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ミキ・ブラニステ
ミキ・ブラニステ
Miki Braniște
トン・ディマージュ・クルジュ
Temps d’Image Cluj
http://www.tempsdimages.ro/ro/
トン・ディマージュ・クルジュ
Presenter Interview
2017.3.28
Festival Temps d’Image Cluj  Highlighting New Romanian Drama 
ニュー・ルーマニアン・ドラマを牽引するトン・ディマージュ・クルジュ 
1989年の共産主義革命後、90年代のルーマニアはコミュニズム(共産主義)からキャピタリズム(資本主義)に移行する激動の時代となる。その過渡期後に創作を開始したのが、80年代生まれを中心とした「ポスト過渡期」世代と呼ばれるアーティストたちだ。ニュー・ルーマニアン・ドラマと呼ばれる潮流を生み出した彼らを牽引してきたのが、ルーマニアの首都、ブカレストから480キロ離れた人口40万人弱の都市クルジュ=ナポカで開催されているフェスティバル「トン・ディマージュ・クルジュ」だ。政治的なドキュメンタリー演劇を中心にジャンル横断的なプログラムを行うフェスティバルについて、ディレクターのミキ・ブラニステにインタビューした。
聞き手:岩城京子[ジャーナリスト]

──芸術テレビ局ARTE(1991年にドイツとフランス合同資本で設立)とラ・フェルム・デュ・ビュイッソン(1990年にパリ郊外マルヌ=ラ=ヴァレ地区にオープンした国立劇場)によって2002年に「トン・ディマージュ(Temps d’Image)」が創設されました。この組織は、欧州内外10カ国のパートナーをネットワークに持ち、毎年主催都市を定めて「映像と舞台芸術」を対象にした同名フェスティバルを開催する舞台芸術組織です。まずどのような流れで、この組織に参画することになったのかを教えてください。
 フランスのリヨン第二大学で文化政策マネージメントの修士号を取得したのち、私はルーマニアに帰国しました。そして首都ブカレストにあるアンスティチュ・フランセで、2006年から2008年までプログラム・コーディネーターとして働いていました。そのオフィスワークと併行して、2005年に自ら仲間たちと設立したNGO団体「アートリンク」での活動も行っていました。そこでコンテンポラリー・ダンス・フェスティバルの運営や、ダンス作品の制作などを行っていました。そんな折り、リヨン時代に知り合ったARTEで働くある女性から「トン・ディマージュ・ルーマニアのパートナーを探すためにブカレストに行くから、業界関係者を紹介してくれないか」という連絡をもらいました。
 私はルーマニア屈指の舞台芸術関係者を彼女に紹介すると共に、私が運営するNGO団体のメンバーにも「彼女に会おう」と連絡しました。それで、彼女と面談した結果、ルーマニアで会った無数のプロフェッショナルのなかで、私たちがもっとも「ガッツのある集団」という認識を持ってくれたみたいで(笑)。「経験はないけれど、やる気のある若手」である私たちが、トン・ディマージュ・ルーマニア支部として選出されました。
 08年に初回フェスティバルがブカレストで開催され、2回目以降はクルジュ=ナポカで行われてきました(2回目以降のフェスティバル名称はトン・ディマージュ・クルジュ)。残念なことにこのネットワークは現在ではほぼ機能していなくて、各地域でそれぞれ個別に活動が行われていると考えて頂いたほうがいいと思います。

──なぜブカレストからクルジュ=ナポカに拠点を移そうと思われたのでしょうか。
 ひとつは文化の首都一極集中の構図を崩したかったからです。首都ブカレストではなく、人口40万人弱の小都市であるクルジュから、新しいアートの波を生み出したいと思いました。そのため、2009年にフェスティバルの運営母体となるNGO組織「コレクティブA(アー)」をクルジュに設立しました。今では「クルジュ派」と呼ばれるようになった多くの若手美術家や舞台作家たちがクルジュ界隈で台頭しはじめていたという理由もあります。また、現在フェスティバル実行委員会本部が置かれ、ほとんどの上演作品の会場になっている旧絵筆倉庫(ファブリカ・ドゥ・ペンシュール)を借りられるかもしれない、という情報を得たことも大きかった。ちなみにいまファブリカには、2つの舞台芸術用スタジオ、4つのギャラリー、図書室などがあります。

