The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Contents
ロウ・ナイ・ユエン
ロウ・ナイ・ユエン氏
Low Ngai Yuen



「カキセニ」
Kakiseni

http://kakiseni.com/
カキセニ
「ボー・キャメロニアン・アート・アワード 2013」授賞式
(C) Kakiseni

ボー・キャメロニアン・アート・アワード
カキセニ・フェスティバル2013(2013年4月22日〜5月1日)の模様
(C) Kakiseni
Kakiseni Festival Kakiseni Festival Kakiseni Festival Kakiseni Festival
ショッピングモール内に設置された劇場「Black Box」
Kakiseni Festival
Sun Son Theatre Into the Flood
Kakiseni Festival
Rhythm in Bronze
Kakiseni Festival
Louise Low Seok Loo Not blue, but colourful (sculpture)
Kakiseni Festival
Kolumpo
カキセニ・アート・エクスチェンジ(AEX)
2013年に参加したハメド・ザーマッケシュ(イラン)の人形劇プロジェクト「The Abrisham Journey」
(C) Kakiseni

The Abrisham Journey The Abrisham Journey
Presenter Interview
2014.4.23
Malaysia’s Kakiseni, A platform for the performing arts 
舞台芸術のプラットフォーム マレーシアのカキセニ 
カキセニは、マレー系、中華系、インド系などが入り乱れる多民族国家マレーシアで唯一のアーティストのためのオンライン・プラットフォームとして2001年にスタート。イベント、オーディション、レビュー、インタビューなどの情報が集約され、なくてはならないハブとして機能してきた。2009年に2代目ディレクターのロウ・ナイ・ユエン氏が就任してから事業を拡充し、当初から継続してきたアート・アワードに加え、カキセニ・フェスティバル、国際交流プログラムのカキセニ・アート・エクスチェンジなどをスタート。また、2011年からは政府を巻き込んで創設した「カキセニ・グラント」により、舞台芸術を多角的に支援してきた。経済発展著しいマレーシアでは、東南アジア随一のスペックを誇る国立劇場イスタナ・ブダヤ、若手のインキュベーションから国際的なアーティストのプロデュースまでを担うマレーシア初の本格民間劇場クアラルンプール・パフォーミングアーツセンター(KLPac)に加え、次々と建設されるショッピングモールの中にアートスペースや劇場が相次いでオープンするなど、舞台芸術をめぐる環境も大きく変わってきた。自ら事業を行うだけでなく、ネットワークの要として舞台芸術を支える環境整備に尽力するカキセニは、欠くことのできない存在となっている。ユエン氏にその戦略と展望を聞いた。
聞き手:谷地田未緒[国際交流基金クアラルンプール日本文化センター]

──カキセニは、アーティスト同士のネットワーク・プラットフォーム「kakiseni.com」から出発して、今ではポー・キャメロニアン・アートアワード、アート・エクスチェンジプログラム、国内外のアーティストを大掛かりに紹介したカキセニ・フェスティバル、カキセニ・グラントなど、幅広いプログラムを展開しています。ユエンさんは2009年から2代目のディレクターとしてカキセニを率いていらっしゃいますが、まずはどんな団体か、概要をご説明いただけますか。
 カキセニというのは、マレー語で「カキ」が「足」、「セニ」が「芸術」という意味です。足という言葉がつくと、何かに夢中であるという意味になりますので、例えばカキマカンは“食べることが好き”、カキセニは“アート好き”、もっと言えば“アート中毒”という意味になります。
 カキセニは、2001年にジェニー・ダニエルズとキャシー・ローランドの二人が立ち上げたものです。当時、マレーシアの舞台芸術シーンは激動期だったにもかかわらず議論の場が足らないという思いから、アーティストや関係者が集まって会話できるオンラインの場を立ち上げました。ようやくコンピュータの前に座ってブログを書き始めたような頃です。皆がブログに夢中になり始めた頃には、カキセニはアーティスト、演出家、プロデューサー等のデータベースを構築し、プラットフォームとしてのベースを確立していました。脚本家から舞台監督まで、ウェブサイトkakiseni.comへアクセスすれば必要な人に連絡をすることができるので、アーティストにとって重要なツールとして機能していました。
 2008年にジェニーとキャシーがマレーシアを離れることになり、閉鎖が発表されました。顔の見える関係を軸にしてきたプラットフォームを、物理的に遠い場所から運営することはできないというのが当時の彼女たちの意思でした。でも、多くのアーティストのキャリアを支えてきたカキセニが閉鎖されるのは悲しいし、もったいないと感じました。そこで、私たちを含め何人かがカキセニを引き継ぎたいと申し出て、私たちのチームが選ばれました。しかし、当初は、これからどうすればいいのか、プランがあったわけではありません。でも、何もせずに不平を言うのが嫌だったのです。私が舞台に立ち始めた頃、真剣に取り組んだ作品をカキセニが大々的に取り上げてくれたので、私は映画やテレビに出られるようになりました。このプラットフォームのおかげで現在の私があります。なので、カキセニを続けることが自分の使命だと思っています。
 引き継ぎが決まった2009年から、 それまでのコミュニケーション・プラットフォームとしてのカキセニの使命とこれからの新たな使命とは何かと問い続けました。ラムリー・イブラヒムや、ジョー・クカサス、マリオン・ドゥ・クルーズなど、舞台芸術界を代表するアーティストや舞台芸術の関係者たちに、何を望むか、何ができるか、これまでと今後のカキセニの使命は何かなど、とにかく尋ねて回りました。
 そして、2011年に「Women:100」を実施しました。これは、フラッシュモブ、演劇、ダンスなど様々なジャンルから女性をテーマにした作品を選び、延べ100時間に渡って上演するというものでした。この企画が、様々なコラボレーションを誘発する新しいプラットフォームとしてのカキセニの出発点になりました。最初から計画していたわけではなく、進むべき道を模索していったことが収斂した感じでした。そこにたどり着くまでのプロセスがとても楽しかったのを覚えています。

