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中島かずき
中島かずき(Kazuki Nakashima)
1959年福岡県生まれ。舞台の脚本を中心に活動。85年より座付き作家として劇団☆新感線に参加。以来、物語性を重視した脚本作りで<いのうえ歌舞伎>と呼ばれる時代活劇を中心としたシリーズを担当。
市川染五郎・堤真一主演の『アテルイ』(03年新橋演舞場)で、第47回岸田國士戯曲賞を受賞。近年、匠ひびき主演の『レディ・ゾロ』、宮本信子主演の『OINARI〜浅草ギンコ物語』等々、劇団☆新感線以外の外部プロデュース公演の脚本も積極的に手がけている。
http://www.vi-shinkansen.co.jp/

『朧の森に棲む鬼』
(おぼろのもりにすむおに)

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
公演日程:2007年1月2日〜27日(東京・新橋演舞場)
2月3日〜25日(大阪松竹座)
プレビュー公演:2006年12月29日・30日
カウントダウン公演:2006年12月31日
http://www.shochiku.co.jp/index.html

『阿修羅城の瞳』
1987年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ

『星の忍者』風雲乱世編
1988年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ
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an overview
Artist Interview
2006.11.24
Kazuki Nakashima's spectacles of manga and Kabuki and romance legends  
マンガと歌舞伎と伝奇ロマン活劇と――アクション劇作家・中島かずきのスペクタクル  
大阪の小劇場を振り出しに、日本で有数の人気劇団になった劇団★新感線。演出家のいのうえひでのりと座付き劇作家の中島かずきがつくりだす、歴史や伝説上の個性的なキャラクターが活躍する派手な伝奇ロマン活劇は、若者を引きつける新しいエンターテイメントとして大成功をおさめた。今では、日本の2大興行会社、東宝と松竹が経営する商業劇場にも作品を提供し、有名アイドルや歌舞伎俳優が出演する舞台はチケット売り出しと同時にソールドアウトする状況が続いている。漫画雑誌の編集者・原作者というもう1つの顔をもつ中島に、歌舞伎の時代物にも通じるその演劇観について聞いた。
(構成・小堀純 2006年11月1日、東京・新宿にて収録。協力・(有)ヴィレッヂ)



――中島さんの作風をみると“アクション劇作家”という肩書がぴったりきます。平安時代の武将・坂上田村麻呂と東北部の伝説の武人・阿弖利為(アテルイ)との闘いを描いた『アテルイ』(2002年。第47回岸田國士戯曲賞受賞)にしても、陰陽師という、呪術を使って祭り事に参画するという平安時代の怪人・安倍晴明をバイプレイヤーに、鬼と人との闘い、人智を越えた男と女の愛憎を描いた『阿修羅城の瞳』(1987年初演。2003年に歌舞伎役者・市川染五郎を主演に2バージョン上演)にしても、実在の人物と虚構の人物がある時代で宿命的に出会い、奇想天外な伝奇ロマンが始まる。「血湧き肉躍る」というか、人物の激しいアクションで物語をつくっていく。
確かに“アクション劇作家”と呼ばれるのは、今は僕ぐらいかもしれないですね。

――そもそもの芝居との関わりは?
演劇を始めたのは高校演劇がきっかけです。子どもの頃から少年漫画が大好きで、漫画研究会に入りたいと思っていたんですが、入った高校に漫研がなくて、他におもしろそうなことをやっていたのが演劇部だった。僕が育った九州の福岡は、高校生の創作劇を奨励しているところだったので、地区大会をみに行ったら創作劇をいっぱいやっていて「あっ、自分にも書けるんじゃないか」って思ってはじめました。

――漫画はどのようなものを読んでいたのですか。
サンデーやマガジンなどの週刊少年漫画誌全般です。手塚治虫、石森(後に石ノ森)章太郎、赤塚不二夫……もう日本の少年漫画の王道ですね。特に永井豪はデビューから読み続けていて、中学生の頃に『デビルマン』(※1972年から連載を開始し、一斉を風靡した永井豪の傑作コミック。高校生の不動明が悪魔と闘うため、悪魔と合体して人間の心と悪魔の能力を持つデビルマンとなる)で凄いショックを受けた。作家の成長とともに自分も成長していくという感じでした。

――白土三平やつげ義春が活躍した漫画雑誌の「ガロ」は?
「ガロ」は少年誌とは違うからダメでした。つまり僕が好きだったのは少年誌のような活劇なのであって、“アクション劇作家”とはそういう活劇を書く劇作家ということなんです。

――怨念や情念が色濃く出ない、明るくカッコイイヒーローが活躍する少年誌の活劇なわけですね。漫画は自分でも描いていたんですか。
描いていましたね。大学(立教大学)では漫研に入りましたし、僕が漫画出版社の双葉社(※「漫画アクション」を発行している出版社。文芸書の企画も多い)に入社したときも漫画と履歴書の両方を持って行って、漫画家か編集者のどちらかになれればと思ったぐらいですから。

――演劇は漫画ほど好きではなかった?
高校演劇からはじめただけですから。僕は漫画だけじゃなくて、SFも好きなのですが、その言葉に“センス・オブ・ワンダー”というのがあります。他の小説にはない、ある種フィクショナルな、ちょっとひねったアイデアやストーリーで読む人を「はっ!!とさせる」──ということなのですが、当時(70年代後半〜80年代前半)の小劇場演劇やアングラ演劇にはそれと同じような感覚があったと思います。高校1年の時、偶然、唐十郎さんの状況劇場が九州・福岡の炭鉱跡で上演した『蛇姫様』(1977年)をみたのですが、おもしろかったですね。演劇でそういう幸福な体験もいくつかはしています。

――新感線の演出家、いのうえひでのりさんも中島さんと同郷で高校演劇出身。彼が最初に書いた芝居が『桃太郎地獄絵巻』(※ 桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする昔話のパロディ。ハードロックと格闘シーン満載の活劇)というタイトルなのが、現在の新感線を髣髴とさせますね。
僕はその芝居を高校演劇の大会でみてね、すごくおもしろかった。自分と同じようなことを考えている人間がいるんだと。それも舞台表現としては一歩先を行っている。いのうえ君に会って「この芝居やらせてくれないか」と云って、今度は僕が“鬼殺しの鬼”の話に書き換えて上演した。それをみたいのうえ君がおもしろがってくれて、それからのつきあいですから。「三つ子の魂百まで」で、その時から日本の伝説を元にした話を書いてきたわけです。
 
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