──期待どおり、現在では80年代前後生まれの演劇作家たちが「ニュー・ルーマニア・ドラマ」という名称のもと新しい芸術潮流を生み出しています。彼らの多くはブカレスト国立演劇映画大学の卒業生であり、またあなたが芸術監督を務めるトン・ディマージュ・クルジュの常連作家でもある。過去9回のこのフェスティバルが、新しいムーブメントをつくりあげたという認識はありますか。
 ちょっと肩すかしかもしれませんが、昨年、あるアーティストと話していて、初めてそういった認識を持ちました(笑)。今までは割と直感に頼って職務をこなしていたんです。けれどそのアーティストと話していて、私たちのビジョンが予想以上に、いわゆるインディペンデント・シーン(小劇場シーン)に影響を与えていることに気づいた。つまり私たちが掲げるフェスティバルのテーマや、2011年より開催している若手作家のための「ルーマニア・プラットフォーム」が、アーティストのテーマ的・審美的な決断に大きな影響を与えていることを自覚させられた。それはとても嬉しいことであると同時に、責務も感じました。私たちがある特定の審美性をもつ作品を紹介し続けるほど、フェスティバルで紹介されることを目的にした、似た方法論の作家が否応なく増えていくわけですから。それはフェスティバルのマンネリズムを引き起こし、引いてはクルジュのアート・シーン全体のマンネリ化をも引き起こしかねない。そこで昨年から「ルーマニア・プラットフォーム」を一旦廃止しました。また自覚的に、異なるビジョンを持つ若手作家たち(25歳〜33歳)と手を組むようにしはじめました。

──ジャニーナ・カーブナリウ(77年生まれ、劇作家・演出家、2014年にはアヴィニヨン演劇祭に招聘)、デヴィッド・シュワルツ(85年生まれ、演出家)、ボグダン・ゲオルゲスキュ(77年生まれ、劇作家、演出家、アクティヴィスト)、ミハエラ・ミチャイロフ(77年生まれ、劇作家、劇評家)、ペカ・シュテファン(82年生まれ、劇作家)、イオアーナ・パウン(84年生まれ、演出家、映像芸術作家)などが、いわば「ポスト過渡期」第一世代の作家たちですよね。
 そうです。ルーマニア人は90年代を、コミュニズム(共産主義)からキャピタリズム(資本主義)への「過渡期」として認識していますが、その激動の過渡期の後に創作をはじめたのが彼らです。私たちは彼らと手を組み、ある種の「連帯感」と「責任感」を持って現代演劇シーンを牽引してきました。1989年の共産主義革命以前のルーマニアでは、ニコラエ・チャウシェスク大統領を筆頭とする権力者を「ヒーロー」として扱う英雄譚しか歴史に存在しませんでした。けれどその独断的な英雄譚に水を差し、いわゆる末端から発せられるカウンター・ヒストリーを掬いあげようとしてきたのが、80年代前後生まれの彼らです。彼らは政治的にも大胆で勇敢です。ただそんな第一世代の作家たちの、さらに下の世代の若手たちとも、手を組むときが来たように今は感じています。

──2011年にトン・ディマージュ・クルジュを視察させてもらったとき、ジャニーナさんの『X Centimeters out of Y Kilometers』を拝見しました。これは近年発見されたルーマニア版ゲシュタポともいえる共産主義時代の秘密警察(セクリタテア)の公文書を「脚本」として採用し、隠蔽された歴史の不条理を諷刺的に明るみに晒すドキュメンタリー演劇でした。歴史の闇に光りを注ぐ、こうした政治的な演劇が、第一世代の作風だといえるのでしょうか。
 そうですね、大なり小なりポリティカルであることは間違いありません。たとえばジャニーナは2010年に『Roșia Montană - on physical and political line(ロジア山脈:身体的・政治的境界)という、かなり政治的な作品を劇団group dramAcumの創始者であるアンドレア・ヴァレアンとラドゥ・アポストルの二人と共作しました。あまり知られていませんが、クルジュから約80キロ離れた山脈地帯には欧州最大の金の鉱脈があります。そこに目をつけたカナダの巨大資源会社ガブリエル・リソーシスが、2000年頃、地元住人からこの金鉱一帯の土地を買収しました。意外にも、村民たちの8割が賛同したのです。ガブリエル・リソーシスは地域全体を占拠し、金鉱での仕事を村民に提供し(実際はさほど多くはなかったが)、駅のキオスクを買収し、金鉱開発に好意的な記事を載せた新聞だけを売りました。ガ社はルーマニア政府とも良好な関係を築き、政府はこの地域一帯を「単一産業地帯」に指定し、金鉱夫以外の職業の選択肢はなくなりました。ジャニーナたちはこの地域に住む労働者たちにインタビューし、その実生活をもとにしたフィクションの演劇作品を創作しました。
 2011年に、クルジュ国立ハンガリー劇場で上演しようとしたのですが、不自然なほど空席が増えていきました。どうやらガブリエル・リソーシスがチケットを買い占めて、人々が見られなくしていたようなんです。