──新たなカキセニでは、文化省など政府からも協力を得ています。
 様々なステークホルダーに意見を聞く中で、複数の政府系委員会に参加させていただき、業界の問題に関して声を上げる機会を得ました。クリエイティブ・インダストリーの委員会、首相直轄部門の委員会、ユースのための委員会などに参加するたび、アーティストの重要性──創造性や国のアイデンティティを生み出す存在であることなど──を強く訴えてきました。何度も話をしている間に、具体的なロードマップや事業案を求められるようになったので、業界から意見を聞いては提案するという作業を何度もしました。こうしたイニシアティブが実って、文化省の文化芸術部や首相直轄部PERMANDUなどとの協力が始まりました。
 私は、聞きたいことがあったら答えをもらえるまでドアをノックし続けるタイプなんです。それまでロビーイングという言葉も知りませんでしたし、今でもロビー活動が機能するほどマレーシアが成熟しているかどうかわかりませんが、試みなければ答えを得ることはできません。不満を言う前に、何ができるかを考えて前に進む。そのシンプルな取り組みを続けたいと思っています。

──ユエンさんは、カキセニの代表となる前は、俳優、演出家、映画監督、テレビプロデューサーとキャリアを積み、その後、大手企業のマーケティング部長に抜擢されました。カキセニを始めた頃は、まだ企業で働いていらっしゃいましたよね。
 そうですね。映画やテレビ、企業で働きながらも、ずっと芸術から離れられずにいました。最初は卒業生のような思いで、何か役に立てないだろうかと考えていました。きっかけは本当にただそれだけで、そこから今日に至っています。触媒となり、実現させる立場になって物事を前に進めていく内に、やらなければならないことが山ほどあると気付きました。
 明らかに舞台芸術シーン全体がかつての活気を失っていました。舞台を観に来る人や新作の数が減少しているのはなぜか、舞台を目指す若手は育っているのか、私たちに何ができるのか──。原因をつきとめ、できることを考えるのが私たちの役割だと思っています。こうした課題はアーティストが自ら解決できるものではありません。創作に集中すべきアーティストとは別に、適した人材がこうした課題にきちんと取り組めば、解決の糸口が見えてくるはずです。

──2011年には、「Women:100」と並行して ボー・キャメロニアン・アート・アワード(以下、アワード)を再スタートしました。アワードは、旧カキセニが2002年に創設したもので、マレーシアの舞台芸術シーンに多大な影響を与えた事業といわれています。アワードについて紹介してください。
 アワードには重要な役割が2つあります。1つは、アーティストの作品を認知して表彰すること。これは国際的な活動を行う上でも必要ですが、若いアーティストに自信を持ってもらうためでもあります。この賞は各業界のトップレベルのアーティストたちが審査員になっています。そのことに何より価値があって、経験豊富な先輩アーティストから「よくやった」と言ってもらえる機会になっています。こういう認められる機会がなければ、成長もありません。アワードは旧カキセニから引き継いだプロジェクトですので、今年で11年目になりますが、そのためにどんなに費用が必要でも絶対に止めるつもりはありません。業界全体がまだ成長過程にあるからこそ、続けなければいけないと思っています。
 2つ目が、企業や潜在的な支援者に、芸術に関わるとどれだけ効果があるのかを見せるショーケースとしての役割です。企業は、明確な結果が見えなければ支援してくれません。働きかけを続けた結果、徐々に企業側からどのような支援ができるか教えてほしいと連絡が来るようになりました。もちろん、まだまだ道のりは長いですが、何かを見せ続けていくということが大切だと思います。

