The Japan Foundation
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Japanese Drama Database
Japanese Title: 島口説(しまくどぅち)
English Title: Island Ballad
Author: 謝名元 慶福
Author's Profile: 1942年、沖縄県出身。コザ高校卒業。東京のテレビドラマ研究所に学ぶ。琉球放送、NHK等の放送局勤務と並行し、劇作家として活動を開始。明治から復帰後までの沖縄を舞台に、天皇制や米国といった権力と向き合う民衆の姿を描いた戯曲を数多く発表する。
1979年、東京のパモス青芸館で、処女戯曲「島口説」を上演し注目される(同年、雑誌『テアトロ』に発表)。同作は再演を重ね、主演の北島角子は1981年度文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞。
その他の戯曲に、種田賞受賞作「朝未来(あさまだき)」(1983年)、「海の一座」(1984年)、「アンマー達のカチャーシー」(1985年)、「風のユンタ」(1987年)等がある。「ハブの子タラー」(1988年)は、劇団文化座が現在も上演を続ける児童演劇の名作。橘祐典(たちばなゆうてん)監督のドキュメンタリー映画「人間の住んでいる島」(1997年)では、企画・制作・台詞に携わる。現在はNHKを退職し、沖縄県在住。
First Performance:   1979
Performance time:  
Acts / Scenes: 2場
Cast: 1人


口説(くどぅち)とは叙事的な長編の歌のことをいう。これは、沖縄戦を生き抜いた女性の一人語りからなる芝居である。彼女の半生を通して、沖縄の戦中・戦後史が浮かび上がる。劇中、沖縄の民謡や踊りが多用され、平和を願う県民の心が胸に迫る。

復帰から7年後の沖縄。コザ市のある民謡酒場の女主人・山城(やましろ)スミ子は、沖縄言葉をまじえて観光客に自分の半生を語り始める。敗戦直後、17歳で平安座島(へんざじま)へ嫁いだ。与勝半島(よかつうはんとう)の屋慶名(やけな)から、夫と美しい海を歩いて渡った。生活のため米兵相手に売春婦をする友達もいた。夫は山原船(やんばるせん)や捕鯨船(ほげいせん)を造る船大工だった。スミ子は男の子を産むが、台風で本島へ船を出せなかったため一歳で病死した。以来、子供はできなかった。
やがて米軍基地の建設が開始され、船大工は本島へ駆り出された。建設が終わると、次は基地の見張りを命じられた。労組の結成に伴い、復帰運動は活性化した。夫は運動に参加し、解雇された。島に石油基地が建設され、本島へ繋がる海中道路はできたが、海は汚染された。復帰目前に、夫は生き甲斐を失い自殺した。

スミ子の父は歌と三味線(さんしん)が得意で、母は陽気で優しい父を愛していた。一家は苦難の道を歩んだ。戦争で防衛隊にとられた父は、国民学校に安置される「ご真影(しんえい)」の護持をきつく命じられた。艦砲射撃(かんぽうしゃげき)のさなか、「ご真影」を抱えて逃げた。父にあらぬスパイ容疑をかける教官が、「ご真影」を奪い取ろうとして、誤って火の中に落とした。その罪を父が被る羽目になった。父を助けようとしたスミ子の兄は、艦砲の破片に頭を飛ばされて死んだ。

敗戦を迎え、人々はキャンプに収容された。女たちは米兵に強姦される危険に晒(さら)された。島は射爆場に変わった。スミ子の家も軍用地問題の犠牲となった。島ぐるみ闘争も空しく、家は壊された。父は三味線を手に歌いながら他島をまわり、土地接収反対を訴え始めた。共産主義者と誤解され、逮捕されもした。

島ぐるみ闘争を通じて、県民は次第に自分たちの力に自信を得ていった。鬱積した不満は、コザ反米騒動となって爆発した。若者たちは米人の車両に次々と放火した。あらゆる弾圧に耐えてきた沖縄の人々にとって、復帰運動は生きるための闘いだった。

1972年、遂に日本復帰が実現した。兄を亡くした時、父は命の尊さを説き、スミ子に三味線を授けた。自らが戦争の証となることを誓い、平和への願いを込めて彼女は歌う。沖縄には今もB52のエンジン音が鳴り響いている。
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