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田中敏恵
田中敏恵(TANAKA, Toshie)
1974年東京都生まれ、群馬県育ち。93年明治大学文学部演劇学専攻入学。群馬県立前橋女子高校の演劇部を振り出しに、明治大学に入学後は学内の演劇サークル「活劇工房」のメンバーとして2年間活動。子どもの頃から絵を書くのが好きだったこともあり、役者の傍ら舞台美術にも関わる。学内劇団の動物電気や自らのユニットなどで活動を続け、大学卒業後、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科通信教育課程を修了。97年にポツドールの第2回公演『ウラミマス』の舞台美術を担当したのをきっかけに独学により本格的に舞台美術家としてのキャリアがスタート。現在では小劇場を中心に年間30本の舞台美術をプランニングする超売れっ子として活躍。
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Artist Interview
2006.8.10
What reveals the meaning behind the stages in the form of everyday apartment rooms? Interview with stage designer Toshie Tanaka  
創り込まれたマンションの一室が現すものは? 舞台美術家、田中敏恵インタビュー  
ポツドール、明日図鑑、グリング、庭劇団ペニノ、東京スウィカなど、小劇場演劇シーンで台頭してきている若手劇団の舞台美術を一手に引き受けているのが32歳の新進舞台美術家、田中敏恵である。狭い小劇場の舞台を、ラブホテルの一室や若者たちが根城にしているアパートの部屋、運転手の待合室、洋食屋などに変貌させる創り込んだ空間造形は、観客にすぐ近くで出来事を覗き見しているような不思議な感覚を抱かせる。現在、小劇場演劇の主流になっている室内劇(日常を舞台にした会話劇)に新しい息吹を吹き込んでいる田中に話を聞いた。
(聞き手:坪池栄子)



――現在、舞台美術のプランニングを担当されている劇団はいくつぐらいありますか?
レギュラーのような感じで関わっているカンパニーは、大学時代からつき合っている動物電気、それから舞台美術家として本格的に仕事をするきっかけになったポツドールの他に、ハートランド、グリング、明日図鑑、庭劇団ペニノ、東京スウィカ、ハラホロシャングリラ、大人の麦茶、シアトル劇団子、東京乾電池のワークショップ修了公演などです。人間関係を通していろいろなものを掘り下げたい、描きたいと思っている作家や演出家と関わることが多いような気がします。

──最近注目されている若手のカンパニーがたくさん揃っていますが、年間何本ぐらいプランされているのですか?
一昨年は年間20本前後でしたけど、去年から爆発的に増えて30本、今年はもう少し増えそうです。仕事が平均的にくればいいのですが、重なると本当に死にそうです(笑)。

──凄いですねえ。舞台美術はプランだけ作成して制作は外注する人も多いですが、田中さんの場合はいかがですか?
私が手がけているのは予算の少ない小劇場が多いので、セットのプランを作成して、図面をおこして、材料を買ってきて、つくるところまで全部自分でやります。自分でつくる楽しさを捨てがたいというのもあって、工房にこもって大工もやるし、背景も自分で描きます。大道具会社に外注しても、予算が足りない時には手伝いに行くこともあります。まあ、七割方自分でつくっていますね。さすがに小道具までやる時間はありませんが。

──独学だそうですが、舞台美術家になられた経緯を聞かせてください。
高校演劇をやっていて、高校時代は如月小春さんの『モラル』で全国大会にも行ったことがあります。役者をやりながらセットはみんなでつくるのですが、今思うと、あの頃から空間をどう埋めるかを考えるのが好きで、私が中心になって水道管を組み合わせた立体的なオブジェを装置にしたのを覚えています。
演劇を続けたくて、明治大学文学部演劇学専攻に進みました。大学生はさぞかし面白い芝居をやっているんだろうと憧れをもって入学したら、ドラマやお笑い系のような芝居ばかりでがっかりしました。当時は芸術的で概念的なものが演劇だと思っていたし、美術も抽象的なものの方が好きでした。でも一緒に演劇をやる仲間とめぐり会いたくて、一番楽しそうに芝居をしていた学内サークルの「活劇工房」で2年ほど活動しました。
その時は役者とスタッフをみんな掛け持ちしていて、私も宣伝美術や装置を掛け持ちしました。その後も、93年に大学の先輩の政岡泰志が旗揚げした「動物電気」を手伝ったり、自分のユニットなどで活動しました。漠然と演劇は続けたいと思いながら、どうしていいかわからない状態で大学を卒業し、群馬の実家に戻ったのですが、もう少しデザインの勉強をしてみようと思い、武蔵野美術大学デザイン科の通信教育を受けました。それが今の仕事に役立っているというのではなく、舞台美術についてはあくまで独学で、自分で図面を引いたり、プロのところに手伝いに行ったりしながら覚えました。
通信教育を受けていた時に、活劇工房の後輩がポツドールの三浦大輔さんの高校時代の親友だったことが縁で、97年にポツドールの第2回公演『ウラミマス』の舞台美術をやったのが、交通費ではありますがギャラをもらった初めての仕事です。
 
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