──審査員はどのような人が担っているのですか。また、賞にはどのような部門がありますか。
 長年続いているのでたくさんの人が関わっていますが、当初は例えばマリオン・ドゥ・クルーズ、モハメド・アニス教授、ノルマ・ノーディンらが審査員として皆が目指すべき賞の基準を定めてくれました。現役の審査員としては、ジョセフ・ゴンザレス、パトリック・ジョナサン、レン・ポーギー、アイビー・ジョシュア、レザ・ザイナル・アビディン、ウォン・オイ・ミンなどがいます。中にはアーティストとして受賞し、実績を積んで数年後に審査員になった人たちもいます。2008年に脚本賞などを受賞したザルフィアン・フジ、2011年にベスト・グループパフォーマンス賞(シアターカテゴリー)を受賞したアシュラフ・ザイン、2013年にベスト・ソロ・パフォーマンス賞(音楽)を受賞したチャン・ファング・チーなどです。また、若手の審査員としては、振付家のフィオナ・ゴメスのほか、レジデンス兼アートセンターのリンブン・ダハンとダンスのネットワーク団体マイダンス・アライアンスを運営するビルキス・ヒジャスなどがいます。
 アワードには4つの部門があります。音楽、ミュージカル、ダンス、演劇です。そして、各部門に11種類の賞があります。最優秀監督賞、最優秀演技賞、最優秀脚本賞、最優秀照明賞、最優秀音響賞、最優秀舞台デザイン賞、最優秀アンサンブルパフォーマンス賞などといった具合です。各部門の作品を1年間見続けた5人の審査員によって賞の選考が行われます。作品を見続けなければならないため、審査員は必然的にマレーシア在住になります。見た作品が多い審査員ほど、点数を多くもっています。また、より厳正に審査を行うため、プライスウォーターハウスクーパース社が社会貢献の一環として審査プロセスの監査をしています。

──受賞者たちは、この賞をきっかけに活躍し、海外にも進出しています。
 そうですね。アワードを創設してから10年、実績を積み重ねているアーティストや、ステップアップしたアーティストがたくさんいます。アワードがその役に立ったかどうかと問われれば、役に立っていると思います。一義的には作品へのお墨付きということですが、受賞を通じて作品に自信を持ったことが、国内にとどまらない次のステップへの後押しになったと思います。
 例えば照明デザイナーのマック・チャンは、アワードの初期を代表する最高の受賞者のひとりで、ライティング・デザインで5回連続受賞しました。彼はその後キャリアを大きく伸ばし、現在はステージ・センターライン・アソシエイトのテクニカル・ディレクターとして、2009年から12年までのシンガポール独立記念日の照明デザインを委嘱されました。2012年の麗水万博ではシンガポール・パビリオンのライティング・デザインも担当しています。若い頃にアワードで受賞し、世界のステージで活躍する作曲家のマーシュ・ルウェリンは、シンガポールのユニバーサル・スタジオで世界を舞台に仕事をするようになりました。また、複数の賞を受賞しているアーティストのリー・スィー・キョン、ロー・コック・マンの受賞作品は海外でも紹介されていますし、演出家であるリム・ヨー・ホーは現在台湾で活躍しています。このようなケースでは、アワードを受賞したことが、海外において客観的な功績を伝えることに役立っていると思います。

──2つ目の、企業や支援者にアピールするという役割はどうでしょうか。
 まだ成功しているとは言えませんね。最大の困難は──これはマレーシアだけでなく全世界で言えることですが──多くの企業がビジネスの使命と芸術への支援に全く接点がないと思っていることでしょう。芸術が社会にとってどんな役割を果たせるかについて、企業と話し合いを始めることすらほとんど不可能です。もしかしたらインセンティブを与えるような政策が必要なのかもしれません。これまでにも創造都市のモデルを紹介したり、どんな支援が可能かを提案したり、いろいろ試みましたが、これからも時間をかけてアピールしていくしかないと思っています。

