The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
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飯田将茂
飯田将茂(いいだ・まさしげ)
『HIRUKO』トレーラー


『HIRUKO』公式サイト
http://fulldome-hiruko.com/

※アメリカのジョージア州で開催の2019 Macon Film FestivalのFulldome部門で『HIRUKO』が「最高賞」を受賞しました。
http://www.maconfilmfestival.com/
*1 筑波大学総合造形コース
造形と環境・メディア・科学技術を繋ぐ新たな表現の可能性に着目し、これまでの芸術大学にはなかった領域として1975年に筑波大学芸術専門群に創設された。日本のメディアアートの先駆者として知られる三田村畯右や山口勝弘、現代美術の領域を広げた河口龍夫、篠田守男といった名物教授がユニークな授業を展開。芸術分野を超えた多彩な人材を輩出していることで知られる。
『ゆうやけおばけがつかまえた』(360° 動画)
『Fermentation』(360° 動画)
『アフター・チェレンコフ』トレーラー
*2 『誕生』
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の「みどり館」に設置された世界最大(直径30メートル)のドームで上映された映像。70ミリフィルムに対応した投影機5台、515個のスピーカーを使った「アストロラマ」と名付けたドーム映像として発表。現在、システム等は失われてしまったが、慶應義塾大学アートセンター・土方巽アーカイブによる調査が行われている。
監修・音楽:黛敏郎
脚本:谷川俊太郎
制作:学習研究社
Artist Interview
2019.8.13
ダンス
Dome video artist Masashige Iida Projecting the Butoh worldview  
舞踏の世界観を伝えるドーム映像作家の飯田将茂  
プラネタリウムに代表される巨大なドーム空間に映し出すダンス映像作品を発表している飯田将茂。フレームがないことによる圧倒的な没入感により身体表現を伝える作品は、海外のドーム映像フェスティティバルでも高く評価されている。舞踏家の最上和子と組み、日本が生み出した独自表現である舞踏の世界観を伝えた最新作『HIRUKO』など、身体表現とドーム映像の可能性について聞いた。
聞き手:乗越たかお(舞踊評論家)

──ドーム映像作家として活動されるようになった経緯を教えてください。
 実は高校時代までは野球少年だったのですが、怪我をしたのをきっかけにもともと好きだった美術を学ぼうと、筑波大学総合造形コース(*1)に進みました。現代美術は立体も平面もなんでもありの異種格闘技的な環境です。僕は映像を使っていたのですが、グループ展で“映像の弱さ”に直面させられました。もし僕が映画学校などに通っていたら、間違いなく“映画の中での可能性”を追求していたと思いますが、展示空間という人が自由に歩ける状況の中で、足を止めさせるには、ストーリーや映像の文法以前に、“イメージの強さ”が必要だと痛感しました。そして逆にそれこそが、僕が映像に可能性を感じていた部分でもありました。

──学生時代はどのような作品を発表していましたか。
 プロジェクターを3台ぐらい使った映像インスタレーションです。ビデオカメラで大学内を撮影した映像をコピー用紙に一コマずつプリンターで出力し、そこに水滴を垂らしてイメージをぼかし、再びスキャナーで取り込んで繋いだ抽象的な作品です。「記憶」をテーマにしていて、最初の「記録」としての映像からどうすれば記憶を引き出せるかという試みでした。卒業後、大学で非常勤職員として機材の管理等をしていたときに、モニターで一所懸命に土星を動かしている学生と出会いました。「なぜ土星を?」と聞くと、国立天文台が2008年にドーム映像の作り手を増やすための「科学映像クリエータ養成コース」を開設し、そこで学んでいると。その頃の僕はドーム映像のことを知りませんでしたが、「映像がドーム全体を覆って空間をつくる」ということは、自分がつくりたいイメージに近いと直観的に思いました。

──科学映像クリエータ養成コースは、宇宙映像利用による科学文化をつくることがミッションで、プラネタリウムで上映するソフトをつくれる人材育成を目的としています。飯田さんのようなアート映像をつくることは想定していなかったのではないですか。
 そう思います。でも僕としては、機材とかノウハウのことをここで学ぶ以外に手がない。応募書類には「科学とアートはそもそも一つのものだった」とか、あの手この手でなんとか受かりました(笑)。合格者は10人ぐらいだったと思います。魚眼レンズを使った撮影の仕方や、実写よりもCGで作るほうがドーム空間の映像表現に合っているなど、知らなかったことだらけでした。ここで学んだ1年間は本当に楽しかったです。

