的に体験することで、最近では若い一般観客もダンスを楽しんでいますし、マニア層も形成されつつあります。

──Hanpacと同じ年に国立現代舞踊団も新設されました。設立経緯は?
 前政権下で行われた社会改革の一環として、文化芸術分野でも大きな見直しがありました。李明博前大統領は文化芸術関連の選挙公約として大きく4つの柱を立てましたが、そのひとつが「創造文化強国の実現」です。その具体的な事業のひとつに「文化芸術機関の設置と運用活性化、国立芸術団体の育成」がありました。この公約にそって「韓国文化芸術委員会の移転と芸術家の家の造成」「国立劇団の法人化」が行われ、「国立芸術資料院」「韓国公演芸術センター」「国立現代舞踊団」が新設されました。
 国立現代舞踊団の設立は韓国舞踊界の長年の夢でした。これまでも何度か話は持ち上がっていましたが実現しませんでした。演劇については「国立劇団」があり、舞踊についてもバレエには「国立バレエ団」、伝統舞踊には「国立舞踊団」がありましたが、コンテンポラリーダンスは創作も、教育も、民間の手に委ねられていた感があります。この時代、民間の制作システムですべてを賄うには限界があります。バランスのとれた政策をとることで、人々に多様な観劇の機会を提供できますし、観客と出会うことでコンテンポラリーダンスをさらに発展させ、活性化させることができます。
 政府も、時代を追及する他の芸術ジャンルと同様にコンテンポラリーダンスを同時代の創作活動と認識して支援をはじめたのだと思います。コンテンポラリーには現代を生きる私たちの姿、文化的なものがすべて反映されています。それを知らずに、人がいかに21世紀を生きているのかを知ることはできません。

──国立現代舞踊団の運営方針は?
 スローガンは「国民に向かう芸術としてのコンテンポラリーダンス」です。その実現のために「レベルの高いコンテンポラリーダンスの創作」「プロジェクト団員制によるダンサーの能力向上」「国内外の優秀コレオグラファーの招聘」「積極的な国際交流」を活動の柱にしています。前ホン・スンヨプ芸術監督も様々な試みをしてきましたが、今後さらに国立現代舞踊団独自のしっかりとしたシステムを構築していく必要があると考えています。
 特に、韓国では100人に聞けば100人が「コンテンポラリーダンスは難解で抽象的でよくわからない」と言います。私たちと観客の間には障壁があるのです。コンテンポラリーダンスは同時代の中で大衆とともに息づき、発展すべきものであるはずなのに、逆に大衆と距離がある。大衆と出会いながらどう芸術性・実験性を担保していくのか、コンテンポラリーダンスの同時代性を強化しながらどう大衆との接点を広げるのか、芸術性と大衆性の二兎を追うのが国立現代舞踊団に科せられた大きな課題です。階層、地域、世代を問わず誰もが自由に参加し、享有できる公の資産としてのコンテンポラリーダンス──同時代の社会的・地域的な日常を観客とともにダンスで解き明かし、ともに作り上げるダンスを目指したいと思っています。