──アワードの今後のビジョンを教えてください。
 まだまだやりたいことはたくさんあります。まず、アワードは1年に1回、業界中のアーティストが一挙に集まる場でもあるので、このポジティブなエネルギーをより上手に利用して、観客の育成や、一般の目にアートが触れる機会にしたいと思っています。今年は初めてアワードのテレビ中継を予定していますし、授賞式を一般公開したいとも考えています。また、今年からアワードの対象を学校にも広げる予定です。部活動や授業として作られた作品をプロの審査員が審査することで早いうちから舞台芸術の世界を知ってもらい、またプロの作品を見てもらうことであんな風になりたいと思ってもらえるような仕組みを作りたいと思っています。夢があって初めて、人は成長できるのですから。

──カキセニ・フェスティバルについてお聞きしたいと思います。第1回目が2013年4月に10日間にわたって開催されました。すべてのプログラムが、首都クアラルンプール中心部でも最も華やかなエリアにある巨大ショッピングモールで行われたことも話題を呼びました。このフェスティバルは、どのような目的で開始されたのですか。
 とにかく観客にアートを紹介したいという気持ちから始まりました。多くのアーティストや関係者と、観客数の減少や催しが開催されていることを知らない人が大勢いることについて話し合いました。それぞれのカンパニーでは良い作品をつくり、最大限努力して観客を集めていますが、それでも空席が目立つことがよくあります。ということは、何かが上手くいっていないということです。私たちは、スマートフォン等のテクノロジーや多様化するエンターテインメントをはじめとした様々なものと闘っているのです。ではどうしたらいいのでしょうか。
 そこで、カキセニ・フェスティバルでは、国内で一番賑わっているショッピングモールの中心に仮設のブラックボックスをつくり、インパクトのある国内外の作品を30分毎に提供することにしました。劇場に行って公演を観なくちゃ、と思ってもらうための戦略です。2013年が初年度でしたが、約9,000人の観客を集めました。そのうち、作品を熱心に観てくれる舞台芸術ファンは3割ほど。すべてのプログラムが無料で、整理券に並びさえすれば何度でも観ることができ、ファンにとってもたまらない機会になりました。でも私たちが本当のターゲットとしたのは、ショッピングモールをたまたま歩いていた人でした。
 舞台を観ることに慣れていない人たちなので、何度説明しても、私たちが何をやっているのか理解できないという人もいました。しかし、それも含めて、観客を増やすためのプロセスだと思います。例えば劇場に座ってダンスを観るという経験は、観たことのある人にとっては当然ですが、ダンスを今まで観たことのない人にとってはそう簡単なことではありません。ましてやお金を払ってもらうのは大変です。この大きな壁を乗り越えるためには、向こう側の言葉を話すことが必要です。いつまでも無料でいいと思っているわけではありませんが、「面白いし、タダだから行ってみれば」というところから始める。フェスティバル来場者へのアンケートでは、8割が次にどこでどんな舞台が観られるのか知りたいと回答しています。そのため、今年の9月に予定している第2回フェスティバルでは、その気持ちが消えないうちに、次の公演のチケットを買える仕組みをつくりたいと思っています。割引制度や、企業とのタイアップも検討できるかもしれません。

──第1回では、ブラックボックス、音楽ステージ、トークなどを複数のキュレーターで担当していました。
 ブラックボックスの上演作品は2名のキュレーターが選考しました。マレーシアの作品を主に選考した作家であり批評家でもあるモー・シュー・ケーと、英国在住の俳優であり国際エクスチェンジプログラムにも参加していたベン・カトラーです。彼らはとても信頼できるキュレーターたちで、来場者だけでなく、アーティストにとっても刺激のある作品を選んでくれました。野外ステージなどの音楽セッションはレザ・サレとフィクリ・ファジル、モール全体に展開したパブリックアートはinterpr8というギャラリーを運営するシャーミン、芸術支援について考えるフォーラムはグレイ・ヨウがキュレーションしました。
 美術はより若いアーティストへの支援を目指し、音楽は決して商業的ではないながら比較的経験が長くきちんと観客にアピールできるアーティストが選ばれました。高級モールのど真ん中など、考えたこともないような場所で展開しました。システムにショックを与えたかったし、強い印象を与えることが大切だと思ったからです。アートを全く見たことがない人が、終わった後にもっと見たいと思うこと、それがすべてです。