──卒業制作で発表したのが『ゆうやけおばけがつかまえた』(2012)ですよね。
 夕焼けの映像と自分の身体の実写を重ねて抽象的に加工したアニメーションです。多分その頃から、僕の中で身体がテーマとして浮上してきていたのだと思います。発表会では、みんなが星を動かしているのにこいつは何をやっているんだという感じでしたね(笑)。ただ、ひとりだけ海外でいろいろなドーム映像作品を見ている人がいて、「こういう作品は海外にたくさんあるが、ここまで作り込まれたものは少ない。海外で発表すると良い反応が得られる」と言ってくれました。このときに、ドームをプラネタリウムという枠を越えた映像空間として捉えている動きがあること、ドーム映像作品のフェスティバルがあること、そして日本には世界で2番目と言われるくらいプラネタリウムの数が多いことなどを知りました。

──作品性をもったドーム映像づくりに不安はありませんでしたか。
 映像で空間をつくる、しかも四角いモニターの映像を貼り合わせるのではなく、見る人をスッポリ半球体の中に没入させる形でイメージを出現させるというのは、自分がやりたい表現としてすごくしっくりきました。映画とは違う、ドーム映像という形で新しい映像文化を提出できる可能性を確信しました。

──ドーム映像作品をつくるのに特殊な機材などが必要なのではありませんか。
 いえ、特殊な機材は全周魚眼レンズくらいです。高さが必要な時にはクレーンを使ったりしますが、魚眼レンズもいまは結構安く手に入るので普通の映像制作と同じワークフローでできます。丸い画面のフォーマットにイメージが収まっていれば、多少歪んでも映像を出すことはできます。編集段階では平面映像なので、円形に切り取られている以外は通常の映像と同じように一般的な映像編集ソフトでつくれます。プラネタリウムを使ったプレビューを気軽にすることはできませんが、パソコン上で仮想のプラネタリウム空間をつくってイメージを貼り合わせ、シミュレーションすることができます。意外なほど機材のハードルは低いです。


初めてのダンス・ドーム映像作品『Fermentation』

──ドーム映像作品『Fermentation』(2015)で初めてダンサーとコラボレーションしました。

 コンテンポラリーダンサーの黒田なつ子さんとご一緒させていただきました。東京・九段下の科学技術館のプラネタリウムで関係者向けの特別上映という形で公開しました。プラネタリウムは科学の領分なので、アート映像を通常のプログラムとして公開することが難しい。「星を映す所でアート映像をどう評価していいかわからない」と困惑されるようで、プラネタリウムはたくさんあるのですが、なかなか上映できない。テクニカル的には全く問題ないのですが‥‥。

──黒田さんとの出会いは?
 大学が同じでした。筑波大学のダンスは体育の領域なので、僕らの造形芸術コースとは直接関係はないのですが、公演の撮影のために駆り出されていました。見てもすごく抽象的だし、良し悪しもわからなかったのですが、何かありそうな気配だけは当時から感じていました。この作品でプロフェッショナルな踊りを撮影したくて、僕から依頼しました。

──初めてのダンサーとのクリエーションはいかがでしたか。
 最初は共通言語を探すのがとても大変でした。15分間の作品ですが、舞台に近い時間軸で映像をつくろうと決めていました。映画のように時間を切り貼りするのではなく、長回しで撮影し、映像的な編集はしなかった。我々が生きている時間に根差した映像をつくる、という点では共通言語を持てたと思います。
 実際にダンサーとクリエーションして、撮る側と踊る側の映像的な視点が全く違うことに気づきました。映像は、上から撮るとか下から煽るとか自由に視点を決められます。それこそ息をするように自由に視点を変えて映像をつくる感覚で僕は生きてきました。しかし、舞台にはどうしても“正面”があり、“重力”がある。舞台の上で、客席に向かって踊り、常に横から見られる。見せる視点を変えるという発想がそもそもなくて、ちょっと驚きでした。ですから、見せ方について苦労しました。