──すごい話ですね。1989年の共産主義体制崩壊後、ルーマニアはグローバル資本主義の犠牲者になっていったわけですね。
 そうです。あっという間に国土や資源が大規模国際コングロマリットによって収奪され、失職した総人口の17%以上の労働者が海外に出稼ぎに行かなければならなくなった。結果、いまルーマニアには出稼ぎ先の両親と会う機会が少なく、普段はほとんどSkypeや電話でしか定期的に連絡をとることができない成人間近の子どもたちが大量にいます。もちろん、彼らは心理的問題を抱えています。ちなみに前述した演出家ラドゥ・アポストルは、2013年にこうして親と離れて暮らす子どもたちについてのドキュメンタリー演劇『Family Offline』を発表しました。彼は2000年に下水口で暮らしていた孤児たちとも『Home』というタイトルの演劇作品をつくっています。これはブカレストのクレアンガ劇場で上演されました。

──ジャニーナもラドゥもポスト過渡期第一世代の作家たちですよね。では、第二世代の作家たちは彼ら先行世代とはどのように違う傾向があるのでしょうか。
 若手世代も同じように政治に興味をもっていますが、ただアプローチがもっと控えめというか。挑発的に、直接的に、白黒つけようというのが第一世代の発想だとしたら、もう少し柔らかな政治的アプローチをしています。たとえば年齢こそ若手とはいえませんが、私たちは2016年度にフェスティバルのアソシエート・アーティストとしてファリード・ファイルズを迎えました。これは2009年からミハイ・ミハルチェアが名乗りはじめた偽名です。そしてファリードは『That Panda Over There, Wearing Pants, is a Holobiont!(ズボンを穿いた、あそこにいるパンダは、共生体だ!)』という、いままでの小劇場作品とは全く異なる舞台を発表してくれました。
 「Holobiont(共生体)」という生物学用語をご存知ですか? これは異なる生物同士が一個の「共生体」という全体として生きていく状態を示す用語なのですが、ファリードはこの作品を介して、人間も同様の哲学を採用してみたらどうか、と提案したわけです。つまり私たちはいま細かく分断されすぎている。そしてお互いを理解できない状態になり汲々としている。けれど、どんなに異なる人たちであっても、生きるためには他者が必要。だったら私たちは「Holobiont(共生体)」として生きていけばいいんじゃないか、という内容でした。おもしろい発想ですよね。

──トン・ディマージュ・フェスティバルは、舞台、映像、ダンス、美術といったジャンルにとらわれない分野横断的な方法論をプログラミングの指針としています。あなたはなぜそのようなマルチ・ディシプリンな芸術に興味を持つようになったのでしょうか。
 クルジュ大学哲学科の学生だった頃は、主に映像と写真に興味がありました。その後、リヨン第二大学に留学してからパフォーミング・アーツに視野が広がっていきました。留学中、私はフランスで暮らす人々のルーマニア人への偏見にかなり憤りを覚えていました。それこそルーマニア人はみんな窃盗犯だと思っているし、ルーマニア人とロマ人の違いさえ分かっていない。そんな状況を改善すべく、私は複合芸術イベント『Voir, entendre la Roumanie(見よう、わかろう、ルーマニア)』を大学構内で企画・開催することにしました。古びたルーマニアのイメージを刷新するためには、コンテンポラリー・アートを紹介するのが最善だ、というのが当時から今まで続く私の考え方です。そこで私は、自分たちと同世代の映像作家、演劇作家、ミュージシャン、歴史学者、といった様々な人たちをイベントに招聘し、現在形のルーマニアをフランスの仲間たちに理解してもらおうと努めました。ちなみにこのイベントの開催中、ちょうど現地ではリヨン・ビエンナーレが開かれていて、電信柱の片面はビエンナーレの広告バナー、もう片方は私が企画したイベントの広告が吊り下げられていて、本当に嬉しかったことを覚えています。