──ユエンさんは、企業での経験を生かし、顧客行動を誘導する消費者マーケティングの手法を上手にアートに適用しているように思います。ところで商業的なテレビや映画ではなく、舞台芸術をご自身のフィールドにされたのはどうしてですか?
 テレビや映画の世界に全く関わりがなくなったわけではありませんが、今ではどちらかというと、芸術を広げるためにそちらの仕事を利用しているといった感じしょうか。二つの業界の最も大きな違いは、芸術は将来、その時代を振り返るために参照されるものになっていくことだと思います。20年、30年後に国のアイデンティティや文化を振り返るとき、舞台にいるアーティストの言葉が、脚本が、歌が、時代を物語る核となります。エンターテインメントは、結局は大量生産されるものであり、真剣な分析の対象となることはほとんどありません。例えば私たちが、今後30年、舞台芸術のシーンで起こっていることを記録していくことが、これから先の未来を見据える上でとても大切だと思っていますし、そのためにシーンが消えてしまわないようできることをしなければならないと思っています。
 私は基本的に人が好きです。人々の考え方や思想を知ることや、どんな影響を受けているのかなどを知ることが好きです。それは、必ずその人の表現に現れます。良くも悪くも、表現されることがなくなることはありません。また表現のプロセスを、その人がどう楽しんだかということも知りたい。今の時代のアイデンティティをつくり上げている数々の表現を、将来振り返ることがとても楽しみなのです。

──昨年はカキセニ・アート・エクスチェンジ(AEX)も非常に話題になりました。こちらも新生・カキセニになってから始まったプロジェクトで、2年目の開催でしたが、このプログラムの趣旨は何でしょうか。
 単純に国際コラボレーションをしたかったのです。国内のアーティストがあれこれと理由を付けて海外に行かないのであれば、海外からアーティストを呼んで、エキサイトさせたいと思いました。また、私たちは今何ができていて何ができていないのか、どのくらい伸びていくことができるのかを知りたいとも思いました。そうして、アーティストがワクワクするようなことを起こすことで、結果的に業界全体の活性化にも繋げたいというのが狙いでした。

──2013年は、欧州を拠点とするカルロス・ガルシア・エステヴェスとイランのハメド・ザーマッケシュの2名が海外から招待され、マレーシアのベテラン・アーティストがメンターとして参加しました。そして、各国からこのプロジェクトに参加したい若者を募っていました。
 毎年、異なるテーマを持ってやっています。たとえば1年目は、「コラボレーティブ・アウトリーチ」というテーマの下、11カ国から28名のアーティストを集め、マレーシアの芸術家の様々なスキルを世界に紹介しました。オーストラリアのアンドレ・ジューソン、シンガポールのサム・スコットとアルフィアン・サアット、スペインのセルジオ・マルティネス、マレーシアからはリン・タン、アヤム・ファレッド、ボイズ・チュー・スーン・ヘン、ジェローム・クーガン、ミスリナ・ムスタファなどが参加しました。
 2年目は2つのプロジェクトを実施しました。1つはザーマッケシュによる人形劇形式の移動シアターで、マレーシアの若いアーティストを彼が拠点とするイランのテヘランに滞在させ、現地の子どもたちのために公演した後、マレーシアに戻り、さらに3週間かけてマレーシア国内を回りました。また、もう1つは2012年の挑戦を引き継いだコラボレーションによるプロダクション制作で、A級のアーティストとディレクターをマッチングしました。ガメラン、マ・ヨン、太鼓、人形など、様々な形式の表現を取り交ぜた作品を作り上げました。こちらのプロジェクトは2名のベテラン演出家、マレーシアのジョー・クカサスと、このプログラムのために招聘したカルロス・ガルシア・エステヴェスがリードし、公募で集まった若手をオーディションしました。3週間の間に、参加者それぞれ何ができるかを見せ合い、ディレクターは議論をしながら一緒に内容を組み立て、最後に公演しました。どちらも大変なプロセスでした。

──招聘ディレクターはどのようにして選ばれたのですか。
 様々なパートナーからの推薦を受けて、カキセニで選びました。たとえばザーマッケシュは、2012年にAEXの一環として招聘したフィリップ・ゴーリエなどからの推薦でたどり着き、作品をみて気に入りました。また、俳優でもあるリン・タンがAEXのキュレーターとしても活躍してくれています。
 私の才能は、適切な人々を集められるところにあると思っています。プロジェクトでは、最初にはっきりと大きなコンセプトを立て、人を集めれば、その後は自然に起こっていくのです。そうしたら選択が間違っていなかったことを願いながら、事業を実施するためのプロデューサーとして資金の手配等に専念します。ただ、マーケティングに関しては細かいところまで意見を言います。メッセージは明確か、ターゲットに適しているか、誰に何を面白いと思ってもらいたいのかなどの点には特に気を使います。しかし、プログラムの内容については彼らに任せています。