──具体的な事業について教えてください。
 1年に定期公演として4〜6作品発表する予定です。この9月に就任して初めての定期公演『11分』を芸術の殿堂自由小劇場で発表します。この作品は前芸術監督が企画したものですが、5名の若手ダンサーがブラジルの小説家パウロ・コエーリョの『11分間』をテキストに、魂と体、愛と生を表現します。また、コンテンポラリーダンスは単純にダンスだけで表現するのではなく、様々なジャンルとミックスする必要があると思っています。それでこの作品では、若手のジャズバンドK-jazz Tnoに加えて、詩人・劇作家のキム・ギョンジュをドラマツルギーとして参加させました。公演に先立ち、舞踊人類学者、ダンサー、評論家など6人の専門家の前でショーケースも行いました。できるだけ様々なジャンルの専門家たちと同時代の芸術について考える場を持ち、国立現代舞踊団色のあるコンテンポラリーダンスを大衆化する方法を模索しているところです。今後も他ジャンルの専門家にも参加してもらいながら、長くレパートリーとして残る作品づくりを目指したいと思います。
 私が企画する作品は今年12月に発表する予定ですが、家族を考える心温まる作品を検討しています。コンテンポラリーダンスはこれまで小さなスタジオの中で、若く、実験的で、芸術的なものを追求してきました。それも観客と距離感が生まれた原因のひとつだと思います。バレエの『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』のように、家族が一緒に見られる作品がコンテンポラリーダンスでも生まれることを願っています。
 こうした定期公演を中心にして有機的に事業を展開していくためには、定期公演をレパートリー化する必要があります。レパートリー化することで、“一回性の公演制作から流通へ”シフトが変わり、地方公演も含めた長期公演が可能になります。また、公演とともにワークショップで自身の身体を体験してもらい、そこに潜む本能や日常を発見してもらうことでダンスへの理解を深めてもらいたいと思っています。それと、地域に暮らす人々の話を聞き、ダンスで表現する作品もつくりたいですね。
 韓国公演芸術センターでも試みましたが、観客参加型の作品づくりも行いたいと思っています。9月に公演する『11分』ですでにスタートしていますが、稽古場公開やショーケースを通して観客のモニタリングを行っています。稽古を見て表現者と観客が意見を交わすのは、表現者にとっていい緊張になりますし、観客にとってはダンスを理解する糸口になります。コンテンポラリーダンスを観るというのは、この時代の社会問題と歴史をともに考えることです。時代が抱える歴史性から個人の日常までダンスという手段で表現するには、人々とともにこの時代を解き明かしていくプロセスが必要だと思っています。
 国立現代舞踊団による長期公演と付帯事業により、ダンサーやコレオグラファーは安定した経済状況で創作活動に専念できるようになります。私たちは完全な団員制ではなくプロジェクトごとに契約する「プロジェクト団員制」をとっています。通常の契約期間は稽古から公演まで3〜4カ月ですが、11カ月程度まで長期契約が可能だと考えています。
 その他、美学や哲学などの学術分野と共同でダンスについて提示していく出版事業、専門家を対象とした教育プログラムを計画しています。国立現代舞踊団が大きな意味でのコミュニティダンスを担っていければと思っています。

──「コレオグラファーの招聘」「積極的な国際交流」を打ち出していますが、海外との交流についてはどのように考えていますか。
 Hanpacで芸術監督を務めた3年間で、フランスの振付家ジョエル・ブーヴィエを招聘した『What About Love』、ヨーロッパの次世代振付家といわれるイブキ&グレベンを招聘した『ソーシャル・スキン』を共同制作しました。ニューヨークのネクスト・ウェーブ・フェスティバルとメキシコ、ドイツでの海外公演も行いました。
 ダンスの国内市場は小さく、また流通の道筋を開拓するには時間も必要です。これからも市場が大きく観客が形成されている海外とのネットワークをつくり、積極的な国際交流を展開したいと思っています。もちろん共同制作も考えています。ただ共同制作を行うには、私たちの中にビジョン、韓国においてこの時代に求められている哲学とそれを表現するための方法論をもつ必要があります。また、海外のクリエーターと対等に渡り合える人材が必要です。どれも、まだ就任して1カ月あまりなので準備が整っていないのが正直なところです。今後、国立現代舞踊団が海外交流に対してどのような方向性を持てるのか、真摯に検討しているところです。

──現在の韓国コンテンポラリーダンスの状況をどのように見ていますか。ご自身も「韓国のコンテンポラリーダンスは歴史が浅いにも関わらず大きく成長した。韓国ダンサーがアメリカやヨーロッパに進出し、ダンサーとしての実力を認められている。現在、韓国の創作舞踊はグローバル化され、コレオグラファーたちも世界で認められている」とおっしゃっていますが、この成長の理由はどこにあると考えていらっしゃいますか。
 大学の存在が大きいと思います。全国に舞踊学科がある大学が40〜50校はあるのではないでしょうか。ここから排出される人材は豊富です。ただ、教育現場でテクニックやスキルは教えられても、クリエーターを育てられるのかという問題はあります。実際、若い人材には身体性とテクニックをもつダンサーは多くても、コレオグラファーといえる人はほとんど見当たりません。コレオグラファーの育成が今後のコンテンポラリーダンス発展の鍵になると思います。
 韓国公演芸術センター時代、2011年から2年間にわたってアルコ公演芸術インキュベーション「次世代振付家クラス」を開講しました。これは、自ら考え、理論化し、抽象的なダンスを言葉で具体的にプレゼンテーションし、身体で表現する能力を育成するカリキュラムです。メンタリングに基づいた8カ月間の教育プログラムに加えて、国内外のアーティストとの交流やショーケースの機会を提供し、2年間で22名が参加しました。こうした事業を通して、次世代を担うコレオグラファーが出てくることを期待しています。