──あなたはいつから政治や社会問題に興味を持つようになったのですか。
 18歳の時に、姉と一緒にある抗議活動を行ったのが、その後の私の人生に大きな影響を与えたように思います。私はアルバ=ユリアというクルジュ近郊の古都の出身ですが、市内にはいまだに17世紀に建設された要塞が残っています。本当にいまにも壊れそうなほど古い建造物なのに、あるとき市長が要塞のゲートを一般車が通行することを許可してしまった。トラックなどが通過する度に、その振動で要塞がひび割れるようになっていった。それを見た私と6歳年上の姉は、ある日、ルーマニア国旗を結び付けたロープを持ってゲートを封鎖することにしたんです。ものすごく初歩的な抗議手段ですが、市長は私たちの意見を受け入れて、その後、ゲートの通行許可は取り消されました! この抗議活動以後、私は「物事は自分の手で変えられるんだ」という自覚をハッキリと持ちました。

──今年2月には汚職高官の釈放を巡り、革命後最大規模と言われる反政府デモがルーマニア各地で勃発しました。あなたのように国の姿は「自分たちで変えられる」という自覚を持つ人びとは増えていると思いますか?
 そうですね、増えているかもしれません。ただ私も反政府デモには何度か参加しましたが、途中から違和感を持つようになりやめてしまいました。というのも、多くの人々はいまだに全体像を見られていないからです。「反政府」というたったひとつのスローガンを掲げてデモを行うのは、チャウシェスクを英雄視して崇めるのと同じぐらい視野が狭く、一義的な物語です。なぜなら私たちの国では与党と野党がローテーションで国民の税金を使い込み続けているからです。例え野党が政権の座についても、同じことが繰り返される。同様に、デモに参加している多くの若者は、すでに述べたような巨大国際企業で労働者として働いていたりします。彼らの多くは海外企業がルーマニアを救った、と考えています。確かに、短期的には職を得られて、生活費が稼げて、いいでしょう。でも長期的な視野でみれば、その人たちはルーマニアが国際企業の奴隷になることを促進している。もっと人々は全体像を見て、国の姿を変えていかなければなりません。ひとつの物語を信じることは容易ですが、現実はもっと入り組んでいて複雑なものです。

──そうした国内の諸問題を反映するかなり政治的なトピックを、あなたは毎年フェスティバルのテーマとして取り上げています。
 そうですね。とはいえ、テーマは私たちプログラミング・チームが独断的に決めるわけではありません。概要は私と演劇批評家であるユリア・ポポヴィッチの二人で決めているものの、その決断には、アーティストや観客の意見が常に含まれています。だからこそクルジュの観客にとって、かなり身近なトピックを毎年選んでこれたのだと思います。2016年度は「ポスト・バンクラプシー(ポスト経済破綻)」というテーマを立て、経済的、教育的、倫理的に破綻したこの国家の、その後の姿をどう想像していくかを考えるフェスティバルを開催しました。2015年度には「コモン・ボディ(共通母体)」というテーマを掲げ、自分たちの声を社会に届けるためには連帯が必要か、あるいは英雄物語を生み出すほうがよいのか、という問いに応じる作品を紹介しました。2014年度には「ワット・フィーズ・アス(私たちの栄養源は何か)」というテーマで、自分たちにインスピレーションを与えてくれるものは何かを考えると共に、文字通り、私たちは何を食べて生きているのかを考える作品群を選びました。2014年度のフェスティバルでではジャニーナがアソシエート・アーティストでした。彼女は近年、ルーマニアで問題視されているモンサントなどの海外企業による「ランド・グラビング(土地奪取)」に光を当て、農場や畑が海外企業に売り渡されたせいで、昔からその土地で働く老齢の農夫たちが、どれほど困窮した生活を送っているかを暴くドキュメンタリー演劇を創作しました。実際のクルジュの野菜市場で作品映像の試写会をしたのも思い出深いです。

──共産党政権崩壊後、ルーマニアでは芸術作品の検閲が廃止されました。とはいえ、このように政治的に挑発的なテーマを掲げるフェスティバルの予算を確保するのは大変ではないかと思います。
 はい、おっしゃるように本当に大変です(笑)。個人の寄付は全くなく、公的資金も極めて限られています。最初の3年間はトン・ディマージュのネットワークから資金源を確保していました。その後、2012年〜2014年は、ARTEから毎年心ばかりの助成金をもらっていました。たった6千ユーロ(約72万円)ですから、それだけでフェスティバルを運営するのは無理です。あとは2008年から毎年、ルーマニアのナショナル・カルチュラル・ファンド(AFCN国家文化助成)を獲得しています。ただこれも11,000ユーロ(約132万円)から16,660ユーロ(約200万円)ほどの金額で、年度毎に受給金額が変わります。それでも助成金でカバーできている金額は、総予算の45%ほどに止まっています。他にはプロジェクト毎に、その都度、国際共同制作助成に応募している感じですね。