──国際交流プログラムの手応えはいかがでしたか。エキサイトさせることができましたか。
 それはもう。参加者、来場者双方からのフィードバックでは、何か新しいことができた、もっとやりたいと強く思ってもらえたようです。最初の2年分としての手応えは十分ありましたので、今後新たな指標をつくりながら進んでいきたいと思っています。

──次に、カキセニ・グラントについてお聞きします。こちらも2011年以降に始まったものですが、カキセニが政府の資金による助成金のスキームを構築し、運用しています。
 グラントはカキセニが過去12年間で試みてきた事業の中で、最も精緻さを要求される仕事です。実際に始めてみると、事前に考えていたよりも膨大な仕事量が待っていました。私たちは、物事を可能にする人でありたかったので、この助成をできるだけ早く実現させるために、急いでシステムを構築しました。審査委員会を設置し、要綱をつくり、整った手続きのもと実現されるよう力を尽くしました。
 グラントには次の5つのカテゴリーがあります。劇場の賃貸料や機材のレンタル費、リハーサルスタジオのレンタル費に充てられる「プロダクションのコスト削減のためのグラント」、若いアーティストの初めての作品発表をベテランが指導する機会をつくる「メンター・メンティー・グラント」、コミュニティでの活動を推進する「アウトリーチ・グラント(2年目よりコミュニティ・グラント)」、舞台芸術業界で働きたいと思っている若手を支援する「アプレンティス・グラント」、最後に新作戯曲の創作とその舞台化を支援する「ニュー・マレーシア・ワーク・グラント」です。プログラムによりますが、採択件数はアウトリーチが20件ほど、 コスト削減グラントが40件以上。提出書類の整備から、募集告知、審査、契約書の締結、採択者の記者発表まで、文化省の文化芸術部と密に協働したうえで、すべてカキセニが実施しています。

──予算は総額どれくらいですか。
 今年は、約440万リンギット(約1.3億円)です。すべてのグラントは政府から採択者に対して直接支援されます。私たちを経由することはありません。審査や支援先の透明性について、すべての書類について、不備のないように念を押しています。私たちは、仕掛ける仕事をしただけです。

──グラントは業界にどのようなインパクトを与えたと思いますか。
 2012年に公募を開始し、2013年の12月までに、新作支援のグラントを除くすべてのグラントが終了しました。2013年に発表された作品数は増えたと思いますが、長期的な役割については今後もプログラムの改善を重ねながら考えていかなければならないと思っています。

──カキセニは、かつては人々のオンラインのプラットフォーム/データベースでした。現在は、データベース機能はあるものの、若い俳優などが自分の情報を投稿する形になっています。
 そうですね。2000年代には、自分のウェブサイトをもつことは本当に大変なことでしたが、今ではカンパニーのウェブサイトを立ち上げるのも、作品の告知をするのも本当に簡単になりました。それでウェブサイトkakiseni.comの役割も自然と変化しました。現在のウェブサイトは、これから起こる公演が一挙に確認出来るリスティングの機能と、オルタナティブな会場で公演をするときにも無料で使えるインディペンデント・チケットシステムが中心になっています。また、作品の批評やレビューを掲載する媒体が少ないという問題意識から、若い批評家のレビューをのせるカキセニ・ブログも重要だと思っています。しかし、Facebook等をはじめ、全世界に発信できる新しい形が確立された以上、ある特定のウェブサイトで発言しなければならないという時代は過ぎてしまったのではないでしょうか。

──カキセニは、オンラインのプラットフォームから、フェスティバル等を軸とした現実のプラットフォームに移行したということでしょうか。
 そのとおりです。新たな役割は、より物理的で、よりリアルものになっています。イベント・リストはまだあるし、本当はデジタル世代におけるより強力な役割も考えたいのですが、システムの開発には莫大な資金が必要で、それが問題です。