──『Fermentation』ではダンサーたちが身体に光るペインティングをしているように見えます。
 あれはペインティングではなく、模様を描いたタイツを着てもらっています。ドーム映像ではとにかく暗闇が重要。ドーム全面に映像を映すので、内部で光が反射し合うと映像のコントラストが落ちてシャープさが減退する。イメージを出現させるためには暗闇の中が一番クリアで見やすいというテクニカルな事情があるので、本作では白いスタジオで踊るダンサーを撮影し、最終的に色を反転させて暗闇の中で踊っている映像をつくりました。

──最終的な映像のイメージは飯田さんの頭の中にしかないわけですね。
 そうですね。その点に関しては黒田さんたちもすんなりと受け入れてくれていたと思います。ただ今思うと、踊りを撮ろうとするあまり、ダンサーの動きにばかりフォーカスしていた。観客が上を見上げ、ステージがドームの天井になるという、天地が逆転した状況の中でどう動いたら面白いか、記号的な部分にすごく興味があった。言い方は悪いですが、「ダンサーを使って映像の中に動きをデザインした」という感じは否めないですね。

──ダンサーと一緒に表現したい世界をつくったのではなく、ダンサーを使ってイメージをつくったということですね。
 そうです。だからダンサーが持っている生々しさや、規定したものをはみ出してくる強さみたいなものは、かなり削ぎ落とされていた気がします。僕がまだそこに気づけていませんでした。だから色も簡単に反転させたし、そうしたビジュアルの面白さも武器のひとつくらいに思っていました。

──この作品はドイツのFulldome Festival2015ととポルトガルのImmersive Film Festivalで受賞しました。評価はいかがでしたか。
 やはり珍しがられました。映画やテレビの手法に則ったやり方をドーム空間で展開している作品や、ドームいっぱいをバチバチ光らせたようなサイケデリックな作品が圧倒的に多い。僕が取り組んでいる“踊り”を時間軸の中で見せるような作品には前例がなかった。

──ドイツの受賞はAward for Use of Innovative Production Technologiesという技術賞だったそうですね。
 そうです。ドーム映像はCGでつくるのが普通のやり方で、僕の作品のように生身の身体を魚眼レンズで撮って暗闇の中に出現させたこと自体がショックだったようです。踊りを撮る作品は、今まで見たことがないと驚かれました。

──タイトルの『Fermentation』は、“発酵”という意味ですよね。
 この作品に取り組み始めたのが東日本大震災に見舞われた2011年。僕は茨城に住んでいて、かなり大きな揺れを体験し、電気やガスも止まり、給水を受けるような状況で何日か暮らしました。情報が少ない中、やはり一番気になったのが放射線です。目には見えないけれど気にしなければならない、見えないのに恐れるチグハグさ……発酵という現象も、目に見えない状況の中で起こっている変化です。震災によって、“見る”という行為の次元が変わったと思いました。見えている世界だけじゃない、不可視の領域をどう視覚化するか、そこにどう挑むか。当時はそういう問題意識がかなりありました。


2作目のダンス・ドーム映像作品『アフター・チェレンコフ』(2016)

──次の『アフター・チェレンコフ』では、より直接的な形で震災と原発事故が出てきます。これも黒田さんのダンスがありますが、それとはまったく異質な、原発作業員が着るような防護服を着た人たちが出てくる違和感がすごいですね。

 実は東日本大震災の後、原発災害で放射線量が高くなっている福島の帰還困難区域に入ったことがあります。アーティストのChim↑Pomがそこで展開した『Don't follow the wind』という展示に関わっていたのですが、展示はそこにあり、見た目は普通の風景なのに見に行くことができない。見ているものだけが全てじゃない、でも見えていないものを身体感覚として捉えられないという状況に直面しました。
 それで、まず、人間は自然の猛威というパワフルなものを前に、どう向き合ってきたのかを考えました。最初にボディペインティングが登場しますが、あれはトライバル・タトゥーを表したものです。身体に入れ墨を施す行為は、人間の中にある野生や自然を押さえ込む“制御”のひとつとして始まった、ということを起点に考えました。人間が自然をコントロールするために科学を発展させ、積み重ねてきた歴史があの原発災害に繋がった。そして我々は、今度は入れ墨とは違った防護服という形で、自然に対する抗いを身に着けるようになった。ではその後、人の創造性はどこに向かうのか‥‥といったことを映像で表現したいと思いました。