──フェスティバルの運営母体であるCollective Aでは、2012年からクルジュ近郊のマナシュトゥルという人口約8万人の町でコミュニティ・プロジェクトをはじめています。このプロジェクトについても少し教えてください。
 チャウシェスク政権は88年に「農村再編計画(Systemization)」と呼ばれる政策を発表しました。ルーマニア経済は冷え込み、共産主義体制のなかで再興を試みる国内での起死回生の策として、チャウシェスクは農地の生産性向上を名目に、トランシルヴァニア地方を中心とする約8000もの村落を破壊し、農民を強制移住させようとしました。強制移住の対象者に選ばれたのが、国内のマイノリティであるハンガリー系住民が多かったのも特徴です。マナシュトゥルはこの農村再編計画の被害にあった町のひとつです。そのため町の一部には、共産主義政権時代に緑地化のために建物が撤去されたものの、何も手を施されず、そのまま更地として残っている広大な敷地があります。その空き地を、当初の予定どおりパブリック・スペースの公園として利用するためにはじまったのがこのコミュニティ・プロジェクト「La Terenuri- Mănăștur」です。Collective Aのメンバーである、ララ・パネイ(人類学者)とシルヴィウ・メデサン(建築家)がプロジェクトの企画運営者です。当初こそララとシルヴィウは、アーティストなどを呼んでコンサートやワークショップなどを行っていましたが、4年を経たいまでは地元の様々なNGO団体と提携して、町民による町民のためのプロジェクトが進められています。例えばアーバン・ガーデニング(都市菜園)のプロジェクトを地元の高齢者たちと行ったり、あるいはヒップホップ・コンサートを現地の若者たちとオーガナイズしたりしています。国家に奪われた空間を、地元住民たちの空間として取り戻そうというアジェンダがすべてのプロジェクトを下支えしています。

──地域密着型のコミュニティ・プロジェクトであれ、フェスティバルに含まれるアート・プロジェクトであれ、国立や市立の組織ではないからこそ実現可能なことを行っているような印象を受けます。
 はい、現時点ではそう考えています。ただ、将来的には市や国とも手を組み、トップダウン的に地域活動を促進していきたいとも考えています。いずれにせよ国立組織ではある種のアジェンダが国から課せられるので、おそらく私が国立劇場で同じようなポリティカルな芸術活動を行おうとしても難しいと思います。
 この前、ある地元記者に「なぜあなたはそんなにポリティカルなアートに傾倒するのですか?」と、質問を受けました。私の答えとしては、別に好きこのんで傾倒しているわけではないということです。目の前で起きていることを無視せず、ちゃんとした毎日をルーマニアで生きようとしたら、否応なくポリティカルになってしまう。もちろん、このような活動を続けることには絶えざる困難が伴います。国立劇場でシェイクスピアやチェーホフを上演している方がよほど楽に違いありません。。

──最後に、10周年記念となる、2017年度のフェスティバルのテーマを教えてください。
 テーマは「ディスコース&リアリティ」です。ええ、やはりかなり政治的なテーマです(笑)。ルーマニアはご存知ように、第一次世界大戦後の1918年に生まれた、まだとても若い国家です。だからこそ、バラバラの土地から来る人々をルーマニア人として一体化するために、ある種のディスコース(談話)を流布する必要があった。ハンガリー王国の一部であるトランシルヴァニアと、ワラキアとモルタヴィアが合併して1859年から存在するルーマニア公国をスムーズに併合する必要があったんです。ルーマニアはとても複雑な歴史を有する国です。だからこそ単一の「国家観」を保つための幇助となる神話が、歴史教科書などに採用されてきた経緯があります。
 今年のフェスティバルでは、そのような単一のディスコースを、多元的な現実として読み解くことを目的としたプログラムを組む予定です。そのために、例えば法律家とルーマニア憲法を読み解くワークショップを開こうと考えています。またソーシャリー・エンゲージド・アート(社会参加型芸術)と呼ばれるものが、どのような既存のディスコースにあぐらをかき、理論としては立派でも現実には機能しないものになっているかを暴いていきます。また、現存する労働者の奴隷化についての舞台作品を発表しようとも考えています。既存のディスコースは、私たちが眺める現実にバイアスをかけます。そのバイアスがかった神話を、現実に即したナラティブに再編成していくのが、今年のフェスティバルの目的です。
 
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