──十分資金があったら、何をやりたいですか。
 資金があったらですか!アートにもっとアクセスしやすくするための、AからZまでカバーされたモバイルアプリをつくりたいです。家を出る前から往復分のタクシーを予約して、お金も支払もできる。直接劇場へ行き、見終わって出てきたらアプリ上で作品についてのコメントのシェアもできる。次の公演のチケットをアプリで買う時には、Facebookなどと連動していて一緒に作品を見に行く友達を見つけられる。夕食を食べる場所まで予約できて、どこにいようとタクシーが待っていて安全に家まで帰れるというような点、いい考えだと思いませんか?
 公演を観に行かない理由は何かというと、友達がいないからかとか、クアラルンプールは交通事情が悪く、劇場はタクシーが通らないところにあるから行きにくいとか、どんな場所に劇場があるのか、食事ができるのかわからないとか、どんな公演があるのかわからないとか、みんないろいろ言うわけです。ですから、言い訳が一切できなくなるすばらしいアプリを作って、その上で素晴らしい公演を提供する。これがやりたいですね。

──ユエンさんについてもう少しお伺いしたいと思います。女優を志していらしたのですよね。
 ええ。私は学校に行っていた頃から、いつも役者でした。舞台の上に上がることが好きで、オーディションがあるときはいつも参加していました。運良く選ばれても脇役ということも多々ありましたが、女優になる道は厳しく長いとわかっていたので、気にせず演技を続けていました。

──では、どうして舞台芸術をサポートする側になることにしたのですか。
 私が本当に興味を持っているのは、舞台芸術の場における会話だと思います。例えば、テレビの世界では会話は決して深いものにならず、挑戦的でも刺激的でもありません。ぐさっと本質を突かれることもありません。しかし、舞台芸術は、本質を突いているほど、深ければ深いほど良いのです。そのためか、舞台芸術に関わるときはいつも不安でした。私はこれまでテレビや映画の世界で賞をいただいたこともありますし、ほかの国で最高視聴率をとったこともありますし、ある程度評価していただいてきました。
 でも、舞台になると今まで満足感を覚えたことがありません。いつも確信がなく、不安で、妙に周囲の反応が気になります。今まで演劇の演出もかなり手がけてきましたが、そのときが人生の中で最も苦しかった。苦しいけれど、最も刺激的で、自分が本当に生きているのだと実感できました。ですから、ずっとしてきたことの延長に、今やっていることがあるのです。アーティストも同様の苦しみを感じていると思いますが、私たちはその苦しさをエネルギー源にしているのです。

──マレーシアにおける舞台芸術についての見解をお聞かせください。特に、マレーシアは多言語、多民族であり、シーンが分断されていると言われています。こうした傾向についてどう思われますか。
 先ほどの話にもあったように、アーティストは自分の作品について不確かな思いがあってもそれを追求するものですが、ことマーケティング、広報、損益計算などビジネス的な側面で不安を感じるものについて試してみようとする人は本当に少数です。もちろんそうするのは困難なことです。全く異なる物事や価値観を試そうとすると、コンフォート・ゾーンの外に出て、自分とは異なる、よくわからない、知らない層に働きかけなければならないからです。しかし、何もせずに観客が見に来てくれないと不平を言っていても、見に来てほしいという情報が伝わっていなければどうにもなりません。もちろんアートはビジネスではありませんし、アーティストはアートをビジネスにするためにエネルギーを使うべきではありません。しかしコンテンツはコンテンツとして、持続的な支援や異なるオーディエンスへの働きかけは、やはり誰かがどこかで担わなくてはならないのです。
 民族・言語・文化による分断については、悪化しているように思います。人々はとても恐れていて、今までにも増して排他的になっていると感じます。ですから、 私たちは今まで、ほとんどのプロジェクトについてクロス・カルチャーを大事な条件の一つとして企画してきました。使用する言語やどの民族の学校に行っていたということではなく、大切なのはどんな創作をするかということです。ただ、それで変化が起きるには、その変化が何であれ、ある程度長い時間がかかります。人々は自分が慣れた領域にいたほうが心地良いのですから。コンフォート・ゾーンから出て行こうとすることは、成功しているアーティストでもなかなか難しいですが、成功していない若手の場合はなおさらです。
 こうした領域を超える挑戦を難しくしている原因の一つは、アーティストに作品を創る機会が十分になく、そのために異なる層に働きかけたり、その反応を比べたりということが起こらないからだと思います。以前、マレーシアの演劇界にはクリッシェン・ジッドという人がいました。彼は自分が思うことを隠さず言い、人々は彼の人柄も経験も尊敬し、耳を傾けたものでした。しかし、現在誰がそのようなことを敢えて言うでしょうか。ですからこの問題は、分断を深めるためではなく、乗り越えるために、議論を続ける必要があると思います。