──ダンサーとのコラボレーションは2作目で深まりましたか。
 クリエーションをしていく中で発見する部分は多かったです。役者に演技をさせるのとは違って、こちらの予想しないところで出現する強いものがある。僕自身、ダンスのそういう魅力にどんどんフォーカスしていった時期でした。

──黒田さんは国際的に活躍するコンテンポラリーダンサーの梅田宏明とも協働しています。梅田さんも舞台全面をノイズ映像などで塗りつぶし、その中で踊ります。
 梅田さんは踊る環境をつくるため、映像によって舞台上を抽象化していますが、「そこにリアルな身体がある」というのが前提です。僕の場合は、すべてを映像の中に含ませて「映像の世界でいかに身体を出現させるか」を狙っているので、ちょっと違う立ち位置なのかなと思います。


舞踏の世界観を出現させた、舞踏家・最上和子との『HIRUKO』(2019)

──最新作の『HIRUKO』は舞踏家の最上和子さんとコラボレーションです。冒頭の水から揚げられて喘ぐ魚のアップから始まり、(観客からすると)自分の上に薪が置かれて火をつけられるような葬られる儀式があり、最後は最上さんの長いソロで締めくくられます。まさに最上さんの身体の存在を中心に据え、舞踏の世界観を伝える作品になっています。舞踏に興味を持たれたきっかけは?

 昔から舞踏を見ていたわけではなく、作品づくりを通して踊りに対する興味がよりディープなものを指向するようになっていきました。実はDVD用の撮影カメラマンのひとりとして山海塾を撮影したことがあり、公演で見るのとは違う舞踏にも興味を持つようになりました。
 舞踏について書かれた書物を読むと、内面のことがかなり書かれています。大野一雄さんの稽古場での言葉にしても、非常に抽象的だけれどそういう言葉を使わないと到達できない深い領域があるらしいことが感じられ、深みにはまりました。そんなとき、たまたま書店で手にしたのが『身体のリアル』という本でした。この本は舞踏家の最上和子さんと、その実弟である押井守監督の身体をテーマにした対話集でした。押井監督のアニメーション作品は身体が重要なテーマになっているものも多いですし、何より姉がいて、しかも舞踏家だったとは本当に驚きました。

──『HIRUKO』の上映会で姉弟によるアフタートークが行われました。押井監督も記録として最上さんを撮影するけどつまらない映像にしかならないと。飯田さんが撮っても同じようなものだろうと思ったら、すごくリアルで驚いたと言われていました。
 最上さんは40歳を過ぎてから踊り始めた人です。それまではOLや看護師という踊りとは全然違うところで生活し、「もう身体しかない」という啓示から踊りと出会って始められた。それまで身体が訓練されていなかった分、逆に身体に関して非常に論理的で、この本ではものすごくディープなことを常に冷静な視点で話されていました。大野一雄さんとは対照的な言葉の選び方をしていて、踊り手でここまで明晰に踊りのことを話す人の本をそれまで読んだことがありませんでした。
 それで実際に最上さんの公演を拝見したのですが、それまで僕が持っていた「白塗りをして髪を剃って踊る」というイメージとは全く違う舞踏があることを知りました。動きとしてはすごくミニマルに抑えられているのですが、その中で何が立ち現れるのかを公演という形で見せていました。蒲田にある工場を改築した場所で、地べたに寝転がったりするのですが、工場時代の油の臭いもしてサイトスペシフィックな要素もあり、何より踊り手との距離が近かった。舞踏には“表現する”こととは別に、自分にとっての“実現”みたいな領域があるのだと衝撃を受けました。確かに公演は人に見せるためにやっているわけですが、僕は、「この人の踊りの本質は稽古場にあるんじゃないか」と思いました。自分の身体とどう向き合うかというところにこそ、この人がやろうとしていることの本質があると直感した。終演後に最上さんとお話をさせていただいて、とにかく稽古場に通わせて欲しいとお願いし、稽古に参加するようになりました。

