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山形治江
山形治江(Harue Yamagata)
1959年生まれ。ギリシャ悲劇研究家、翻訳家。日本大学教授(研究所)。津田塾大学英文科卒業。早稲田大学大学院博士課程満期修了。イギリス・カンタベリ−大学演劇科にてDiploma取得(Drama)。1987〜90年、ギリシャ政府給費留学生としてアテネ大学大学院に留学。著書に『ギリシャ悲劇 古代と現代のはざまで』『古代ギリシャ悲劇観劇ガイドブック』など。『エレクトラ』の翻訳により第11回湯浅芳子賞(翻訳・脚色部門)受賞。
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Artist Interview
2006.12.25
Greek tragedy that rings true with young Japanese audiences An interview with translator Harue Yamagata  
日本の若い観客に響くギリシャ悲劇 翻訳家の山形治江インタビュー  
2500年前にアテネで成立した世界最古の演劇であるギリシャ悲劇が、21世紀のいま、蜷川幸雄の演出により日本で毎年のように公演が行われている。これまでに上演されたのは『オイディプス王』『エレクトラ』『メディア』『オレステス』。そのすべての翻訳台本を手がけたのが、ギリシャ悲劇研究家の山形治江である。現代ギリシャ語からの訳し下ろしで日本の若い観客にアピールする、翻訳家山形の世界に迫る。
(インタビュー:長峯英子)



――山形さんは現在、日本で数少ないギリシャ悲劇の現代上演研究者として活躍されていますが、そもそもの出発点はシェイクスピアだと伺いました。
そうです。大学時代は英文学を専攻していて、シェイクスピア研究会に入っていました。1982年に大学を卒業して、その年の6月にイギリスに留学し、カンタベリー大学のディプロマコースに入りました。シェイクスピア以外に取り柄はなかったし、ロータリー財団の留学生試験に受かり、「ラッキー!」という感じで(笑)なんとなく安易に選択したのですが、途中で「ひょっとして、英語もシェイクスピアも自分には向かないのではないか」と思い始めた。『マクベス』や『タイタス・アンドロニカス』は好きだけれど、『テンペスト』や『ベニスの商人』は植民地主義的な考え方や差別的な言動が堪え難くて、最後まで公演を見続けることができないほどでした。だから帰国したらシェイクスピアの研究は止めて、別の道を探そうと思っていました。

――そこからどのようにしてギリシャ演劇と出合ったのですか?
イギリスから帰国する前に2週間ほどギリシャ旅行に行ったのがきっかけです。そのときいくつか芝居を観たのですが、それでギリシャ演劇のコロスにハマりました。昔、本で読んだ時には難しくて面白さはまったく感じなかったのですが、本場で観ると12〜15人のコロスが直径20メートルほどの円形の劇場で謡ったり踊ったりしているのがなんだかとても奇妙で面白かった。それがきっかけになってギリシャ悲劇をやろうと思い立ちました。偶然ですが、その旅行中にちょうど蜷川幸雄さんの『王女メディア』(83年)のギリシャ初公演がアテネに来ていて、舞台を観ました。その時は、「へー、日本人がわざわざこんなところまできてギリシャの劇をねぇ・・・」という程度の印象しかありませんでした。

――ということは、ギリシャ語はイギリスから帰国して始めたということですか? 想像するだけでハードルが高い気がします。
ともかくギリシャ悲劇を研究するつもりでそれができる大学院を探しました。でも当時の日本ではそういうところはなかなかなくて、早稲田大学の演劇専攻コースを選びましたが、もちろんギリシャ語はできないので英語で受験しました。ギリシャ語を始めたのは入学してからで、最初、大学の学部で古代ギリシャ語の授業を受けたのですが、いつまで経ってもあいさつの言葉が出てこないので嫌になり、それで自分がやりたいのは現代ギリシャ語だと気づきました。そこで、東京で唯一現代ギリシャ語講座を開講していたアテネフランセという語学学校に行こうと思ったら授業がフランス語(笑)。結局大学院時代はギリシャ語もギリシャ悲劇もほとんど何も手に着かないまま終わったようなものですが、博士課程に進んだときに、運良くギリシャ政府給費留学生試験に合格し、ギリシャ留学を実現させました。

――ギリシャ悲劇をやるべく運命づけられていたみたいですね(笑)。
まあそうなんでしょうか(笑)。ともかく、ギリシャ語を本格的に学んだのはギリシャに行ってからで、古代ギリシャ語を基にした文語の純正語(カサレブサ)と、1976年以降ギリシャで公用語として使われている口語の現代ギリシャ語(民衆語:ディモティキ)の両方を勉強しました。私の学年までは、ギリシャの大学入試の語学試験は純正語と民衆語の両方が必要だったからです。言語的には、三大悲劇作家時代の古代ギリシャ語と、現代ギリシャ語とは、基本的な文法構造は同じですが、発音も違うし規則も違う。また現在、ギリシャ悲劇はすべて民衆語で上演されていますが、第2次世界大戦頃までに上演された作品の劇評は純正語で書かれているので、上演研究には両方が必要になります。

――ところで山形さんの翻訳で蜷川さんがギリシャ悲劇を上演するようになる以前、日本のギリシャ演劇の翻訳や公演はどのような状況だったのでしょう。
翻訳については大きく2つのパターンがありました。1つは、東京大学・京都大学を中心とする古典の研究家たちが、主にドイツ語の文献を参考にして古代ギリシャ語から日本語に翻訳し、ギリシャ演劇の研究書として上梓したものです。
もう1つは、シェイクスピア研究家・翻訳家として有名な福田恆存先生が、古代ギリシャ語から英訳された英語版・ギリシャ悲劇を和訳したシリーズです。英語版については、私も『オイディプス王』を翻訳したときに5冊ほど読み比べてみましたが、かなり自由な訳でした。それは各々の翻訳家がそれぞれの解釈でやっているということなのだと思いますが、福田先生が選ばれた英語版の定本もそもそもの古代ギリシャ語に忠実に訳されていたかどうかは疑問ですね。
今でこそ蜷川さんが定期的に公演を行っているイメージがありますが、そもそも日本ではあまりギリシャ悲劇の上演は行われていませんでした。最も古い上演は、1894年の川上音二郎一座による翻案劇ですが、本格的な上演史が始まったのは、1958年に東京大学の美学科の学生たちが立ち上げたギリシャ悲劇研究会の活動からです。自分たちで翻訳からはじめて舞台装置や衣裳などすべて当時のものを再現するという趣旨で、東京の日比谷野外音楽堂で年1回公演を行っていました。それと、1970年代に入ると、能楽師・狂言師を中心に結成した「冥の会」が実験公演を行ったり、劇団四季創設当時の浅利慶太さんなどフランス演劇の影響を受けた演劇人たちがギリシャ悲劇を焼き直したラシーヌやアヌイ、サルトルなどの作品を上演していました。あと、ギリシャ悲劇を上演していて有名だったのは早稲田小劇場(現SCOT)の鈴木忠志さんくらいだと思います。
いずれにしても上演に際しては、先ほど説明した2パターンの翻訳をもとにして、上演する際は演出家が自由に脚色していました。意味がよくわからない箇所を削除したり、演出テーマにしたいところを取り出してつなぎ合わせたりするので、確かにわかりやすくなり、現代らしさは出てきますが、でもそれでは本来、ギリシャ演劇がもっている不可解な魅力は伝わりきらないと思います。
 
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