──最近の韓国コンテンポラリーダンスの傾向はどのようなものですか。注目している振付家はいますか。
 これまで作品の多様性に欠けていると感じていましたが、最近は実に多種多様な表現の作品が発表されるようになってきました。多様性というのは、ダンスをどう捉えているかの認識の問題です。つまり、この時代をダンスを通してどう見るかという視点に多様性が生れているのだと思います。
 その中で私が注目しているのは、韓国舞踊を専攻し、現在はベルリンで伝統と現代、身体とメディアの出会いを通じて新しいダンス言語とその可能性を模索しているイム・ジエです。そのほか、フェミニズム的な傾向の作品を発表しているユン・プルム、ブレシト舞踊団のパク・スンホ、LDP舞踊団のシン・チャンホ、日本でもずいぶん公演しているキム・ソンヨン、モダンテーブルのキム・ジェドク、Ambiguous Dance Companyのキム・ボラム、ゴブリンパーティのチ・ギョンミンも注目株です。彼らが今後、コレオグラファーとしてどのように成長し、韓国のコンテンポラリーダンスをリードしてくれるか楽しみです。

──最近、若いダンス専門のプロデューサーや企画制作会社も増えています。
 韓国の舞踊マーケットはとても小さく、基盤も弱いので、制作の仕事を任されても経済的な問題も含めなかなか長続きしませんでした。それで舞踊団の代表がプロデューサーを兼ねていました。以前は高校・大学で舞踊を専攻すればダンサーかコレオグラファーといった選択肢しかありませんでしたが、最近は制作者やプロデューサーとしての道を選ぶ人も出てきて、30〜40歳代前半の若手が活躍しています。このような人材をもっと増やしたいと思い、韓国公演芸術センター時代に、韓国芸術経営支援センターと協力して「舞踊制作者養成プログラム」を実施したことがあります。次世代振付家クラスと関連させて、コレオグラファーと若い制作者をマッチングし、商品企画のプランまで立てさせるプログラムです。コレオグラファーを育てても作品を流通させる制作者がいなければマーケットは広がりませんから。
 最近の傾向として、カンパニーに席を置いて活動するダンサーが少なくなり、カンパニーの名前は掲げていても公演ごとにダンサーを集めてプロジェクトチームを組んで作品を発表するシステムが主流になりつつあります。私も自分のカンパニーを先日解散したばかりです。国家機関の代表職は個人団体の代表としての活動に制限がある上、正式団員より公演ごとに集まるダンサーの数が増えてきたためです。こういうカンパニーは多いと思います。これはプロデューサーや制作者の需要が増すということでもあります。
 また、「MODAFE(国際現代舞踊祭)」や「SIDance(ソウル世界舞踊祝祭)」のようなダンスフェスティバルをはじめ、「ソウル国際公演芸術祭」「フェスティバル・ボム」「旧ソウル駅舎・文化駅ソウル284」など舞台芸術を総合的に集めたフェスティバルやイベントもいくつかあり、国内におけるダンス公演の場は増加しています。これらを支えるためにもプロデューサーや制作者が必要になっています。このような状況の変化によってコンテンポラリーダンスの新たな流れが生れるのは自然なことだと思います。

──最後に、コンテンポラリーダンスの社会的役割は何だとお考えですか。
 社会を理解し、世界と歴史を認識し、同時代の問題を考え、発言するのがコンテンポラリーということだと考えています。ダンスも同じです。同時代の問題を身体を通して認識し、体験し、そして治癒する過程でありたいと思いますし、歴史的な身体、社会的な身体、遊戯的な身体、様々な身体のあり方を発見し、それを同時代の問題とつなげながら作品として発言していくのがコンテンポラリーダンスの役割ではないでしょうか。残念ながら、韓国のコンテンポラリーダンスはまだ個々人の美学にとどまっています。それを越えて発言する同時代のダンサー、同時代のコレオグラファーが増えていくことを願っていますし、国立現代舞踊団もそんな存在でありたいと思います。
 
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