──最上さんの舞踏の稽古を受けたのですか。
 そうです。今も通っています。役者や武道家など多様な人が受けているので、僕も入りやすかった。身体の内側とは、こんなに開けていて、こんなに奥深いのだということを、最上さんはあらゆるジャンルに対して開こうとしているんです。
 稽古では、寝ている状態から30分かけて立ち上がり、コップに入った水を15分かけて一口飲むなど、日常のスピードとは全く違った時間感覚の中で身体の解像度を上げていくようなワークショップを中心にやっています。すると身体の感覚がどんどん変わっていくのがわかる。決してトランス状態ではなく、たっぷりと時間をかけて試行錯誤しながら身体の内部を探るので情報量がすごい。それによって身体の感度が格段に上がるんです。30分かけて立ち上がり、稽古場に差し込んだ光を浴びた瞬間、ものすごく劇的なものを感じた。30分前は何も感じなかった光なのに。自分自身のそういう変化を素人なりに体感できたことも『HIRUKO』をつくった大きな動機です。

──なるほど。ただ「時間の操作」というのは、映像が一番得意とするところではないですか?
 はい。スローモーションなど、いくらでも簡単につくれます。そういう意味で映像は万能ですが、それ故に落とし穴がある。それはドーム映像における「フレームの問題」でもあります。映画の歴史は100年と浅いとはいえ、その間に文法は更新されてきました。特にモンタージュという、映像のカット割りによって構成する手法はすごい発明で、これによって人はどんな時間軸も行き来できるようになった。今ではCGの発達もあり、映像に出来ないものはないぐらいに思われていますが、それはあくまでも映画という文法の中だけで成立しているものです。でも、ひと度それが現実の世界や我々が生きている日常に等価に置かれた時の脆さを、学生の時から散々体験してきました。もちろん僕も映像の文法から完全に独立しているわけではないですが、映し出されたもの自体の力にフォーカスした映像のやり方があるんじゃないかと思っているんです。

──映し出されたもの自体の力、つまり舞踏家自体の力を知るためにも、飯田さんが稽古を受けることは必要だったのかもしれませんね。
 そうですね。映像をやっている人は、最終的に映像で何でもできると信じてしまうところがあります。しかし『HIRUKO』の撮影では、“撮影者の身体”というのがすごく重要でした。メインであるラストの最上さんのソロを撮影した時、最上さんは2時間くらいかけて身体づくりをしていたのですが、同じ舞台上で撮影する僕も一緒に身体づくりをしました。

──演者と撮影者の呼吸が合うように。
 はい。踊りの内側を撮ろうとしているのに、こちらが悪い意味で冷静になってはいけない、もう少し入り込むような形で撮らなきゃいけないと。映像はカット割りなどで観客の視点を強制的に誘導することは簡単にできますが、その瞬間に“撮影者の身体”がなくなってしまう。「この撮影者は、今どういうつもりでカメラを動かしたのか」という部分が欠落してしまうんです。『HIRUKO』を長回しで撮ると決めたのは、最上さんを捉えているカメラがどう動くかによって、その瞬間の僕の感覚的な情報がすごく反映されると考えたからです。フレームのない、魚眼レンズという目玉の延長みたいな形状でもって最上さんを追い続けるのは、自分の身体の感度を上げずにはできないと。実際、一緒に身体づくりをした後、さあ撮影するぞと何気なくペットボトルを手に取ったら、それがめちゃくちゃ柔らかく感じた。そのぐらい身体の感度の変化が起きていた。それによって最上さんと一緒に踊るような感じで撮影することが可能になったと思いますし、撮れた画を見ても、そういう行為を通してしか撮影できなかった部分がある。最上さんだけを凝視するのではなく、五感をフルに使って空間全体を“見る”状態でカメラを回すのがポイントだったと思います。

──ダンサーの身体を映像の構成要素と捉えていた『アフター・チェレンコフ』の時とは大きな違いですね。
 『アフター・チェレンコフ』の時は舞台を作っているイメージで、展開に沿って、次の身体にはこういう意味を持たせよう、みたいなつくり方をしていました。でも、それをわざわざ映像にする意味がどこにあるのかと、自問していました。『HIRUKO』ではそうではなく、表現以前に“実現”としてある身体を捉えて、映像という二次的な形で表現に置き換えていく手法があり得るんじゃないかと。それがイメージの持っている深みであり、あえて映像化する意味だとも思いました。
 ですから、前半は全て最上さんのソロを見る準備を観客の側の身体に起こさせる儀式だったといえます。舞踏の、ゼロから立ち上がる“生”なのか“死”なのか、あるいは両方内包しているような、蠢いている状態を見るために、観客の側をまず何もないゼロの状態にしたかった。魚の死という具体的な事象から始まり、やがて自分が焼かれて埋葬されていく。そこで観客は能動的にならざるを得ないという状況を意識的に作りました。観客に最後のソロを受け身じゃない形で見せるために。