──多国籍の出演者が集まったコラボレーションや多言語による演劇など、これまでに取り組まれてきた作品についてはどう思いますか。
 伝達手段を言葉に依存しなければしないほど、メッセージは伝わりやすくなります。例えばダンスの公演はテキストを理解しなくてもいいため、観客には比較的抵抗感がないでしょう。しかし、その場合、今度はダンス作品に興味を持ってもらうための戦略とマーケティングが必要になります。多言語による演劇については、たとえばジョー・クカサスの作品が様々な文化や社会背景を盛り込んだものでしたが、広報が主に英語だったら英語話者以外のコミュニティの観客は劇場の中で何が起こっているのかを知らないままいなってしまいます。このような作品としての取り組みだけでは届かないところに対して、異なる戦略や長期的な取りくみが必要だと思っています。

──なるほど、では、カキセニの役割は?
 私たちができることはやります。しかし、アーティスト自身が変わる必要もあると思います。もしアーティストやカンパニーが、特定のターゲットを、例えば中華系の観客をもっと獲得するにはどうしたらいいか知りたいと言ってきたら、相談に乗ることはできますが、マレー系の観客も増やしたらどうかとか、インド系はどうかとか、こちらが聞くわけではありません。それは自然に起こるべきことだと思っています。私は、経済が成長の一途をたどるマレーシアで、需要と供給がともに成長していく資本主義のスキームを信じています。私たちはアーティストを刺激したり、挑戦する舞台を用意したり、相談に乗ったり、励ましたり、できることは何でもしますが、私たちが彼らの考え方を変えることはできません。自然に変わっていかなければならないことなのです。

──マレーシアの舞台芸術が抱える問題は、日本でも似たような状況にあるのではないかと感じます。例えばダンスと音楽、演劇、美術、伝統芸能といったジャンル毎に、それぞれコンフォート・ゾーンがあり、一部のアーティストや観客を除いて、ジャンルの間での行き来が少ないように思います。ましてや自分と違うものを知るために国外に出て行くのはさらに億劫です。マレーシアが抱える問題は誰にとっても他人事ではなく、カキセニの取り組みは国際的にも注目すべきものだと思います。これまで述べられた以外にマレーシアの舞台芸術シーンが抱える課題はありますか。
 まず間違いなく資金の調達です。資金調達も広報も、コストを削減するためにアーティストが一人で担っているケースが多く見られます。うまくいっているうちはいいのですが、たいていは行き詰まります。資金調達は別の専門分野として存在することを認識しないといけません。そうは言っても、資金調達や広報についての仕組みを知っておくことも、アーティストが成長する上で必要なことのひとつです。どうしてうまくいかないのか、他の方法はないか、誰かとチームを組むことができないかと、自ら探っていかなければ同じ結果を繰り返すばかりです。ただ、こうした問題はいつも存在していてなくなることはありません。
 資金のことはマレーシアに限らず世界中のカンパニーが常に直面する問題です。しかし、アーティストは認識していませんが、それより切迫した今日的な問題が“過表現状態にあること”だと思っています。ソーシャルメディア等様々なプラットフォームで気軽に発言できるようになり、いろいろな場で何度も同じことを発言しているために、新たな作品を作ろうとしたときに急に何を言っていいかわからなくなるということが起こっているのではないでしょうか。(かつてに比べれば)戦争もなく、飢餓もなく、災害もない幸せな時代であるにもかかわらず、常に文句を言い続ける世代になってしまいました。聞こえてくる表現といえば不満ばかり。それだけでなく、もっといろいろな表現方法が必要です。

──最後に、海外やアジアと共同作業をすることに関して、どのようなビジョンをお持ちですか。
 海外からマレーシアに来るアーティストは、新たな刺激を求める経験値の高いマレーシアのアーティストに招待されることが多いと思います。若いアーティストも、これだけ世界がボーダレスになっているのに一度も国外のアーティストと仕事をしたことがないとは言いたくないでしょうし、それを目標にしていると思います。でも、アジアやその他の国々と共同作業をすることが一般的であるとも、トレンドであるとも思いません。それは単に必要なことなのです。マレーシアでは、ほとんどの場所で英語が通じるので集まるには便利ということもあると思います。
 結局、観客が最後に気にすることは、作品が良いものであるかどうかです。彼らは、共同制作者が誰であろうと、作品がデンマークから来ようとなんだろうと気にしません。作品がものすごく面白かったら、後から知りたがるかもしれませんが。私たちが今直面している課題は、興味深いことが起きていることをどのようにして観客に知らせるかだと思います。結局、出身国がどこであろうと、最も大切なことは公演が素晴らしいものであるかどうかに尽きるのです。
 
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