──床に寝ている最上さんに、カメラが俯瞰で向き合う形になっていましたが、その位置関係は大きかったですね。トークで最上さんも言っていましたが、ダンスというのは舞台で寝ても立っても、横から見られることしかなかったが、初めて上から見られる経験をしたと。
 僕の中でもすごく大きな変化でした。床も真っ黒なので、映像だけだと地面の存在が消えて、空中に浮いているのか寝そべっているのかわからなくなる。しかし舞踏にとっては、大地の上に立って向き合う死生観みたいなものがある。悩んだ末に、それまで使ったことがなかった現場の音、つまり最上さんが動いたときに舞台と擦れる音や衣擦れの音を入れました。それによって大地が出現した。客席から見るとどちらが天か大地かわからないが、その間を揺れ動くような身体をリアルに出現できたかなと思います。

──戦前のミュージカル映画にあるバークレー・ショットのような俯瞰撮影は昔からありますが、大人数で展開する万華鏡のような美しさだった。でも『HIRUKO』では俯瞰からひとつの身体しか撮っていない。これは身体の存在感が相当強くなかったら成立しないですよね。
 そうです。誰でもああいうふうに撮れるかというと、そうはいかない。撮影の仕方としてはかなり残酷で、映像はどうしても“生の劣化”でしかないところがあります。一番は生だというなかでいかに映像に説得力を持たせるか。例えば『HIRUKO』では、比較対象が全くない暗闇のなかですごく孤独に身体のイメージが存在していますが、その身体は近くて大きいのか、あるいは遠くに大きいものとしてあるのか。そういう距離の揺らぎによって、身体の独特の存在感を浮き彫りにしているんです。

──舞踏の身体のもつ強さがなければそういう存在感はでないですよね。
 そう思います。特に最上さんが身体の実現に比重をおいた稀有な踊り手であったことは重要でした。そういえば、僕も最近知ったのですが、舞踏の創始者である土方巽のドーム映像作品があるんですよ。

──土方巽が映ったドーム映像作品ですか?
 ええ。大阪万博のとき「みどり館」という直径30メートルぐらいのドームで土方巽の『誕生』(*2)というフィルム映像をドームで投影したそうです。土方ひとりが登場するようなシーンもあるみたいで、舞踏のドーム映像の最初は実は大阪万博だった!

──大阪万博だと、フランスで世界的に舞踏がブレイクした1980年より10年も早い。半世紀を超えて舞踏とドーム映像が繋がっているとは驚きました。
 魚眼レンズではなくて複数のカメラで撮った映像を組み合わせたものだと思います。当時の精度なので、画の繋ぎ合わせの部分は多分残念な感じだとは思いますが、ぜひ復活してほしいですね。


ドーム映像とVR(ヴァーチャル・リアリティ)

──今、イマーシブ(没入感)という言葉がとても便利に使われています。体験型の演劇やVRも含めて、座って見る以外のものの総称というぐらい幅広い意味で使われている。ドーム映像におけるイマーシブはどういうものなのでしょうか。

 さっきも言いましたが、フレームがないことが大きい。「フレームの中には観客とは違う時間が流れている」という文法は実に強固で、被写体を遠ざけて観客を冷静にさせてしまう。それに対してドーム映像にはフレームがないことで接近できる身体性があると思います。
 海外のドーム映像には、車でどんどん奥に突き進んで景色の変化を見せるようなものもあります。こういう遠近法は、物の見方としてはすごく限定的で、西洋絵画の中で生まれたひとつの手法でしかない。それに対して、そこに出現させたイメージにいかに遠近法ではない奥行きをもたせるか、イメージの背後にあるものをいかに想像させるかが重要だと思っています。だから僕は意識的に景色を出さない。ドームの暗闇はそういうところも見直せる場所だと思います。

──VRと比べてどうですか。
 VRとの大きな違いは、ドーム映像はその場所に人が集まって見ることです。イタリアのシスティーナ礼拝堂に行ったとき、面白かったのは誰かが喋るとみんなで「シーッ!」と注意する。そうやってみんなで沈黙を保っている状態で見上げているという一種の負荷によって、絵画のイメージ以上の力が空間に引き出されているような気がしました。そういう身体感覚で共有する幻想みたいなものが、ドーム映像にはあるのではないでしょうか。プラネタリウムは星を見る場所ですが、言ってしまえば光の点をみんなで星と捉えようとする幻想が働いているわけです。ドーム映像にはそういう皆で一緒にじっと見上げる負荷によって発生する独特の没入感があると思います。

──一時期、大騒ぎしていた3D対応テレビが瞬く間に消えました。人間はすぐに慣れるので、飛び出したから何だ? となると、あとはクッキリとか刺激の強さの競争になって行き詰まる。同じことがドーム映像でも言えるのではないでしょうか。没入感競争になってしまったら、どんどん刺激の強さばかり求められて、逆に作品を表現する幅を狭める危険性はないですか。
 めちゃくちゃあります。実際に今のドーム映像のトレンドは音楽イベントやヴィデオジョッキー的なアプローチで、没入感のうちにハイにさせる使われ方がほとんどです。そうではないドーム映像作品、真にその空間に向き合ってつくられている作品はあまり見たことがありません。プロジェクション・マッピングの流れからもそうですが、映像に浸る快楽は商業的にエンターテイメントと結びつきやすい。逆に言えば、まだまだアートが入り込める余地があるということです。
 ただ3Dでもヴィム・ヴェンダースがピナ・バウシュを撮影した映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』はちょっと違う。ヴェンダースは長年構想していたけど「今の技術では撮れない」と逡巡していました。でも3Dの技術を知って、これなら表現できると撮影に踏み出したそうです。それはやはり映画というフォーマットの弱さを自覚していて、身体との乖離を予感した部分があったからだと思います。当時の3D映画は『アバター』を中心として、画面から飛び出すエンタメ系を追求していましたが、ヴェンダースは全く違う手法で3Dを捉えた。奥行きによっていかに身体を出現させるかという撮り方をしたんです。そこには僕もかなり影響を受けました。
 ただ撮影中にピナが亡くなり、一度撮影を諦めたものの、残されたヴッパタール舞踊団の人たちと協力して撮影を続けました。それによって、予期せぬことが起こった。まるでピナ・バウシュの亡霊を追いかけるような構図が生まれたんです。ピナについて語るダンサーたちは、3D映像によって、みんな亡霊のように見える。ピナの肉体はないけれど、明らかにそこに何か存在しているという状況が生まれていて、衝撃を受けました。ドキュメンタリーという手法自体もそうですが、この世を越えた世界観が3Dなどの映像技術と上手く付き合うことで発生している、非常に稀なケースだと思います。

──ドーム映像で飯田さんが伝えたいことは何ですか。
 ずっと映像というメディアと向き合ってきて、肉体のなさ、身体性の弱さを突きつけられてきました。加えて、ネットが発達、インターネットなどでコミュニケーションができるという便利さの中で肉体というものがどんどん邪魔になり、実生活においても身体性が薄れていることを感じています。だからこそ、こういう不可逆的な動きの中で身体性を実現している舞踏に接近したいという思いに駆られたのだと思います。映像をやってきた僕が、身体の取り戻しみたいなことを何かできないか。そもそも肉体を持たない映像で身体性を希求することで、身体性に気づかせるような変化を生み出す映像がつくれないかと考えています。
 映像が出現したばかりの頃は、テクノロジーを追いかけるだけで終わっていたと思いますが、我々の映像に対するリテラシーの能力は高くなってきている。そういうリテラシーの高さがあれば、映像の中に身体性という無いものを求めて表現しても、何か表現になる段階に今はあると思っています。舞踏にはその多くのヒントがあります。これは日本人特有のものではないですし、人類にとって普遍的な失われた身体の探求です。僕にとって撮ることは見ることでもあるので、踊り手とともに、新たな身体の視点をこの特殊な空間において構築できないかと思っています。
 
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